異世界は色々と便利です。
◇ ◇ ◇
(ん……んんーー……誰かの、遠くで凄いヒステリックに叫んでいた声が聞こえた気がするけど。……何故か悪寒が。風邪でも引いちゃったかな)
――チュンチュン……
と、だんだん聞きなれて来たような小鳥の囀りを聞きながらも……
凛子は、何度目かの異世界の天蓋のベッドの天井を眺め悶えていた……
(うわぁぁぁ……今日も駄目だったかぁ。……やっぱり【夢オチ】じゃ無いんだ。諦めが悪いとか言われちゃいそうだけれども、どうしようかなぁ、この状況……)
そもそも、凛子は夢というものを見ない体質だ。
実際夢を見ているのかもしれないが、内容などはてんで覚えていないタイプだ。
「……リンコ様、お目覚めですか?」
「あ、ミザリーさん、おはようございます。あの……ええと、今日も少し運動をしたいのですが……」
起床に気が付き、タイミングを見計らって声を掛けた侍女長ミザリーは、用意していた運動用の着替えを手際よく差し出す。
凛子は「有難うございます」とお礼を言いながらも、一人でそれに着替えて準備体操を始めた。
「魔道具の香炉に魔気の炎を灯しますね」
……ミザリーが魔道具の香炉に火を灯すと空間が歪み城の寝室であった場所が空間幻影魔法というもので草原へと変化する。
これは、運動不足でどうにかなりそうだと凛子が愚痴っていたのを聞いた、フェルゼンが城の地下宝物庫から見つけて持って来たものらしい。
初めは跳び上がる程に驚き、怖がっていたものの……
段々と驚く事に疲れ、徐々に魔法のあるこの世界に慣れてきたのだろうか
「ああ……異世界だものね……何でもアリだよねぇ……あはは……ファンタジーだなぁ……(もはや凄すぎて、訳が分からないし)」
と遠い目をする程度になってきた。
「しかし、本当にどうやってこういう空間が生まれて来るんですか?不思議ですね」
「魔道具は大気中の魔素と元素が化学反応を起こして作動します。燃料の代わりに使用者の魔気を篭めるタイプがこの香炉なのですがフェルゼン陛下の魔気の籠った炎は素晴らしいですから、この様な空間が創れるのでしょうね」
この世界には魔素と呼ばれる元素が存在するのだが、魔素から魔力が生まれて魔力に念を籠めたものを【魔気】と呼ぶのだと凛子は本で学んだ。
そしてこの世界の者達は、魔力という言葉よりも魔気という言葉をよく使い使用するのだという。
『……凛子、もう起きているのかい?』
今、凛子の頭の中に響いて来たテレパシーのようなフェルゼンの声は情報伝達魔法の【念話】と呼ばれるものだ。
「はい、今ランニング中です。おはようございます」
「……おはよう。じゃあ一緒に走ろうか?」
「ひゃぁぁぁ!(出たぁ!)」
突然、背後にフェルゼンが現れて毎度のことながら情けない声を出してしまう。
……これは【転移魔法】と呼ばれるもので、好きな場所に瞬間的に移動出来る便利な魔法だ。
この魔法を使える者はごく少数しかいないという事らしいが、彼はこの移動魔法を使える。
そして。こちらが油断している時に突然現れてはこうやって茶化して反応を楽しんでいるようだ。
(恐るべし、転移魔法……それにしてもこの人、段々毎日私に割く時間が増えているような気がするけれど……仕事とかしなくて本当に大丈夫なのだろうか?)
心臓に悪いこの魔法を使って、子供の様にいつも驚かせて来る彼の事を少し恨めしく思いながらも、頬を膨らませていると人の気も知らず、満面の笑顔で微笑み返して来るから質が悪い。
「朝の訓練か……転生しても変わらないな。そういう所は……おはよう」
「ひぇぇぇぇぇ!(またまた出たぁ!)」
今度はシオンがあくびをしながら背後から【転移魔法】で現れる。
凛子は跳び上がって驚くと、シオンは切れ長の目を少し細めて、少し悪戯っぽく笑いながらこちらを見つめる。
二度も驚かされたせいか、心臓がバクバクしている……こんな生活を続けていたら早死にしそうなので堪忍して欲しい。
「チッ……もう少し寝ていればいいものを」
「え……(嘘、あのフェルゼン陛下が今、舌打ちした様な気がするけど……まさか気のせいだよね?)」
「――さて、凛子には護衛術を身につけて貰わないと、手取り足取り教えてあげるからね」
フェルゼンは舌打ちを気にする事も無く声色を激甘に変え、今日もキラキラと目に優しくない笑顔を近づけて来る。どうやら、今日は護衛術を教えてくれるらしい。
「待て……剣術や護衛術を教えるのは職業柄得意だ、お師匠様には俺が教えよう」
「凛子に必要な事は全部私が教えるから、必要ないよ」
「仕事をした方がいいんじゃないのか?」
フェルゼンとシオンは護衛術の剣の指南について、火花を散らしている。
(な……なんだか見えない火花が見える様な気がする……二人とも師弟愛凄すぎでしょう……)
そんな事よりも、皇帝フェルゼンに不敬罪に問われそうなタメ口を聞いているシオンの存在が本当に謎だ。
普通なら到底あり得ない事だろうが、どうやらこの二人にとってこれが普通らしい。
そんな事を考えていると、二人は、火花を散らしながら
「……直ぐに戻る」
といいながら、魔道具の中の異空間へと消えて行ってしまった。
※
(――ふぅ、今日はいい汗を掻いたし充実した時間だったな。教えて貰った護衛術も楽しかったし)
結局……フェルゼンとシオンが護衛術の剣を教える主導権を争い消えている間に、凛子は執事長のカインスから丁寧にこっそりと【護衛術】の基本を手ほどきして貰う事となった。
「あのお二方の基準で剣術や護衛術を教わっても、絶対分かりにくいと思いますので……少し基本をお教えしますね。秘密にしておいて下さい」
「助かります。向こうの世界の護衛術とは違い魔法のあるこちらの世界の護衛術は少し特殊で色々と勉強になりました」
すっかり朝の運動を終えて、ミザリー達に身支度の着替えを出して貰い着替えを済ましたのだが、まだ二人は戻って来ていない。
「そろそろ、あのお二人をお呼びしないと……いけませんね」
今度は食事の席に着いた凛子の映像が向こうに送られる。
これは【映像魔法】と呼ばれるもので映像を相手に送る事の出来る便利魔法だ。
『朝食の用意が出来ました。……お二方も(いい加減に朝食が冷めますので)そろそろ戻って来て下さいませ。凛子様がお待ちです』
モニター越しでカインスがそう催促をすると、二人はすぐさま身支度を整えて食事の席についた。
(こんな超人みたいな人達から、剣を教わらずに済んで良かった)
二人の態度を見る限り、自分の前世でもあるリンコ・ロイエンザールという人物は、余程慕われていたようだ。
(私の前世かぁ……想像も付かないな。一体どういう人物だったんだろう)
凛子はそう思いながら、二人を見つめた。