74.《side:アナスタシア》 決意
ここからエピソード10となります。
「アナスタシア皇女、ご報告がございます。気を確かに持って──お聞きください」
「えっ?」
「【癒しの聖女】が、『四魔帝将』のひとり【終わりの主】クロップスおよび、彼が操る【いにしえの大聖女】と交戦。その後──双方ともに行方不明となっております」
「っ⁉︎」
シャーロットからその報告を受けたとき、アナスタシアは目の前が真っ暗になった。
手に持っていたカップを落とし、紅茶が床にシミのように広がる。
「そ……そんな……ユリィが……」
「新帝国は、双方が相討ちになったと宣伝してるでござるよ。事実、以降『癒しの聖女』の出現報告はどこからも上がってきていないでござるな……」
ユリィシアが、死んだ?
わたくしのために闘って……?
帝国の人々を救うために、敵の将軍と共倒れ?
「うそよ……そんなこと、到底受け入れられませんわ」
「ですが、この件が発生したのはおよそ3ヶ月前と言われているでござるよ。実際にそれ以降、『癒しの聖女』の目撃例は──ないでござる」
「……」
「ただひとつ、救いなのは……『癒しの聖女』が神聖ガーランディア帝国の恐怖の一角を担っていた『いにしえの大聖女』ごといなくなったことでございます。これで彼らの戦力は大きく減退し──」
「そんなこと、関係ありませんわ!」
思わず大声を出すアナスタシア。
びくっと揺れるシャーロットに気づいて罪悪感を覚え、アナスタシアは逃げるように目を伏せる。
「ごめんなさい……。すこし……一人にしてもらえますか?」
「はい……」「承知したでござるよ」
二人が退出した部屋で、アナスタシアは一人ソファに突っ伏する。
「ユリィ……」
あふれ出る涙は止まらない。
かけがえのないものを失ってしまった。
失ったものは大きすぎる。
だけど──。
親友は、私にそんなことを望んでいたのか?
失ったことを嘆き悲しみ、喪に付すことを望んでいたのか?
──違う。
そんなわけがない。
ユリィは、自分のために帝国に乗り込んだ。
だとしたら……自分にできることは──。
アナスタシアは、おもむろにテーブルに置いてあったナイフを手に取った。
しばらく見つめたあと、その刃先を己の顔に近づけてゆく。
──ザクッ。
この瞬間、ひとつの歴史が──大きく動き出す。
◆
数日後──。
アナスタシアによって呼び出されたジュリアス王子は、彼女の部屋に向かう。
扉を開けると待ち構えていたのは、長かった黒髪をバッサリと切り、決意を秘めた炎をその瞳に宿したひとりの美しい女性だった。
「やあアナスタシア。ずいぶんとイメチェンしたね。それで──今日は僕にどんなようなんだい?」
「実はジュリアス王子にお願いがございます」
「お願い?」
「はい。このわたくしと──婚約破棄していただけますか?」
衝撃的な──発言。
だがジュリアスは驚いたふうもなく、逆にアナスタシアに問いかける。
「理由を……聞いてもいいかな?」
「愛想を尽かした、ではいけませんか?」
「ふふふ、さすがに王族同士の婚約でその理由はないんじゃないかな?」
「では、他に好きな人ができた、では?」
「もっとありえないよ。そんなの物語の世界の中だけの話さ」
目を合わせて笑いあう二人。
だが二人にはわかっていたのだ。
「きみは──行くんだね?」
「ええ。わたくしは──帝国に戻ります」
ジュリアスの言葉は、問いかけではなくて確認。
アナスタシアも驚いたふうもなく頷く。きっとこの王子なら──これほどに才気あふれる人なら、すぐに察してくれると分かっていたから。
「参考までに聞くけど、君は帝国に戻ってどうするんだい?」
「わたくしは元の帝国を取り戻しますわ」
「そうか、君は──女皇帝として起つんだね?」
「ええ、それが必要であるならば。わたくしは喜んで旗印にでも傀儡にでもなりますわ」
「まだまだ恐ろしい敵はいるよ? ダレス大帝もさることながら、『四魔帝将』のうち三人はまだ健在だ。君に──勝ち目はあるのかい?」
「勝ち負けの問題ではありませんわ。わたくしは──もう逃げることはやめたのです。国のため、人々のためにこの命、捧げましょう。それが──皇族に生まれたものの運命なのですから」
「……死ぬよ?」
「死は恐ろしくありません。本当に怖いのは──大切なものから目を逸らして逃げてしまうことですもの」
じっと見つめ合う二人。
だが──先に視線を逸らしたのはジュリアスのほうだった。アナスタシアの決意を知り、自然と笑みを漏らす。
「ははっ、これで二度目だな、振られるのは」
「二度目?」
「うん。だけど……どうしてだろうね。僕を振る女性はみんな目を輝かせている。素敵な女性ほど、僕から離れていくんだ」
ジュリアスにはわかっていた。
アナスタシアが帝国に戻る以上、ジュリアスとの婚約継続は不可能である。
そもそも婚約したまま帰国しても「王国の手先」だとしか思われずに国民の支持は得られない。それにもしアナスタシアが失敗したら──その責任は王国にも及ぶ。もはや個人で責任を負える範囲を超えてしまうのだ。
「……わかったよ。君との婚約破棄を受け入れよう」
「ありがとうございます。ジュリアス王子には……感謝の気持ちしかありません。こんなわたくしの婚約者になっていただいて……」
感極まって目を潤ますアナスタシア。
だがもう涙は溢さない。二度と泣かないと──親友に誓ったから。
「きっとカロッテリーナ姉さんが悲しむよ。ダレスがあんなふうになって輿入れの話も自然消滅しちゃったしね」
「カロッテリーナお姉様には、アナスタシアが謝っていたとお伝えいただけますか?」
「もちろん。──さて、君の話は以上かな?」
「え? ええ、そうですが……」
「だったら今度は僕の話をしてもいいかな?」
ジュリアスの話?
予想外の展開に、アナスタシアは首を捻る。
「元婚約者のきみに、この僕──ジュリアス個人から伝えるべきことがある」
急に畏まった物言いに、アナスタシアもなにかを察して身を引き締める。
ジュリアスは人好きのする笑みを浮かべながら──とてつもなく衝撃的なことを口にした。
「ガーランディア帝国の正当なる皇女アナスタシアに告ぐ! この僕、リヒテンバウム王国の第二王子であるジュリアス・シーモアは、義援軍を立ち上げ、全面的に貴女を支援することをここに宣言しよう!」
「っ!?」
まさかの──軍事力支援の申し出。
もちろん、アナスタシアとしては喉から手が出るほど欲しいものである。
だが、それは──。
「そ、そんなこと……ダメですわ! リヒテンバウム王国にまでご迷惑を──」
「大丈夫。僕は──王位継承権を放棄したからね」
「は?」
「それに、今回の軍はあくまで義援軍。仮に失敗したとしても、王国側としては僕たちのことを切り離せばよいだけだからね」
いたずらっぽい笑みを浮かべるジュリアス。
だが発した言葉の意味をアナスタシアは十分理解していた。
ジュリアスは──己の立場を全て捨てて、アナスタシアの支援を行うと言っているのだ。
「だ、だめよそんなの! あなたには輝かしい未来があるわ!」
「王国の第二王子としての地位が? そんなものただのお飾りさ、何の価値もないことは──この僕が一番良く分かってるよ」
「で、でも……わたくしのために……」
「そこは勘違いして欲しくないなぁ」
「えっ?」
「いいかい? ユリィシアの友達は君だけじゃないんだよ? だから彼女の願いと……そして彼女の親友である君を助けることに、僕は何の躊躇いもないのさ」
あぁ……ここでもユリィシアが出てくるのか。
彼女は、自分のためにどれだけ──。
もう泣かないと決めたアナスタシアの瞳が大きく揺れる。
「それに僕の軍には強力な戦力もいるよ。軍を率いるのは──【雷神】ザンデル大将」
「王国最強の武人と言われる、あの……」
「そして【剣皇騎士】カイン・アルベルトに【元聖女】のフローラ・アルベルト夫妻」
「それは……ユリィの……」
「ああ。娘の親友の手助けがしたいってさ」
「っ!?」
あの【黄泉の王】を討った英雄夫妻が、まさか自分の手助けをしてくれるのだという。
しかし、こうも手際が良いということは──。
「ジュリアス様は読んでましたね? わたくしが立つと」
「ふふっ……まぁ君が【癒しの聖女】の噂を聞いて、黙っているわけがないと思ってたからね。なにせ君は、ユリィシアの親友なんだろう?」
ジュリアスの問いに、アナスタシアは胸を張って答える。
「ええ、そうですわ」
「僕はね、ユリィシアが死んだとは思えないんだ。だから彼女を探すことも──実は裏目的でもあるんだ」
「あらまぁ、浮気者の元婚約者ですこと。婚約破棄したらすぐに別の女性ですの?」
「ははっ、一方的に婚約破棄した人の言うことじゃないね」
二人は目を合わせて笑う。
それは心からの、打ち解けた笑いだった。
「僕が先に見つけたら、今度こそ僕がユリィシアを貰うからね。彼女が手に入るなら、僕にはもう王族の地位なんてどうでもいいんだ」
「あら、レディの前で他の女性のことを口にするなんて、紳士の風上にも置けませんわね」
「まぁ今の僕はもう王位継承権も何もない人間だしね」
「でも──あなたはわたくしが出会った中で最高の男性ですわ」
「お褒めに預かり恐縮です、レディ」
「ただそれでも……ユリィはわたくしが、絶対に先に見つけてみせますわ。だってユリィは、わたくしのものなんですもの」
最高の異性は、最高の好敵手でもあった。
その二人がいま──手を結ぶ。
「ああそうだ、援軍はそれだけじゃないよ。……あとね、勇者もいるんだ」
「ゆ、勇者?」
勇者──。
アナスタシアはその噂を聞いたことがあった。
歴史上、世界規模の危機が訪れたときにどこからともなく現れる、神々の祝福を受けた特別な英雄のギフトを持つ存在のことを。
「うん。厳密に言うと勇者の卵だけどね。彼の名は──【光の勇者】アレクセイ・アルベルト。ユリィシアの弟だよ」
「ユリィの……弟?」
ジュリアスは最高にいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「うん。あいつもね、姉のことをどうしても探したいんだってさ。僕なんかにはぜったいに渡さないって、胸ぐら掴まれて脅されたよ」
そう言うとジュリアスは、おどけたように肩を竦めたのだった。




