72.聖者の救済
純白の服を着て、真っ白な聖気を放つエルマーリヤは、久しぶりに見ても本当に綺麗な女性でした。
ふくよかなる聖なる双丘も健在で──思わず見惚れてしまいます。さすがは私の初めての──。
ですが──いけません。
今はそんな感傷に浸っている場合ではないのです。
なにせ、命の危機にあるのですから。
「みんな、逃げなさい!」
私は慌てて指示を出したのですが、誰も私の声に従いません。
……というより、エルマーリヤの聖圧に圧倒されて、身動きすらできないのです。
それはそうでしょう。
圧倒的な聖気。
圧倒的な存在感。
圧倒的な──安らぎ。
こんなものを前にして、普通の人間は抵抗することすらできないのですから。
──いけない。
このままでは、全滅してしまいます。すぐに手を打たなければ……。
さもなくば──前世の惨劇の、再来になってしまうではありませんか。
「おお、おぬしが【救世聖女エルマーリヤ・ライトジューダス】か! 本当に真の名を呼べば来るのじゃな!」
ただ一人、状況を全く読めていないクロップスが、エルマーリヤに対してなれなれしく語りかけています。
ああ、もうあのゲスジジイは手遅れですね。
別に素体も欲しくなかったので、こいつのことはすぱっと諦めましょう。
「お前はこのわしがコントロールして──」
『可哀想な子羊よ。さぁ、わたくしの胸の中で輪廻の輪の中に戻りなさい──』
豊満な胸を持ったエルマーリヤが、笑みを浮かべながらクロップスを抱きしめます。
そして──ゆっくりと、閉じていた眼を開きました。
いけないっ! 間に合って!
「みんな、眼を見ないで! 視線を避けてっ!!」
ふわっ──。
周りに、白い羽が一気に舞い踊ります。
『──【聖者の救済】』
……私の声は間に合ったのでしょうか?
──ばさり。
私の耳に、なにかの衣服が落ちる音だけが聞こえます。
もう……終わったのでしょうか?
恐る恐る眼を開けてみると──クロップスが衣服だけを残して消え去っていました。
他の被害を確認してみますが──良かった、私の連れは全員無事のようです。
その代わり、クロップスの連れて来ていたアンデッド軍団は、『黒き聖導女』以外は全部消え去っていました。文字通り──全滅です。おまけにクロップスの連れてきた獣人たちの3分の1も消失しています。
第一撃の被害としては甚大ですが……これでもなんとか被害を最小限に抑えたほうでしょう。
隣にいたネビュラちゃんが、エルマーリヤの圧倒的な聖気に気圧されながら口を開きます。
「なっ……!? こ、これはいったい何が──」
「クロップスたちの魂は、たったいま【輪廻転生】しましたわ」
「は?」
「これが、あの人の能力──【聖者の救済】ですの」
そう、これがエルマーリヤの恐ろしさ。
いにしえの大聖女は、相手を殺す存在ではありません。
強制的に、すべからく問答無用で相手を──【輪廻転生】させるのです。
「な、なんですって? 殺した──のではなく?」
「いいえ、違います。【輪廻転生】です。魂ごと強制的に輪廻の輪に飛ばして転生させているのです」
魂そのものを昇華させる【輪廻転生】──。
ゆえに、エルマーリヤの【聖者の救済】を防ぐ術は──ありません。
実際、私が前世で彼女を最初にアンデッド化させた際には、私が当時所有していた『不死の軍団』の9割以上を強制的に【輪廻転生】させられてしまいましたからね。
そりゃもう、再建にとてつもない苦労をするほどの、目も当てられない大損害です。
同様に、以前聖母教会が呼び出した際には、枢機院と聖女クラスが辛うじて輪廻転生を免れましたが、その他の聖職者たちがこぞって輪廻転生させられるという事態も発生しています。
以降、彼らはエルマーリヤを『その名を呼んではいけないもの』としてその存在を隠匿し、そのかわりに血眼になって私の討伐に走ったのは皮肉な事態なのですが──。
「あ、あれをコントロールしようとは夢にも思わないのですが……ボクが言うのもなんですが、ターンアンデッドも出来ないのですかね?」
「無理ですね。なにせエルマーリヤは──『聖属性』ですから」
「は?」
そう、エルマーリヤは──世にも珍しい『聖属性』を持ったアンデッドなのです。すなわちターンアンデッドなどの対アンデッド魔法が一切効きません。
「じゃ、じゃあ死霊術師が操るしか術が……」
「それも無理ですね」
基本的に死霊術によってアンデッドを操るには、相手よりも高い技量を持つ必要があります。
例えば魔力──これが相手との差が3〜4倍、せめて10倍以内ならなんとかなるかもしれません。
ですが、転生して進化した私の《鑑定眼》は、恐るべき結果を映し出していました。
──究極のアンデッド『エルマーリヤ・ライトジューダス』──
アンデッドランク:SSS
ギフト:判別不能
称号: 【いにしえの大聖女】、【終わりの四人】、【その名を呼んではいけないもの】、【微笑みのエルマーリヤ】、【輪廻転生の主】、【無限の慈悲と慈愛】
推定魔力値:3,621,092
──
推定魔力──360万オーバー。
今の私の魔力が……おそらく6万くらい。その遥か高みに、エルマーリヤはいました。
なるほど、前世の私の手に負えなかったわけですね。
こんなもの、前世の私もさることながら、今の私ですらどうにもなりません。
名を呼べば、必ず出現し──。
どんな魔法でも対抗することができず──。
問答無用で相手を強制的に【輪廻転生】させる。
究極の慈愛と救いの存在。
それが──いにしえの大聖女、エルマーリヤなのです。
「お、お嬢様……ボクの闇魔法が発動しないのですが……」
「エルマーリヤは周囲に自動的に魔法発動無効化の【聖域】を発動しています。闇魔法のみならず、他の魔法もほとんど発動は不可能ですわ」
「そ、そんな……」
恐怖のあまりガタガタと震えるネビュラちゃん。
気持ちはわかります。ですが──だからといって手をこまねいているわけにはいきません。なにせこのままでは全滅ですからね。
「ネビュラちゃん! ウルフェ! 他の皆をゲートまで逃がしなさい!」
私がありったけの声で叫ぶと、ようやく呪縛が解けたかのように、二人がビクッと身体を揺らしました。
その間にエルマーリヤは、次なる子羊に目をつけました。
──『黒き聖導女』です。
『おぉぉおぉぉおぉ怨恨んんんんん!』
『迷える子羊よ、あなたも輪廻の輪の中へ送り込みましょう──』
あぁ……無念。
あの子はなんとか軍団に欲しかったのですけどね。
ですが──こうなってはもうダメです。
エルマーリヤの抱擁を受けると、真っ黒だった『黒き聖導女』が、どんどん白く浄化されていきます。
やがて──黒い瘴気が抜けて、『黒き聖導女』はひとりの少女の魂へと変化を遂げました。
『エルマーリヤ様……私の穢れた魂を救ってくださったのですね……』
『あなたの魂はわたくしの胸元に抱かれ、祝福とともに【輪廻転生】を迎えるでしょう。あなたの魂に永遠の安らぎを──』
『あぁ……ありが……とう……』
少女の魂は笑顔で涙を流すと、そのままエルマーリヤによって【輪廻転生】の輪の中へと昇華させられてゆきました。
あとには──魂のかけらすら残りません。
このとおり、エルマーリヤによって【輪廻転生】させられると、死霊術の素体としてはまったく使い物になりません。なにせ、肉体はすべて浄化され、魂もすべて転生してしまうのですからね。
こんな恐ろしい目に遭わされては、ひとたまりもありません。
このままでは──私の集めた大切な素体たちが、全員【輪廻】送りになってしまいます。
その事態だけは、絶対に避けなければなりません。
私は、相変わらず目を瞑ったまま宙を浮く『いにしえの大聖女』エルマーリヤと対峙します。
なにせ、この場で彼女の強制的輪廻転生───【聖女の救済】を防げる可能性があるのは私しかいませんからね。
そう、聖母教会の枢機卿たちがやっていたように──聖魔法によって【輪廻転生】を打ち消すしか、逃げる術はないのです。
ですが──。
『───【聖女の救済】』
「っ!? ──『簡易治癒』、フルパワー!」
治癒力を最大限まで高めて放った治癒魔法による聖なる壁を作り、なんとかエルマーリヤの輪廻転生を防ごうとします。
ですが──数が多すぎて全員を守ることはできません。
「あぁ……」「うぅ……」「はぅあ……」
助けようとしていた獣人の、さらに半分近くが今の『救済』で輪廻転生してしまいました。
『キシャー!』『きしゃー!』
さらには、私が連れていた『7人の聖導女』のうちの2体が、輪廻転生によって消滅してゆきます。
それでも──なんとか耐えました。
ですが、もう一回耐えられるとは限りません。
なぜなら──クリストルの治療と最大限の治癒魔法の連発で、さすがの私も魔力が尽きかけていたからです。
なんとか、なんとかして、私の宝物たちだけでも逃がさなければ──。
「急げ! 急ぐんだ!」
正気を取り戻したウルフェが、獣人たちから先に逃がしています。
ウルフェのがんばりが功を制し、数人をゲートに叩き込み、ガタガタ震えていたラスター少年までを放り込みました。
ですが──。
『次の救済を求めるのは──あなたですか?』
「っ!?」
なんと──さっきまで私の前にいたはずのエルマーリヤが、今度はウルフェの目の前に、立ちふさがるようにして姿を現したのです。
『迷える子羊よ。このわたくしが──永遠の安らぎを与えましょう』
エルマーリヤの目が、ゆっくりと開かれていきます。
この距離では──私の治癒魔法による障壁も届きません。
「ウルフェーーーッ!!」
私にできることは──。
ただ、ウルフェの名前を叫ぶことだけでした。




