6.隻腕餓狼
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「なんだかユリィシアと外出なんて久しぶりね」
「はい、お母様」
「よーし、気合い入れてユリィの誕生日プレゼントを買うとしようかね!」
今回、私は久しぶりに王都ファーレンハイトの繁華街に来ていました。アルベルト剣爵の屋敷は一応王都にあるものの、街の中心から少し離れた場所にあることもあり、今まで数回──しかもほんの僅かな買い物でしか繁華街に立ち寄ったことがありませんでした。
ですから、ほとんど初めて出歩くと言っても過言ではありません。ちなみに弟のアレクセイは今日はメイドに預けてお留守番です。
かつて──前世の私は、王都にはあまり良い思い出がありませんでした。なにせ王都で指名手配されて追われていたのです。衛兵に見つからないようにコソコソと目的の店に行ったことがあるだけで、ゆっくり見て回ったことなど一度もありませんでした。
ですが今は違います。追われる身ではありません。
私は自由なのです! そう、自由! 私は今世では心の底から自由の身というのを堪能したいと思っています。
「さぁ、ユリィは誕生日に何が欲しいのかな? 可愛いお洋服かな? それともネックレスや髪留めかな?」
「……いらない。魔法道具がいい」
「ま、魔法道具……なぜそんなものを……」
「ユリィシアはね、普通の女の子が好きそうなものに興味がないのよねぇ。でもねユリィシア、可愛い女の子になって素敵な王子様をゲットするには、綺麗に着飾ったりして女子力を上げることも大事なのよ」
「……わかっていますわ、お母様」
可愛い女の子になる。これは、いまの私にとってパワーワードです。
王子様ゲットについてはどうでもいいのですが、せっかく女子として生を受けたからには、この身を心ゆくまで堪能したいという気持ちが、私には強くあります。ですので、淑女たる口調や身だしなみや振る舞いを身に着けられるよう積極的に努力しているのです。
そんな私にとって、フローラは最高の教師でした。フローラは女子力の向上に意識が高く、二児の母とは思えないほどの美しさと可憐さを持っています。フローラの意見は、私にとっては神託に等しいほどのものです。たしかに前世の私の首を飛ばした宿敵であるのですが、この一件をもって許しても良いと思うくらい、私に女子力とは何かを教えてくれました。……王子様云々を除いては。
私は男と結婚、ましてや出産などする気は毛頭ありません。ですが〝女子力アップ″となると話は別です。
女子力を磨くためには、今日も先生の言う通りにしてみましょう。私はそう決意すると、フローラに従って繁華街にあるかわいらしい雰囲気の店へと入店しました。
女の子向けのお店というのは不思議な空間です。男性にはわずかな時間でも滞在は困難な──それはまさに女性だけの聖域。
「お、俺は外で待ってていいかな?」
「ええ、どうぞご自由に」
カインが弱気な声で入店を拒んだのも理解できます。私もいろいろとフローラによって鍛えられていますが、まだまだ慣れないものです。
「ほーら、この服なんて可愛くない?」
「そ、そうですね……」
「このリボン、つけてみない? きっとユリィシアに似合うわよ!」
「は、はい。わかりましたわ……」
一軒立ち寄っただけで、猛烈に疲れが出ます。しかも驚くべきことに、この店では何も買っていないのです。
「さぁ、次のお店に寄りましょう!」
「……お母様、少し疲れましたわ」
「何言ってるの、そんなことじゃ素敵な王子さまは捕まえられないわよ? さ、次行くわよ次!」
これは……もしかして今日は地獄になるかもしれません。
そんな思いを抱きながら歩いているうちに、私たちは繁華街の中心部にある大きな広場に到着していました。ここでは常時客寄せのイベントやパフォーマンスなどが開催され、毎日多くの人たちで賑わっています。
ですが、今日は少し異質な雰囲気が漂っています。どうやらただならぬことが広場の中心で行われようとしているようです。
人々の強烈な感情が渦巻いています。例えるならばそう──これは〝怨念″。
あぁ。死霊術師の私にとっては、実は懐かしい感覚だ。
誕生日のプレゼントを探すより、よっぽどこっちのほうが心躍るではないか。
「おや、人が集まってるな。あれはなんだろうか?」
「そんなことより次のお店よ! たしかあっちとこっちに2~3軒あったと思うのよねぇ」
「えー、こっちじゃなかったか? あれ、こっちだったかな?」
なにやらカインとフローラがお店の場所を探し始めています。
しめしめ、これは好機だぞ。私は二人がよそ見をしているすきに、喧騒の中心へと向かうことにしました。
◇
「さぁ、いらっしゃい! まもなく最高のショーが始まるよ」
それは、奇妙な光景でした。
縛り付けられた両腕と片足の無い人物が、転がされて地面に這いつくばっています。横に立っているのは燕尾服を着た黒眼鏡の男性。さらに奥には、複数の兵士を引き連れた上等な服を着た小太りの男──おそらくは貴族でしょうか、が立っています。
「ここに居るは、かつて最強の奴隷剣闘士として謳われた【 隻腕餓狼 】! だがこの通り、すでに両腕をもぎ取られ、片足すら切り取られている。これは──罰である!」
へぇ、この男は奴隷剣闘士だったのですね。
前世では興味はなかったのですが、戦の捕虜や獣人族、犯罪者などを集めて戦わせ、勝敗にお金を賭ける『剣闘技会』なる悪趣味な貴族の娯楽があると聞いたことがあります。
彼もおそらくそうなのでしょう。実際、両腕片足がないとはいえ、鍛え上げられた肉体はかなりのものを感じます。髪が長くヒゲモジャなのでよく分かりませんが、二つ名からおそらくは彼は獣人族なのではないでしょうか。
「このものは主人であるバルバロッサ侯爵に逆らいし愚か者。侯爵の兵を何名も殺害を行った不良品である! ゆえに、片腕と片足をもぎ取った! そしてこれより『貴私刑』による投石の刑に処するものである」
貴私刑とは、貴族に認められた権利の一つで、自身の配下や侍女、奴隷など主人に対して不義理を働いた時に制裁することが出来る、というものです。貴族にとって都合の良い特権といっていいでしょう。
彼はおそらく主人であるバルバロッサ侯爵に対して何らかの不義理をしたと推察されます。それにしても両腕に加えて片足まで切り取るとはかなりのものです。もっとも〝隻腕″の二つ名が付いてることから、元から片腕は無かった可能性はありますが……。
さて、一見一方的に見えるこの貴私刑という制度ですが、必ずしも貴族の私利私欲のためだけに使えるわけではありません。実はひとつだけ救済制度が設けられています。それが──。
「だが我らが主人であるバルバロッサ侯爵は、これより慈悲により売却を試みる。設定金額は100万エル。さぁ、慈悲を賜るか、もしくは投石を持って返答せよ!」
そう、これです。貴私刑を執行する場合には、必ず他者によるなんらかの救済の猶予を設ける必要があります。この抜け道によって、場合によっては冤罪や理不尽な取り扱いを防ぐことができるのですが……。
「すでに両腕の無い剣闘士奴隷に100万とは……バルバロッサ侯爵はよほどお怒りなのだな」
「あぁ。なんでもあの奴隷、【 隻腕餓狼 】はユーフラシア公爵の子飼いの剣闘士と対戦した時、わざと負けろって指示を無視して相手を再起不能にしたらしいぜ」
「それでバルバロッサ侯爵は公爵の不興を買ってしまったんだとさ。しかも罰を与えようとしたら反発して、侯爵の兵を何人もぶっ殺しちまったんだとよ」
「あちゃー。じゃああいつは公爵と侯爵の両方から恨まれてるってことか。そりゃ手に負えないな。石でも投げておこーっと」
「だな、俺も投げよっと! そのほうが侯爵の溜飲も下がるかもしれないしな!」
どうやらあの【 隻腕餓狼 】は、かなりのことをやらかしているようです。さすがに侯爵だけでなく公爵までもが怒ってるとなれば、誰も救済の手を差し伸べないでしょう。
ひとつ、ふたつと投石が開始され……気がつくと観客たちのほとんどが【 隻腕餓狼 】に向かって石を投げ始めました。
さすがにこれで終わりでしょう。実に悪趣味な興行ですが、これ以上は見る価値はありません。
そう思ってこの場から立ち去ろうと思ったとき……私は【 隻腕餓狼 】の目を見ました。
「ほう……」
思わず男時代の口調で声が漏れ出てしまいます。
それほどまでに、【 隻腕餓狼 】が苛烈で燃えるような炎を瞳に宿していたからです。
手足は捥がれ、もはや死しか無い絶望的な状況。なのに彼の目は死んでいません。むしろ死を待ち望んでいるかのように見えます。それはまるで──死霊のよう。
ふと興味を持った私は、いつもの癖で【 隻腕餓狼 】に《 鑑定眼 》を発動させました。
──なんだ、これは。
得られた結果に、思わず全身が震えます。
次の瞬間、私はこの場から脱出していました。向かった先は──。
「あっ、ユリィシアったらこんなところにいたのね。さぁ、次のお店に行くわよ」
「やっとお店の場所が分かったんだ。お父さんの言ったとおりの方向で……って、ユリィ?」
次の店に行こうとする二人の手をさっと振りほどきます。驚くカインに私は間髪入れずに尋ねました。
「ねぇお父様。お父様は私に、誕生日プレゼントにはなんでも好きなものを買ってくれるとおっしゃいましたよね?」
「え? あ、あぁ、確かに言ったが……」
「私の欲しいものが決まりましたわ。100万エルをご用意していただけます?」
「100万エルだって!? それってお前、平民が一年間は暮らしていける額じゃないか。もちろん出せないことはないが、それは……」
「今後は一切誕生日プレゼントなど欲しがりませんわ。その代わり、今回だけは……お願いします」
そう言い残すと、私は一気に駆け出します。
向かう先は──広場の中心。
人々をかき分けて飛び出した先は──投石をされて血まみれになった、両腕と片足の無い無残な剣闘士奴隷【 隻腕餓狼 】の前でした。