67.アンバードラゴンと古き賢者(前)
神聖ガーランディア帝国の帝都ガーランド。
黒曜石を磨いたかのように黒く光り輝く皇城に、その存在は君臨していた。
ダレス・ウォーレンハイト・スカイガルデン・ヴァン・ガーランディア。
神聖ガーランディア帝国の初代皇帝。【魔皇大帝】ダレス。
巨大な玉座に座る黒髪の青年は、目をみはるほどの美貌を持っていた。
その美しさは、ガーランディアの芸術家たちによって黒曜石の頂点に君臨する黒曜華と称されるほどである。
その彼の横には、豊満な四肢を強調するようなピッタリとした真っ黒な司祭服に身を包んだ女性が立っていた。
彼女の名は──【暗黒司祭】イーイール。
【死告騎士】デズモンド、【魔獣操王】ウィーガル、【終わりの主】クロップスの3人と並び、ダレス直轄の4将軍『四魔帝将』の一人である。
イーイールの蠱惑的でありながら不気味な視線を感じながら、一人の兵士が【魔皇大帝】ダレスに対して、膝をついて報告する。
「四方にある貧民たちの村は、その6割を殺害し、1割を奴隷、残りを【餌】候補として確保いたしました」
「ふん、まぁまぁね」
イーイールがダレスに代わり口を開くが、その違和感に口を挟むものはいない。
なぜなら、イーイールがダレスに絶大なる信頼を置かれていることは誰もが知ることであったからだ。
「で、他は順調なのかしら?」
「それが、実は……【強化騎士】が解放される事案が相次いでおります」
「なんですって? 殺害や自爆ではなくて、解放?」
イーイールは驚きの声を上げる。
【強化騎士】は、イーイールが作り上げた最高傑作の戦闘人形である。理性を飛ばし、周りを巻き込み、ただ指示された通りに殺戮を繰り広げる。
それを倒すならまだしも、解放するというのはどういう意味であろうか。
戸惑うイーイールに、【魔皇大帝】ダレスが初めて口を開く。
「イーイール、そもそも【強化騎士】はそう簡単に解放されるようなものなのか? 貴様は一度根付くと元に戻ることは不可能だと言っていたではないか」
「は、ははっ。ダレス大帝のおっしゃるとおりなのですが……ねえあなた、いったいなにが起こっているの?」
「それが……【癒しの聖女】と呼ばれる存在がどうも邪魔をしているらしく」
「癒しの聖女、ですって? 聖女でしたらこの前一人葬ってやったというのに、また聖母教会は新たな聖女を寄越したのかしら?」
戸惑う声を上げるイーイールに対して、ダレスは口元を邪悪に歪める。
「くくく……だったら【聖女】には【聖女】を当てればいいじゃないか」
「おぉ! さすがはダレス大帝、名案ですわ!」
「活きのいい餌が大量に手に入ったんだろう? そいつをうまく使えばいいじゃないか」
「ええ、そうですね。では早速クロップスに伝えておきましょう」
「うむ。下らない英雄候補などの芽が出る前にさっさとどうにかしてしまえ。早く国内を落ち着かせて、外に打って出なければいけないからな。その【癒しの聖女】とやらも──朕の帝政を確固たるものにする『生贄』とするのだ」
「は、ははっ!」
兵士は大声で返事を返すと、すぐにこの場を去っていく。
長居すれば、自分の命が危ないと感じたからだ。
誰もいなくなった謁見の間で、イーイールがダレスの腕にしなだれかかるように絡みつく。彼女の瞳に宿るのは、聖職者とは異なる深い闇の光。
「ダレス大帝は……強欲でございますね」
「その通りだ。朕は──この世界の誰よりも強欲なのだ」
「帝国の次は王国ですか?」
「ああ。アナスタシアは王国に逃がしたままだが、朕の【ネックレス】を渡してあるんだ。いずれ《発芽》するだろうさ。あいつが《魔王》候補になれば良し。もしそうならなくとも、王国内は大混乱に陥るだろう。そうすれば……あとは陥落させるのも容易いだろうさ」
「さすがはダレス大帝。誰にも成し遂げられなかったことをあなたならば必ず成し遂げるでしょう」
イーイールの追従に、ダレスは不敵に微笑む。
「朕は強欲なんだ。この世界の全てが……欲しいんだよ」
◆◆◆
一方、こちらはリヒテンバウム王国。
事実上軟禁状態にあったアナスタシアは、閉ざされた部屋の中で悶々とした日々を過ごしていた。
帝国の国内情勢について様々な噂が流れていていたが、どれが真実でどれが嘘なのかも分からない状況であった。
たとえば北方の蛮族が帝国に攻め入ったものの、なんと全滅した挙句、国ごと滅ぼされたというものさえあった。
戦争で全滅という表現を使うことは極めてまれであるのに、そのまま極小国とはいえ滅ぼすとは……ダレスは、神聖ガーランディア帝国はどれだけの戦力を持っているというのか。
「アナスタシア様、兄さんが戻って来ました」
「皇女様、お邪魔するでござるよ!」
「おお、ランスロット! 無事に戻ってきたのですね!」
アナスタシアとともに学園を後にしてついてきたシャーロットが、いまではアナスタシア付きの侍女兼護衛として付き従っていた。そして彼女の兄であるランスロットが、アナスタシアの気分転換になればと、帝国に関するさまざまな情報を収集するために帝国に潜入しており、たった今帰ってきたのだ。
「帝国内の情報はどうなっていますの?」
「はっ、思っていたよりもひどいことになっていたでござる。帝国領内は恐怖と混乱によりかなり生活の質が落ちておりましたな」
「やはり……」
「ただ、【魔皇大帝】を自称する僭王ダレスが【強化騎士】という恐ろしい黒騎士を使って恐怖による圧政を引いております。逆らうものたちは皆……村ごと焼かれているでござるよ」
「な、なんと酷いことを……」
あまりの惨状に、アナスタシアは絶句してしまう。
「それで……わたくしの妹たちや、あなたがたのご両親の安否は判明したの?」
「残念ながら。かなりの情報がシャットアウトされていてまったく探れなかったでござるよ。拙者の親族も生きておるのか……ただ、一つ不思議な情報があるでござる」
「兄さん! 余計なことは言わないでください!」
「不思議な情報? ランスロット、続けなさい」
珍しくシャーロットが激高した様子でランスロットを止めようとする。だがアナスタシアは遮ることを許さずに続きを促す。
「……はっ。実は、帝国内に『癒しの聖女』と呼ばれる存在が出現しているらしいでござる。そして癒しの聖女とその一行が、ダレスの圧政から地域を解放していっていると」
癒しの聖女?
もしかして聖母教会は、誰か聖女を派遣しているのだろうか。
だがその名を聞いた瞬間、アナスタシアの脳裏に浮かんだのは──教会の聖女などではなく、ただひとりの女性。
彼女が最も信頼を寄せる存在、ユリィシア・アルベルトの姿だ。
しかし彼女は今も学園にいるはずだ。いるはずなのだが……。
「シャーロット」
「はっ」
「学園のユリィがいまどうしているのか、報告なさい」
「……は、はぁ……」
「どうしたのです?」
「じ、実は黙っていたのですが……ユリィシア・アルベルトは3か月ほど前から行方不明になっています」
「は?」
「メイドのネビュラ殿と護衛のウルフェ殿を連れて、どこかへ旅立たれたようなのです」
そんな……。
アナスタシアは目の前が崩れるような錯覚を覚える。
「な、なぜそんな大事なことを今まで黙っていたのですか!」
「アナスタシア様がユリィシア様を追いかけたい、とおっしゃる恐れがあったからです」
「っ!?」
シャーロットの指摘は図星だった。
きっとあの時の精神状態のアナスタシアであったらそう言ったであろう。
だが今は落ち着いており、冷静に己の立場を弁えられる状態にあった。今の自分は王国の第二王子ジュリアスの婚約者なのだ。自分勝手に行動することなど許されない。
王族に生まれ育ったアナスタシアだからこそ、誰よりもそのことがよくわかっていた。
「でも……その噂の【癒しの聖女】は、間違いなくユリィなのかしらね?」
「拙者が帝国領内で聞いた噂では、炎のように赤い髪の剣士と黒いメイド服の侍女を連れた、白銀色の髪の美しい少女とのことでござったよ」
「やっぱり……間違いないわね」
「ですが皇女様、確証はありません。そもそも帝国の関所は完全に閉鎖されていて、簡単には出入りできないはずです」
「でもユリィ達ならきっと入国できるはずだわ」
ランスロットもシャーロットも否定できなかった。なにせ二人は、ウルフェとネビュラによって完膚なきまでに叩きのめされた過去があったから。
あの二人がついているのであれば、ユリィシアも大手を振って帝国内を渡り歩けることだろう。
ただ、気になるのは──。
「ユリィ……あなたはいったいなんのために帝国に入ったの? もしかして……わたくしのため?」
だが、アナスタシアの自問に応えるものは、この場には居なかった。
◇◆
元黒騎士バロシュの面白い情報に興味が湧いた私は、港湾都市エーレーンの後始末をバロシュに丸投げして、アンバードラゴンとやらが巣食っているという場所に向かうことにしました。
帝国? そんなものは後回しでもよいのですよ。好奇心こそが人を成長させる糧なのですからね。
「しかしドラゴンとは……お嬢様もチャレンジなさいますね」
「なぁに、心配することなんてないさネビュラ殿。たとえ相手がドラゴンであろうと、俺がお嬢様をお守りしてみせます」
「何を言ってますの、そんなの無理ですわ」
「えっ?」
私の否定にウルフェは驚きの表情を浮かべますが、そもそもウルフェはドラゴンを舐めすぎているのです。
ドラゴンといえば、地上最強の生物です。
その寿命は数百年、時には千年を超え、その戦闘力は容易に一つの街を滅ぼすほど。人間ごときがまともに戦ったところで勝てるわけがありません。
ただ、ドラゴンは素体として大変貴重なものです。
ドラゴンの死骸はたとえ生まれたての赤子であったとしてもアンデッドランクAに到達します。
私の大事な軍団員であるドラゴンボーンスケルトンは、元がエルダードラゴンの骨なのですがそのアンデッドランクはSSです。これだけで、ドラゴンのすごさがわかるというものではありませんか。
今回のアンバードラゴンとやらがどれほどのものかは知りませんが、正面からやりあうつもりはありません。もっとも、あわよくば……という気持ちがないわけではありませんが。
「琥珀の谷でしたら、俺が案内します!」
そういって案内を買って出てくれたのは、前回血まみれのところを治療してあげた『英雄候補』のラスターです。
私に色々言われて凹んでいたのですが、吹っ切れたのか清々しい表情となっていました。
ここ3ヶ月ほど見知らぬ帝国で道案内もなく彷徨っていたので、飛んで火に入るなんとやら……素直にお願いすることにしました。素体キープの意味でも一石二鳥ですものね。
「では道中、俺が君を鍛えてあげよう」
「ありがとうございます、師匠!」
アレクにラスターと、英雄の卵を鍛えることになったウルフェ。まあ私的には彼に覚醒してもらえれば言うことなしなんですけどね。
こうしてラスターに案内されて3日ほどでたどりついたのは、不思議な谷でした。
まるで大地が大剣で真っ二つにされたかのように裂けた谷は、どこまでも深く続いているように見えます。最初にこの場所を見つけた人はよくこの谷、というか崖を降りようと思ったものですね。
「実は崖下に飛ぶゲートがあるのです。俺の村がそのゲートの管理者でした」
おや、そんな便利なルートがあったのですね。そのことを知っているラスターを連れてきたのは、予想外に良い拾い物だったかもしれません。
石造りで苔生した場所に隠されていた公式ゲートを潜り、飛ばされた先は──まさに谷の底でした。はるか高みに崖の切れ目が見れるほどの深さにあります。
「こちらが──『琥珀谷』です」
「ほう……」
連れられた先に見えたのは、光り輝く宝石のような石であたり一面が占められた、とても幻想的な場所でした。
そしてこの宝石は──。
「琥珀、ですね。だから琥珀なのですか」
「はい、その通りです」
この谷を彩る宝石は、すべて琥珀でした。
その名の通り、この谷は琥珀で満たされた場所だったのです。
「なんと美しい幻想的な光景……まさにお嬢様にふさわしい場所ですね」
「なかなかに神秘的な場所ですね」
ただ、今回の目的は琥珀ではありません。素体です。
さーてと、噂の石の中にある賢者とはどこにいるのでしょうか……。
「あちらにあります、聖女様」
「だから聖女じゃありませんってば」
ラスターに案内された先にあったのは、巨大は琥珀。
その中にあるのは──なるほど、たしかに人の姿が確認できます。
宝石の中にいたのは、ローブのような服を着た一人の男性でした。
あれがおそらく『石の賢者』なのでしょう。
どれどれ、素体として使い物になるのでしょうか。とりあえず鑑定してみると……おや?
「こ、これは……」
「お嬢様、どうしました?」
「生きているわ」
「えっ?」
「この人、石の中で生きてますの」
私の《鑑定眼》が示し出した結果は──。
── クリストル・ヴァン・ガーランディア ──
386歳、男
ギフト:『賢者の頭脳』、『怠惰の大罪』
称号:『琥珀の中に封じられし古きもの』、『建国の英雄』、『賢者』、『裏切られし者』、『歴史の中に埋もれしもの』、『秘術使い(悪魔)』、『不治の病(余命3/多臓器不全)』
素体ランク:SS
適合アンデッド:
エクストラナイトメアゴースト(SS)
ワイズマンスピリッツ(SS)
エーテルマギアファントム(SS)
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なんなんですか、この適合アンデッドの数は。
まさに宝石──いえ、至宝と呼んでも差し支えないでしょう。
これは……すごい素体です。
欲しい。絶対に欲しい。
「ま、まさか『石の賢者』様が生きていたとは……」
「ラスターの村には伝わって無かったのか?」
「え、ええ師匠。そもそも俺はここに来たのは成人の儀式以来二度目です。それ以外は村の長老たちが絶対に来させてもらえませんでしたから……アンバードラゴンに殺される、と言われて」
「そういえば、噂のドラゴンの姿が見えないな」
ふむ、どうやらこの琥珀は人工的なもののようですね。
ただ、琥珀化させているのが『賢者』そのものなのか、それとも別の何かなのかはわかりません。調べるためには、中身を外に出す必要があります。
──ですが、どうやって琥珀から出せば良いのでしょうか。
「ウルフェ、この琥珀を斬れますか?」
「えっ?? た、たしかに斬ることはできるかもしれませんが、中の人ごと斬ってしまうかもしれませんよ?」
それは構いません。最悪死ななければ治癒できますからね。
「あ、あの……さすがに賢者様に手を出したら危険が……」
危険?
なにが危険だというのでしょうか。
『……ぐるるるる……』
その時です。
地の底から響くような音が聞こえて来ました。
この音は──ウルフェのお腹の音でしょうか?
「ち、違いますよ!!」
たしかに、音は後ろから聞こえるようです。
確認のために振り返ってみると、そこには──。
『──汝らよ。その者に手を出すでない』
「うわわっ!? あ、アンバードラゴン!?」
緑色の鱗の巨大な龍──噂のアンバードラゴンが、舌をチロチロしながらこちらに話しかけてきたのでした。




