第2章 光 ①
優しい父母と、愉快な叔父、そして…可愛い妹。
このクリスタニアで暮らすことができて、自分は本当に幸せ者だと思っていた。
この幸せは、永遠に続くものだと信じていた。
…それなのに。
『クラン、イヴェール。お前たちのお母さんは、クリスタン神の元へ召されたのだ。そんなに悲しい顔をしていたら、お母さんがかわいそうだよ』
森の奥深くにある神聖な墓場で、クランは妹とともに母の死を悼んで泣いていた。
墓穴に横たえられた柩は、木目が美しく暗い土によく映えていた。
父と、父の弟である叔父も沈痛な面持ちで墓穴を見つめている。
そんなふたりの足元に、1冊の日記帳が置いてあった。
亡くなった母のものだ。
…どうやら、柩と一緒に埋めるために持ってきたらしい。
今思えば…魔が差したとしか言いようがなかった。
あのとき、日記帳を手に取らなければ…何度、そう思ったことだろう。
中を開かなければ…
自分が生まれた頃のページを読もうとしなければ…
そうすれば…
今までどおり、普通の家族として仲良く暮らしていけたのに。
『血がつながっていないのに家族なんて、そんなの嘘だ!』
…このときの自分は、本当にどうかしていた。
慰めてくれた妹の「兄じゃなくて、他人でよかった」という言葉の意味すら、わからなくなっていた。
『他人でよかったなんて、酷いこと言うなよ。僕はずっと、君に妹でいてほしかったのに』
ぽろぽろと涙をこぼす妹に「泣きたいのはこっちだ」と文句を言ったところで、今ある事態は変わらない。
…クランが妹の気持ちに気づいたのは、彼女が父とともに人知れずクリスタニアを離れてしまった後のことだった。
置手紙の1枚もなく、残された叔父とクランは途方に暮れた。
…しかし、叔父は数日後には決意を固めて、薄桃色の法衣に腕を通していた。
『いつまでも塞ぎこんでいるわけにはいかない。…何をしていても明日が来るというのなら、毎日を精一杯生きようじゃないか』
兄の跡を継いで神の使いとなった叔父は、フィリアを授かりに来る旅人や、巡礼にやって来た信者とも気さくに語らっていた。
…そして、何事もなかったかのように、クランとも家族として接した。
クリスタニアは、旅人たちの休憩所…来るものは拒まず、去るものは追わない。
…出会いがあれば、別れがあるのが世の常である。
クリスタン教の研究をしていた青年に二度と会えなくなったとき、クランはある結論に行き着いた。
別れがつらいのなら、出会わなければいいのだ。
…こうして、だれに対しても心を閉ざすようになって数年。
…あの黄色い髪の奴、早くスパイス帝国に帰ってしまえばいいと思っていたのに。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
朝日が母国を照らすようにして昇り始めた…今までに味わったことのない、不思議な感覚だ。
クリスタン神殿の窓辺で、ターメリックは眠い目をこすりながら必死に太陽を目で追っていた。
眠りの浅くなっていたターメリックは、白み始めた空の下にカメリアを見つけて声をかけた。
神殿へ行くところだというので、同行させてもらった…もちろん、神の使いの命令で羅針盤は肌身離さず持っている。
木々の茂った深い森を抜けると、草原が広がっていた。
手入れの行き届いた泉が川となり池となって、澄んだ水をたたえて揺らめいている…水面には、蓮の花が浮いていた。
…クリスタン神殿は、薄闇の中で自ら発光してるようだった。
「そんなに、朝日が珍しいかね」
神殿の中央、美しい花々で飾られた祭壇を掃除しながら、カメリアは窓辺に佇むターメリックに声をかけた。
ターメリックは、振り向いて照れくさそうに笑った。
「今まで大陸の東端に住んでいたので、今日みたいに陸の向こうから太陽が昇ってくるのが新鮮で…なんて言うと格好いいですけど、ぼくは寝坊の常習犯だったので、朝日自体あまり見たことがないんです」
「ははは、寝坊のねぇ…申し訳ないが、なんとなく想像できるよ」
「あはは、そうですか…」
返す言葉もない。
「あぁ、そうだ。つい先ほどクリスタン神様がお告げをくださったよ…スパイス帝国で、世界征服のために内乱が勃発したらしい…大きな戦争にならぬよう食い止められるのは、マスカーチ公国の商人たちのみ。彼らが強力な武器をスパイス帝国へ売り渋れば、カイエンの企みを阻止できるかもしれない…とのことだ」
「阻止…」
「マスカーチ公国には、クリスタン教信者が多く住んでいるからね。彼らが食い止めてくれている間に、竜の王イゾリータを封印できればいいのだが…このまま戦争が始まれば、イゾリータが復活して…世界は滅亡するだろう」
「……」
自分に与えられた使命は、思っていたよりも大きく重たいものだった…
不安になって、祭壇の美しい花々に目を向けた。
「これは、カメリアさんが?」
「あぁ、この花はね、毎朝クランが供えてくれるんだ。まったく、昨日はあんなことを言って閉じこもっていたくせに、毎朝の習慣は変えたくなかったようだな」
「クラン君も、叔父さんに似て早起きが得意なんですね。羨ましいなぁ」
その言葉に、カメリアが顔を曇らせた。
「…ちょうどいい機会だ。君にも話しておくことにしよう」
カメリアは神殿の外へ出た。
ついていくと、泉の湧き出る一角に案内された。
「…今から10年以上も昔のことだ。このあたりに、赤ん坊が置き去りにされていてね…母親のものと思われる手紙には『クリスタン神様のご加護がありますように』とだけ書かれていた…その赤ん坊が、私の甥であるクランなのだよ」
カメリアが神の使いとなる以前、彼の兄であるムロンという男が神の使いとして活動していた。
ムロンは神の使いであったが、クリスタン教信者ではなかった…神の使いに、そのような制約はないらしい。
クランが神殿の中庭に置き去られていたのは、ちょうどムロンが妻を迎えた頃だったという。
ムロン夫妻は、クランをクリスタン神からの贈物に違いないと喜び、自分たちの子どもとして育てることにした。
…クランがクリスタン教信者となり、レオというフィリアを授かることになったのは、クリスタン教信者のカメリアがクリスタン神に願ったからであった。
その翌年、ムロン夫婦の間に娘が生まれた。
イヴェールと名づけられた女の子は、クランの妹として育てられ…何年かの月日が流れた。
「…クランが自分の出生の秘密を知ったのは、義姉が亡くなってすぐのことだった」
自分が家族だと思っていた人たちが、実は赤の他人だった…それを知ったクランは半狂乱になった。
『血がつながっていないのに家族なんて、そんなの嘘だ!』
「…あの言葉は、叔父である私の胸にも深々と突き刺さったね」
「クラン君も、どうしていいのかわからなくなったんでしょうね…ムロンさんとイヴェールさんは、今はどこにいらっしゃるんですか?」
…少なくとも、クリスタニアに住んでいる気配はない。
気になったので尋ねてみると、
「クランのことがあってから、兄は私に神の使いを任せると、イヴェールを連れてどこかに行ってしまった。クランは自分のせいだと言って引きこもるようになってしまってね…それから、クリスタニアへやってくる人たちとも打ち解けなくなってしまったんだ」
「……」
「出会いには、別れがつきものだ。しかし、クランの場合は最初の別れがあまりに衝撃的だった。それで、別れがつらいなら馴れ合わなければいい、そもそも出会わなければ何も起きない、という極論に行き着いた…いつの頃からか、私にも心を閉ざしてしまってね…」
…初めてクランを見たときに感じた寂しさの正体は、悲しい家族の過去だった。
「クランは本当は明るくて、何にでも興味を示す子なのだよ。君にはそっけなく振舞っているが、実は一緒に話をしたくて仕方がないと思うんだ…あとで、クランの様子を見てきてくれないかね」
「えっ、ぼくがですか?」
「これから、一緒に旅をすることになるんだ。お互いを知るには、いい機会だろう」
「はぁ…」
光の剣に選ばれし者は使命を否定しているというのに、彼の叔父はずいぶんと乗り気である…さすがは神の使い、というべきか。
…そこで、ふと思う。
クランが心を閉ざした理由は…本当に家族のことだけなのだろうか。
つづく




