73.聖女の胸に抱かれて……
エピソード9のラストです(*^_^*)
ウルフェは、自分を2度死んだ存在だと考えていた。
一度目は、故郷の村が帝国の騎士たちによって蹂躙され、右腕を失ったとき。
二度目は、剣闘士奴隷として雇い主に逆らい、手足を切断されたとき。
しかし──いずれの場面においても、彼は生き残った。いや、生かされたといってもよいだろう。
一人の少女の、『癒し』によって。
だが今、彼の前に三度目の死が迫っていた。
『迷える子羊よ。このわたくしが──永遠の安らぎを与えましょう』
まさか──いにしえの大聖女が現れるとは……。
ウルフェがまだ幼かった頃、ガロウ村の長老から聞いた話を思い出す。
ある子供が、冗談半分にいにしえの大聖女の名を呼んだところ、本当にいにしえの大聖女が現れて、その子供どころか村を丸々滅ぼしてしまったのだという。
まさかそんな話があるものか、と思っていた。
だが現実に──その存在はいま、目の前にいた。
いにしえの大聖女は、驚くほどに神々しくて美しかった。
これが神だと言われれば、以前のウルフェであれば信じていただろう。しかし今のウルフェには、他の何者にも変えがたい至高の存在がいた。
──ユリィシア・アルベルト。
彼が生涯を捧げる決意を誓った、唯一無二なる存在。
だからこそ分かる。
この存在は──いにしえの大聖女は、神などという存在などではない。
もしそうであるなら、なぜに己が敬愛するお嬢様が、あんなにも必死な表情で自分たちに逃げろと叫ぶのか?
とはいえ、目の前の存在が、到底敵わない相手だということもわかっていた。
このままでは──死ぬ?
ありえない。
お嬢様の役に立たずに死ぬことなど──。
「ウルフェーーーッ!!」
敬愛するお嬢様の声が、ウルフェの耳に届く。
だが──身体が動かない。
まるでがんじがらめに縛られているかの如く、手足が言うことを聞かない。
だめだ。
俺はこんなところで──力尽きるわけにはいかない。
なぜなら俺は──まだなにもお嬢様のために尽くせていないのだから。
「うぉぉおぉぉぉぉぉっぉぉぉっ!!」
ウルフェは叫んだ。
それは──魂の叫びであった。
絶対に死ぬわけにはいかない。強い──想い。
しかし、無情にもエルマーリヤの眼がゆっくりと開かれて、輪廻転生への扉が開いてゆく。ろくに魔力を持たないウルフェに抗う術は……もはやない。
この目が完全に開ききったら、自分は消滅してしまうのだろう。そして輪廻の輪の中に強制的に放り投げられてしまうのだ。そのことが──自然と分かってしまった。
逃げられない───。
自分は──ここで──。
お嬢様……すいません。
ウルフェはここで……先に……。
『……諦めないで!』
──そのとき。
ウルフェは、確かにその声を聞いた。
聞き覚えのある、懐かしい声──。
10年以上前に失われてしまった、最愛のものの声──。
この声は──。
「──サーナトリア!?」
目を開けると、ウルフェの前に──幼い少女の姿があった。
その少女は間違いなく、彼の最愛の妹、サーナトリアの姿であった。
「サーナトリア、なぜここに……」
『お兄ちゃん、あたしはね──お兄ちゃんの【守護霊】をしてたんだよ』
「しゅ、守護霊?」
確かにウルフェは聞いたことがあった。
亡くなった先祖の霊が宿り、身を守ることがあると。
ウルフェはずっと後悔していた。サーナトリアを守れなかったことを。
もう一度会いたいと思っていた。絶対に叶わない願いだと知りながら。
だが、今──。
「サーナトリア……やっとまた会えた。これで俺はもう、思い残すことは──」
『何を言ってるの、バカにぃ! お兄ちゃんはまだなにも為してないでしょ!』
「っ!?」
久しぶりに再会した妹に激しく詰られ、思わず息を飲むウルフェ。
『お兄ちゃんは、あの女性のために生涯を尽くすと決めたんでしょ!? だったら──こんなところで諦めるなっ!』
「ぐっ……だ、だが……」
『ここはあたしたちがなんとかするわ! だから──逃げて!』
「あたしたち?」
だがウルフェの疑問はすぐに晴れる。
なんとサーナトリアの周りに──たくさんの見覚えがある人影が見え始めたからだ。彼らは──。
「ガ、ガロウ族のみんな……」
『あたしたちが盾になって時間を稼ぐわ! だから──お兄ちゃんは逃げて、あの女の、【癒しの聖女】さまのために尽くして!』
「だが、俺はまたお前たちを救えなくて──」
『大丈夫、あたしたちは【輪廻転生】するだけよ! あの大聖女様は──ある意味で救いでもあるの』
「救い──?」
『ええ、だからここはあたしたちに任せて、早くっ!』
どんっ!
そのとき──ウルフェの胸に強烈な打撃が加えられた。
正体は──黒い魔力の塊。だがこの攻撃によって、ウルフェの身体は押し出されるようにしてゲートの中へと放り込まれる。
ウルフェが、最後に見た光景──。
それは、サーナトリアやガロウ族のみんなが、笑顔で手を振りながら──輪廻転生してゆく姿だった。
◇◆
右手を差し出しながら、荒く息を吐くネビュラちゃん。
なんとエルマーリヤの聖域を打ち破って、暗黒魔法を発動させ、ウルフェをゲートの奥に叩き込むことに成功したのです。
「や、やってやりました……ありったけの魔力を込めて、闇魔法を発動したでございますよ」
「ネビュラちゃん……よくやりましたわ!」
肩で息をしながら、満足げな笑みを浮かべるネビュラちゃんを、私は素直に手放しで褒めました。
ギリギリのところでウルフェを『救済』から救うことができました。これは僥倖以外のなにものでもありません。
「素晴らしい……あなたには、私の大事な軍団の一部の管理をお任せすることにしますわ」
「ありがたき幸せ……にございます。もっとも、この場から輪廻転生せずに生き残れたら、ですがね」
「大丈夫です。あなたは……私がなんとしてでも守ってみせますからね」
──どぉぉぉん!
そのとき、大きなものを叩きつけるような音が耳に飛び込んで来ました。
「ぐええっ?!」
猛烈な勢いで吹き飛ばされていくのは──賢者クリストル。口から血を吐きながら、向かった方向は──ゲートです。クリストルは勢いよくゲートの中へと突っ込んでいきました。
なんと、龍化したアミティが、その尻尾でクリストルを吹き飛ばして逃したのです。
『やったりゅ! クリスは逃したりゅ!』
「アミティ、よくやりました!」
ですが──次の瞬間。
──パキィィィィンンンンンッ……!!
鈍い音とともに、ゲートが消滅してしまいました。
どうやらエルマーリヤの聖気が放つ【聖域】に耐えられずにゲートが砕け散ってしまったのです。
なんてことでしょう、退路を完全に断たれてしまいました。これではもう逃げることもできません。
「ひ、ひぃぃぃ……」
「りゅ、りゅぅぅう……」
ガタガタと震えながら、ネビュラちゃんとアミティが私の側でへたり込みます。まぁあの聖気に当てられて、よくぞここまで動けましたね。褒めてあげましょう。
おかげで、なんとかこの二人以外を逃すことには成功しました。
あとは──。
「大丈夫。あなたたち二人は──私の全てを持って守ってみせますからね」
人生を賭けて集めた大切な素体たちを、簡単に輪廻転生させるわけにはいきません。
たとえそれが絶望的な戦いであっても──私は逃げるわけにはいかないのです。
『次の救済を求めるのは──あなたですか?』
「私は、救済など求めていません!」
言葉が届くとは思えません。
ですが私は全力全霊を以て答えます。
私の呼びかけに呼応して──エルマーリヤが私の前に姿を現しました。
その印象は、初めて彼女の彫像を見た時から一切衰えることなく、いまも鮮やかに目の前に君臨しています。
──美しい。ただ美しい。本当に美しい姿。こんなに美しい女性は、これまで見たことがありません。
あぁ──でもなんとなく誰かに似ている気がします。誰でしょうか?
ふいにエルマーリヤが、軽く首を傾げました。
「えっ……?」
『── 【聖者の救済】』
「ぐっ!?」
不意打ちのように突如開け放たれた瞳を受けて、全力でエルマーリヤの輪廻転生を防ぎます。
ですが、あまりの衝撃に、私たちは吹き飛ばされてしまいました。三人が三様に琥珀の壁に突っ込むと、そのまま砕け散った琥珀の雨の中に埋れてしまいました。
『きしゃー!』『キシャー!』『キしゃー!?』
ネビュラちゃんとアミティはなんとか守りましたが、無念にも──七人の聖導女のうちさらに三体が輪廻転生してゆきます。残りもう……二体しかいません。
「うぅ……」
すぐに自分に治癒魔法を施して身を起こそうしますが──エルマーリヤは立て直す時間すら与えてくれませんでした。
琥珀に埋まっている私の目の前に──改めてその姿を現したのです。
魔力はほぼ枯渇。もはや打つ手は──なし。
「エルマーリヤ……」
『迷える子羊に、永遠の安らぎと救済を与えましょう──』
エルマーリヤの閉じられていた瞳が、ゆっくりと開いていきます。
あぁ、こうなってはもう仕方ありませんね‥‥‥。
他の誰でもない、あなたによって終わらせられてしまうのであれば‥‥‥受け入れるしかないのでしょう。
だって彼女は、私にとって特別な人。
私の──初恋なのですから。
いや、でもせめて輪廻転生させられてしまうのなら……。
最期に──エルマーリヤの聖なる双丘に抱かれたい!!
この命の、最後の全てを尽くして──あの夢のような聖なる双丘を生で触らせてもらいますっ!!
私は両腕を思いっきり拡げます。
エルマーリヤと抱き合うように──。
「エルマーリヤ──いただきます!」
そのまま私は──エルマーリヤの豊かな胸元へと、勢いよく飛び込んでいったのでした。
◆◇
「お嬢様!!」
最後に賢者クリストルが飛び出してきたあと──ゲートが光の粒子となって消滅した。
慌てて駆け寄るウルフェ。だが──一度崩壊したゲートが再び扉を開くことはなかった。
「賢者様、大丈夫ですか?」
「いてて……アミティのやつ本気で尻尾振りやがったな。肋骨が何本かいかれちまったみてぇだよ。だが……なんとかまぁ大丈夫さぁ。それよりも、ゲートが消滅しちまったな。オレッちも初めて見たぜ」
賢者クリストルが胸をさすりながら身を起こす。そしてボソッと「アミティ……あのバカやろう」と呟いた。
「聖女様は、俺たちを逃がすために……」
ラスターの絞り出すような声に、ウルフェが歯を食いしばりながら頷く。
「お嬢様はいつもそうだ。自分を犠牲にして──」
「師匠、聖女様は……」
「わからん……だがお嬢様が死ぬわけがない。あの方は──人類の希望なんだから」
ゲートが崩壊した後、ウルフェはゲートがあった建物を確認したが、なにも発見できなかった。
焦りだけが募る。だが、この場にいる傷ついた人たちを見捨てるわけにもいかなかった。
彼らを守ること。それが──ウルフェの主人であるユリィシアの最後の望みだったのだから。
傷ついた賢者クリストルや保護した獣人たちを一度安全な場所まで連れて行ったあと、ウルフェはラスターを引き連れて自力でがけ下まで降りていった。
だが、必死の捜索の末、翡翠の谷を発見したものの──崩壊した琥珀群が残されていただけで、残念ながら何の痕跡も見つけることができなかった。
この時点から──。
『癒しの聖女』に関するガーランディア帝国内での噂は、ぱったりと姿を消すこととなる。
これにてエピソード9はおしまいとなります(´・ω・`)
残されたものたちは、どう動くのか?
そしてユリィシアは──どうなってしまったのか?
次から始まるエピソード10をお楽しみに(≧∀≦)
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