敵前逃亡
他日、正義はナディアにある相談をするため、アジトへ来ていた。
ラバーズはいない。
ふたりきりだ。
ナディアはガレージに置かれたデスクでタバコを吸っていた。
「来たか」
「すみません、個人的なことで」
するとナディアは肩をすくめた。
「まさか愛の告白じゃないだろうな?」
「ち、違いますよ。じつはドーピングの件で……」
正義はもうすぐ二十九になる。
三十歳までにはまともな職につかねばと思っていた。
あまり時間がない。
ナディアはタバコを灰皿へ押し付け、火を消した。
「分かった。決意は固そうだな。もう止めない。だが、先にリスクだけ説明しておくぞ」
「リスク? やっぱり副作用とかあるんですか?」
「いや、そうじゃない。じつはな、どんな人にも特殊能力はひとつ備わってるんだ。ただし出力が微弱だから、存在しないものとみなされている。薬はその出力を高めるだけだ。問題は、接種を受ける個人が、どんな能力を持っているか、だ。こればかりは出力が低い状態では判断できない」
正義は少し興奮をおぼえた。
自分にもなにかの能力があるということだ。
ナディアはしかし眉をひそめている。
「ハズレクジがふたつある。ひとつはタイプX。これはどんなに出力を高めてもなにも変化がない」
「え、変化がない?」
「正確には、他の機能と混じらないと機能しない。そして普通、人にはひとつしか能力が備わらないから、混じることさえない。よってハズレだ」
「はぁ」
「そして、もうひとつのハズレはタイプZ。これは死者の能力を吸収できる。デッドマンやデビルレディもこのタイプだ。ただし、最初はなにもできない。目の前で人が死なない限りはな。そしてこういう連中がタイプXの能力を吸収すると、もう手に負えなくなる」
「それのどこがハズレなんですか?」
最強としか思えない。
ナディアはひとつ深い呼吸をしてこう続けた。
「うちのパトロンがこの能力者を欲しがってる」
「パトロン?」
「知らなくていい。とにかく、もしお前がタイプZだった場合、パトロンに引き渡すことになる。その後どうなるかは知らん」
危なすぎる。
正義は冷や汗、というか脇汗が出たのを感じた。
「えーと、俺、どのタイプなんでしょうか……」
「だから、ヤってみないと分からんと言っただろう」
「もしタイプZだったら」
「それもいま言った。パトロンに引き渡す」
「……」
タイプXならまだいい。これまでと同じ生活が続くだけだ。しかしタイプZだったら、もう二度とヒーロー活動はできないし、自宅にも帰れない。
ナディアは「座れ」とばかりに椅子を進めてきた。
「そこで悩むならやめておくんだな。だいたい、ほかの能力だって、ヒーロー向きとは言いがたいものが多い。出力もどの程度になるかは分からんしな。ちなみに私は、体重をごまかす能力を持ってるぞ。正確には質量のコントロールだがな。出力がひくいから、せいぜい一キロか二キロしかごまかせん。使い道がない」
一キロでも二キロでも質量をコントロールできるなら驚異的なはずだが、たしかに有用とは言いがたかった。少なくともヒーローとして活かせそうにない。
正義は思わずうなだれた。
「やっぱりやめておきます」
「賢明な判断だ」
*
数日後、茨城の某商店街。
ラバソルが駆けつけたときには、すでにデッドマンたちの戦闘が始まっていた。
「ラバソル、出動せよ!」
「ラジャー!」
正義たちもピックアップトラックから飛び出した。
地元のヤンキーらしき学生がスマホを構えていた。
「お、なんか来たぞ」
「あれも撮っぺ」
さすがに茨城までくると日本語にも変化が表れてくる。
日本語のオルタナティヴだ。
のみならず、タブレット端末を構えるピンク髪の女と、短いスカートで飛び跳ねながら声援を送っている少女までいる。
おそらくテレビで観たデッドマンのファンになって、応援に駆け付けたのだろう。こういうミーハーなファンはどこにでもいる。
正義は構わずデッドマンたちに駆け寄った。
「おい、デッドマン! いますぐ破壊行為をやめるんだ! さもなくば、このサウザンド・ソルジャーが相手になるぞ!」
だがサウザンド・ソルジャーが相手をするまでもなく、後方から猛ダッシュしてきたラバーズ・ツーの「キリモミ・スワン」によって全員がぶっ飛ばされた。白鳥の攻撃範囲が広すぎるのだ。
シャッターに叩きつけられたデビルレディも「それやめて」とつい本音を漏らした。
ツーの回転は危険だ。敵味方の区別なくなぎ払う。
ワンが地面をバンバン叩いた。
「ちょっと! ちゃんと作戦守ってよ! キリモミ・スパイラル・トリプルの予定だったでしょ!」
ツーはしかし優雅にのけぞっている。
「アイムソーリー。キリモミ・スワンと聞き間違えましたわ」
「ウソだね! 絶対わざと! あたし、スワンはダメって言ったし!」
「あーあーあーあー! なにも聞こえませんわ!」
「このクソアマ……」
小学生以下の争いが始まってしまった。
フォーもうんざり顔だ。
だが、デッドマンとデビルレディを分断できた。
立ち上がった正義は、デッドマンへ駆け寄った。
「おい、デッドマン! 俺と勝負しろ!」
「正義に挑むつもりか?」
「お前など正義ではない! 正義はこの俺、ただひとり! サウザンド・ソルジャーだ!」
「デッドマン・ナッコゥ!」
返事の代わりに拳が飛んできた。
直撃を受けてしまった正義は、凄まじい衝撃を受けてシャッターへ叩きつけられた。
「あがッ……こいつ……不意打ちとか……」
「悪は許さん」
どちらが悪か分かったものではない。
正義はなんとか立ち上がった。
アーマーのおかげで打撃のダメージは緩和されている。とはいえ、エネルギーそのものを相殺できるわけではない。衝撃が全身に来る。
「おい、デッドマン! お前の正義はどこにある! 街を破壊するのがお前の正義か! 言え!」
赤いアーマーのサウザンド・ソルジャーが吠える。
だが、デザインがあまりに工業的というか、角ばっているせいで、シルエットがゴテゴテと暑苦しかった。
対する黒のデッドマンは、つるりとした流線型のデザインで、ムダがない。
「正義とは語るものにあらず。体現するものなり」
「なら、お前の体現しているこれが正義だとでも言うのか!」
「デッドマン・ナッコゥ!」
返事に困るとすぐ拳を出してくる。
正義はふたたびシャッターをヘコませてしまった。
「ぐはッ……てめェ……」
「命までは奪わん。そこでおとなしく寝ているんだな」
今日も勝てなかった。
少し会話できただけだ。
正義が自分の弱さをかみしめていると、さっきまでデッドマンを応援していた少女が大股で近づいてきた。
かと思うと凄まじい勢いでデッドマンのボディへ拳を叩き込んだ。
「バカ! あいったぁ……」
金属の装甲だ。痛いに決まっている。
デッドマンは棒立ちだ。
「ちょっとデッドマン! さっきから卑怯なことばっかり! 恥ずかしくないの?」
「……」
「この人、真剣に質問してるんだよ? ちゃんと答えてあげてよ!」
「そこの少女、どきたまえ。正義の邪魔だ」
「なんだよその言い方! 人のこと下に見て! お前なんて大嫌いだ! バカ! アホ! 原始人!」
さっきまで応援していたはずの少女が、いきなりブチギレてしまった。
おかげでデッドマンも不安そうに左右をキョロキョロし始めた。かと思うと、いきなり現場から逃走。
言われたくないことでも言われたのかもしれない。
デビルレディが近づいてきた。
「え、逃げたの? あの子、メンタルが弱すぎるわね……」
髪が触手のようにうねり、三名のラバーズを捉えていた。
ヒーローは逃げてしまったのに、怪人だけが大活躍だ。
デビルレディはラバーズを床へ転がした。
「私も帰るわ。あと、危ないからもう混ざってこないで。白鳥も邪魔すぎるし」
白鳥が邪魔なのは正義も同感だった。
デビルレディが商店街を去ると、野次馬たちも興味をなくして解散してしまった。
パトカーのサイレンさえ聞こえてこないうちに、早くも終了となってしまった。
倒れている正義のもとへ、先ほどの少女が近づいてきた。
「ね、大丈夫? 怪我してない?」
「ああ、大丈夫だ。気にしないでくれ」
ただのミーハー少女ではなかったようだ。
たったひとりでデッドマンを退散させてしまった。
「勇敢なんだな」
「そんなんじゃないよ。ムカついたから文句言っただけ。それじゃ、あたしそろそろ向こう行くね」
「ああ」
不思議な少女だった。
正義はなんとか身を起こし、仲間たちを見回した。
ワンとツーは「あんたね、ちょっとは言うこと聞きなさいよ」「命令されるおぼえはありませんわ」などとケンカしている。フォーはうんざり顔だ。
*
アジトに戻ってもケンカは続いていた。
「おい、ふたりともやめろ。チームメイトなんだから協力しろ。軍曹からの命令だ」
ナディアもついつい口を挟んだ。
ワンは止まらない。
「あたしだって協力したいよ。でもこいつが……」
「わたくしが一番強いのですから、みんながわたくしに合わせるべきですわ」
「だーかーらー! そういう態度がダメだって言ってんの!」
「ソーリー、イングリッシュでお願いしますわ」
「ファッキンビッチ」
「あらお下品」
収拾がつきそうにない。
フォーは「私帰りまぁーす」とアジトを出た。
ナディアも酒瓶へ手を伸ばした。
正義は今日も活躍できなかった。
味方の白鳥にぶっ飛ばされ、デッドマンのパンチでぶっ飛ばされただけで終わった。
力でも勝てない。
対話さえ相手にされない。
自然災害でも相手にしているような気持ちだった。
ラバーズの口論はしばらく続いた。
(続く)