50.ピナとナディアと七不思議と
なんとピアノを弾いていたのは、顔の左半分が紫色の髪で覆われた少女──ピナでした。
「……なかなか上手ね。たいしたテクニックだわ」
アナスタシアが呟いたのは、褒め言葉。
なるほど、私は音楽に造詣が全くありませんので良し悪しはわかりませんが、たしかに綺麗に弾けている気がしますね。
しかしなんでまた一人で、まるで隠れるようにピアノを弾いているのでしょうか。
その謎の答えは、アナスタシアの口からもたらされました。
「あの子……顔が……」
ピナが一心不乱に演奏しているうちに、紫色の髪で覆うように隠していた顔の右半分が露わになります。
なんと──顔に大きなアザのようなものができていたのです。
「あの顔……」
そう呟いたあとアナスタシアは立ち上がり、一気に扉を開けます。
驚いた表情で演奏を止めるピナ。
「っ?!」
「なかなかお上手ね。私は生徒会のアナスタシア、2回生よ。あなた、お名前を聞いてもいいかしら?」
「……ピナ・クルーズです」
ピナは視線をピアノに向けたまま答えます。
そんな彼女に、笑みを浮かべたままアナスタシアが問いを投げかけます。
「最近、この音楽室からピアノの音が聞こえるって相談が生徒会に来てるの。それはあなたなのかしら?」
「……はい」
「でもどうしてこんな時間に一人で弾いてるの?」
「ピナは……こんな顔ですから」
そう言うとピナは、長い髪を手で掻き上げ、顔の右半分を占めるどす黒いアザを見せてきます。改めて見ると、たしかに目立ちますね。
「このアザのせいで、みんながピナを気持ち悪がるのです。ですからピナは……一人で弾いてます」
「まぁ、そうですの? それは良くないわね。あなたの素晴らしい才能は、たとえ顔にアザがあろうとなんら変わることはないわ」
ピクッ。
ピナの肩が大きく揺れます。
「わたくしから先生や音楽サークルのメンバーに伝えましょうか? あなたほどのピアノの才能を埋もれさせるのはもったいないもの。ですから……」
「結構です!」
ピナの口から出てきたのは、拒絶の言葉。
驚いたアナスタシアは、思わず動きを止めます。
「アナスタシア様のように綺麗なお顔を持っていたら、ピナもそんな風に思えたかもしれませんね」
「えっ……?」
「すいません、いまのは失言でした。……お先に失礼します」
そう言い放つとピナはぺこりと頭を下げて、そのまま逃げるように音楽室から出て行ってしまいました。
あとに残されたのは、呆然とピアノの方を見つめるアナスタシアと、一言も言葉を発することなくただ立っている私。うーん、見事に存在感がありませんでしたね。
「……一応これで七不思議の二つ目は解決しましたわね」
「ええ、そうですね」
そう言いながらもアナスタシアはなんだか腑に落ちないといった感じの表情を浮かべています。
ですがそれも一瞬のことで、すぐにいつものような笑顔を蘇らせました。
「さぁ、では気を取り直して次に行きましょう!」
それは同感です。
アンデッドが関わっていないのであれば、長居は無用。さっさと次の不思議を調査しましょう。
──続けて私たちが向かったのは、美術室です。
この部屋の壁に立てかけられている絵画の中の人物が動く、というのが次に調査する『七不思議』の内容です。
はて、既に描かれた絵が動くなんてことが実際に起こりうるのでしょうか。
美術室は、音楽室から少し離れた棟の2階にあります。
私も何度か行ったことはありますが、普段は授業か美術系のサークルの活動でしか使われていない教室なので、いまは無人のはずです。
ですが──こちらにも先客がいました。
「ここにも人がいるわね……」
「そうですね」
怪奇現象を確認するために少しだけ扉を開けて中を覗き見た私たちの視界に入ったのは、水色の髪に眼帯をつけた少女です。一人でなにやらぼーっと壁の絵を眺めています。
そしてなんと驚くべきことに、私はこの少女にも見覚えがありました。
彼女は私が目をつけていた三人の新入生のうちの一人、ナディア・カーディ・パンタグラムではありませんか。
そう、彼女は素体ランクが高い割に適合アンデッドのレベルが低いという不思議な現象が確認され、注目していた子です。
中に人がいることを確認したところで、またしてもアナスタシアが堂々と中に入って行きました。
「こんにちは」
「あっ……」
アナスタシアに声をかけられたナディアは、顔を真っ赤にしてすぐに目を逸らします。
「私は生徒会のアナスタシア、こちらは同じくユリィシアよ。あなたは?」
「は、はひ……わた、わたしは、ナディア・カーディ・パンタグラムといいます……パンタグラム男爵家の三女、でしゅ」
「そうなの。じゃあナディアって呼んでいいかしら。ねぇナディア、私たちは生徒会のお仕事で『学園の七不思議』を調べに来てるの」
「は、はぁ……七不思議、ですかぁ」
「ええ。その中の一つに、この教室の壁の絵が動くっていうものがあるのだけど、あなたは何か知ってるかしら?」
アナスタシアの質問を受けて、ナディアがサッと目を逸らします。この子、どうやら私と同じようにコミュ症のようですね。なんだか一気に親近感が湧きます。
「し、知りませんわ、そんな不思議なこと……あ、あれじゃないですかね? み、見間違い?」
「そうよねぇ、わたくしもそう思いますわ。たとえば風が吹いて絵が揺れたのを見間違えたとか──かしら?」
──そのときです。
私の右目が、僅かな魔力の動きを捉えました。
──同時に、教室の中に軽く風が吹きぬけます。
風を受けて、壁にかけてあった絵画がゆらりと揺れました。
「ほ……ほんとです、ね。風で……ゆ、揺れてます」
「そうね、やっぱりそうみたいね。ねぇユリィ、やっぱり風が原因よ。この七不思議はこれで解決で良いかしら?」
「ふぇ?」
「もう、ユリィってば人の話聞いてる? 絵の人が動いたってのは、風で揺れた絵画を見間違えたってことでいいかしら?」
「え、ええ。いいと思いますわ」
私はアナスタシアの問いに答えながらも、ナディアの様子を伺います。
同じコミュ障だから分かる、明らかにほっとしている感じ。
ふーむ、実に不思議ですね。
なぜナディアは──わざわざ風魔法で風を起こしたりしたのでしょうか。
「あーあ、二つも解決したらなんだか疲れちゃったわ。今日の調査はここまでにしていいかしら?」
「ええ、構いませんわ」
私はアナスタシアに頷き返すと、そのまま美術室を後にしたのでした。
◇
──その夜。
私はネビュラちゃんと『黒ユリ化』の秘薬生成の検証をしながら、今日あった出来事をお話ししていました。
「……ということがあったのですよ」
「なるほど、なんだか変わった子たちでございますね」
変わった子。たしかにネビュラちゃんの言う通り、ピナとナディアは変わった子たちではありますね。
ですが、覚醒させるためには彼女たちの悩みを解決してあげる必要があります。そのためには、悩みが何なのかを知る必要があるのです。
「なぜピナはアナスタシアの言葉に拒絶反応を示したんですかね」
「ボクにはそんな捻くれた女の子の気持ちなんてわからないでございますよ」
「なぜナディアは、わざわざ風魔法で誤魔化したりしたのでしょうか」
「ボクにはコミュ障の気持ちなんてわからないでございますよ」
こいつ、使えませんね。
もっとも、かくいう私も二人の気持ちはさっぱりわからないのですが。
「まぁいいですわ。それでは……そろそろ行きますわよ」
「えっ? 今からですか? どこへでごさいますか?」
「もちろん学園へ、ですわ」
「え!? えーー? こんな時間に学園ですか? 残業手当は出ますかね?」
私はブーブー文句を言うネビュラちゃんを呪いでばりばり縛り付けて駆り出すと、夜の学園へと侵入します。
こんなときはネビュラちゃんのヴァンパイアとしての能力が大変役立ちます。影魔法で影に紛れながら、警戒している女兵士たちの間を難なくすり抜けていきます。
まず最初に向かったのは──『七不思議』の一つ、『深夜に一段増える階段』のある場所です。
噂の場所は、学園の東端にある3階から4階に向かう階段でした。
わずかな月明かりが照らす階段の前で、私の右目はなかなか面白い現象を捉えていました。
「これは……珍しい。建造物内に次元門ですか」
「はい? ゲートですって?」
そう、この階段にはなんと月明かりを浴びることで出現するゲートがあったのです。
試しに踏み込んでみると、一段下へと飛ばされます。……なるほど、これは面白い。
「な、なんなんですか……これは? 一段、増えた?」
「これは階段一段分しか移動しない、超短距離型ゲートですね」
「はぁ? ゲート?! そ、そんなものがあるでございますか? 聞いたことがありませんが……ゲートとは数百キロという距離を飛ばすためのものではないのですか?」
「ゲートにはいろいろな種類がありましてよ。ですけどこれほど短距離なものは私も初めて見ましたわ」
一般的にゲートは長距離移動を楽にするためのものですので、かなりの距離を飛ばすものが主流となります。
ですが、それは単に長距離移動のゲートが便利なので認知されているというだけで、様々な距離と場所を飛ばすゲートも当然のように存在しています。かつての私も数百メートル程度しか飛ばないゲートをいくつか発見したことはありました。
ところが今回のゲートは月明かりの下でのみ出現し、しかも僅かな距離を移動するだけという、とても珍しいものです。
とはいえ、ただ珍しいだけであって、実用性は皆無です。発見したところで特に得るものはありません。
これで七不思議の一つは解決ですが、このゲートは基本的に放置ですね。
「さ、これで一つは確認できましたわね」
「は、はぁ……しかしお嬢様はどうしてそんなに簡単にダンジョンやゲートを発見できるのですかね?」
さぁ?
見えるものは見えるとしか言いようがないのですけどね。
続けてトイレの亡霊を確認してみたいと思いましたが、こちらは行くまでもなく判明してしまいました。
「それ……たぶんボクでございます」
「はい?」
「実は……学園内で女子トイレに入るのが嫌でして、人の少ない旧棟のトイレをよく使っているのでございますよ」
謎が解けてみると、実につまらないものでした。
トイレの亡霊の正体は、ネビュラちゃんだったのです。
しかもネビュラちゃん曰く、トイレでアンデッドの反応はとくに確認できなかったとのこと。
死霊術師が発見できないのであれば、まず亡霊は居ないのでしょう。実に残念です……。
「……今日は帰りましょうかね」
「はい、さようでございますね」
すっかりやる気を失ってしまった私たちは、帰路へつこうとそのまま校舎を出ようとします。
その時です──私の耳に、昼間聞いたのと同じ音が飛び込んできたのは。
──ポロン──ポロン。
こんな夜中にピアノの音?
もしかしてこれが──本物の七不思議なのでしょうか。
私がこのタイミングで学園内にいたのは実にタイミングが良かったです。
この際ですので、まとめて七不思議退治にかかるとしましょう。
あぁ、まだ見たことのないアンデッドがいると良いのですが。




