シオン・オリバー(1)
◇ ◇ ◇
朝食の準備が整ったという【映像魔法】が届く前のこと――
「フェルゼンは忙しい身だろう? 俺が師匠の剣の相手をしてやる。俺とお師匠様は身内でもあるしな」
「余計なお世話だ……シオンこそ今期入って来たばかりの新人達を鍛える仕事があるんじゃないか?」
凛子の【護衛術】の指南役で揉めていたシオンとフェルゼンはどちらが相応しいか、決着をつけるために【魔道具】でつくり出した異空間の中で激しく剣を打ち合っていた。
「そう言えば、お前との剣の稽古も随分久しぶりだな……フェルゼン!」
「そうだな。私が剣を持つと、お前のように本気で稽古の相手をして来るものがいないから、稽古にもならない」
「今の言葉、お師匠様が聞いてたら“都合のよい言い訳だ”とか言われて扱かれるぞ」
「あの人の事だから、ついでにお前も扱かれるだろうがな」
「――それがあの人だ」
シオンは久々に表情が明るいフェルゼンと剣を交えながら、師匠であるリンコ・ロイエンザールと最初に出逢った頃の事を思い出していた。
※ ※ ※
シオン・オリバーはアインシュタット帝国宰相をしていたモーガン・オリバー侯爵の嫡男としてこの世に生を享けた。
父親に似た青紫色の髪に、母親似のシルバーグレーの瞳を持つ嫡男は本来であれば祝福される筈の赤子であったが……
この世界では得体の知れない不吉な印として認識されている【五芒星】の烙印を右瞳に宿し生まれて来たために、その印を見てしまった産婆と侍女達は秘密隠蔽の為、赤子の目の前で口封じの為に殺された。
父親であるモーガン・オリバーは悪魔のように冷酷な男で、欠陥品として認定したシオンを産まれて来なかった子供のように扱い、関心を示さなかった。
……不吉な紋を目に宿す子供を産んでしまった母親も精神を病んで育児放棄し、数年後に謎の死を遂げたと随分後になって知らされた。
「こんな不吉な赤子でも、アインシュタット皇族の血が流れている限り、利用価値があるやも知れぬ。なぁに、代わりの跡継ぎが生まれたら直ぐにでも殺せば良い事だ……塔の牢に閉じ込めて生かす程度の食事でも与えておけ」
赤子の時に耳にしたモーガン・オリバーのその一言により、シオンは四歳になるまで侯爵家の離れにある別搭の牢の中という劣悪な環境の中で隔離され、何度も食事を与えられず、餓死寸前の死に目に遭いながらも生き延びた。
この世界と繋がっている【深淵】と呼ばれる世界に深く関わっていると言われる【逆五芒星】の印形。
そによく似た、古代の魔法図形式にも出て来る【五芒星】を片目に宿したシオンは前世の知識を持ち、自分が何者であったのか前世の記憶は持たない酷く歪な転生者であり、五芒星瞳の奥には特殊な呪いを宿らせていた。
そんな訳ありのシオンが、四歳になり三か月が過ぎた頃。
【狂帝】と呼ばれ恐れられた前帝イアナネニス・アインシュタットの私生児で“フィラディシア”という紫瞳を持つ娘を、前帝の弟であるネダシス・アインシュタットが城の城下町から連れて来た事でシオンの生活は変化した。
それと、言うのもアインシュタット帝国は代々神の末裔が興した特別な国と信仰されており、アインシュタットの始祖であった神は【覇者眼】と呼ばれる紫色の瞳を持ち、この世の万物をその瞳の力で従わせていたという神話が残っており、国を興した神と同じ瞳の色を持つ者は代々皇位継承者になるのが慣わしだったからだ。
当時の皇帝には紫瞳の皇位継承者が他にいなかった為、ネダシスが連れて来たフィラディシアはアインシュタットの次期女帝となる将来がほぼ確定し、同じ年頃の息子を持つ貴族達の権力闘争も激しいものになっていた。
そこで、見目が良く彼女と歳の近かったシオンは【政治の道具】として利用価値があるとモーガン・オリバーに判断され、皮肉な事に牢の外に出て別館の中で教育を受ける事を許される事になったのだ。
アインシュタット皇族の血がその身に流れている、それだけの理由でただ生かされているのみの存在だったシオンは、フィラディシア第一皇女の【婿候補】として、前世の知識なのかもう覚える必要も無い帝王学などの教育を叩きこまれる事になった。
……五芒星の不吉な瞳の事さえ無ければ、シオン・オリバーは
容姿端麗で文武両道。
特に剣術に関しては、目を瞠る才能を持ち、それは大人をも凌ぐ程で十六歳頃には【帝国の若き天才】などと呼ばれ、最年少でアインシュタット帝国騎士団に身分を隠しトップで入団する程の完璧な人間だった。
この頃からシオンは自分にかけられた呪いに初めて気が付く事になる。
「フィラディシア王女と婚約しろ。お前にはそれ以外の利用価値は無い」
初めて正式に顔を合わせた父親の言葉に腹が立ち、政治の道具にされる位なら死んだ方がましだと自殺しようとし、失敗した事が最初だ。
何度も瀕死の重傷を負うと、体は化け物のように直ぐに再生し……息を吹き返す。
死ぬことが叶わない体。
シオンはそこで、自分が何故今までこのような劣悪環境で奇跡的に生きて来れたのか理解し、この不気味で不吉な呪いに絶望した。
もしも、自分が死なない体だと知られたら、父親のモーガンは五芒星瞳を持つ自分を脅迫し、あらゆる悪事に自分を利用する事だろう。
この劣悪な環境から逃げ出したいと考えたシオン・オリバーはある計画を立てていた。
もう直ぐこの帝都で大陸中の猛者が集まる武術大会が行われる予定だ。その時に偶然を装おって大怪我を負い【不慮の死】を遂げよう、と……
――そう考え、大会に参加をしたのが師匠のリンコとの最初の出逢いだ。
結果、偶然を装い“命を落とす程の大怪我”を負わせてくれる程の猛者に当たらず、とうとう決勝まで来てしまった。
鎧の兜で顔は隠している。
だがもしも、偶然に優勝などしようものならば、自分の行動に関心の無い父親の耳に騎士団に所属し、大会に出場した事もばれて勝手な事はするなと酷い体罰に遭う事だろう。
(――苦しい……今すぐにでも死にたい……もしくは自由の身になって誰もいない場所で生きたい)
この頃のシオンの精神は疲れ果てて、限界が来ていた。
自らが持つ五芒星の瞳のせいか、はたまた生まれつきの特殊能力なのか……自分に向けられる人々の妬みや恐れ、そして恨みの思念が頭の中にざわざわと不協和音として、寝ても覚めても聞こえ続ける……
(ああ……五月蠅い。頭が割れるようだ。……死ねないのであれば、人のいない静かな場所で死んだように生きていくしかないのに、それすらも叶わないのか?)
マダ 若イナ 金ヲ ツカマセテ イルノジャナイカ?
アンナ ワカゾウ ガ 血マミレ デ 殺サレタラ タノシイ ダロウナ
血ガ タリナイ モット
人 ガ シヌ トコロヲ 早ク ミタイ 死ネ 死ネ……
周りの人間の思考が頭の中に入って来ると、ストレスで頭がおかしくなりそうだ。
(――これ以上この世に生きていたくない。これ以上、自分が生きている事に何の意味があるだろうか?)
――その時だ。
「お前が決勝戦の相手か? ……随分若いな」
ふと耳障りの良い、高くも無く低くも無い澄んだ声が耳に入って来た瞬間、それまで自分の頭に流れて来ていた悪意の思念など……全ての雑音が消えた。
「……(頭の中に聞こえて来る音が消えた何故だ?)」
そこでシオンは自分が武術大会の決勝戦で相手と握手を交わしている最中という事に気が付く。
――武術大会で今まで見たどの手とも違う白くて滑らかな繊細な手。
顔を上げ、決勝戦の相手を初めて見つめ、この場にそぐわぬ相手の優雅な美しさに驚愕した。
決勝戦の相手の高く1つに結んだ艶やかな漆黒の髪がサラサラと風に揺れる。
意思の強そうな流れる様な眉にけぶる様な睫毛、透明度の高い黒水晶の様な瞳の奥は虹色に輝いていて吸い込まれそうだ。
そして見た目の美しさだけではなく内側から放つ魔気も驚く程に澄んでいて暖かく心地が良く、酷く穏やかな気持ちになる。
シオンは生まれて初めて“人”を素直に美しいと感じた。
しかし、最初に相手に話した一言が非常に不味かったようだ。
「……おっ……女なのか?(そんなの、どうやって戦えばいいんだ)」
どういう訳か、驚いて無意識に言葉が出ていたらしい。
周りの歓声と拍手が止まり、空気の温度が下がる。
……これは後になって知った事だが、リンコの対戦相手でその言葉を口にした対戦者は悉く酷い目に遭わされたらしい。
「――チッ……此だから、礼儀の成ってない糞ガキは困る。おい……下らない考えを二度と持てない様に根性を叩き治してやるからなぁ……おしおきだ! 掛かって来い」