77.聖女の帰還
人々は見た──。
天を舞う、龍の姿を。
人々は知った。
生態系の頂点に立つ龍すらも従う、尊い存在がいるのだと。
──RUAAAaaaaaaAAAA……AAAAaaaaaaAAAA──‼︎
突如、龍が吠えた。
──『龍の咆哮』。
魔力が籠ると言い伝えられる龍の雄叫びを受け、神聖帝国軍の魔獣たちが一気に恐慌に陥った。それまで止めることすらできなかった魔象部隊も例外ではなく、象たちは一瞬で半狂乱となり無秩序に暴れだす始末。
だが、その狂乱ですら一人の少女によって収められることとなる。
──その少女は白銀色の髪を風に靡かせながら、龍の上に立っていた。
やがて戦場を見渡すと、右手を上に掲げる。
放たれたのは──。
「『範囲治癒・改 ──《大いなる癒し手》──』」
巨大な右手の形をした白い魔力──治癒魔法が、まるで雨のように帝国軍の兵士たちの上に降り注ぐ。
「おぉぉ、き、傷が……」
「治っていくぞ!!」
「それに、疲れも吹き飛んでるぜっ!?」
「あぁ、奇跡だ! これは奇跡が起こったんだ!!」
続けて少女は、今度は左手を掲げる──。
「──《浄化の癒し手》』」
左手から放たれた聖なる光は、暴れまわる魔象へと降り注ぐ。光を受けると、それまで狂ったように暴れていた魔象たちが、一気に沈静化してゆく。
「なんだ!? 魔象たちがおとなしくなってるぞ!」
「おぉ、これぞまさに奇跡だ!」
「女神……いや、聖女様だ! 聖女様がいらっしゃったぞ!」
「おれは知ってるぞ! あれ──【癒しの聖女】様だ!!」
「【癒しの聖女】様は生きてたんだ! 聖女様が俺たちを救うために降臨したんだー!!」
帝国軍の兵士たちが歓喜の渦に包まれる中、戦場の中心付近に琥珀色の龍がゆっくりと降り立つ。
龍の背から黒い影──ネビュラが先に降り、手を引かれて地に降り立ったのは──白銀色の髪の美少女。
彼女こそが【癒しの聖女】ユリィシア・アルベルトだ。
「「うぉおぉぉぉおぉぉおぉおぉぉっ!!」」
聖女──現る。
その瞬間、帝国軍の兵士達が大歓声をあげた。
「姉さん!」「お嬢様!」「聖女様っ!」
ユリィシアの登場に、近くの戦場で戦っていたアレクセイ、ウルフェ、ラスターがすぐに駆け寄っていく。ウルフェなどは「お嬢様、よくぞ御無事で……ううぅっ」などと言いながら大号泣である。
そんな彼らにユリィシアは一瞬だけ顔をしかめると、少し距離を取り、だが優しげな笑みを返す。ウルフェは彼女の笑顔にまた涙を流した。
「ユリィ!」
「ユリィシア、あなたどこにいってましたのっ?!」
「げっ、お母さまっ?!」
カインとフローラの姿を視界に収めたとたん、ユリィシアの顔が強張る。
「ウルフェ、アレク、ラスター。すぐに──あの悪魔の使徒たちをせん滅しましょう!」
「ちょっとユリィシア! 待ちなさい! まだわたしの話は終わってないわ!」
「今は忙しいのであとでお願いしますわ、お母さま。さぁ皆──突撃いたしますわよ。傷は私がすべて癒します。勇者たちよ、私の後に続くのです!」
まるで逃げるようにユリィシアはフローラから目をそらすと、近くに落ちていた帝国軍の旗を手に持ち、兵士たちを先導するように躊躇なく前に突き進んでいった。
──人々は見た。
帝国軍の先頭に立つ、【癒しの聖女】の姿を。
手に帝国軍の旗を持ったユリィシアは、一切の武装しないまま、神聖帝国軍のど真ん中に飛び込んでいく。
だが彼女の圧倒的な聖圧に気圧されて、神聖帝国軍側も割れるように後退していく。
「こらっ! なにをしている! かかれ、かかれーー!!」
デズモンド元帥の声に、神聖帝国の兵士たちはまるで呪いが解けたかのように一気に襲い掛かる。
だが帝国軍側も黙ってはいなかった。
「聖女様をお守りしろー!!」
「あの方こそ、真の勝利の女神だああぁあぁあぁ!!」
「われらの勝利は、【癒しの聖女】様とともにありっ!!」
再び一気に激突する両軍。
だが──勢いは先ほどまでと真逆になっていた。
ユリィシアの周りに、白い魔力──聖なるオーラが拡がる。
この光に触れたものは、敵味方関係なくすべて癒される。だがどんどん元気になっていく帝国兵に対して、神聖帝国の兵たちは癒されると同時にその場に膝から崩れ落ちてしまう。
「うぅ……俺はいったいここで何を……」
「なぜ俺たちは味方と戦っているんだ?」
まるで洗脳が解けたかのように戦意を喪失していく神聖帝国の兵たち。
その横を、リフレッシュした帝国兵たちが一気に突き進んでいった。
──中心でけん引していたのは、燃えるような赤い髪の聖女を守る剣──【紅蓮の聖剣】ウルフェ。
「うぉぉおぉおぉぉおぉっ!!」
聖女ユリィシアを取り戻し、生気を取り戻したウルフェの勢いは凄まじかった。これまで互角であった【強化騎士】5人を、一気に吹き飛ばす。帝国兵たちはウルフェの鬼神のごとき活躍を目の当たりにして、【紅蓮の聖剣】の名を心に刻むこととなる。
「ウルフェに負けるかっ!!」
「うぉぉおおぉおぉっぉ!!」
ウルフェに引きずられるようにして、アレクセイとラスターも【強化騎士】たちを打ち倒していく。崩れ落ちた【強化騎士】に追い打ちをかけるように、ユリィシアの《浄化の癒し手》が降り注ぐ。
自分たちの息子や娘といった若い世代のものたちの活躍に、カインとフローラは目を細めながら頼もしい気持ちで眺めていた。
「……すごいな、あの子たちは」
「でもこれで、あの子たちはわたしたちの元から去ってしまうのね……」
戦場のど真ん中を突き進む【癒しの聖女】ユリィシア。
その瞳は──まっすぐに敵の主将に向けられていた。
あらかた【強化騎士】を倒し終えたウルフェがユリィシアの横に立つ。
「お嬢様、デズモンドやウィーガルがいかがいたしましたか?」
「あそこにいる主将らしきものたちは、残念ながらもう手遅れですわ。悪魔に魂ごと食い尽くされてしまっているようです。ああなってはもう……ウルフェ」
「はっ、かしこまりました。悪魔は必ずや、討ち取ってご覧に入れましょう!」
ユリィシアの命は絶対である。
今回の一連の騒動でこれまで以上にユリィシアへの気持ちを新たにしたウルフェは、双剣を閃かせながら敵の主将──デズモンド元帥の元へと突き進んでいった。
「なぜだ……どうしてこうなった……」
神聖帝国の副将、ウィーガル大将は、おのれの置かれた状況が理解できずに思わず声を漏らす。
ドラゴンロアーを受けて大混乱した挙句、ユリィシアの浄化魔法で正気を取り戻した象たちは、もはや神聖帝国軍のいうことを聞かず、そのまますごすごと退却していったのだ。
さらに、これまで囲っていた他の魔獣たちも逃亡を開始し、どんどん数を減らしていく。これはウィーガルの術の制御から完全に離れてしまったことを意味していた。
「ばかな……なぜ私の術が……」
「そいつぁ簡単さ。やっとこさあんたの術を解除したのさ」
「なっ?!」
突如声が聞こえ、ウィーガルが振り向く。
彼の前に降り立ったのは、琥珀色の鱗を持つ真龍。その背には大量の汗を流しながらニヤリと笑う中年の男性──賢者クリストルの姿があった。
なんとクリストルは、この会戦が始まってからずっとウィーガルの術を解析しており、このタイミングでついに術を解除することに成功したのだ。
その結果、ウィーガルの支配していた魔獣……いや、悪魔を宿した虫や小動物、象たちが支配から解放されて、どこかへ去って行く。
魔王術の祖としての、クリストルの意地。彼は、己の弟の血族以外が魔王術を使うことを、彼はどうしても許せなかったのだ。
「きさま、何者だっ?! なぜ、どうやって私の術をっ?!」
「おっと、オレッちの役目はここまでさ。あとは若いもんに任せるよ。アミティ、下がってくれ」
クリストルはアミティに指示を飛ばして下がるタイミングで、替わりに前に飛び出してきたものの姿があった。
ラスターだ!
「うぉぉおおぉぉぉっぉぉお!! くたばれ、悪者めっ!! このラスター・ヴァン・ヴァレンタインが成敗してやるっ!」
「ふざけるなクソガキがっ!」
ラスターの剣がするどく光る。
たったの一合で、ウィーガルの胸元が斜めに切り裂かれた。
「がっ?! こ、この私が、ウィーガルが……きさまのような雑魚に……」
「その雑魚が、この国の平和を取り戻すんだ! 人々の痛み、思い知れ!」
どんっ!
ラスターの剣がウィーガルの胸に突き立つ。
「敵の副将ウィーガルの首、このラスターが打ち取ったり!!」
ついに神聖帝国軍の副将ウィーガルが討たれた。
ここを好機とみて、本陣にいたジュリアス・シーモアが最後の秘策を投入する。
「よし来た! ザンデル大将、お願いします!」
「おうよ、任せるんじゃ!」
投入したのはとっておきの部隊──500名のリヒテンバウム王国義勇軍。彼らをこのタイミングで戦場に叩き込んだのだ。
これはアナスタシアが、いざとなったらジュリアスたちだけでも逃がせるよう、温存していた最後の戦力である。ここが勝負どころとみて、一気に仕掛けたのだ。
「うぉぉぉおぉぉおぉ! お前たち、リヒテンバウムの魂を今こそここに示せーーっ!!」
「「おおーーっ!!」」
休養もたっぷりと取りフレッシュな状態の500の兵を引き連れて、【雷神】の異名を持つザンデル大将が突入してゆく。
ここにきての強力な推進力を持つ兵力の投入を受け──とうとう神聖帝国軍の戦線は完全に崩壊し、陣形はずたずたに切り裂かれていった。
「なんだと……」
敗走していく自軍の戦力を眺めながら、デズモンド元帥は唸り声を上げる。
敵を上回る圧倒的な兵力。
そして万全を期した戦術。
なのになぜ──自分たちは負けようとしているのか。
デズモンドは視線を戦場の中心に向ける。
まるで誰も寄せ付けずに、堂々と戦場のど真ん中を闊歩する【癒しの聖女】ユリィシア・アルベルト。
彼女は──笑っている?
「おのれ……【癒しの聖女】め……! あやつは、あやつだけはダレス大帝のためにも、絶対に殺さねばならない……。あやつはきっと、この世界を変えてしまうであろう」
「ああそうだろうさ、デズモンド」
突如すぐ近くから声をかけられて、デズモンドは視線を向ける。
そこには──赤い髪の狼獣人が両手に剣を持って立っていた。
「お嬢様はこの世界を変えるために降臨された。あの方こそが──真の救世主なのだ」
「【紅蓮の聖剣】か。貴様もあの売女に感化されたクチか?」
「貴様っ!! お嬢様を貶めるような発言はやめろっ!!」
大気が震えるようなウルフェの叫び声に、思わずデズモンドが口ごもる。
「お嬢様はな、神聖なお方なのだ! この世で最も尊く、美しい方なのだ! それを汚すようなことを……ゆるさんぞ!」
「……まるで宗教だな【紅蓮の聖剣】。妄信もそこまでいくとさすがの俺も引くぞ?」
「口を慎めデズモンド。お嬢様は尊いのだ。お前が主人と従う悪魔憑きと一緒にするな」
「どうやら語るだけ無駄のようだな。貴様、この俺を他の【強化騎士】と同じと思うなよ?」
「問題ないさ。俺は──お嬢様を守るために存在する、『聖女の剣』なのだからな」
次の瞬間、二人の剣が交錯する。デズモンドとウルフェによる一騎打ちの始まりだった。
二人が繰り出す凄まじい剣撃に、他の者たちは誰も近寄れずにいる。
「デズモンド、貴様それほどの腕を持ちながら……なぜダレスなどに尽くす!? なぜ獣人たちの村を滅ぼしたっ!?」
「獣人? あぁもしかしてお前は敵討ちにでも来たのか……くだらん。くだらんぞ【紅蓮の聖剣】‼︎」
「敵討ち? ああくだらないね、そいつは同感だ」
「むっ!?」
ウルフェは既にサーナトリアと再会を果たした。
これもすべて──ユリィシアのおかげだとウルフェは考える。
そしてサーナトリアは言った、ユリィシアのために生きろと。
「だから俺は──お嬢様のために、貴様を討つ!」
ウルフェの身体が、紅く輝く。
その光は力となり──剣は赤い流星となってデズモンドに襲いかかる。
「ぐぅおおおぉぉおぉぉっ‼︎」
デズモンドにも、かつて高い志を持つ時があった。
だが、獣人の犯罪者によって妻と子供を殺され、無条件に獣人を恨むようになる。
そこに付け入った【暗黒司祭】イーイールによって、ダレス陣営へと入り──悪魔に魅入られてしまう。
だが今──。
「紅蓮剣──《双流緋星》」
ウルフェの双剣が、誰の目にも止まらぬ速さで突き抜ける。
赤い軌跡を描いて──デズモンドの首は宙を舞った。
「……終わったよ。サーナトリア」
ウルフェは一つ大きく息を吐くと、天を見上げ──既に輪廻転生を果たしたであろう愛しい妹に、惜別の言葉を送ったのだった。
◆
デズモンド元帥、戦死。
元帥と大将を失っては、もはや神聖帝国軍は敗走するしかなかった。
しかも兵の大部分が正気に戻りアナスタシア陣営に寝返ってしまう始末。
結果────『イグザビデの聖戦』は、アナスタシア率いる帝国軍の大勝で幕を降ろした。
激しい戦闘のあと、人々の心に残った光景がある。
兵の死骸が横たわる戦場をユリィシアがウルフェたちを連れて歩き、息あるものを探しては一人一人治癒していったのだ。そこに敵味方の区別はない。ただ等しく──【癒しの聖女】は傷ついた兵たちを癒していったのだ。
ついには討ち取られたデスモンドとウィーガルの遺体を見て──ユリィシアは涙を流す。
「無念ですわ……」
きっと、救えなかったことを悔いているのだろう。人々は聖女の底なしの優しさに心を打たれた。
だが、近くにいたネビュラの耳には別の言葉も聞こえていた。
「こいつなんてデュラハンの素体だったのに……もう使いものになりませんわ。……あぁ、もったいない」