第2章 光 ⑥
『その者と戦ってはならぬ! 剣を収めよ!』
手にした剣から、女の声が聞こえた。
しかし…迷っている暇はなかった。
ターメリック・ジュストを、クリスタニアへ行かせるわけにはいかなかったからだ。
夕日の浜辺で潮風を浴びながら、スパイス帝国新大臣ペパーは小さくため息をついた。
あれから数日経った今でも、目の前から消え失せたターメリック・ジュストは行方不明のままだ。
手にした剣に目を向ける…
つい最近、愛用の剣が折れてしまったので、修理している間に使おうと武器倉庫から引っ張り出してきたものだ。
武器倉庫の上のほうで輝いていたため、目に留まった剣である。
鞘の銀細工と柄の宝石が美しいという理由で選んだのだが…もとから自分のものだったかのように扱いやすい。
それに…
この剣は、自分にしか抜けないようにできているらしい…
なぜかはわからないが…もしかすると自分の過去に関係があるのかもしれない。
ペパーが視線を大海原へと戻した、そのとき。
「…またここへ来ていたのか、ペパー」
城の裏門から、カイエンが現れた。
ペパーはカイエンへ向き直り、深々と頭を垂れた。
「申し訳ございません、カイエン様。あのとき、ターメリックを捕えておけば…」
「そのことなら、もうよいと言っただろう。たかがネズミ1匹…後でどうにでもできる。クレソンが見つけ次第、こちらへ連れてくるだろう」
カイエンはペパーの隣に立ち、ともに海へと視線を向けた。
「この世界には、竜の王イゾリータなるものが封印されているという…そいつを復活させ味方にしたならば、世界征服がより簡単なものとなろう」
「その仕事は、クレソンが担当しているのですね」
「ああ…担当というよりも、イゾリータを倒すという伝説の剣を持つ者を見つける、という仕事を命じておいた。クレソンによれば、伝説の剣に選ばれし者を殺害してしまうと、また剣に選ばれし者を見つけなければならないという…あいつは、7人全員を監禁しておくつもりらしい…真面目な男だ」
カイエンの家臣クレソンは、新しく外交官に任命された元兵士団長である。
ペパーはクレソンのやり方が気に食わず、幾度となく反発してきた。
クレソンも、ペパーのことはあまりよく思っていないらしい。
いいライバルだと城下町の人々は言うが…ペパーはお互いをそのように思ったことは一度もない。
クレソンがカイエンに与えられた仕事は、ヌフ=ブラゾン王国の宰相として国王に近づき、世界征服を手助けするというものであった。
クレソンは信者ではないものの、クリスタン神話に詳しくカイエンにもいろいろと教えている。
ちなみに…ペパーはマスカーチ公国の外交担当として、武器の輸出について交渉中であった。
「風の噂で耳にしたが、お前…今さら自分の記憶を取り戻そうとしているそうだな」
カイエンがペパーに視線を向けた。
「…はい…」
…ペパーには、スパイス帝国へ来るまでの記憶がない。
記憶喪失となってスパイス帝国の城下町で倒れていたところを、カイエンに救われたのだ。
『ともに、世界の頂点を目指そう』
それ以来、ペパーはカイエンの影となって支えてきた。
…今回の皇帝殺害も、ペパーによる提案であった。
ペパーは口を開いた。
「申し訳ないのですが…やはり自分が何者かわからぬと不安なことも…」
「お前は、スパイス帝国の大臣ペパーだ。それ以外に何を求める?…過去は捨てて、未来のことだけ考えろ」
カイエンは有無を言わせぬ口調で吐き捨てると、そのまま夕日の浜辺を後にした。
…今の生活に満足していながら、なぜ記憶を求めるのか…
やはり、クレソンの言葉が耳に残っているからだろう。
『伝説の剣は、その持ち主にしか抜くことのできない剣だといわれています』
クリスタン教信者の少ないスパイス帝国では、クリスタン神話の詳しい資料は乏しい。
それでも、クレソンの言葉が本当だとしたら…
自分は剣に選ばれし者…ということになる。
「……」
今は自分の仕事に集中しよう。
そして、暇なときにはクリスタン神話に目を通しておこう…敵を深く知って損はない。
しかし…
自分が伝説の剣に関わっていることは、だれにも言わないでおいたほうがいいような気がする。
…なぜかは、わからない…
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パン王国の西を占める3分の2ほどの地域を、パントリー地方と呼ぶ。
郊外には3つの村が点在しており、そこから東へ進むと王都タジンがある。
ターメリックたちはノウェムの案内で、いちばん近いスプーン村を目指していた。
「…重い…限界だ」
しばらく歩いたところで、ノウェムが根を上げた。
荷台を置き、大きく息をつく。
「どっちか、代わってくれない?ふたりの荷物も入っているから、いつもより重くて疲れるんだよ」
「ノウェム、意外と体力ないね」
クランが仕方ないというように、ノウェムと場所を交代した。
…そのとき…
ー。
どこかで鈴の音が響いた。
ターメリックはあたりを見回し、どちらにともなく確認してみた。
「今、鈴の音が聞こえなかった?」
「え?…うーん、オレには何も」
「ノウェム。この荷台、重いって本当なの」
ふたりの会話を遮ったクランは…片手で荷台を持ち上げていた。
ノウェムの目が点になった。
「…はい?」
「クラン君、それ…なんで?」
「僕は何も…ノウェム、意外と演技うまいね」
「いや違うって!おかしいから!そんなに軽いわけないだろ!」
クランは気にすることなく進んでいく。
ターメリックとノウェムは首を傾げながらも並んでついていった。
さらに歩いていくと、
「わっ」
ノウェムが大木の根に足を取られて転んでしまった。
咄嗟に手をついたものの、地面にすった膝からは血が流れている。
「あちゃー。久々、派手にやっちまったぜ…いてて」
「転んだ場所が悪かったね。尖った石がごろごろしてる」
「荷台に救急箱あったよね!探すね!」
ターメリックが慌てて荷台に駆け寄った、そのとき。
ー。
また、どこからか鈴の音が聞こえてきた。
そして…
「な、治ったぁ!?」
見れば、ノウェムの傷は跡形もなく消えていて…怪我をした痕跡はひとつも見当たらなかった。
「…いったい、何がどうなってんだ?」
「治ったんだから、それでいいんじゃない。荷台だって軽くなったし」
「でも、これは…」
「ふたりとも!ちょっと静かに!」
気配を感じて、ターメリックは言い合うふたりを制した。
…茂みが騒がしい…
ひとつ隣の道から、だれかがこちらへ向かってきているようだ。
「……」
3人が見守る中…
茂みから、背の高い青年が現れた。
短めの髪は金色に輝き、眼鏡が彼を知的に見せている。
そして、水色の宝石と鈴のついた杖を手にしていた。
「申し訳ない。お困りのようだったので、つい魔法を…ご迷惑でしたか?」
ターメリックよりも年長の青年は、形の良い眉を八の字にしている。
「いや、あの、その…」
呆然とするクランとノウェムの中で、ターメリックだけが冷静に青年を観察していた。
…この眼鏡、つるに修理したあとが残っている…昔、友人の眼鏡を壊してしまったときも、つるが折れたんだったな…
もしかして、この人は…!
「クィントゥム君!」
その明るい声に、青年は眉をひそめた。
なぜ自分の名前を知っているのか…と問いたげである。
それでも、ターメリックは気にすることなく畳み掛けた。
「久しぶりだね!まさか、こんなところで会えるなんて思わなかったよ…クィントゥム・ジョアン君!」
「…ジョアン」
何かを感じたらしいクランが荷台を引っ掻き回し始めた。
ノウェムが文句を言いながら荷物を片付けだしたのと、青年が口を開いたのは、ほぼ同時であった。
「君は…ターメリック・ジュストか…?」
「そうだよ!やっぱりクィントゥム君だ!ぼくのこと、覚えていてくれたんだね!」
「あぁ…その髪の色は、忘れたくても忘れられないよ……久しぶりだね、ターメリック」
青年は、懐かしそうに微笑んだ。
「…あった」
クランが荷台の底から羅針盤を取り出した。
ノウェムの「すぐ使うものを下のほうに入れるな云々」という説教を聞き流し、真ん中に手をかざす。
…ふたりは光の行方に息を呑んだ。
「まさか…とは思ったけどね」
「そのまさか、かよ…まったく」
世界って狭いなぁ…
ノウェムは溜息をついた。
羅針盤から伸びた、透き通るような水色の光…
それは、まっすぐに眼鏡の青年を指していた。
光の中に浮かんだ文字は、
『叡智 ジョアン』
で、あった。
第3章へつづく




