65.帝国北辺境に現れし癒しの聖女
「お嬢様、あちらの方角に村らしきものが見えます」
斥候を務めていたネビュラちゃんが、木の上からメイド服姿のまま声をかけてきます。
あの子は本当に役に立ちますね。まるで雪猿さんみたいだと思ったことはあえて口にはしませんが。
学園内で以前発見したゲートを使って帝国領内に入ってから、すでに7日ほどが経過していました。
旅のお供はメイド斥候のネビュラちゃんに力仕事担当のウルフェ。そして──。
「「「キシャー!!」」」
『七人の聖導女』もあそこに置いておくわけにはいかないので連れてきてしまいました。もしあのダンジョンを生徒が見つけてしまって迷い込んだりしたら大変なことになってしまいますからね。
とはいえ、『七人の聖導女』は残念ながら霊感のないウルフェには見えていません。ついでに彼女?たちには自我がないため『キシャー』以外のことは何も話さないので、いるのかいないのかよくわからない感じではあります。
……ま、そこがコミュ障の私には程よい距離感で良いんですけどね。やはりアンデッドはこうでないと。
そして、なぜ私たちがこんな山奥を歩いているのかというと──。
ゲートは帝国の外れの山の中に通じていたとウルフェは言っていたのですが、まさか出てきた場所が4000メートル級のエレーナガルデン山脈の中腹にある鍾乳洞の中とは思いもしませんでしたよ。
おかげで下山するだけで一週間も掛かってしまいました。疲れた……ウルフェのおばかさんめっ!
「お嬢様、旅はお辛いですか? ご無理をなさってませんか?」
したり顔で声をかけてくるウルフェに苛立ちが募ります。
この男が自分の体力を基準に話すやつだということが認識不足でしたね。ほんの2〜3日で麓の村に着くとほざいたウルフェの言葉など信じなければ良かった……イケメン許すまじ。
「別に、問題ありませんわ」
とはいえ、私があの学園にこれ以上留まっている理由などありませんでした。
だって、アナスタシアがいない学園なんている意味がないんですもの。
だから私は卒業を待たずに学園を飛び出してしまったのです。
とはいえわざわざ帝国を選んでやってきたのには、もちろん理由があります。主に3つほど。
ひとつは、戦乱によって癒しの機会や優秀な素体を得ること。戦乱は死霊術師にとって絶好の機会なのです。
ふたつめは、あわよくばダレスを殴り飛ばすため。あ、物理的にではなく間接的に、という意味ですが。なにせダレスはアナスタシアと私の間を引き裂いたやつですからね。積極的に挑むつもりはありませんが、嫌がらせくらいはしてやろうと考えています。
そして3つめは──。
「お嬢様は、いにしえの大聖女のことが気になるのですか?」
「……ええ。あのひとは特別ですからね」
「特別……でございますか。さすがはお嬢様です」
なにがさすがなのかは分かりませんが、ウルフェが『いにしえの大聖女』と呼んでいるあのひとのことが気になるというのは事実です。
だってあの人は、私が呼び出した挙句、手に負えなくて手放してしまった人なのですから。
とはいえ、前世の私ですらどうにもならなかったあの人を、帝国ごときがコントロールできるとは思えません。
帝国の発する情報など、どうせ自分に都合の良い解釈しかしていないはずなので完全に信じてはいませんが、久しぶりに〝あのひと″の情報を聞いたので確認してみたくなったのも事実ではあります。
「ですが、お嬢様であればいかにいにしえの大聖女といえど、成仏させることができるのでは?」
「それは無理ですね」
「えっ?」
「今の私ごときでは、とうていあの人に届きませんわ」
そしてこれも事実です。
仮に今の私が黒百合化して全力を尽くしたとしても、〝あのひと″にはまったく歯が立たないでしょう。一度対峙すれば分かります。あの人は、決して人に縛られることはありませんから。
ですが、接触することが出来れば、あるいは──。
「なんと……お嬢様ですら手に負えないとは。それほどまでに【終わりの四人】は恐ろしいのですか」
「世の中には、私などの手の届かない存在もいるのです」
正直、【奈落】の師匠とガチでやりあって勝てる気もしませんし、他の【終わりの四人】も似たようなものでしょう。もっともいま、彼らとやりあう気などありませんけどね。
「何をお話ししているのですか? 早く行きましょうよ、ボクは美味しいご飯と布団とお風呂に入りたいです」
私とウルフェが話しているのにしびれを切らしたのか、木の上からネビュラちゃんが降りてきました。
たしかに、私もお風呂に入りたいです。お風呂とは幸せが詰まった宝石箱のようなものですからね。
「それにしてもお嬢様は全然臭いませんね? ウルフェはこんなにも臭いのに……くんくん」
「んなっ!? ネビュラ殿っ!?」
「どうしてお嬢様は1週間もお風呂に入らなくても大丈夫なんですか?」
それはおそらく自分の全身に常時治癒魔法をかけている状態だからかもしれませんね。
もともと私は魔力強化のために、常時治癒魔法を掛けていました。
以前から身体が清潔に保たれていることを不思議に思っていたのですが……こんな便利な使い方があるのであれば、治癒魔法も捨てたものではありませんね。
「なるほど、そんな裏技があったのですね……ボクは必死に水魔法と火魔法でお湯を作って一人で体を拭いていたんですが」
「ネビュラちゃんにもかけてあげましょうか?」
「いえ、結構です。そんなことをされたらボクは昇天してしまいます」
あぁ、そういえばネビュラちゃんはアンデッドでしたね。あまりにコミュニケーション能力が高いのですっかり忘れていましたよ。
「あの……お嬢様、俺に治癒魔法をかけてもらえないでしょうか?」
あら、ウルフェってばネビュラちゃんが言っていたことを気にしていたのでしょうか。確かに獣臭い気がしますし、無駄にイケメンの入浴シーンを見せつけられても困りますので……。
仕方ありませんね、治癒魔法をかけてあげましょう。
「あぁ、ありがとうございますお嬢様……」
「いつでもご相談くださいね」
「ボクはやっぱり湯船につかりたいでございますよ」
ネビュラちゃんはどうやら入浴好きみたいです。外観だけでなく心まで乙女化してきているんでしょうか?
やがてネビュラちゃんの言う通り、村の姿が森の奥のほうに見えてきました。
今は山の上にいますから、下っていけば小一時間くらいで到着しそうでしょうか。
ただ、気になるのが煙が幾筋も立っていることです。食事の時間ではないはずですが……。
「さっきはあんな煙など出ていなかったのですが……」
「このきな臭い匂い、もしや──」
「ウルフェの体臭?」
「ち、ちがいますよお嬢様! 家屋の焼ける匂いです! おそらくあの村は何者かに襲撃されています!」
言うが早いか、ウルフェが双剣を抜刀します。
ネビュラちゃんも影から鞭を取り出します。最近ハマっているみたいで、ぴしぴし鞭打ちの練習を一人でしていました。メイドから女王様にでもクラスチェンジするつもりでしょうかね。
「これは……血のにおいが混じっています」
血?
ってことは、けが人がいるということではないですか。
「よし、急ぎましょう!」
「はっ!」
久しぶりの人里は、絶好の治癒機会を提供してくれるみたいです。幸先の良いことですね、さっさと乗り込んで、けが人の治療をするとしましょう。
◇
村に突入すると、既に一方的な戦闘が終焉に向かっていました。
「きさまら新皇帝様に逆らおうなどと、100万年早いわっ!」
「そ、そんなつもりはありません! 濡れ衣ですー!」
「ふん、問答無用だな」
「やめろ、やめてくれーーっ!」
なにやら帝国の紋章を付けた兵士たちが、村に火をつけたりきて暴れまわっています。
これはいけません。死んでしまっては手遅れです、治癒できませんからね。
彼らが皆殺しにしまう前にさっさと治療してしまいましょう。
「無駄な殺傷はおやめなさいっ!」
どうせなら治癒して素体契約したあとにお願いしますね。
私は間髪入れずに乱入すると、まとめて治癒することにします。もちろん、敵味方お構いなしです。
昔、レウニールのダンジョンで冒険者相手に鍛えた遠隔治癒魔法がここで火を噴きます。同時に4方向に5m四方を癒す範囲治癒を撒き散らすと、問答無用に全員を完全回復させました。
「なっ?! 傷が、治っていく?」
「こ、これはいったい……」
この調子であと4~5発打ち込めば、この村の中にいる全員の治癒が終わりそうです。思ったより大したことない人数でしたね。
ところが治癒魔法をさらに放とうとする私の前に立ちはだかって邪魔をするものが現れました。
「だれだ! 邪魔をするのはっ! この俺を神聖ガーランディア帝国軍の最新鋭最強の【強化騎士】スウェイン・ステップハートと知っての狼藉かっ!?」
叫んでいるのがリーダーでしょうか、全身黒づくめの鎧を着ています。おそらく彼は帝国軍の騎士──しかも特殊騎士なのでしょう。
試しに相手の正体を鑑定眼で確認してみると──驚くべき結果がもたらされました。
「ほほぅ……そうですか、わかりました。では仕方ありませんね。ウルフェ、あのリーダーの男を斬りなさい」
「え!? 斬る、とは……本当に斬っても構わないのですか?」
「いいからはやくなさい、時間がありません」
「は、はっ!」
「な、なんだ、貴様は? この俺こそが選ばれし帝国最強の騎士、【強化騎士】の──」
「餓狼斬!」
「ぐぅあわあぁああぁ!」
返事を返すが早いか、ウルフェは驚くべきスピードでリーダーの男に接近すると、一刀のもとに切り伏せてしまいました。名乗りの最中にあっさりと斬られてしまったリーダーが苦しみの声をあげます。
ウルフェもずいぶんと強くなったものですね。あの黒騎士もかなりの強さの持ち主でしたが、反撃する暇も与えず一撃で終わりですからね。
しかもあのスピードは、前世の私を討った頃のカインに匹敵するのではないでしょうか。イケメンのくせに強いなんて……実にけしからんですわ。
などと考えていると──リーダーの体から黒い霧のようなものがにじみ出てきます。どうやら乗っ取っていた肉体が致命傷を受けたので、たまらず中身が出てきたのですね。
「お、お嬢様、あれは──?!」
「悪魔ですわ」
「あ、悪魔ですって!?」
やがて悪魔は、コウモリのような気持ち悪い姿を型取り始めました。
悪魔と聞いて慌てるウルフェを無視して、私は具現化してきた悪魔を《浄化の左手》でさくっと殴り飛ばします。
アナスタシアの体に巣くっていた悪魔と違って、今回の悪魔はかなり低位のものだったらしく、軽く殴るだけであっさりと騎士から分離させることができました。
「あなたたち、やっておしまいなさい」
「「「きしゃー!!」」」
とどめは──『七人の聖導女』の出番です。
私は祈りを捧げるようなポーズをとって、『七人の聖導女』に指示を与えます。
Sランクになった『七人の聖導女』は、新たな力を手に入れました。それが──《悪魔消滅》の踊り。
悪魔の周りを囲い込んで七人が踊ることで、入れ替わりをすることなく悪魔だけを消滅させることができる能力です。
悪魔は、これまで撃退することはできても消滅させることは困難でした。ところがそれを可能としたのが、『七人の聖導女(改)』のみなさんでした。
彼女たちの活躍で、見る見る間に悪魔は黒い霧となって消えてゆきました。実に素晴らしいですね。
悪魔を消滅させた瞬間、私の魔力がぐっと上昇したのがわかりました。
アナスタシアのときにも確認されていましたが、どうやら悪魔を滅することでも私の魔力はアップするようですね。これは素晴らしい発見ではありませんか。
「さすがはお嬢様です。よもや悪魔をも消滅させるとは……」
『七人の聖導女』の姿が見えないウルフェは、私の祈りで消滅したと勘違いしているようです。まぁ訂正するのも面倒なので無視するとしましょう。
悪魔を消滅させると、まるで憑物が落ちたかのように他の兵士たちから殺気が消えてゆきました。手に持っていた剣や槍などの武器を次々に落としています。おそらく悪魔によって彼らもなんらかの悪影響を受けていたのでしょう。
……もうひと暴れくらいしてくれても良かったんですけどね。
悪魔を取り除かれた黒い騎士のリーダーは、致命傷を受けていまにも息絶えようとしてました。
残念ですが、悪魔に魂を完全に乗っ取られてしまった存在は、アンデッドにすら活用できません。非常にもったいないことですが、破棄するのが通常なのです。
ですが、念のためアンデッドとして使い物にならないかを確認してみると……おや、これはもしかして──?
試しに《浄化の左手》で触れてみると……おお、なんと綺麗に浄化されたではありませんか。おまけに治癒魔法をかけると、ちゃんと息を吹き返しました。なんと、悪魔の侵食から復活することに成功したのです。
ただし気合を入れて浄化しすぎてしまったので、黒騎士くんは完璧に聖別されてしまい、別な意味でアンデッドの素体として使い物にならなくなってしまいました。なんてこったい……この辺りは今後の課題ですね。
「さすがはお嬢様、悪魔に支配された騎士にも聖なる慈悲と救いをお与えになるのですね」
なにやらウルフェが勘違いしているようですが、いつものことなのでもちろんスルーします。
「ぐっ……はっ? お、俺はいったいなにを……?」
先ほどまで死にかけていた黒騎士が目を覚ましました。どうやら悪魔に操られていたときの記憶が無いようですね。
説明するのが面倒なので、こんなときはウルフェに丸投げです。
「お前は悪魔に操られてこの村を襲撃していたのだ」
「な、なんだとっ!? 俺はなんてことを……」
「だが心配ない。ここにいるお嬢様がお前の中の悪魔を追い払い、村人も全員癒した。お前の罪は、未然に防がれたのだ」
「お、おお! おぉぉぉ……」
元黒騎士はなにやら涙を流し始めました。男の涙なんて汚くてウザいだけです。
ですが今度は、二人のやりとりを聞いていた村人たちまでが妙なことを口にし始めました。
「聖女様だ!」
「聖女様が悪魔を払って村をお救いになったぞ!」
「しかも我々を癒してくれた! まさに聖女だ!」
「そうだ! 彼女こそ、癒しを司る聖女ではないか! 狂ってしまったこの帝国を救ってくださるために、聖母神様が遣わした使者なんだ! 【癒しの聖女】様、ばんざーい!」
……おや、なんだか妙なことになってしまいましたね。
これは面倒臭い……こんなときは丸ごと放置して逃げるに限ります。
「あなたは罪を犯しました。その償いとして、今後はこの村のために尽くすのです」
「は、ははぁっ!! ありがとうございます、聖女様!」
「「うぉぉぉぉ! 聖女さまぁぁぁぁぁ!!!」」
あれ、もしかして悪化してませんか?




