名前が長すぎると思いまぁーす
結局、「痛い」を連呼するラバーズ・ワンを載せて、正義は家まで送り届けた。中古の安いスクーターだったから、乗り心地はあまりよくなかったかもしれない。
日が暮れる前に帰宅した正義は、「ただいま」とだけ告げて自室へ入った。
母親はどこかへ出かけているらしい。
戸建てだ。
まだこの国の景気がそこそこ安定していたころ、両親が建てたものだ。
型落ちのデスクトップパソコンを起動し、動画サイトにアクセスした。
まったく掃除していないからファンがうなってうるさい。しかしヘタに掃除するとショートするという話も聞いた。それで手を付けていない。
観たかったのは、例のヒーローと怪人のニュース映像だ。
あいつらが本当に悪であることを確認したかった。
基本パターンはこうだ。
デビルレディが商店街でつまらない軽犯罪をおかす。デッドマンが駆けつけて私刑を加えんとする。その攻防で商店街の器物が損壊される。子供はギャン泣き。商売どころではなくなるから店側も大損害だ。
間違いなく悪である。
あれだけの身体能力を有していながら、まったく世のために使っていない。目的も不明。意味も不明。本当に、破壊者としか言いようがない。
倒すべきだろう。
倒すべきだ。
もちろんそうなのだが……。
正義はベッドへ仰向けになった。
目の前で彼らの戦いを見たとき、幼少期の熱狂がフラッシュバックしてしまった。輝いていた。いるはずもないと思っていた神が、悪魔が、目の前に現れたようだった。
だが、ぼうっとしていたせいで、仲間たちがボロボロになった。
正義が参加したところで結果は同じだったかもしれない。が、傍観するのと、共闘するのとでは、まったく気持ちが違う。
子供のころから住んでいる部屋。
押し入れの奥には、まだ古いヒーローの玩具が保管されている。パーツは欠け放題だし、箱もない。だからコレクターズアイテムにはならない。子供が容赦なく遊んだあとの、ボロボロの状態だ。
必死で遊んだ。
俺もこうなるんだと思った。
だが、なれなかった。
今日はなれなかった。
頑張れば、明日はなれるかもしれない。そう思いながら生きてきた。なのに、本当になれるのか不安で仕方がなかった。
もっともイライラするのは、あのヒーロー野郎が、英雄的行動によって輝いているのではなく、見た目だけのヒーローという点だ。
田中正義はいま、そんなものに惑わされている。
もしかすると本当は、自分もヒーローの格好やアクションが好きなだけであって、中身などどうでもいいと思っているのではないか。みずからそんな疑惑をもたざるをえなくなっている。
「ヒーローってなんだ……」
*
翌週、アジトにて緊急ミーティングとなった。緊急のわりには数日前から通達があった。おそらく危機感を演出したかったのであろう。
ガレージを改造されたアジトには、コンクリの上にソファや椅子が乱雑に置かれている。ホワイトボードもあり、すぐそばにナディア苫米地が仁王立ちしている。
「諸君! 敵は強いぞ。我々は対策を立てねばならない」
そしてホワイトボードに「ツヨイ」と書き込んだ。
「そこで、諸君らには案を出してもらい、現状を打破したいと思う。さ、意見を出せ。軍曹からの命令だ」
この女、強気すぎる。
すると今日もフリフリのラバーズ・フォーが「はいはいはーい」と手を挙げた。
「よし、ラバーズ・フォー。発言を許可する」
「はーい。私、思うんですけどぉ、このチームってぇ、名前が長すぎると思いまぁーす」
ザ・ラバーズ・ウィズ・サウザンド・ソルジャー。
実際クソ長い。
名前を呼んでいる間に、光が地球を何周するか分かったものではない。
軍曹も満足げにうなずいた。
「いいところに気づいたな。私も同感だ。そこで、ラバーズとソルジャーで『ラバソル』と略すことにした。おっと苦情は受け付けんぞ。これは軍曹からの命令だ」
あまりカッコよくはないが、そもそも略す前からカッコよくなかった。ゆえに誰も反論しなかった。
今度はラバーズ・ワンが挙手をした。
「気になったことがあるんだけど。あのふたりさ、なんか本気で戦ってなくない? 互いに争ってるように見えて、じつのところ仲良しだよね? あたしらが近づいたら、とんでもない連携でぶっ飛ばしてきたし」
「そこは私も気になった。戦いを邪魔されて怒った、と理解できなくもないが、連中の動きにはどうも怪しい点が多い」
「やっぱ軍曹もそう思う?」
「うむ。ヤツらは、これまで各地で激戦を繰り広げていたにもかかわらず、どちらも致命傷を負っていない。もちろん決着もついていない。つまりはデモンストレーションというか、八百長試合ではないかと疑っているところだ」
そこは正義も気になっていた。
あれだけの身体能力なら、総合格闘技のように戦えばすぐに急所をつけるはず。なのに派手にダッシュし、ジャンプし、回転し、掛け声とともに大技を繰り出している。しかも互いの打撃をぶつけ合い、相打ちのように見せることも多い。
だからこそ正義は魅せられてしまったのだが。
ナディアはペンで「ヤオチョ」と書いた。
そしてしげしげとホワイトボードを見つめたかと思うと、唐突にこう告げた。
「ちょっと一本吸ってもいいか?」
「……」
なかなかの中毒者である。
ピックアップトラックの運転中も、ずっと吸っていた。
ナディアが一服に入ると、緊急だったはずのミーティングが中だるみした。やはりたいした緊急性はなかったのだ。
正義は、世間話のつもりでラバーズ・ワンへ問いかけた。
「怪我の具合はどう?」
「だいぶいいわ。こないだは悪かったわね、家まで送らせて」
するとラバーズ・フォーが大はしゃぎで身を乗り出した。
「え、なになに? 家に送ったの? なんで? ラブなの? ラブってるの?」
「ラブじゃないわ。お酒飲んじゃったから、送ってもらっただけ」
「えー。でもなにも起きないわけないっしょ? ラブでしょ? あ、でもこの人チェリーっぽいし、マジ送っただけで帰っちゃうかも……」
チェリー田中。
かつてのバイト先で、陰でそう呼ばれたこともある。
だから意味はすぐに分かった。分かったのだが、反論できなかった。黙って嘲笑されているのも耐えがたかったが、言い返すのもダサいと思ったのだ。
すると、代わりにワンが顔をしかめた。
「やめな、セクハラだよ。人にそういうこと言うヤツは、人から言われても仕方ないかんね」
「はぁい。ジュリエットちゃん、はんせぇー」
少なくとも一名は良識のある人物で助かった。
ワンは空気を換えようと思ったのか、すぐに話題を変えた。
「そういえばさ、田中さん、敵の正体知らないんだっけ?」
「正体? いや、知らないけど……」
もちろん知るわけがない。なにせそれは警察でさえつかんでいない情報だ。
ラバーズ・ワンは、しかしひとつ呼吸をしてこう続けた。
「あのふたり、もともと普通の人間だったんだよね。でもひとつだけ特殊能力があって……。死んだ人間の能力を吸収できたんだ。それでいろんなヤツを倒してるうちに、とんでもない化け物に育っちゃって。宇宙に放り出されたのに、戻って来ちゃったんだって」
「ええっ……」
一連の事件を知らない正義には、冗談としか思えなかった。
なのだが、あの動きは本当におかしい。普通の人間のそれではない。なんらかの異常な理由があるべきだ。
ワンはどっとソファに背をあずけた。
「でも、情報らしい情報はあんまないの。ほかに分かってるのは、あの男の愛読書が、『世界が俺を愛さない十二の理由』って本だったことくらい」
「なんだそれ……」
「ここの本棚にあるから、あとで読んでみたら? イライラするけど、あの男がどんなヤツだったかよく分かるから」
「うん……」
だが正義に読書の習慣はない。
基本的に絵のついた本しか読まない。文字を読むのは、ネット上で煽り合いをするときだけだった。
*
結局、特にまともな意見も出ないまま緊急ミーティングは自然消滅となった。飽きたラバーズ・フォーが帰宅し、ラバーズ・ワンが酒を飲み始め、また運転を依頼された正義は、暇をもてあまして例の本を手に取った。
あまり分厚い本ではなかったから、すぐに読めた。読めたのだが、たしかにイライラした。
「この男、なんでもかんでも世界のせいにしやがって……。主体性はないのか、主体性は」
思わず不満が漏れた。
いわく、世界は人類をなんとも思っていない。だから人類も、世界のことを考える必要はない。そもそも人は考えるのが苦手なのだから、ムリに頭を使わなくていい。などと、分かったような言葉が並べられていた。
作者のあとがきによれば、これは「思考のオルタナティヴ」であり、「中動態へのアプローチ」なのだという。
「軍曹、オルタナティヴってどういう意味です?」
すると瓶から酒を飲んでいたナディアは、わざわざ腰を上げて近づいてきた。足取りが少しフラついている。
「なんだ急に? 私はイギリス人ではなく、ウクライナ人だぞ?」
「ウクライナ?」
「いや、じつのところ日本人だがな。母親がウクライナなのだ。ちなみにオルタナティヴというのは、別の、という意味だ。だが、なにが別なんだ? ちょっと見せてみろ」
「ここに『思考のオルタナティヴ』って書いてあって」
「ああ、キザったらしい言い回しだな。まあ発想の転換とでも言いたいのだろう」
ナディアはチームの最年長だ。人生経験もある。だから、たぶん彼女に聞けば間違いないはずだ。酔っ払っているという点に目をつむれば。
「えーと、じゃあこの『中動態』ってのは?」
「ほう。それは受動と能動の狭間に位置する状態だな。お前、この世界をどう思う? 人間の意思でどうにかできると思うか? それとも、どうにもならないと考えるか?」
「それは……そんなのケース・バイ・ケースでしょう」
簡単に答えを出せる問題じゃない。
ナディアもうなずいた。
「まあな。だが、中動態というのは、おそらくただの折衷案ではない。世界は、人の意思だけではどうにもならないし、かといって意思がムダになるワケでもない。どちらか一方だけでは不十分ということだ。あー、つまりアレだ。釣りだよ、釣り」
「釣り?」
「あれは人間だけが張り切っても仕方がないだろ? かといって最初からあきらめて、なにもしなかったら、そもそも釣れない。釣ろうとする人間の意思があって、なおかつ魚が食いついた場合にだけ、釣りは成立する。だから、そこには希望と諦念が同時に存在するんだ」
田中正義は、この気に食わない本に、少しだけ興味を抱いた。
中動態。
いまの自分に必要な考えかもしれない。
ヒーローも、なれるとか、なれないとか、そんなシンプルな話ではないのだ。必ずなれるわけでもない。が、なろうと思わなければ、そもそもなることができない。
世界とは、そもそもそういうものだったのだ。
デッドマンはかつて普通の人間だったらしい。いや、特殊能力がある時点で普通ではないのだが。
しかし少なくとも、なにかを為そうと思い、そしてなった。
事の善悪はともかくとして。
「軍曹、前に薬がどうとか言ってましたよね?」
「力が欲しいのか?」
「はい。あいつらと戦うには、それくらいしないとダメなんじゃないかと……」
するとナディアは、珍しく優しい笑みでポンポンと肩を叩いた。
「そう焦るな、ヤングマン。お前はまだスーツのテストさえしていないんだ。ドーピングをするのは、私の自信作を試してみてからでもいいだろう」
「……」
ヒーローは見た目じゃない。
それを始めようとする意思だ。
挑まなくては始まらない。
幸いなことに、挑むべき強大な敵がいる。
名はデッドマン。
格好だけのヒーローだ。
(続く)