7.《 side:ウルフェロス 》 光
俺の名はウルフェロス・ガロウ。
狼獣人であるガロウ族の最後の生き残りだ。
俺の村は──かつて帝国によって滅ぼされた。
それは、単なる暇つぶしだったのかもしれない。いつもと変わらない普通の日に、なんの前触れもなくやつらは襲いかかってきた。帝国の旗をかざした大量の兵士たちが俺たちの村に一斉に攻めてきたのだ。
なんの準備もしていなかった俺たちの村は、あっという間に蹂躙された。抵抗したものは殺され、女子供もまるで遊びのように嬲られ、惨殺された。
13歳──まだ子供だった俺は、それでも必死に抵抗した。
族長の息子であり次期族長である俺が、皆を守ることこそが命を賭けた責務だと思っていたからだ。
だが必死の抵抗も虚しく、俺は負けた。右腕を落とされた挙句、死ぬ寸前まで滅多打ちにされた。
今にもとどめを刺されそうな俺を庇ったのは、最愛の妹サーナトリアだった。だが妹は──俺の代わりに、目の前で兵士に斬られた。
背中を剣で斬られ、崩れ落ちながら……サーナトリアは最期にこう伝えた。
「お兄……生きて。いき……て、光を……みつけ……て」
「サーナトリアァァアァァア!!」
意識を失った俺は、気がつくと奴隷船の中にいた。どうやら奴隷として回収されて運ばれていたらしい。周りには俺と同じような獣人や亜人がたくさんいた。だが、同じガロウ族のものは一人もいなかった。
俺は奴隷として売られた。
売られた先は、王国の貴族。俺はなんとか侯爵所有の剣闘士奴隷となった。
片腕を失った俺は、もともとはただの捨て駒だったようだ。俺を買った貴族は、猛獣の餌にする余興で使おうとした。
実際、一族を、仲間を、最愛の妹を失った俺に生きる希望はなかった。ただ死ぬために、剣闘士としての立場を受け入れたに過ぎなかった。
だが……皮肉にも俺はその場で頭角を現すことになる。
その手始めに、俺は──最初の余興において、襲いかかる猛獣を片手で真っ二つにしたのだった。
◆
剣闘士というのは、極めて歪な存在だ。
剣闘士たちは、そのほとんどが戦争奴隷、犯罪者もしくは借金奴隷からなっている。まれに奴隷でないものもいたが、そいつらはただの人殺しが好きな狂人だ。
そして俺たちは、人々の前で命がけの戦いをする。
コロシアムという闘技場の中で、大勢の観客の前で戦う。試合の名はグラデュエルというらしい。審判らしきものがいて、負けもしくは戦闘不能となった場合に、勝敗を言い渡す。ただそれだけだ。
基本的に俺たちは、粗末な剣と盾を持って戦う。あるときは、無手で戦わされることもある。相手は人であることもあれば、獣であることもある。
もちろん、打ち所が悪かったりすると死ぬ。勝負はいつも命がけだ。
俺たちの勝敗にはどうやら金が賭けられているらしく、多くの観客たちが熱狂していた。
俺から見ると、奴らはただの狂った豚だ。いや豚にも劣る畜生どもだ。
そんなグラデュエルの場で、俺は戦いの日々を過ごした。俺は隻腕だったことから、左手に剣を握って戦った。
片腕の俺は、本来であればすぐに死んでもおかしくない存在だったのであろう。なにせ盾すら持てないのだ。まともに勝負になるはずがない。おそらくは掛け率も高かったのではないだろうか。
だが、皮肉にも俺には戦いの、剣の才能があった。片腕だろうと関係なかった。
勝った──いや、生き延びた。生き延びられたのは、妹のおかげだった。
『お兄……生きて。いき……て、光を……みつけ……て』
その言葉だけを支えに、俺はがむしゃらに生き延びた。戦い続け、生き延び続けて──気が付くと俺は、それなりの地位にある存在となっていた。
片腕のくせに生き残る俺のことを、どうやら俺を買った豚侯爵は気に入ったらしい。ある日突然そいつに呼び出された。
「おい、貴様。名前は何という?」
「……」
「おい貴様! 主人であるバルバロッサ侯爵の前だぞ! ちゃんと口を開かんか!」
奴隷頭に怒鳴られて、俺は無表情のまま口を開く。
「……ガロウ」
それは、一族の名だった。失われた、俺のすべて。
「飢狼……飢えし狼か。良いじゃないか! 貴様に今日から剣闘士として【 隻腕飢狼 】の二つ名を与えよう!」
こうして俺は、この日を境に【 隻腕飢狼 】などという嬉しくもない二つ名で呼ばれるようになった。
だが、俺の日々が変わることはなかった。ただ妹との約束を胸に、目の前の相手と戦うだけだった。
気がつくと、あの惨劇から5年の月日が流れていた。
18歳となったものの、正直年齢などどうでも良かった。どうせ俺はここで死ぬのだ。年齢──寿命などになんの意味もない。天寿すらまっとう出来ずに死んでいった仲間たち、そして妹サーナトリア……。
獣人は毛深いものが多い。身なりにも気を使わなかったから、ヒゲもかなり伸びて、周りからは中年の男性と見られるようになっていた。だがそれもどうでもよかった。
そんな頃──俺はまた豚侯爵から呼び出された。
「おい【 隻腕飢狼 】よ。貴様は次回、【 殺人遊戯 】と対戦することになった」
【 殺人遊戯 】……聞いたことがある。名の売れた剣闘士で、たしか相手をわざといたぶるのが好きなクズだという噂だ。
「だがな、今回はお前はわざと負けろ。なにせ【 殺人遊戯 】はユーフラシア公爵のお手駒だ。不興を買うわけにはいかんからな。わかったか?」
俺は適当に頷く。だがこの豚侯爵の言うことを聞くつもりはなかった。
俺は俺のルールの中でこれまで戦ってきた。相手が俺と同じ戦争奴隷であれば、後遺症が残るような傷は与えない。だが人を殺すことを好むような狂人であれば、容赦はしない。
誰に何を言われようと、俺はこのルールを曲げるつもりはなかった。
だから、俺は全力をもって【 殺人遊戯 】を潰した。
両腕の骨をへし折って、筋を痛めつけた。おそらく二度と剣は握れないであろう。
コロシアムの貴賓席で、頭から湯気を出さんばかりに怒り心頭な様子の男に対して必死に頭を下げる豚侯爵の姿が見えた。いずれにしろ、俺の知ったことではない。
「【 隻腕飢狼 】! きさま、ワシの言いつけを無視しおったな!」
「……ふん。知るか」
「公爵に取り入ろうと思っておったのに、逆に嫌われてしまったではないか! おのれ、これまで目をかけてやった恩をあだで返しおって! おい、お前たち! こやつを痛めつけろ!」
10人以上の兵士たちに対して、俺は丸腰のまま戦った。
5人までは殺したのは覚えている。豚野郎の顔が恐怖に引きつっていて、少しだけ溜飲を下げた。
だがそこまでだった。丸腰だけでなく、足には鉄枷をつけられており、自由に動けなかったのだ。
最後には腕を落とされ、片足も切断された。
いよいよ俺はここで死ぬ、そう思った。だが死は怖くなかった。仲間たちが待っている。もはや俺に、生きる意味などなにもなかったのだから。
「貴様……ワシの私兵を何人も傷つけおって! 絶対に許さん! 貴私刑によって地獄の苦しみを味わわせてやるわ!」
そして俺は、人生の最期に「見世物」として殺されることになった。
すでに両腕はなく、逆らいようもない。片足もなく、逃げようもない。
そんな俺に、最大限屈辱的な死を、バルバロッサ侯爵は与えようとした。
だが俺には恐れなどはもはやなかった。
後悔など、もうとっくにし尽くした。守るべきものを守ることが出来なかったあの瞬間以外、俺に戻りたい時などない。
死は恐怖ではなく、俺にとっての終着点だ。少し遅れて、妹のところに向かうだけなのだから。
『お兄……生きて。いき……て、光を……みつけ……て』
サーナトリアの最後の言葉が頭にチラつく。だがすまない、どうやら俺はお前の最後の願いを聞き入れられそうにないんだ。
「待たせたな……サーナトリア。兄はもうすぐ、お前のところに行くよ」
あとはただ淡々と、死に向かうだけ。
そう思っていた。
──彼女が、目の前に飛び出して来るまでは。
◆
貴私刑によって、俺は人々に石を投げつけられていた。避けるすべもない。ただ打たれるのみ。
痛みなどとうに薄れていた。おそらく血を流しすぎたのだろう。どう転ぼうと、俺はもう死ぬだけだ。
だが──突如、投石の雨が止んだ。
わずかにざわめく人々。
何が起こったというのか。俺は血で真っ赤に染まった視界でまっすぐ前を見る。
そこには、白銀色の髪を持つ一人の少女が両手を拡げて立っていた。
年齢は──まだ幼い、5~6歳くらいであろうか。亡くなったサーナトリアよりもまだ小さいように見える。
おそらくは投石が当たったのだろう、少女の真っ白な肌は一部が赤黒く腫れ、血がにじんでいる。どうやらこの少女が、俺を投石から守るために立ちふさがっていたようだ。
「……少女よ、何をしている。俺のことなどかまわず引くがいい」
そう声をかけると、少女がこちらを振り向いた。綺麗に整った美しい顔立ちであるが、その額からは投石により血が流れ落ちている。
なぜか──亡くなる直前の妹サーナトリアの姿が記憶の中から蘇り、彼女の姿に重なった。忘れたはずの痛みが、胸の奥にこみ上げる。切断された腕や足は痛まないというのに、だ。
だが少女は問いかけには答えず、逆に俺に問いかけてきた。
「……あなたは、ここで死ぬつもりなのですか?」
「なに?」
「こんなところで、死ぬつもりなのですか? 悔いはないのですか?」
悔い? 悔いなら山ほどある。
妹を、家族を、一族を守れなかったこと。あの帝国のやつらに復讐できなかったこと。バルバロッサ侯爵にもっと泡を吹かせてやれなかったこと。そして──。
『お兄……生きて。いき……て、光を……みつけ……て』
最愛の妹の最期の願いを、叶えられなかったこと。
「悔いは……あるのですね」
「……だが今更どうにもなるまい。さぁ、俺のことなど放っておけ。でないとお前が……」
少女は、ふいにそばまで近寄ると、俺の顔を両手で包み込んだ。
「であれば、私のものになりなさい」
血が流れていることなどまるでかまうことなく、まっすぐな瞳で俺にそう告げた。
「……は? お前はいったい何を──」
「私のものになって、私のために尽くしなさい」
この少女は、俺に生きろと言っている。
それは、サーナトリアが今際の際に口にした言葉と同じもの。
あの日以来、決して揺れ動くことのなかった俺の心が、ぐらりと揺らぐ。
「なかなか……無茶なことを言う。俺はこのとおりの姿だ。この姿では、もはや生きることも──」
「うーん、手足が無いのですね。……ならば手足が戻れば、私にこの先の人生すべてを捧げますか?」
この失われた手足が戻る? そんなことがあり得るのだろうか。
ありえない。そんな奇跡、起こるわけがない。
だがもし、そんな奇跡が起こるのであれば──。
『光を……みつけ……て』
俺は──、この少女のために──。
「何をしておる! 早く石を投げよ! 小娘! 貴様も退くんだ!」
この状況にしびれを切らしたバルバロッサ侯爵が声を荒げる。固唾を飲んで見守っていた民衆も、しぶしぶ……といった様子でまた投石を再開する。
また少女が立ち上がった。ごつっ! と鈍い音がして、少女の体がぐらりと揺れる。
だが少女は動じなかった。両腕を拡げ、再び俺を守るような体勢を取る。
この少女は──。
「なぜだ……」
「ん?」
「なぜ……そこまでする。見ず知らずの……俺のために……」
俺の問いかけに、少女は血に染まった顔でにっこりと微笑む。
「あなたが、必要だからです」
俺が、こんな俺が……誰も守ることができなかった俺が、必要だというのか。
ガツッ!
さらに石が当たって少女の身体がゆれる。だが彼女は微笑みを絶やすことはない。
不意に──俺の目に、幻想が映し出された。
その幻想の中で、サーナトリアが──微笑みながら目の前の少女を優しく包み込んで……すぐに消えた。
あぁ、そういうことだったんだな、サーナトリア。
……わかったよ。やっと分かった。
だったら……。であれば……俺は──。
「わかった……。──る」
「ん?」
「この身を、おぬしに──捧げる」
決して命が惜しかったからではない。
なにかを求めていたわけではない。
だが、彼女が望むのであれば──俺は、そのすべてを捧げよう。そう思ったから、口にした。
俺の返事を聞いて、少女が満面の笑みを浮かべる。
それは、まるで氷原に咲いた可憐な花のようであった。
「うふふふ。ではこれで、契約──成立ですわね」
そして、少女はバルバロッサ侯爵に向かって声高らかに宣言する。
「私は──この奴隷を100万エルで購入しますわ」