32.聖女殺し
「お前、何者だ?」
ヴァンパイアの男──鑑定によるとネビュロスという名前らしいですが──が私に問いかけてきます。
私はアンデッドが大好きなのですが、例外もあります。
それはゾンビと、もうひとつ──自我を持ったアンデッドです。
ゾンビは臭い、カビる、匂いが移ると三拍子揃っているので論外ですが、自我を持つアンデッドが苦手なのは、単純に私がコミュ障だからです。
ヴァンパイアはSランクでたしかに貴重なアンデッドなのですが、自我がバリバリにあるという一点においてちょっと無理です。自分からペラペラ喋ってくる相手はご遠慮願いたいのです。できれば無口で、ただ命令だけに従うタイプが理想の相手だったりします。
「あぁ、俺から名乗るべきだったかな。俺の名は【宵闇の王】ネビュロスだ」
宵闇の王? はて、聞いたことがありませんね。
「初めまして。ユリィシア・アルベルトです」
「……なるほど、カインとフローラの娘か。弟を取り返しに来たんだな?」
いいえ、違います。素材を取り返しに来たのです。
「まぁいい。いずれにせよ大人しくしてもらおう。さもないと──俺のアンデッドがお前を痛めつけるぞ? ──いでよ《影収納》」
ネビュロスがヴァンパイアの固有魔法を使って、影からなにかを喚び出します。
まるで水面のように揺れる影から浮上してきたのは──2体のアンデッド。
あ、あれは──! ま、まさか──。
「そ、そのアンデッドは──もしや……?」
「くくく、気づいたか? さすがはカインとフローラの娘だな。そうだ、このアンデッドこそはお前の父と母がかつて倒した邪悪なる死霊術師、【 黄泉の王 】フランケ……」
「バックベアード!」
「って、おいおいそっちかーーい!」
ネビュロスがなにやら叫んでいますが無視です。だって『バックベアード』ですよ? こんなにもレアなアンデッドに出会ってしまったのですから、夢中になるのは仕方ありません。
ダンジョンにしか生息しないと言われていて、野生では不死息していないダンジョンモンスター型Sランクアンデッド、それが『バックベアード』です。私も実物は初めて見ました。
「……なぁお嬢ちゃん、こっちのアンデッドには興味はないの?」
「別に」
たしかに隣のアンデッドはAランクの『ゾンビ・ネクロマンサー』で、それなりに貴重な存在です。たしかそこそこ高位の死霊術師を素体にしないと成功しないゾンビだったと記憶しています。
ですが、しょせんゾンビです。ゾンビである時点で私のターゲット対象外。興味は湧きません。
「こいつ、【 黄泉の王 】フランケルのゾンビなんだけど……」
「あら?」
なんと、私の前世の肉体ではありませんか。
カインやフローラによってとっくに聖別されて灰になって利用不可能になっていると思っていたのですが……。これはまたお久しぶりですね。
しかし、よりにもよって忌み嫌っていたゾンビになってしまうとは、なんとも世の無常を感じます。どんまい、前世の私の肉体。
ですが、前世の肉体よりも今大事なのは『バックベアード』です。
あぁ、なんなのでしょうあのウネウネした触手は! それに巨大な目玉! なんて素敵な造形なんでしょう。まさに異形のアンデッドと呼ぶにふさわしい勇姿ですね。
あの触手に触るとどうなるのでしょうか? 毒ですかね? 麻痺ですかね? ちょっとだけ触ってみたい……。
「おいおい、勝手に触れようとするなよ!」
あらら、怒られてしまいました。
仕方なく手を引っ込めます。
改めて目の前に立つヴァンパイア──ネビュロスを見ます。おそらくは若いヴァンパイアなのでしょう。フードの下から現れた顔は、思っていたよりも若い、同年代くらいの美少年でした。……というかこのヴァンパイア、えらいイケメンですね。
ネビュロスは、ウルフェのような精悍なタイプやシーモアのような柔和なタイプとはまた違い、可愛らしい女の子のような容姿を持っています。ヴァンパイアには美男美女が多いと聞いてますが、そういうことなのでしょうか。
なんにせよ、イケメンは嫌いです。
「ったく、調子狂うなぁ。まぁいい、とにかくお前を捕縛させてもらうぞ。──『召喚・闇夜の隊列』」
ネビュロスがパチン、と指を鳴らすと、またもや彼の影からスケルトンやゾンビといった低級のアンデッドが数体出現しました。もっさりと近寄ってくると、私の腕を掴もうとします。
ですが──。
「あ"あ"ア"ア"アンんッ!」
「カタカタカタカタ……カタ……」
はい、例のごとく成仏してしまいました。
「なっ!? お前、聖女だったのかっ?!」
「聖女ではありませんっ!」
私が強く否定すると、若干尻込みした顔をするネビュラス。ですがすぐに悔しそうな表情を浮かべてチッと舌打ちをします。
「くそっ、なんなんだよお前は! だったら今度は〝呪い″で縛ってやる! 『バックベアードを触媒に、麻痺せよ──《麻痺の呪い》』」
へぇー、なかなか面白いですね。まさかアンデッドのバックベアードを触媒にして呪いを発動させるとは。世の中にはいろいろな呪法があるのですね。
私が感心している間にも、ネビュラスの手から放たれた怪しげな呪法の光が私を包み込みます。
ですが今度は私の左手が反応して、バチっという音とともに呪いを弾き返してしまいました。
「な、なにっ?! 俺の呪法を弾き返しただとっ!? なんで……お前には俺の呪法が効かない!?」
どうやら私の左手のギフト《浄化の左手》には、解呪だけでなく防呪の力も備わっているみたいですね。相手から呪いをかけられることなど滅多にないので、実に興味深い検証ができました。
今日は収穫が多くてとても素晴らしい日ですね。さすがは誕生日です。思わずにやけてしまいます。
「なんで笑ってやがる……気持ち悪い奴だな。くそっ、どうやら俺はお前を見くびっていたようだ。こちらも本気で対応させてもらおう」
一人で勝手に盛り上がっているネビュラスが、懐に手を入れるとなにかを取り出します。
手にしていたのは──紫色の宝石がついたネックレスです。
「私にプレゼントでもしてくれるのですか?」
「なんでやねん! アホかっ! はぉ……お前と話してるとなんか調子狂うなぁ……。だがまぁいい、とにかくお前はこのネックレスをつけるんだ」
「やはりプレゼントなのですね」
「違うって言ってるだろ! 軽口叩けるのも今のうちだけだ、覚悟しろよ!」
パチン、と指を鳴らすと、今度はフランケルゾンビとバッグベアードが近寄ってきて、私の左右の腕を掴みます。
あぁ、いけません。自動ターンアンデッドが発動してしまいます。すぐに私から離れ──。
ですが、二体とも消滅することなく、あっさりと私の腕を掴みます。私に触れても成仏しないとは……。
そういえば高位のアンデッドにはターンアンデッドが効かないということを思い出しました。私が創造したアンデッドは、よくターンアンデッドを弾いたものです。
あと、バックベアードやヴァンパイアのように、そもそも対アンデッド用の魔法が効かない相手がいると。
あぁ、なんという感動。
私は転生を果たして初めて、アンデッドに触れることができたのです。
やはり誕生日は素晴らしい……。
「お前……な、泣いているのか……? 今更後悔したってもう手遅れだぞ?」
ネビュラスが手にネックレスを持ったまま、私の眼の前に立ちます。ですが私の心はアンデッドに触れることができた喜びに満ち溢れていて、ほとんど彼の話を聞いていません。
あぁ、バッグベアードのこの触覚、なんて気持ち悪いのかしら。まるで巨大なタコかイカに触られているみたいですわ。
「いいか、聖女ユリィシア。このネックレスはな、〝聖女殺し″と呼ばれる特殊な魔法道具だ。かつてバッグベアードを捕獲した時に潜ったダンジョンの最奥で発見した貴重なものでな……こいつはなんと神聖魔法の力を無効化するとてつもなく恐ろしい魔法道具なのだよ!」
「はぁ……」
いけません、つい愉悦の吐息を漏らしてしまいます。
あぁ、このままずっとアンデッドに埋もれて眠ってしまいたい……。
「あまりの恐ろしさに現実逃避したのか? まぁいい、さらばだ若き聖女よ。貴様はこれで──完全に無力だ」
そして──カチャリ、と音をたてて、私の首にゆっくりとネックレスが落とされたのでした。
◇◆◇◆
ネビュラスは終始困惑していた。
それは目の前の少女──ユリィシア・アルベルトの行動が終始読めなかったからだ。
おそらく彼女は単身で弟のアレクを救いに来たのだろう。そして実際に悪党として名の知れたシャプレーを撃退し、弟の救出は寸前まで成し遂げられていた。
だが、なぜこの娘はすぐに撤退しなかった?
そもそもなぜ、たった一人で助けに来たのか?
なぜ並みの兵士より強いシャプレーが悶絶している?
なぜ私を前にしても恐怖に怯えない?
なぜアンデッドに自ら近寄ってくる?
わからない。とにかく気持ち悪い。
しかもさっきからずっと胸の奥が痛い。これまでネビュラスが感じたことのない奇妙な感覚だった。
ただ、対峙することでこの少女の力の源はわかった。
この少女は、とてつもない聖の力を持っているのだ。それこそ触れるだけで低級アンデッドを浄化してしまうほどに。
おそらくシャプレーもその聖魔法で撃退されてしまったのではないだろうか。
見た目に騙されてはいけない。この少女は、極めて優秀な聖職者だ。もしや──噂に聞く聖母教会の〝聖女″なのかもしれない。いや、そうに違いない。
せっかちで早とちりな性格のネビュラスは、ここでも迅速に決断する。対フローラ用に準備していたとっておきの最終兵器を使用することにしたのだ。
彼の持つ最終兵器、その名も〝聖女殺し″。
聖なる力をすべて封じ込める強力なネックレスだ。
だが少女は、自らの力が奪われるとわかっても、最後まで表情を変えなかった。むしろ──喜んでいる? いや、ばかな?
だがもうこれで終わりだ。この娘の聖なる力は全て封じられる。これで……。
すとん、と静かな音を立てて、ネックレスが少女の首へと収まる。
──どくん。
ネビュラスの胸の奥が、大きく高鳴る。
なんだ──この痛みは?
……ゴ……ゴゴ……ゴゴゴゴ……ゴゴゴゴゴゴゴ──。
異変を感じたのはそのときだ。
目の前の少女から、何か黒いものが溢れ出てくる様子が目に飛び込んでくる。
「な、なんだ!? ……なにが……起こっている!?」
ネビュロスは知らなかった。
ヴァンパイアには生まれつき「防衛本能」があり、もし自分が敵わない相手に出会ったときには……。
胸の奥が、強く痛むのだ。
「こ、これは……」
やがて、彼はその身をもって知ることになる。
絶対に目覚めさせてはいけない怪物を、この世に解き放ってしまったということを。




