4.弟とギフト
「ユリィシア、わかってる? お辞儀はこうよ?」
「はい、おかあさま」
「あと口調にも気をつけてね? パパのマネかしらね、時々変な言葉遣いになるのは」
「……きをつけます」
成長するにつれ、フローラからの女の子としての教育が熱を帯びてゆく。どうやらフローラは私を立派な淑女に仕立て上げたいようだった。
「あなたは剣爵とはいえ貴族の一員なのよ。いずれ素敵な結婚相手を見つけて、幸せになって欲しいわ」
「……」
さすがにそれは無理だと思います、お母様。
なにせ私の中身は──元男なのですから。
そもそも男と手を繋ぐのだって虫唾が走ります。結婚なんて……想像しただけで吐き気がしますわ。
そう思うものの、口にするのは危険なので押し黙ったままニコニコと微笑む。するとフローラは都合よく勘違いしたのか、妄想をエスカレートさせてゆく。
「そうね、もしかしたら舞踏会かなにかで運命の出会いをするかもしれないわね。確か王子様が同級生とかだったわね。あなたはすごく可愛らしいんですもの、もし見初められたりしたら……きゃ!」
フローラは厳格な母親の元、かなり厳格に育てられたせいか、貴族とか舞踏会とか運命の出会いといったものに何やら幻想を抱いている節がある。カインとつい情熱的な夜を前世の私との決戦前夜に過ごしてしまったのも、そういった思い込みが原因なのではないかと、今となって気づいてしまう。
とはいえ、フローラに施される「淑女への教育」は決して嫌なものではない。
私は鏡に映る自分の姿を見る。
こぼれ落ちそうなほど大きな瞳。ぷくぷくのほっぺにふくよかな唇。愛らしい顔つき。
そこには天使がいた。
しかも、顔には満面の笑みを浮かべている。
前世の私は、まったく女性に縁がなかった。
忌み嫌われることはいくらでもあったが、微笑みを向けられることなど皆無だった。
だけど、鏡の中の天使は、私に無邪気に微笑みかけてくれる。あまりの可愛さに、思わず蕩けてしまいそうになる。
……分かるだろうか。
前世では女の子に見向きもされず罵倒されていたこの私に、天使が微笑んでくれるのだ。こんな奇跡があっていいのだろうか。
あぁ、幸せだ。
鏡の中に映る私の、なんと尊いことか──。
このままでは私は己に恋をしてしまいそうだ。ナルシストなど変人しかならないものだと思っていたものの、こうなってしまうともはや馬鹿にもできない。
だから私は、鏡の中の天使をもっと女の子らしくしてあげたいと思う。そうすれば、女の子がずっと私に向かって微笑んでくれるのだから。
こんなに素晴らしいことが、他にあるだろうか?
「ほら、ユリィシア。ぼーっとしてないで、もう一度ご挨拶の練習よ!」
「はい、おかあさま」
ゆえに私は、フローラの淑女トレーニングに真剣に取り組んだ。
私を決して裏切らない、永遠の天使を手に入れるために。
◆
膨大な魔力に、パワーアップしたギフト《 鑑定眼 》、それに整った容姿。自分だけに微笑みかけてくれる、幼女の存在。
生まれ変わった私の人生は、万事滞りなく進んでいるように見えるのだが……残念ながら全てが順調だったわけではない。
私の身に宿った残りの2つのギフトが、どうにも使えないのだ。いや、正確には使い道がなかったのだ。
ひとつは──《 癒しの右手 》
もう一つが──《 祝福の唇 》
名前からも癒し系のギフトであることは容易に想像できるのであるが、死霊術師としてはどうにも使い道がない。なにせアンデッドに治癒魔法を施すと、逆に崩れてしまうからだ。
死霊術は陰の魔力、対して癒しの魔法は陽の魔力。相反する魔力は相手を打ち消す効果を持つ。
とはいえせっかく手に入れたギフトである。どうせなら使い方くらいは検証してよいと思い、色々と検証してみることにした。
そこで、ここにきわめて都合のよい実験体があった。
「だぁだぁ」
私の眼下で両手を伸ばしているのは、弟のアレクセイ。
そう、弟である。誤解なきように言うと、父親はもちろんカインである。私のギフトで確認しているから間違いない。
改めて弟を見る。目の前にあるのは、無抵抗で無垢な赤子。何をやっても大して抵抗することはない。
……となれば、私は自分の能力を試したくて仕方なくなる。
そこで私は誰もいないすきを狙って、弟を使ってギフトと魔法の検証をしてみることにした。
まずは《 祝福の唇 》である。
実は《 癒しの右手 》については、既に母親である程度実験をして効果は確認できていた。どうやらこのギフトは、フローラの持つ──《 癒しの双丘 》と同じく、触れるだけで癒しの効果を発動させているようだ。言わば天然物の治癒魔法である。
世間的には重宝されそうなギフトではあるが、死霊使いにとってはまったく使い道がない。個人的には外れギフトと言えるだろう。
であれば、《 祝福の唇 》はどうなのか……。
このギフトの発動条件は、唇を直接つけることだということは察しがついていた。
とりあえず弟の額に唇をつけて反応を見ることにする。弟に対しての行動であれば、仮に他人から見られても違和感はないだろうという思惑も働いていた。
──ちゅ。
「だぁだぁ!」
弟の全身が一瞬光に包まれるのが見て取れた。これは母親の乳を吸っている時にも似たような現象が起こっていたと記憶している。とはいえ、目に見えて効果があるわけではない。
うーん、これだけでは判断ができないな。
仮説としてはいくつか考えられるものの、とりあえずはしばらく継続して検証してみることにしよう。
◆
気が付くと4歳になっていました。
弟のアレクセイは2歳。もうかなり成長していて、一人で歩き言葉も覚えています。
あぁ、それにしても時が過ぎるのが早い。子供と大人では時間の経過が違うと言われているが、それは気のせいではなく、恐らくは子供という特別な環境が時の経過を──。
「ねーたま! おねがぁい!」
「はい、わかりましたよアレク。おまじないですね?」
「うん!」
アレクにせがまれて、私は彼の頭に軽く口づけしたあと、右手で優しく撫でます。ふわりと光に包まれると、アレクは満足そうに目を細めました。
「ねーたま、ありあとう」
「どういたしまして」
口づけ──すなわち《 祝福の唇 》のギフトの効果は、弟での度重なる検証実験の結果、使用する魔法の効果を数段上げる効果が確認されている。そして右手で撫でながら発動しているのは《 癒しの右手 》の効果による治癒魔法。私の右手のギフトは、詠唱なしで治癒魔法を自動発動する、というものだ。
二つのギフトの組み合わせにより、弟に発動している効果は強力な治癒魔法なのであるが、傷など負っていないアレクには何の効果も示さない。ただのおまじないのようなものだ。
これらのギフトについては全て秘密にしている。もちろん両親であるカインとフローラにもだ。私は聖職者や治癒術師などになる気はない。なにせ私の本質は死霊術師なのだから。
幸いにも今のところ誰にもバレている気配はない。私の隠蔽工作は完璧だった。
……ところが、ここで一つの誤算が生じる。
ギフトの検証のために度重なる臨床実験を続けた結果、弟はこれらの行為が好きになってしまったようなのだ。
私自身にとっては口づけなどどうとも思わない行為であるのだが、わずかでも魔力値が上がる効果もあるので、特に拒む理由もない。せがまれれば対応するようにしている。
地道な努力こそが魔術の真髄であると、前世の経験から知る私は、今世でも努力を怠らないのだ。
その様子を一度フローラに見られたこともあるのだが、どうやらギフトに気づいた様子はなく、ただニコニコと微笑むだけであった。やはり私の隠蔽工作は完璧である。
気を良くした私は、弟にせがまれるたびにこの『おまじない』を施すことにしたのだった。
フローラ「ねぇねぇ、聞いてあなた! ユリィシアがアレクセイにキスをしてたのよ!」
カイン「おお! なんという素晴らしい姉弟愛だ! ユリィはアレクのことが大好きみたいだね」
フローラ「そうなのよ、優しいお姉ちゃんに育ってくれてるみたいで、わたしも嬉しいわぁ……」
カイン「──なぁフローラ、僕たちももっと仲良くしないかい?」
フローラ「えっ? あなた、それって……きゃっ(はぁと)」