第2章 光 ③
マスカーチ公国からやって来た少年は、短く「ノウェム」と名乗った。
商人の子どもなので、物心ついたときから商売について色々と学んできたものの…ふと気づいてしまったという。
…今までの人生がすべて、父をはじめとする家族の命令をこなすだけの日々であったことに。
「そう思ったら荷づくりを始めていて…その日のうちに荷台ひとつで旅に出ていたんだ。家には何ヶ月も帰っていないけど、まぁ大丈夫じゃないかな」
小屋へ向かう道中、ノウェムからそんな話を聞いて、ターメリックはマスカーチ公国の元気な商人たちを想像した。
…きっと、ノウェムの家族も優しい人たちばかりで、ノウェムのことを遠くから見守ってくれているのだろう。
しかし…
この穏やかな想像は、荷台をひと目見たカメリアによって、無残にも壊されてしまった。
「大型船と小豆のエンブレム…マスカーチ公国の豪商ピケノ=オエスシィ家のものではないか!…なるほど、君はそこの次男坊か。店を継ぐ資格はないとして、家を追い出されてきたのかね?」
「うーん…追い出される前に出て行ってやったって言ったほうが近いかなぁ」
「となると…ターメリックの家出少年説も、あながち外れてはいなかったようだね」
「えっ」
「…オレ、昔から親父とそりが合わなくて家に居づらかったんだ。それで、やりたいことも特になかったから、自分探しの旅に出た…まぁ、ここまで来ても自分は見つかっていないけど」
早めの昼食を取りながら、ターメリックたちはノウェムの話に耳を傾けていた。
窓の外に広がる海を眺めているノウェムに、カメリアがしみじみと語った。
「クリスタニアは、旅人たちの休憩所だ。来る者は拒まず、去る者は追わず…君も、ここで何をしようと自由だよ。好きなだけいてもよし、すぐに旅立ってもよし…スープ、おかわりするかね?」
「あ、いただきます」
ノウェムがお椀を差し出すと、カメリアはたっぷりとおかわりを注いだ。
透明なスープには、山の幸と海の幸が贅沢に使われていた。
飲めば元気が湧いてくる、身体に染み渡る味だ…ターメリックはスープを丁寧に口へ運んだ。
カメリアによれば、クランの手料理は義父であるムロン直伝のものだという。
ノウェムも隣でしみじみと味わっている。
「こういうの食べるの、久しぶりだなぁ。今までずっと野宿だったし、オレは料理とかできないから…美味しくて、何杯でも食えそう!」
「そうか、それは何よりだ…よかったな、クラン。手料理が褒められて」
「この人に褒められても嬉しくないけど」
クランはぼそっと呟いて、それ以上は何も喋らなかった。
…気まずい沈黙が続く。
しかし、事情を知らないノウェムは紅茶を一気に飲み干すと、
「…旅って、本当に楽しいんだよなぁ」
と、さりげなく話題を変えた。
「今までいろんな国を渡り歩いてきたわけだけど、そこでいろんな人に出会えたのがよかったなぁ。出会いがあれば別れがあるわけだけど、オレは別れがつらいなんてことはなかったね…お互い生きていれば、きっとまたどこかで会える…」
「会えるわけないよ」
饒舌になっていたノウェムを、クランが冷たく切り捨てた。
話を遮られたノウェムは、眉間にシワを寄せた。
「そりゃあ、会えないことだってあるだろうけど…そう決めつけなくてもいいんじゃねぇの?」
「もう絶対に会えない。決めつけているんじゃない…最初から決まっているんだよ!」
クランが声を荒げた、そのとき。
…カメリアがテーブルを強く叩きつけた。
「……」
甥っ子を睨みつけるその顔に、いつもの笑顔はない。
「いい加減にしなさい、クラン…ここにいる中で、君がいちばん幼稚だぞ」
「…叔父さんは、お兄さんに会えなくて悲しくないの」
「……」
「僕は悲しいよ…だから決めたんだ。もう、だれとも馴れ合わないって…でも、ここはクリスタニアだ。いろんな人がやってきて、僕に話しかけてくる…うんざりだよ」
…だれも何も言わない…スープから立ち上る湯気が虚しい。
クランは、暗い瞳でカメリアを睨みつけた。
「こんな場所に捨てられて悲しい思いをするくらいなら、僕なんて生まれてこなければよかったんだ!」
…その場に緊張が走る。
いくら鈍いターメリックでもわかった。
これは…絶対に口にしてはいけない言葉だ。
次の瞬間…
乾いた音が響いて、平手打ちされたクランが椅子から転げ落ちた。
事情を知るターメリックも、知らないノウェムも、ただ呆然と成り行きを見守るしかなかった。
「今まで数々の言動に目をつむってきたが、こればかりは許せん…クラン、天から授かった命をないがしろにするとは何事か」
カメリアは、まるで別人のような冷たい声で続けた。
「お前が生きることを否定するということは、自分を生んでくれた母親を否定することであり、自分を育ててくれた私の兄夫婦をも否定するということだ」
「……」
「母親や育ての親の気持ちもわからない奴は、生きている資格などない。死にたければ死ねばいいさ…私は止めんぞ…幼稚なお前に、そんな度胸があるとは思えんがな」
「……」
…緊迫の中、床に尻餅をついていたクランは…そのまま部屋を飛び出した。
「あっ、待って…!」
見かねたターメリックは、すぐにクランの後を追った。
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勝手の知らない土地で、案の定…道に迷った。
やっとのことで見つけた砂浜の足跡を追い、森の奥へと向かう。
踏まれた草を追っていくと、クリスタン神殿とは逆方向の草原に出た。
木々の向こう、眼下に海が広がっている…緩やかな坂道を登ってきたらしい。
草原の一角に、ヒマワリが群生している。
…少し離れたところにも一輪、見事に咲いていた。
断崖に、今朝見た背中があった。
「クラン君! 飛び降りちゃダメだよ! カメリアさんも、あんなこと本気で言うわけないんだから!」
「…こんなところまで僕を追いかけてくるなんて、君も物好きだね」
振り向いたクランの表情は、どんよりと暗かった。
「君は知らないだろうから、教えてあげるよ…伝説の剣っていうのは、持ち主が死んでしまうと、すぐに新しい持ち主を探し出すんだ。ここで僕が消えたら、君にとっても好都合だと…」
「思わない」
…ターメリックは、クランの暗い瞳を見つめた。
そして、声を限りに叫んだ。
「ぼくは、君と一緒に旅がしたいんだよ!」
「……」
「だってクラン君は、今までずっとひとりでいたところがぼくとそっくりなんだ。そして、ぼくたちはこうして巡り会えた。お互い、もうひとりぼっちじゃない。だから、もっといろんな人たちに会いに行こうよ!」
「……」
「その人たちとの別れが来ても、ぼくはずっと君のそばにいる。約束する!」
「……」
「旅に出れば、きっとお義父さんや義妹さんとも再会できるはずだよ…いなくなったのなら、探しに行けばいいんだから!」
やっと、自分の気持ちを声にできた…まぁ、最後はノワール先生の口癖だけど。
ターメリックは、クランの様子を窺った。
クランは、かげりの消えた瞳を大きく見開き、消え入りそうな声で、
「…ノワール先生…」
と、呟いた。
「…えっ…」
ターメリックは耳を疑った。
ノワール先生って、もしかして、あの……?
尋ねようとした、そのとき。
…凄まじい地響きとともに、地面が大きく揺れ始めた。
不意を突かれ、バランスを崩したクランが崖から足を踏み外した。
「クラン君!」
慌てて駆け寄ったターメリックだったが、クランの手を掴めないどころか、一緒に崖から落ちてしまった。
…情けないというか、恥ずかしいというか…
つづく




