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58.アナスタシア

「びぃぃぇぇぇええぇぇぇぇえぇぇえぇぇぇぇぇえぇぇええぇぇぇぇぇえぇぇぇぇーーーーん!」


 わたくしの目の前で、いきなり泣きはじめたユリィシア。

 大きな瞳からボロボロと涙を零し、両手の拳をぎゅっと握りしめて泣く姿は、まるで幼児のよう。


 その──あまりに幼稚で、純粋で、本当に悲しげに泣く彼女の姿に、なぜかわたくしの胸の奥が──ぎゅっと締め付けられるように痛みます。この痛みはいったい何なのでしょうか?


 同時に心の中に湧き上がってきたのは、自分の行動に対する疑問。


 こんなにも純粋に無垢に泣くユリィを陥れたのは、紛れもなくこのわたくしなのです。


 わたくしは……いったいなにをしているのでしょうか。

 わたくしは……いったいなにがしたかったのでしょうか。




 わたくし──アナスタシアは、ガーランディア帝国の第三皇女としてこの世に生を受けました。


 帝国の王家の証である黒髪と、両親から受け継いだ整った顔立ちのおかげもあり、わたくしは生まれた時から多くの祝福を受けました。

 母親は正妻ではなく妾ではあったのですが、それでも皇帝陛下の三女なのですから、それなりの立場にいると言えるでしょう。


 ですが、だからといってわたくしの将来の幸せが約束されているわけではありませんでした。

 なにせ帝国は、世間一般の常識というものが通じない世界なのですから。


 ガーランディア帝国は、一言で言うと「実力第一主義の国」です。

 実力があれば平民でも大きく出世できます。それは裏を返すと、たとえ皇帝の子であっても才能がなければ──役立たずの烙印を押され、消される運命にあるのです。


 実際、私の異母兄である第二皇子のスレイドは非業の最期を遂げました。

 彼の死に様は、今でも目に焼き付いています。皇子ですらあっさりと殺す姿は──わたくしの心を恐怖のどん底に叩き落しました。


 スレイドは、とある失敗をしました。

 それは、地方の獣人族との戦闘に敗れたというものです。


 たとえ皇子といえど、帝国において敗北は許されません。

 とはいえ、現皇帝陛下は比較的温厚派であったこともあり、一度敗れたくらいで命を取られることはありませんでした。


 事情が変わったのは、皇太子であるダレス兄様のせい──。

 ダレス兄様は戦いに敗れたスレイド兄様を、あっさりと処刑してしまったのです。


「帝国に弱者は不要だ。スレイド、死ね」


 生きながら八つ裂きにされるスレイド兄様の姿を、わたくしたち兄弟はダレス兄様の命令で無理やり見せつけられました。そのときのわたくしはわずか2歳。覚えていないはずの年齢なのに……一言一句違わずに、ダレス兄様の言葉は魂に刻まれていました。


「お前たち、分かったな? 帝国に──敗北の二文字はない」


 無表情のまま、わたくしたちに言い放つダレス兄様。皇帝であるはずの父親も、もはや何も口を挟みません。

 この瞬間から、わたくしたち王族でさえも一つのミスで死を賜る立場になってしまったのです。



 もともとダレス兄様も、いまほど酷い方ではなかったそうです。

 わたくしは記憶にありませんが、生まれたばかりのわたくしを笑顔で抱き上げてくれたこともあったと聞いています。


 ですが、ある時を境にダレス兄様は別人のようになってしまいます。

 皇太子が受ける特別な儀式──『招来の儀』を経たあと、ダレス兄様はとてつもなく残忍になってしまったのだそうです。


 『招来の儀』がどのようなものだったのか、わたくしは知りません。なにせわたくしには、帝位継承権がないのですから。

 ただ、過去に帝国を建国した初代皇帝が、世界を制する力を得るために行った儀式だそうで、代々の皇帝候補が行ってきたそうです。

 『招来の儀』を終えたときから、ダレス兄様は変わりました。

 そして今では──【非道魔王】と呼ばれる存在になってしまったのです。


 兄様は、徹底的に容赦のない人でした。

 獣人族の村を襲い、奴隷として兵士にしたり金を稼ぐ。

 徹底的な実力主義とし、力無き者は命だけでなく財産までも奪う。

 処刑や暗殺も横行しました。ガーランディア帝国は、力こそが正義の国となってしまったのです。

 ダレス兄様のそれらの行動によって、帝国は過去最強と呼ばれる国家へと進化を遂げたことも事実です。


 今回学園に来る際、わたくしはダレス兄様から命じられていました。


「アナスタシア、わかっているな? お前の使命は、王国を影から牛耳ることだ。そのためにも、しっかりとジュリアスを手玉に取れよ?」

「は、はい……ダレス兄様」

「いい子だアナスタシア、ではお前にこれを授けよう」


 そう言って渡された黒真珠のペンダントは、今もわたくしの胸元に下がっています。

 外したい……そう思っても、兄様が見ているかと思うと恐怖で外せないでいるのです。


 だからわたくしは、この学園で一番になることを目指しました。

 一番になり──ジュリアスと結婚後、この国を裏から支配するための基盤を作る必要があったのです。


 実際、わたくしはこれまでずっと一番でした。

 学園に行こうとそれは変わらない。唯一のライバルらしき存在は、第一王女のカロッテリーナだけ。ですが彼女も『姉妹の契り』を交わすことで身内に取り込むことに成功しました。


 わたくしが学園で覇道を進むに、もはや障害なし。

 誰からも注目を浴び、特別な存在としてこの学園に君臨する──はずでした。


 なのに──。


 ユリィシア・アルベルト。

 あなたはいったい何者なの?


 どうして?

 なぜわたくしよりもひとに好かれるの?

 なぜみな、ユリィに夢中になる?


 わたくしは、ダレス兄様によって命をかけた使命を受けている。

 それは、わたくしが王族だからです。


 一方ユリィは、英雄の子供とはいえただの下級貴族。

 己の好きなように生きているだけだというのに──わたくしが得られなかったほどの絶対的な人気と信頼を得ています。


 どうして?

 なぜみんな、ユリィなの?


 ジュリアス王子もそう。

 アンナメアリ妃もそう。

 ピナやナディア、キャメロンだってそう。


 みんなが、ユリィに夢中になっている。


 ジュリアス王子の心も、わたくしの美貌があれば簡単に籠絡できると思っていました。

 ところがあの人の心は、ずっとユリィに向いていました。

 それでも妾にするのなら受け入れようと思っていました。なのにユリィはそれすら拒んだのです。


 あの子は、とてつもなく自由──。

 わたくしは、たとえ恵まれていたとしても、籠の中の鳥──。

 ですがユリィは……なにものにも縛られない自由な翼を持っている。


 ……わたくしが手に入れられなかったものを、ユリィは持っているのだ。


 欲しい、すごく欲しい………。


 どうして、なぜわたくしが持てないものを、ユリィは持っているの?


 許せない……受け入れられない……。


 わたくしは、ユリィに……すべてにおいて勝てない?

 わたくしは、ユリィに……負ける?


 そんな──わたくしの存在意義は?

 わたくしは──兄様に殺される?


 わたくしは──わたくしは……。



 ずくん。

 わたくしの心の奥が大きく疼きます。


 ユリィの丸ごとを、奪い取ってしまいたい。






「ぴぎゃああぁああぁああぁあああぁあああぁあぁぁーーーーんっっ!!」



 目の前には、大声で泣き喚くユリィ。

 鼻水まで垂れ流して、その顔のなんとブサイクなことなのでしょう。


 このような醜く哀れな生き物に、わたくしは何を本気で潰そうとしていたのでしょうか。

 ただ泣くことしかできない。哀れな存在──。


 なのに、なんなのでしょうか。

 わたくしの心に湧き上がる、この気持ちは──。


 まるで子供のように、己の感情のままに泣くユリィ。

 そこに、打算も計算もなにもありません。

 ただ、感情の赴くまま……自由に。



 そう──。



 本当は……。




 本当は、わたくしは──。



 ユリィシア・アルベルトのことが──。



 ──羨ましかった・・・・・・のです。




 あぁ、認めてしまえば簡単なことでした。

 わたくしも心の中では気づいていました。


 自由に生きるユリィが。

 みんなから本当に好かれるユリィが。

 王子の本当の気持ちすらもあっさりと射止めてしまうユリィが。


 心の底から羨ましかったのです。


 ユリィは、わたくしが持っていないものを全て持っていました。

 羨ましかった、心底羨ましかった。

 人はわたくしのことを最上の皇女と呼びます。

 ですが、わたくしはそんなものなど求めていなかったのです。


 わたくしが求めていたのは──ユリィ。


 脳裏をよぎるのは、ユリィの笑顔。


 あの子は、めったに笑うことがありませんでした。

 ですが、時折見せる笑顔の──なんと素敵なことか。


 ユリィに近寄ったのも、本当に打算だけだったのでしょうか?

 たしかに彼女と一緒にいることで、自然と周りからの注目度は上がりました。

 ですが、同時にわたくし自身が感じていたものは──なんだったのでしょうか?


 七不思議の解決に誘ったのも、本当に罠に嵌めるためだけ?



 いいえ。

 わたくしが欲しかったものは──そんなものではないわ。



 本当に欲しかったものは──。


 わたくしは──。




 ユリィと……。



 ともだちに──。




『……違うであろう? お前のその気持ちの正体は──【嫉妬】だ』


 嫉妬?

 この気持ちは──嫉妬だというの?


 突如心の中に聞こえてきた声に違和感を抱くこともなく、気がつけばわたくしは自然と対話をしていました。


『そうだ。お前は心の底からユリィシア・アルベルトに嫉妬しているのだ』


 ……そうなのですね。

 この気持ちの正体は──【嫉妬】でしたのね。


 何者か分からぬものの声によって、わたくしが求めていた本当の『答え』を手に入れました。

 なるほど、わたくしは──ユリィに嫉妬していたのです。


『ユリィシア・アルベルトが本来お前が持つべきものを奪っていったのだ。人望も、愛も、成功も、そのすべてを──』


 そう。ユリィさえいなければ、ジュリアスの気持ちも、妃の信頼も、ピナやナディアの人気も、キャメロンの魔力も、すべてがわたくしのものになっていたのです!


 ユリィさえいなければ……。


『そうだ、憎め。嫉妬しろ。お前は──すべてを手に入れることができるのだ』


 だからわたくしは、ユリィのことが憎かった。

 彼女さえいなければ、彼女が得ていたものは、わたくしが全て手に入れることができる。


 本来であれば陥れる必要など全くないユリィを、罠にはめました。


『そうだ、殺せ。喰らえ。そうすれば、ユリィシア・アルベルトのすべてがお前のものになるのだ』



 ですが──わたくしにユリィを殺すことなど……。



『嫉妬に身を委ねよ、アナスタシア──。さすれば、すべてが手に入る』



 心の底から響く声。

 まるでダレス兄様から直接命令されているかのような威圧的な言葉に、もはや前にも後ろにも進むことができないわたくしは──。


「わ、わかりましたわ……」


 ついには──。

 その言葉に、従うことにしたのです。


『くくく……そう、それで良いのだ。お前はついに『大罪』を犯した。その大罪の名は──【嫉妬】』


 嫉妬の──大罪?

 もしかしてわたくしは、大きな罪を犯してしまったのでしょうか?


『これにて【魔王の器】の準備は整った。お前は──悪魔の依り代よりしろとなり、この世を震撼させし【魔王】となるのだ』


 悪魔の──依り代?

 そんな──わたくしが、魔王に?


 聞いたことがあります。悪魔に身を委ねて世界に仇なす存在になったものたちのことを。

 その中でも特に強大な──大悪魔と呼ばれる存在を受け入れたものたちは『魔王』となり、世界の敵となります。

 ダレス兄様も魔王と呼ばれていますが、あくまでそれは比喩です。


 ですがわたくしは──。

 本物の──魔王に?


『我が名は──大悪魔メイガス。汝を新たなる魔王へと導くものなり。さぁ──目覚めよ!』

「──ああああぁぁぁぁあっっっ!?」


 胸元の、ダレス兄様から渡された黒真珠のネックレスが強烈な熱を放ち始めました。

 同時に全身に激痛が走ります。

 まるで魂そのものをバラバラにされるかのような、根源的な痛み──。


 わたくしは、このまま人ではない存在となってしまうのでしょうか?



『ふはははは! ここにいま、新たなる魔王──【黒薔薇の魔女王】が誕生するのだ!』



 わたくしが……魔王に──。



 そんな、わたくしは──。



 いや……。


 そんなの……いやだ……。



 わたくしがなりたかったものは、そんなものじゃない。


 わたくしが欲しかったのは──。



 助けて……。


 だれか……たすけ…………。



 遠のく意識の中、わたくしの視界が捉えたのは──。

 なぜか、髪の毛の色が黒く染まりつつあるユリィの姿。


 なぜ、ユリィの髪が黒くなっている?

 わからない──。

 だけどわたくしは、無意識のうちに手を伸ばしていました。


 他ならぬ──ユリィに向かって。



「……たすけ……て……。──ユリィ!」


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