52.新たなる信者の誕生
ナディア・カーディ・パンタグラムはパンタグラム男爵家の次女としてこの世に生を受けた。
無事に成長し、誰もが憧れる聖アントミラージ学園への入学を許されたのだが……なぜか彼女はいつも怯えるようにして一人で過ごしていた。
それは、彼女が人嫌いだったりするわけではなく……彼女が抱えている大きな秘密に原因があった。
その秘密について、学園はもちろん知っている。
知っているからこそ、男爵家の次女という微妙な立場の自分が聖アントミラージ学園に入れらことができたこともナディアは十分に承知していた。
ナディアの秘密。
──それは彼女が持つ特殊なギフトにあった。
このギフトが極めて珍しいもので、将来性を込めて彼女は入学を許されていたのだ。
だがそのギフトには大きな問題があった。
それは──。
「こんにちは、ナディア」
「ふわっ!? あ、あなたは……ピナしゃん!?」
考え事をしていたナディアにいきなり声をかけてきたのは、同級生のピナ・クルーズだ。
だがナディアは彼女を思わず二度見してしまう。なぜならピナの印象が、かつての彼女と比べて劇的に変化していたからだ。
以前のピナは、ナディアと同様、他の生徒とほとんど会話することなく、ひとりで過ごす暗くて目立たない存在だった。
自分は片目に眼帯をしている一方、ピナは顔半分を前髪で隠していたことから、同じ陰キャ同士、密かに親近感を抱いていたくらいである。
だが今のピナはどうだ。
以前は下ろしていた前髪をアップにし、あらわになった顔には自信が漲っていた。まっすぐ前を見る瞳のなんと力強いことか。
だがナディアをさらに驚かせたのは、そのあとにピナが口にした言葉にあった。
「……あなた、大きな秘密がありますね?」
「っ!?」
なぜそんなことを……未だ一度も会話をしたことすらなかったピナが口にする?
動揺を隠せないナディアに、ピナは畳み掛けるように言葉を続ける。
「あなたの悩み、苦悩。そのすべてを──あのお方が解決してくれますわ。ですので放課後──ピナについてきてもらえませんか?」
ピナのとてつもなく強引な誘い。だが人見知りの激しいナディアは、誘いを断るだけの勇気も気力も、残念ながら持ち合わせていなかった。
「ふぇ、ふぇえぇぇぇ……」
結局、ナディアは放課後に待ち伏せしていたピナによって、半ば強制的に連れ去られることになる。
ピナに連れて来られたのは──校舎の敷地の少し外れにある、古びた墓地であった。まさかの場所に、ナディアの不安が一気に増大していく。
だが墓場で待ち構えていたのは、お化けや幽霊や誘拐犯、殺人鬼などではなく──完全に予想外の人物であった。
白銀色の長い髪に、均整の取れたすらりと伸びた手足。まるで人形か彫像のように整った容姿。
陰キャのナディアですらよく知る学園の超有名人。《悲劇の令嬢》ユリィシア・アルベルトがそこにいたのだ。
《幻の王子》と呼ばれたジュリアス王子と相思相愛でありながら、立場を弁えて王子からのプロポーズを断った悲劇の令嬢の名は、学園にいる乙女たちであれば誰一人知らないものはいないほど有名な存在であった。
つい先日も、帝国の皇女であるアナスタシアとセットで会ったのだが、二人が揃うとまるで地上に女神が降臨したのかと見まごうほど神々しく美しいものだった。
その伝説の人物であるユリィシアが──自分にいったい何の用があると言うのだろうか。
「わざわざ来てくれてありがとうございます、ナディア・カーディ・パンタグラム。私は生徒会のユリィシア・アルベルトです。あなたのことはナディアと呼んで良いかしら?」
「は、はひっ! ユリィシア先ぱひっ!」
憧れの女性に名前で呼ばれ、思わず舌を噛んでしまうナディア。
だが対するユリィシアは、まるで気にした様子もなくナディアに一歩近づいてくる。
「うふふ、とても素敵ですね。もう一度、今の呼び方で呼んでいただけます?」
「ゆ……ユリィシア、せんぱい?」
「あはっ、素晴らしいですわ」
ユリィシアの──まるで天使のような笑顔を前にして、ナディアは恥ずかしさのあまり顔を真っ赤に染めてしまう。そんなナディアの気持ちなど御構い無しに、話を進めるユリィシア。
「それで、あなたをピナに呼んでもらったのは他でもないわ。あなたの悩みを──解決して差し上げたいのです」
「ふぇ?!」
いきなりどストレートに聞かれて、戸惑うナディア。
実際ナディアは大きな悩みを持っている。だがその悩みについて、この学園の生徒は誰も知らないはずであった。
もしやこの美しい先輩は──自分の秘密を知っているのだろうか?
興奮が一気に冷め、冷たい汗がナディアの背を伝う。
だが、次のユリィシアの言葉の前にその汗でさえ一気に吹き飛ぶことになる。
「あなた……《邪眼》持ちですわね?」
なぜ……どうしてこのひとは、それを知っているのか。
驚きのあまり、ナディアは完全に言葉を失う。
そう、実はナディアは──《邪眼》と呼ばれる特殊なギフトを持っていた。
邪眼とは、目に宿るギフトの総称である。
主な特徴として、見るだけで効果を発揮する、というものが挙げられる。才能を向上させる一般的なギフトと比べても、見るだけで対象に効果を与える《邪眼》のギフトは所有者が少なく、極めて効果的で有用なギフトであった。
「しかもあなたはかなり変わったギフトをお持ちのようね。もしかして──絵画に関係あるかしら?」
「そ、そこまでご存知とは……」
この一言で、ナディアは完全に観念した。
この美しいひとは、おそらく知っている。であれば、もう──抱え込んでいる意味などない。
そもそも彼女は自分の悩みを解決すると言っていたではないか。であれば、この際もうすべてをさらけ出してもよいのではないか。
もはや明らかにすることに躊躇いはなかった。
ナディアはついに重い口を開く。
「実はあたし……《絵を描く邪眼》を持っているのです」
彼女の持つ邪眼は『絵画の邪眼』という、これまで歴史上一度も発見されたことのない、未知の邪眼だった。
ナディアの瞳で見た先に、彼女の思い描く絵を描けるという、芸術家にとっては夢のようなギフトを持っていたのだ。
だがこの邪眼、実はひとつ大きな問題を抱えていた。その問題とは──。
「それで、あたし……その《邪眼》をまったく制御できないのです」
ナディアの真の悩み。
それは、せっかく手に入れた邪眼のギフトを全くコントロールできないことにあった。
絵を描こうとすると、思い通りに描けない。それどころか、イメージしているものと全く違うものを描いてしまう。それは芸術とは呼べない、ただ色を塗ったくるような行為。
この邪眼を持って特待生として受け入れられたナディアであったが、あまりに制御できないために学校側と相談の上、他の人に知られないよう密かに邪眼をコントロールするための訓練をすることとなった。
その他にも、普段は《邪眼》が暴走してしまわないように、眼帯をつけて生活するようになった。
だが、様々な努力にもかかわらず──彼女の様々な試みはまったく上手くいっておらず、邪眼を制御できる目星は現時点で全く立っていないのが実情である。
「邪眼をあまりに制御できないと、あたしこの学園を退学処分にさせられちゃうんです。それで──この教室を借りて訓練をしていたのですよ」
「そう……動く絵画の正体はあなただったのね」
「あぁ、それはたぶんあたしの能力が暴走したのを誰かに見られてしまったのかもしれません。この邪眼、キャンパスが無い場合、近くの絵を勝手に上塗りしたりしてしまいますから……」
これまでも邪眼が引き起こしてきた様々なトラブルを思い出して落ち込むナディア。
そんな彼女の肩を、そっと優しく触れる手があった。ピナである。
「あなたもいろいろと苦労してたのね……」
「あなたもって……ピナも?」
「ええそうよ。でも大丈夫、ユリィシア先輩がきっとナディアをどうにかしてくれますわ。そう──ピナを治療してくれたときのように」
深い信頼を込めた瞳で見る先にいるのは、白銀色の髪を持つ天使のような女性。
だがいくら美しい方でも、邪眼をどうにかできるのであろうか。
そんなナディアの疑問をまるで気にしないかのように、ユリィシアが微笑みながら頷いた。
「わかりました。ではその邪眼をうまくコントロールできるようになれば、あなたの悩みは解決するのですね?」
「ええ、それさえできればあたしは……でも……そもそもほとんど前例のないギフトで、どの先生方もさじを投げてしまっていて……」
「問題ありませんわ。私がどうにかして差し上げますから」
「ど、どうにかって……いったいどうやって?」
「ではナディア。私の目を、じっと見てください」
ユリィシアの顔が、ぐっと近づいてくる。
慌てたナディアが顔を逸らそうとするが、当のユリィシアに両ほほをがっしりと掴まれてしまう。
「そのまま、私の目を見て。逸らさないで」
「は、はひ……」
まるでキスをされるかのように、近づいてくるユリィシアの顔。
あぁ、あたし──このまま堕ちてしまいそうだわ。
そんなことを思いながら、ナディアはユリシィアの美しい宝石のような瞳をじっと見つめたのであった。
◆◇
ここは、白薔薇館の最上階にある王族だけが滞在を許される『高貴の間』。
かつてカロッテリーナ姫が滞在していたこの部屋の現在の主人は、帝国第3皇女のアナスタシアである。
そのアナスタシアが侍女に紅茶を注がせながら、目の前に座る黒髪の少女の話を聞いていた。
アナスタシアの対面に座る、ショートカットの黒髪に鋭い眼光の少女。
彼女の名は──シャーロット・ルルド・アリスター。
ユリィシアが目をつけていた三人の一回生のうちの一人である。
「それでは報告させていただきます、アナスタシア皇女様」
「いつもご苦労様、シャーロット」
「いえ、帝国に仕える身としては当然ですので」
実はこのシャーロット、帝国からアナスタシアの支援を行うために潜り込まされた手駒であった。
彼女はアナスタシアの剣となり、盾となるためにこの学園にやってきた。そしていまもアナスタシアの指示に従い、常に一回生の情報をインプットしていたのだ。
「それでユリィシア・アルベルトですが……ピナ・クルーズに続いて今度はナディア・カーディ・パンタグラムを籠絡いたしました」
「まぁ……!」
「ピナ・クルーズに呼び出された翌日、ナディアは眼帯を外して実に晴れやかな表情で教室に入ってきました。別人のように変わった様子は、ピナのケースと同じです」
「ユリィは、本当にすごいのね」
シャーロットの報告を聞きながら、アナスタシアは嬉しそうに頷く。
だが聡いシャーロットは気づいていた。
アナスタシアの目が──まったく笑っていないことに。
「追跡しようかと思いましたが、侍女と護衛の獣人の従者に感づかれそうになったので、断念しました」
「あなたの追跡に気付くなんて、ユリィの手駒もなかなか優秀ね」
「なのでその後──私は二人に直接接触を試みました」
「あら、やるじゃない。なんて聞いたの?」
「ストレートに、『あなたたちはどうしてそんなに変われたのか?』と」
「へぇ……それで、二人はなんて答えたのかしら?」
「二人は口を揃えて『ユリィシア先輩のおかげです』と。さらには『あなたも一緒にどうですか?』とも言われました」
「まぁ! あははははっ! 面白いわぁ、まるでユリィシア教の信者じゃない!」
ついには声を出して笑うアナスタシア。
だというのに、シャーロットは寒気しか覚えなかった。
彼女は、恐ろしかったのだ。
他でもない──アナスタシアのことが。
「よかったわね、あなたも誘われて。いいのよ、ついていっても」
「いえ……私にはアナスタシア様がいらっしゃいますので。それに、今も作戦は進行中です」
「あぁ、そうだったわね。そちらの方はどうかしら?」
「皇女様が命じられたとおり、『悪魔の儀式』の噂は七不思議の一つとして順調に広まっております。儀式が行われている場所は──ユリィシア・アルベルトが好んで行く、例の墓地です。さすがに悪魔に関連する情報は、学園側も放置しないようで、近々現地に学園側の査察が入るでしょう。さすれば、ユリィシア・アルベルトは──」
「──計画通りね」
アナスタシアは一気に表情を消すと、紅茶を口に含みながら独り言のようにつぶやく。
「ではシャーロットは引き続き、内密に行動を続けなさい。もしユリィに関連して何かあったら、すぐに報告を上げるように」
「……わかりました、アナスタシア様」
静かに頭を下げると、シャーロットはそのまま部屋から退出していった。
シャーロットが去った後、侍女もすべて下げさせたアナスタシアは、たった一人誰もいなくなった部屋で大きく息を吐く。
「ふぅ……ユリィシア・アルベルト……いいえ、ユリィ」
アナスタシアが思い浮かべるのは、ユリィシアのこと。
帝国の第三皇女であり、王国の第二王子の婚約者でもあるアナスタシアは、他の誰でもない、ユリィシアのことを考えていたのだ。
「あなたは本当に不思議な人ね。なぜわたくしを拒絶したピナ・クルーズはあなたにユリィに靡いたのかしら? どうして? わたくしのほうが地位も人望も上なのよ?」
アナスタシアには理解できなかった。
自分の方がピナとは優しく接したはずだ。なのになぜ、一言も話していなかったユリィシアと懇意になっているのか。
「それに、ナディア・カーディ・パンタグラム……前に会った時にはわたくしには何も言わなかったというのに、なぜユリィには懐くの? ジュリアス王子、ジュザンナ準妃もそう。なぜみんなあなたに夢中になるのかしら……」
ピシッ。
アナスタシアの持つティーカップにヒビが入る。
それは、力を入れすぎたから。
「わからない……わたくしにはわからない。そしてこの胸の奥にうごめく奇妙な感覚は、一体何なのかしら?」
アナスタシアは一人、自分の胸に手を当てる。
得体の知れない不思議な感覚に、彼女の心は色濃く染められようとしていた。
帝国の第三皇女と、剣爵などという吹けば飛ぶような爵位の令嬢という、圧倒的なまでの立場の差。
本来であれば、アナスタシアにとってユリィシアなど取るに足らない存在であった。
だがなぜか、彼女を無視することができないでいた。
自分はなぜこうもユリィシアの事を意識してしまうのか──。
湧き上がってくるのは、奇妙な感情。
これから己がやろうとしていることが、果たしてどのような結果を生むのか……。聡明で【帝国の黒薔薇姫】と呼ばれるアナスタシアには、この先に起こることは既にほとんど読み通していた。
だがそれでもなお、彼女は進むことを止めようとしない。
たとえそれが、いち下位貴族令嬢の人生を終わらせることになろうとも……。
「ユリィ。あなたはもうすぐおしまいよ。あなたはこのわたくしの糧となって……消えるがいいわ」




