94.師匠
師匠は──私がいうのもなんですが、実に変わった人でした。
私が師匠と出会ったのは、今から……おおよそ40年ほど前でしょうか。
前世の私がいまくらいの年の頃に、様々な偶然が重なって──運命的な出会いをしました。
当時の私は女性からは気持ち悪がられるようなルックスで、他人とろくに会話できないような若者でした。
ただ、一般人に比べ魔力が比較的多いほうで、魔法さえ使えればきっとモテるはずだと……純粋にも思っていたのです。才能が認められ、賢者の学園に入学が決まったときは小躍りしたものでした。それが愚かな妄想だとも気づかずに……。
事実──私はすぐに絶望のどん底に叩き落とされます。結論として私には魔法の素質が全くありませんでした。魔力はあれど、ほとんど魔法が発動しなかったのです。
しかも多いと思っていた魔力も他の天才たちと比べると見劣りする程度。これでは私にモテる要素など皆無。
ほんの少し魔力が多いだけのコミュ障のブサイク──それが私の正体だったのです。
人生に絶望した私は、当時在籍していた賢者の学園から飛び出したあと、あてもなく死に場所を探して森の中を歩いていました。
そして──藪の中に隠れていた崖から足を踏み外してしまったのです。
死んだ、そう思いました。
これで終わる人生、虚しいがそれも現実。
ですが──運命は私を意外な道へと導きます。
偶然にも崖の中腹に未発見のゲートがあり、私自身気づかないままその中に飛び込んでいました。
飛んだ先は──はるか北方のウラニール山脈。
驚くほど長距離を飛んだ私は、雪と氷に覆われ死の大地と化していた【白天の神座】アズラ・アイラの麓に、ひとり放り出されたのです。
奇跡的に命が助かったとはいえ、このままでは凍死してしまいます。
全身をガタガタ震わせながら半分凍りついた私が、命からがらたどり着いたのが、くだんの洞穴──『冥界ダンジョン』でした。
『──ホウ、コレハマタミョウナソタイガマヨイコンダナ』
当時門番をしていたデュラハンのジェヴォーダンに引きずられ、目の前に放り投げられた私を見て、師匠はそう口にしました。
一眼見て気づきました。
目の前の存在が──伝説のSSS級アンデッド、数百年以上も存在し続ける〝不死の王″、【奈落】と呼ばれる存在であると。
あぁ、自分は配下のアンデッドにされてしまうのだ。
そう思ったものの、もはや死んだも同然の身。あらゆる状況を受け入れると決めた私でしたが、師匠はそれ以上なにも口にせず、なぜか私は──彼の宮殿の中で完全に放置されました。
アンデッドの王国の奇妙な客人となった私でしたが、逃げようにも行き先もなく、そもそも天涯孤独で戻る場所もありません。
腹を括った私はそのまま『冥界ダンジョン』に居座ることにしたのです。
師匠は、凄まじい死霊魔術の使い手でした。
手駒には、Sランクのアンデッドがごろごろ。数百体のアンデッドが彼の指示に従って使役されています。
しかも彼は魔術師としても超一流。簡易なダンジョンやゲートさえも作ってしまうほどの魔力の持ち主で、ごく稀に来る討伐目的の冒険者たちをあっさりと瞬殺して手駒に加えていました。実はのちに門番となったムサシとコジローもそのときのSランク冒険者たちの成れの果てだったりします。
賢者の学園を飛び出して行き場のない私は、彼の使う死霊術を見様見真似で身につけていきました。
他の魔法はからっきしだった私も、なぜか死霊術には適性を持っていました。師匠は口下手で私に直接話しかけてくることは少なかったのですが、彼の持つ死霊魔術の奥義を惜しげもなく披露してくれました。私も師匠の術を真似し、どんどん吸収していきます。
このときから私は師匠の──【奈落】プロフォンドムの弟子となったのです。
彼の元で修行を積むことおよそ10年──。
気が付くと私はそれなりの腕を持つ死霊術師となっていました。
足りない魔力は、師匠がため込んでいた魔法道具や禁術の類を駆使して底上げしました。かなり体を痛めつけましたが、元々死んだ身と思えばどんなことも耐えられたのです。
ですが──その頃には師匠にも異変が起こり始めます。なんと脳にカビが生えてきたのです。
私がゾンビを受け入れなくなった理由は、ここにあります。最強の不死の王も、カビには勝てませんでした。やはりカビの元は断つべきですね。
脳をカビに侵され、時折狂うようになった師匠は、敵味方の区別なく襲うようになりました。
さすがに命の危機を感じるようになった私は、とうとう『冥界ダンジョン』を出る決心をします。
そして私は来た時と同じゲートを潜って──【黄泉の王】と呼ばれる存在になったのです。
◇◇
「おいエーデル、こいつは死んでるのか?」
「死んでるも何も、もともとアンデッドなんだから死という概念はないんじゃないか? それよりフィーダ、なにか見えるか?」
「うーん、あたしの目にも機能しているように見えないわ。イスメラルダはどう?」
「……魔力の動きは感じないわね」
それもそのはずです。
師匠は、もはやそこにはいませんから。眠ってなんかいません。
「触れるのは危険だが……確かめてみるか?」
「じゃあ、オレがやってみる。……動かないな」
エーデルが触ってもうんともすんとも言いません。
やはり師匠の魂は、もはやこの場にとどまっていないのでしょう。
本当に師匠は昇天したのでしょうか? あれだけいたアンデッドたちを道連れに、数百年のアンデッド生を終えてしまったのでしょうか?
頭に被った──師匠のトレードマークだったヤニ王国の王冠は、紛れもない本物です。ということは、この物体が師匠の残骸だということの証左となります。
あぁ──師匠。
どうせ居なくなるなら、Sランクアンデッドだけでも私に引き継いでくれれば良かったのに。
私が感傷に浸っている間にも、エーデルたちの調査は続きます。どうやら特に罠などが仕掛けられている様子もなく、ちゃんと沈黙しているようです。
「……まさか物語の題材にもなった伝説のSSSランクアンデッドの遺骸に立ち会えるとはな」
「アタシたち、もしかして伝説となるような場面にいるのかもね……」
「おいエーデル、ギルドマスターから写真撮るように言われてただろ? 早く撮れよ」
「あ、そうだったな。さっさと終わらせて宝物庫の確認したいな」
師匠の宝物庫!
忘れていました、あそこには師匠が長年ため込んだ数々の魔法道具が格納されていたはずです。
しかし師匠の持つ鍵がないと開かないはずです。いくら頭がカビてたといっても、配下のアンデッドまできれいに始末してしまった師匠が、安易に宝物庫のカギを残すとは思えません。さて、どこに隠したのでしょうか。
私は師匠の体に近寄ります。
……あぁ、やはりカビ臭いですね。頭の中まですっかりカビてしまったようです。
だからちゃんと体を洗うように言っていたのに……。『ワシニ、フロハヒツヨウナイ』とかなんとか言って、結局風呂にも入らずじまいだからこうなってしまったのですよ。
仕方ありませんね、私がきれいに葬ってあげましょう。
そんなことを思いながら手を伸ばした──そのときです。
──ぐぅぅうわんっ!!
突如、師匠の胸元に黒い穴が開きました。
こ、これは──。
「まさか……次元門──!?」
エルマーリヤのときもそうでしたが、どうやらSSSランクのアンデッドの体にはダンジョンやゲートが発生しやすいようですね。
……ですが今回は少し様子が異なります。先ほどまでエーデルたちが触っていたときには、このゲートは発動しませんでした。しかし私が触れようとしたとたん、急に発動し始めたのです。これは──。
「シア!!」
必死の表情を浮かべたエーデルがこちらに駆け寄ってくるのが見えます。ですが、いけません。
これはおそらく人為的に作られた罠型の魔導ゲートです。
発動条件は──私が触れること?
だとしたら、転移対象は私のみ。手を出すとエーデルの手がちぎれてしまいます。
それはそれで治癒すればよいのですが、正体がばれるわけにはいかないので無理は禁物です。
ですが心配は無用だったようで、近くまで来たところでエーデルは弾かれてしまいました。やはりこれは私のために用意された罠のようです。
ということは……。
呆然と尻をつくエーデルに、私は笑顔を浮かべて手を振ります。
どうやらみなさんとの旅はここまでのようです。
楽しかったですが……まぁ潮時だったのでしょう。
フィーダ、イスメラルダ。また一緒に寝ましょうね。
スライは……イケメン死すべし!
そして私の体は──あっさりとゲートに飲み込まれていったのでした。
◇◇
魔導ゲートは、高度な魔導師だけが使える特殊な魔術です。
人為的に簡易なゲートを作るもので、私が知る限りこの魔術を使えるのは、エルマーリヤと師匠だけです。
つまりこのゲートは、私が確認しに来たとき発動するように師匠が仕込んだトラップなのでしょう。
であれば、私が飛ばされる先には、師匠に関連するなにかが──。
光が収まり、まぶしかった視界にゆっくりと視界が戻ってきます。
私が飛ばされた先は──屋内でしょうか?
普通の部屋──たとえば宿屋のような場所の一室のように見えます。というより、どこかの宿屋ではないでしょうか。ほのかに花の香りまで漂っています。
そして、私の目の前には──まさかの人物の姿が。
「あんたは──ユリィシア!?」
「お、おばあさま……?」
なんと……私の祖母であるスミレ・ライトが──。
驚きの表情を浮かべたまま、部屋の中央に立っていたのでした。




