64.帝国動乱
クーデターにより誕生した神聖ガーランディア帝国。
しかしその呪われた出自ゆえか、神聖帝国は樹立した直後から数多くの内外からの圧力にさらされることになる。
旧帝国を英雄クロガネが樹立してからおよそ350年──。その間、圧倒的な権力を持って帝国を支配していた皇帝がクーデターによって暗殺されたのである。
もともと野心を持っていた地方の領主や、領土拡大を狙っていた隣国などが絶好のタイミングと見て一気に蜂起したのである。
普通であれば、神聖ガーランディア帝国は、樹立から僅かな間で危機的状況に陥っていたであろう。
だが──そうはならなかった。
なぜならば、神聖ガーランディア帝国の初代皇帝となったダレスは、皇太子時代に【魔王】と恐れられる存在だったのだから。
──ここは、帝国北東部にある山岳地帯。
今が好機と反乱を起こしたジャスガイム辺境伯は、目の前に広がる光景に言葉を失っていた。
「ば、ばかな……わしの私兵がこうもあっさりと……」
ジャスガイム辺境伯の兵力はおよそ1200名を超える。対する帝国軍はわずか150名。
自軍の圧倒的勝利で終わるはずだった。その後、自治を認めさせるところまでが彼の夢だった。だがその夢は脆くも崩れ去ってしまう。
彼は──敗れた。
しかもたった5人の黒ずくめの騎士によって、1200の兵が蹴散らされてしまったのだ。
「どりゃああぁああぁあ!」
黒い騎士の一撃は、周りを取り囲んでいた兵を3人同時に両断した。到底人間業とは思えない惨状に、ジャスガイム辺境伯は言葉を失う。
「な、なんなんじゃ、あいつらは……」
「くくく、我ら【強化騎士】の前に、貴様の雑兵などものの数ではないわ」
「なっ?!」
いつのまにか目の前に現れていた黒い騎士。自らを【強化騎士】と名乗ったものたちの動きは、とても人間業には思えなかった。
「【強化騎士】……じゃと!?」
「そうだ。そして俺は【強化騎士】の統率者、【死告騎士】のデズモンドだ。愚者ジャスガイム辺境伯よ──【魔皇大帝】ダレス様に逆らった罪を思い知りながら、死ぬがいい」
次の瞬間、デズモンドが抜き放った剣により、ジャスガイム辺境伯の首は上下に分断されていた。
一方、こちらは帝国西部にある港を擁する海洋都市エーレーン。
海洋貿易を一手に担っていた大商家ピトレッツア家は大混乱に陥っていた。
理由は、何の前触れもなく海に発生した大量の魔獣たちによるものだった。
「やばいぞ! あっちの船も沈んだ!」
「こっちは港から火が上がっているぞ!」
自分の持つ船団が壊滅状態に陥るさまを、ピトレッツア家当主のトレボーは丘の上に立つ豪邸から茫然と見つめていた。
たしかに彼は、旧帝国の中でも上手く脱税し、莫大な富を築き上げていた。だがそれらがすべて吹き飛ぶような大惨事がいま目の前で起こっていた。
信じられないような事態に、トレボーは頭を抱える。
「なぜ……こんなことに……」
「それはお前が反ダレス様派だったからだよ、トレボー」
「なっ!?」
突然背後から声が聞こえてトレボーは慌てて振り向く。
そこには、大きな虎に跨った黒い肌の男の姿があった。
足元には、トレボーの私兵たちが血塗れで惨殺されている。
「な、何者だっ!?」
「私は魔獣使いウィーガル。人呼んで【魔獣操王】ウィーガルなり。【魔皇大帝】ダレス様に逆らいし愚か者よ、私の操る魔物により滅びるがいい」
「なっ!? う、うわぁぁぁぁあっ!!」
ウィーガルと名乗る男が指を鳴らすと、トレボーに大量の黒い虫が襲いかかってくる。
小さな虫相手にはなす術もなく、トレボーは全身を虫に喰われながら絶命した。
この日──海洋都市エーレーンを牛耳っていたビトレッツァ家とその商会は、完全に消滅したのである。
──さらには、西の国境付近。
蛮族の国であるバーザック国が、20年前に奪われた土地を奪い返すために帝国に攻め入っていた。その軍勢、およそ500。
だが彼ら軍勢に立ちはだかるものたちがいた。
彼らは──果たして人と呼べるのであろうか。あるものは腐り果てた肉を持ち、あるものは骨だけ、またあるものは半分透き通った体を晒していた。
そう、彼らは……死者の軍団。
その中心にいたのは、全身から暗黒色の魔力を放つ、法衣を着た一人の聖女の姿。
だがその顔は、表情は──暗い魔力に覆われていて、はっきりと見ることはできない。
「ま、まさかあれは……いにしえの大聖女!?」
『……』
暗黒の聖女は何も言葉を発することなく、ゆるやかに右手を挙げる。
──ただ、それだけで。
バーザック蛮国の兵士100人近くが一斉に倒れた。
しかも彼らは気を失ったのではない。
全員が、絶命していたのだ。
「う、うわぁぁぁぁぁ! ほ、本物のいにしえの大聖女だあぉぁぁ!」
「帝国がいにしえの大聖女を従えたという噂は、本当だったのかっ!?」
「もしや誰かが彼女の本当の名を呼んだんじゃないのか!? そうでなければ、こんな場所に出現するはずが……ぐえっ」
「ば、ばかな……【黄泉の王】によって蘇えされし【いにしえの大聖女】は、その名を呼ばれると出現して全員を殺してゆくという伝説を聞いたが……まさか本当に帝国が……うぐぅ」
目の前で突如発生した惨状に、一気に逃げ出そうとするバーザック蛮国の兵士たち。
だが彼らは逃げることすら叶わない。いにしえの大聖女が手を挙げる度にパタパタと倒れて絶命していく。
一方的に繰り広げられる、単純に命が狩り取られてゆくという悪夢のような出来事を前に、誰一人抵抗することすらできずに動かない存在へと変わってゆく。
そして──その日のうちに、バーザック蛮国の兵士たちは全滅した。
文字通りの全滅である。
誰一人、生き残らなかったのだ。
見るもおぞましい光景の中──。
たった一人だけ生きて動く存在があった。
黒い導着に身を包んで白い髭に顔を覆われた老人が、いにしえの大聖女の横に立ち、大声で笑う。
「ふは、ふははははははっ! さすがはいにしえの大聖女、凄すぎるぞ!」
『……』
「そして思い知るがいい、SSS級アンデッドのコントロールに成功したこの儂、クロップスこそ歴史上最高の死霊術師なのだぁ! ……まぁ、生きているものなど一人もいないのだかな。ふははははっ!」
そして次の日──いにしえの大聖女は蛮国バーザックの首都に出現する。
「ふはははははっ! 死ね死ね、みんな死んでしまえ! 儂こそはSSS級ネクロマンサー、【終わりの主】クロップス・ランカーダストなり! 【魔皇大帝】ダレス様に逆らいしゴミクズどもめ、いにしえの大聖女の餌となり、朽ち果てるがいい!」
『……』
なす術もなく命を刈り取られていくバーザックの住人たち。まさにそれは──地獄絵図そのものであった。
最終的には住民の4割が死滅し、生き残った者たちも命からがら国外へと逃亡していった。
蛮国バーザックは、たったの1日で完全に滅亡したのである。
──いにしえの大聖女率いる、死者の軍団によって。
こうして──神聖ガーランディア帝国の新皇帝である【魔皇大帝】ダレスは、帝国樹立から僅か二週間余りで、帝国内を完全に掌握し、あっさりと安定させてしまったのである。
神聖ガーランディア帝国の内外が激しく揺れ動く中、帝国の北方の地において、ささやかな異変が発生しようとしていた。
この地には、夏でも雪と氷に包まれるエレーナガルデン山脈が存在していた。
あまりに過酷な環境のため、住む人たちもほとんどおらず、山に入るのは最夏のごく限られた時期に狩人たちが獲物を求めるときくらいである。
だが、初夏と呼ぶにはまだ早い晩春の時期に、エレーナガルデン山脈から降りてくる、三人の人物の姿があった。
一人は、獣の皮を身につけた長身の男性。
一人は、あまりに場違いなメイド服に身を包んだ女性。
そして最後の一人は──白いマントを着てフードの端から白銀色の髪を溢れさせている少女。
その少女は──。
「お寒くないですか? ユリィシアお嬢様」
長身の男に問いかけられた少女は、白い息を漏らしながら微笑む。
「問題ありませんわ、ウルフェ。それよりも先を急ぎましょう」
──ユリィシア・アルベルト。
ウルフェとネビュラを引き連れ、神聖ガーランディア帝国最北の地、エレーナガルデン山脈に登場する──。




