57.それぞれの戦い
「ばっ……ばかなでござる……」
ランスロットは信じられない思いを抱いたまま、地に膝をついていた。
目の前に立つのは、両手に剣を握るウルフェ。その立ち居姿はまるで闘神の如く──凄まじい剣気を放っている。
たった一合。
それだけで、帝国騎士でも上位にあるランスロットが、あっさりと戦闘不能状態になるほどの痛烈な一撃を喰らっていたのだ。
「帝国騎士十二式魔法剣『光裂剣』が……こうもあっさりと折られるとは……」
ランスロットが持っていた魔法剣は、真っ二つに両断されて地面に転がっていた。
この魔法剣は、帝国が技術の粋を結集して作った人造魔法剣である。だがそれさえも、ウルフェが持つなんの変哲もない剣によってあっさりと叩き斬られてしまったのだ。
二人の力の差は──歴然であった。
「……ウルフェ殿、とてつもなく強いでござるな。よもや二刀流であったとは──。なるほど、先日の闘技では手を抜いていたでござったか」
「俺の剣はお嬢様のためだけにある。見せびらかしたり己を誇るためのものではないからな。そもそも、今の俺に個やプライドはない。そんなもの──貴様ら帝国によって全て奪われたときに捨て去ったわ!」
ウルフェの吐く呪詛のような言葉に、ランスロットがピクリと反応した。
「……おぬし、帝国に対して恨みがあるでござるか?」
「……ああ。貴様らに、故郷の一族を滅ぼされたからな」
「なんと? 差し支えなければ、おぬしの一族の名を教えていただけぬか?」
「……ガロウ族だ」
その名を聞いて、ランスロットの顔が一気に曇る。
「あぁ……そうか……お主はあの悲劇の生き残りだったのか……」
ランスロットの反応に、今度はウルフェが驚かされる番だった。よもや彼がガロウ族の名を知っているとは思わなかったからだ。
「ランスロット! 貴様まさか、あの場にいたのかっ!?」
「いや、すまぬが拙者はその時はまだ騎士になっておらぬ。ただ──噂は聞いているでござるよ」
「う、噂だとっ!?」
「うむ。あの方の目に止まって滅ぼされた獣人族の村がある、とな。だがおぬしだけでも生き残ったのは僥倖でござるよ。なにせおぬしの一族を滅ぼしたのは──ダレス殿下でござるからな」
ダレス──ウルフェはその名を魂に刻む。
大切な家族を、妹を、仲間を奪ったものの名を。
しかしダレスとは何者なのか。呼び方から、おそらくはガーランディア帝国の皇子の1人であると推測されるが──。
「殿下に狙われてしまったのは、まことに不運でござった。おぬしの一族には申し訳ないことをしたでござるよ。同じ帝国人として詫びを入れる──すまぬ」
「お、お前の謝罪などに意味はないっ!」
ギリッ。ウルフェが強く歯を食いしばる。
だが、ランスロットは意に介した様子もなく話を続ける。
「あぁ、忠告しておくが、決して復讐など考えるでないでござるよ。さもなくば──おぬしは死ぬ。いや、おぬしだけならよい。おぬしの大切な主人にも害が及ぶであろう。なにせあの方は──帝国内でも【魔王】と呼ばれておるお方でござるからな」
「……魔王、だと?」
「さよう。逆らうべきではないでござるよ。アナスタシア様でさえ──いや、せんなきことでござったな」
そこまで口にすると、ランスロットはゆっくりと膝をついて立ち上がる。長々と話をしていたのも、せめて動けるくらいまで回復させるためだった。
だが震える膝で立ち上がるランスロットに、ウルフェは冷たい言葉を投げかける。
「……無駄な足掻きはよせ、ランスロット。お前では俺には勝てない」
「お主が主人に忠誠を誓うのと同様に、拙者も皇女アナスタシアを主君と仰ぎこの身を捧げているでござる。ゆえに、お主をこのまま行かせて、アナスタシア様の足を引っ張るような事態になることを──拙者はのうのうと受け入れるわけにはいかないでござるよ!」
──ビキビキビキッ!!
次の瞬間、ランスロットの身体が一気に膨れあがった。
盛り上がるように現れたのは、凄まじい量の筋肉。
まるで筋肉の鎧を身に纏ったかのように、ランスロットは劇的に変貌を遂げたのだ。
「ウルフェ殿、見よっ! これが曼荼羅陣の臓腑刻印による、人としての限界を超えた肉体強化──【超騎士化】でござる! さぁ、ウルフェよ。選ばれた帝国騎士のみが使用を許されるこの技で、地に倒れ伏すがいいでござる!──ゲホッ!」
目を血走らせ、全身から血を噴出させ、さらには大量に吐血しながらも、ランスロットは立ち塞がる。
その姿にウルフェは、己と同じ覚悟を見た。
「ちぇあぁぁぁぁぁああぁぁぁぁあっ!!」
肥大化したランスロットの超筋肉から放たれた閃光のような一撃を、ウルフェはギリギリのところで飛んで避ける。
──どんっ! という鈍い音が響き渡り、ランスロットの拳が当たった地面が大きくえぐれる。
だが同時に、ランスロットも無傷では済まなかった。彼の右拳がズタズタに崩れていたのだ。
「ほほぅ、これも避けるか! なかなかやるでござるな! ゲホッ!」
「もうやめよ、ランスロット。このまま続けると──死ぬぞ?」
「戦いにおける死など恐るるに足らず! 真の恐怖は魂そのものの冒涜にあると知れ!」
ランスロットの顔に浮かぶのは──恐怖?
主君のために戦う恐れ知らずの騎士であるはずのランスロットに、なぜそのような表情が浮かぶのか──。
「それは──どういう意味だ?」
「あぁ申し訳ない、こいつは拙者の失言でござった。余計なことを言ったでござるから、忘れてほしいでござる」
口元の血を拭うランスロット。
そのときにはもう──元の無表情に戻っていた。
「さぁウルフェ殿、これで終わらせるでござるよ! 奥義──『帝国粉骨砕身拳』!!」
ランスロットから放たれた、岩をも打ち砕く両拳。対するウルフェも両手の剣を上下に構える。
ウルフェが戦闘態勢を取るのは──この戦いにおいて初めてのことであった。
ピン──と張り詰めた空気。ウルフェの全身から溢れ出す強烈な剣気があたり一面に漂う。
次の瞬間、神速の剣がウルフェから放たれた。
「──閃──『餓狼斬』」
「がっ?!」
ランスロットの目には、ウルフェの剣がまったく見えていなかった。
気がついたら──先ほどと同様に地に打ち付けられていたのだ。
だが、ただ一つだけわかったことはある。
ウルフェは──これ以上はランスロットの肉体が傷つかないように、わざわざ手加減したのだと。
「な、なぜ……命を奪わぬ……のだ……?」
それだけ言うと、ランスロットの意識は闇の中へと落ちていったのだった。
完全に意識を失ったのを確認したウルフェは剣を仕舞うと、倒れ伏したランスロットを肩に担ぐ。
「なぜ命を奪わないのか? そんなの簡単だ、お嬢様が望んでいないからだ。それに、きっとお嬢様であれば──敵であろうとすべて治癒するはずだしな」
◆
一方で、ネビュラとシャーロットの戦いもすでに決着がつこうとしてた。
「はぁ─………、はぁーっ……」
「あら、仕方ありませんねぇ……。いやぁー、本当に仕方ありません」
肩で息をするシャーロットは全身傷だらけとなり、その手からはすでに魔法武具も失われていた。
もはや立っていることすらままならないシャーロットを支えるように腕を抱えていたネビュラは、とても嬉しそうに──シャーロットから流れた血を舐めとっていたのだ。
「んー、たまりませんねぇ! けしからんですねぇ!」
「うぅぅ……」
ペロリとネビュラに舐められるたび、シャーロットの全身に悪寒が走る。
シャーロットは、幼い頃から帝国で英才教育を受けて育ってきた。
数々のライバルたちを蹴落とし、13歳にして武術の達人となった彼女は、その強さから兄であるランスロットとともに、皇女を守る存在としての地位を手に入れたのだ。
まだ若いとはいえ、並みの騎士相手であれば圧倒できるほどの実力を持つシャーロット。その自分が──まるで赤子のようにあっさりと返り討ちにされた。
手も足も出ないどころではない、相手は武器すら持たず、素手で己を打ち倒したのである。
しかも手加減していることすらも分かった。おそらくはネビュラにとって、己を鎮圧することは赤子の手を捻るようなものであったのだろう。
圧倒的なまでの実力差。
それを、シャーロットは身をもって体感していたのである。
天才と称され、エリートコースをひた走ってきた自分が──よもやこのようなことになろうとは。
狂ったように奇妙なことを口走りながら血を舐めるネビュラに、シャーロットは心底恐怖を覚えていた。
「あ、あなたは……いったい何者なのですかっ!?」
「ボクですか? ボクはただのお嬢様のメイドでございますが?」
「ただのメイドなわけないでしょう!? まるで人外──」
言ってハッとするシャーロット。
そういえば聞いたことがある、人の生き血をすする恐ろしい怪物の存在を──。
その名も、ヴァンパイア。
Sランクのアンデッドでありながら自我を持ち、独自の知能や知識を持つ特別な存在。
確かこの世界に存在する4体のSSS級アンデッド──『終わりの四体』のうちの一体が、真祖と呼ばれるヴァンパイアだったと記憶している。
そこまではないにしても、まさか──ネビュラという存在は……。
「失礼ですね。これは──お仕置きが必要かもしれませんね。もっと血を──舐めた方が良いでしょうか?」
「ひ、ひぃぃぃぃ……」
恐怖と絶望のあまり、ついにはシャーロットは弱々しく悲鳴を上げると、ついには──意識を失ってしまったのだった。
気絶してしまったシャーロットを優しく抱き抱えながら、ネビュラは夢中になって流れ落ちる血を舐める。
「あぁ、もったいない、もったいない。でも大丈夫です、ボクはメイド──ボクが全部舐めて綺麗にしてあげますからねぇ……。あ、もちろんこれは吸血行為などではありませんからね? あくまで流れ落ちる血を舐めとっているからであって、メイド行為の一環なのですから………」
やがて一通り血を舐めつくすと、ようやく冷静さを取り戻したネビュラはシャーロットに視線を向ける。
身体中に切り傷を負った挙句、舐めまわされたシャーロットは──見るも無残な姿となっていた。
「これは……さすがにちょっとやり過ぎてしまいましたかね。学園の生徒を傷だらけにしたままで放置するわけにはいきません。………ああ、彼女をお嬢様のところに連れて行けば、ちゃんと治療してくれるかもしれません。そうすれば何事もなかったということにして、ボクはお咎めなし。ふふふ、我ながら良い考えではありませんか。そうするしかありませんね……」
そう決心したネビュラは、シャーロットを背負うと森の奥へと向かって歩き始める。
向かう先は──ユリィシアがいるはずの墓地のほうへ。
「あっ、ネビュラ殿」
「ウルフェ様ではありませんか」
すると道中、偶然にも肩にランスロットを担いだウルフェと遭遇することとなった。
「あら、そちらにもお邪魔が入っていたのですね」
「ははっ、さすがはネビュラ殿。あっさりと撃退したのは素晴らしいですね。しかも背負われているということは、お嬢様に治療をお願いするためですな? さすがはネビュラ殿、よくお嬢様の性格をお分かりだ」
「あは、あははは……」
本当は違うのだが──あえて口にすることもないので黙り込むネビュラ。
……そのときだ。
──ゔぅぅぉぉおぅ────怨 怨 怨 怨怨ぉぉぉおおぉ────ぉんっ!!
ネビュラとウルフェは、同時にとてつもない何かを感じとった。
あまりのおぞましさに足を止めると、互いに目を見合わせる。
「な……なんですかいまのは?」
「なにか恐ろしいものが………?」
ウルフェには覚えがない。だがネビュラには過去にいまの気配と似たものを感じたことがあった。
それは以前、ネビュラがまだネビュロスという名だった時代に遭遇した、恐るべき脅威が具現化した存在──。
その名も『黒ユリィ』。
あの恐るべき存在が出現したときに放っていた雰囲気と似ていたのだ。
だが……いま感じたものは、もしかするとあのとき以上かもしれない。
場合によっては『奈落』──ネビュラの師匠でもあるSSSランクアンデッドに匹敵するほどではなかったか。
「………急ごう、嫌な予感がする」
「ええ、このままだと──」
二人は、口を揃える。
「お嬢様が、危ない」
「アナスタシア様が、危ない」
互いの細かな言葉の違いに気づくことなく、二人は一気に森の奥へと突き進んでいったのだった。




