75.破竹の進軍
アナスタシアは、盟友ジュリアス・シーモアとその軍勢およそ500を率いて帝国との国境付近まで進軍していた。
だが、ここでアナスタシアは一つの選択をする。
なんと、ジュリアスの義勇軍を王国内に残して、自分たちだけで戻ることとしたのだ。
理由は、わずが500の軍勢で今の神聖帝国と戦っても、無残に粉砕されることが目に見えていたからだ。
アナスタシアにとって、ジュリアス・シーモア率いる軍勢は「なけなしの戦力」である。それを簡単に失うわけにはいかない。
だからまずは自分たちだけで帝国内に侵入し、仲間を──軍勢を集めようとしたのである。
このとき、彼女の周りにある帝国軍としての軍勢は……たったの2名。ランスロットとシャーロットのみ。
──後の世において『孤独なる帰還』と呼ばれることになる彼女の帰国は、深夜に国境警備兵の目をかいくぐっての侵入という、極めて厳しい状況下でのものとなった。
「僭王ダレスの神聖ガーランディア帝国が持つ軍は、およそ10万。いっぽう我が軍はたったの二人でござるな。ひとりで5万人倒せば良いのであるな、実に簡単であるな、がははっ!」
「兄さん、なにつまらないことを言ってますの。それよりも皇女様、まずは軍勢を集める必要がありますね」
「そうですわね。まずは──各地で傀儡帝国に反骨心を抱いている勢力を統合しましょう」
ただ、さすがに三人だけで帝国内に戻らせることは危険すぎたので、ジュリアス・シーモアは信頼できるものをアナスタシアの傍に置くことにした。それが──カイン、フローラ、アレクセイの三名である。超戦力を誇るこの三人が同行することで、アナスタシアの旅の安全は一気に増すことであろう。
「初めまして、アナスタシア皇女。カイン・アルベルトです」
「わたしはフローラ・アルベルトよ。あなたにはユリィシアの両親と言った方が伝わるかしらね。学園ではユリィシアと仲良くやってくれてありがとうね」
「カイン様……フローラ様……」
思わず潤んでくるものをグッと堪え、アナスタシアは二人に深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。わたくしのわがままのために、本当に……それにユリィが……」
「それは良いのよ、あの子が勝手にやったことだからね。思えば昔からあの子は不思議な子だったわ。だから、あなたは気に病まないでね」
ユリィシアの両親との対面が終わったところで、アナスタシアはカインたちの背後で仏頂面のままそっぽを向いた少年に視線を向ける。
親友の面影を顔に宿す少年は、ユリィシアの弟アレクセイだ。
アナスタシアも彼の存在については在学時から耳にしていた。
騎士学校に飛び級で入学し、その素質から既に騎士学校最強となった、【勇者】の資質を持つ13歳の少年。
カイン譲りの強い眼差しと、フローラ譲りの魅力的な唇。そしてユリィシアによく似た面立ち──。
アナスタシアは我慢ができずに、ついアレクセイに抱きついてしまう。
「っ!?」
「あぁ……あなたは本当にユリィに似てましてね」
「は、離してくれっ! 姉さんは──お前のせいで──」
「ええ、そうですわ。わたくしのせいでユリィは……だから探しに行きますわよ」
「えっ?」
アナスタシアの予想外の言葉に、アレクセイは抵抗するのも忘れて動きを止めてしまう。
「ユリィが絶対死ぬわけがないわ。アレクセイ、あなたもそう思っているのでしょう?」
「う、うん……まぁ……」
「だったらどっちが先に見つけるか競争ね。ジュリアスも狙ってるから、早くしないと取られちゃうわよ?」
「んなっ!? ジュリアスのやつ、そんなことまで皇女様に……」
「皇女様ってのはなんだか寂しいから、わたくしのことはアナって呼んでくれないかしら? そのかわり、わたくしもあなたのことをアレクって呼んでいい?」
「うっ……さすがにそれは……」
「ユリィもあたしのことをアナって呼んでたわ。だから……お願い」
皇女にそう言われてしまっては、さすがに仏頂面のアレクセイも否とは言えない。しぶしぶ頷くと、今度はアナスタシアが満面の笑みを浮かべる。
「じゃあこれで決まりね。よろしくね、アレク」
「は、はい……アナ様」
「まぁ? ……でもいいわ、今はそれで許してあげる」
いたずらっぽい笑みを浮かべるアナスタシアに、姉と同じ匂いを感じたアレクセイは、これは敵わないと思い早々に諸手を挙げて降参することにしたのだった。
帝国領内に無事侵入したアナスタシアたち一行が目指したのは、西側の海沿いにある領地エーレーン。比較的帝都からも遠く、ダレス大帝に反発する陣営も多いと思われたからだ。
ところが──アナスタシアを待ち受けていたのは、予想外の事態であった。
まずは港町エーレーンに向かっていたところ、アナスタシアたちの前方から1000騎近い軍隊が隊列を組んで行軍している場面に出くわした。
「まずい! アナ皇女、隠れてください!」
「いや、待つでござるよ! あれは……」
ランスロットが制止を振り切って飛び出すと、先頭にいた騎士に駆け寄る。どうやらランスロットが方々に放っていた間者の一人のようだ。
「彼らが掲げているのは──帝国の旗ですね」
ダレス大帝は、神聖ガーランディア帝国を樹立後、帝国旗を変更していた。
だが彼らが掲げていたのは、シャーロットが気付いた通り、旧帝国の旗だったのだ。
やがて一軍を率いていたリーダーである騎士が、馬を寄せてくると、下馬してアナスタシアの前で膝を折る。
「私は北の領地から参りました、スウェイン・ステップハートと申します! ぜひともアナスタシア皇女の軍勢に加えさせてください!」
軍を率いていたのは、かつて神聖帝国によって【強化騎士】と呼ばれる存在であったスウェインであった。だが彼は、とある事件をきっかけに【強化騎士】から解放されていた。今では立派な反「神聖帝国」の一派である。
「も、もちろん構いませんが、一体なぜ私の軍勢に?」
「私は、救われたのです」
「救われた?」
「ええ──【癒しの聖女】様に、です」
スウェインが口にしたのは、北の領地において悪魔憑きになり、前後不覚に陥って酷い行動をしていたとき──【癒しの聖女】と呼ばれる美しい少女によって救われた話だった。
「悪魔にこの身を乗っ取られ、あとは魂ごと喰われるのみ。そんな私を救ってくれたのが【癒しの聖女】様でした」
「ユリィが……悪魔落としを……」
「その際、【癒しの聖女】様はおっしゃっていました。自分は、皇女アナスタシア様のためにこの地にいると」
「えっ……」
「ですから、アナスタシア様がいらっしゃった今このときこそ、癒しの聖女様へと我が命の恩をお返しするとき! このスウェイン、命をかけて皇女様にお仕えいたしましょう!」
なんと──こんなところにもユリィシアが残してくれたものがあったのだ。
だが、ユリィシアが残した影響はとどまることを知らなかった。
奇跡は、港町エーレーンにも及んでいたのだ。
ここでは領主を務めるバロシュ・グエン・ホワンが、膝を折ってアナスタシアを出迎える。まるで皇帝を出迎えるかのような仕草に、アナスタシアは驚きを隠せずにいた。
「お待ちしておりました、皇女アナスタシア様」
「なぜ、こんな歓待を……」
「それはあなたが【癒しの聖女】様の親友だからですよ」
「っ!?」
「実は私も、そこにおるスウェイン同様、悪魔によって操られてましてな。命が燃え尽きんとしたそのとき、癒しの聖女様に助けていただいたのです」
なんとエーレーンの領主であるバロシュも、スウェイン同様ユリィシアによって救われていたのだ。
「私にとっては今こそあの方に恩返しするときなのです。このバロシュ以下5000の兵、喜んで皇女アナスタシア様の配下に加わりましょう」
こうして港町エーレーンという拠点を手に入れたアナスタシアは、この地を軸にしてダレス大帝との決戦の準備を進めていくことになる。
◆
アナスタシアが帝国に帰還して、およそ1ヶ月──。
既にジュリアスら王国の義勇軍もエーレーンに合流し、アナスタシアの軍勢は数万を数えるまでになっていた。
およそ神聖帝国の三割近い戦力を奪い取った状況にある。
このひと月の間ですでに一度、【強化騎士】三人が率いる約10000の軍勢と戦闘も発生している。だがこの戦闘において、ジュリアス・シーモアが伏兵を用いた見事な戦術を駆使して神聖帝国軍を撃退。さらにはカイン・アルベルトとアレクセイ・アルベルトの親子が【強化騎士】三人を全員討ち取るという素晴らしい戦果を上げていた。
それでもまだ、ダレスの軍勢には数で及ばない。
しかも先方には、たった一騎で数人の騎士にも勝る実力を持つ【強化騎士】がまだ20騎以上健在である。
こちらには超戦力としてカインやアレクセイがいるものの、彼らに帝国の命運の全てを託すわけにはいかないのだ。
戦力の増強はまだまだ必要。
だが、そろそろダレス大帝は本腰を挙げてアナスタシアを討伐に来るであろう。
残された時間は──あまり無い。
そんなとき──ランスロットが一つの面白い噂話をアナスタシアに持ってきた。
「アナスタシア皇女。お耳に入れたい、とある英雄の噂があるでござるよ」
「英雄、ですか?」
「うむ。近隣で神聖帝国の圧政から村を解放しまくってるラスターと名乗る少年でござる。その少年と一行は、救った人たちに対して『ダレス大帝に反旗を翻し、皇女アナスタシア陣営に加わろう』と宣伝してくれているようでござる」
「あら、素晴らしいわね。ぜひ仲間に加えたいわ」
「そして、その英雄ラスター少年は同時に面白いことも言っているでござる」
「面白いこと?」
「──自分は、【癒しの聖女】の使徒である、と」
「っ!?」
ユリィシアの使徒。それはつまりこのラスター少年が帝国滞在時のユリィシアに極めて近しい存在だった可能性を示していた。思わず顔を上げるアナスタシアに、ランスロットはさらなる情報を口にする。
「ちなみにその少年は二人の仲間を連れているでござるよ。ひとりは【賢者】を名乗る中年の男性。そしてもうひとりは──赤い髪の、狼族の獣人でござる」
「まあっ!?」
「彼らは地方の獣人の村々を圧政から解放し、既に数人の【強化騎士】を打ち破っているでござるよ」
「それは──まさか……」
「近々、ここエーレーンに合流する予定と聞いているでござるよ。そのときに本人から聞くのがベストでござるな」
それから数日後──。
「皇女様、大変でござる! 噂のラスター少年が、やってきたでござるよ!」
ランスロットの報告を聞いた瞬間、アナスタシアは彼らを出迎えるため、自ら仮住まいの館から入口へと飛び出す。
彼女の目に飛び込んできたのは──。
「お久しぶりでございます、アナスタシア様」
「ウルフェ……」
赤い髪を伸ばした、美しき狼獣人の青年剣士。
いつもユリィシアに付き従っていたはずの従者ウルフェの姿だった。




