2.魔力
「あらあら、ユリィシアちゃんは可愛いわねぇ」
「……だぁ」
私は髪の一房が銀色に染まった初老の女性に抱っこされて大人しくしていた。
彼女の名はスミレ・ライト。フローラの母親であり、今の私の祖母に当たる人物であり、聖母教会の7人いる枢機卿の一人で法を司る部門のトップである。通称【 冷徹聖判 】のスミレ。かつての私を追い詰めた恐ろしい存在だ。
スミレは《 罪悪の神判 》という恐ろしいギフトを持っていて、このギフトにより私の居場所が突き止められ、カインに追い詰められることになった。まさに宿敵といえる存在だ。
だが今の表情を崩した彼女にその面影はない。ただの孫好きの好々爺にしか見えない。
とはいえ油断は禁物、私はたくみに乳児を演じて正体を悟られないように取り繕う。
「フローラに手をつけられたと聞いたときはあんたのことを地の果てまででも追い詰めて処刑してやろうかと思ったけど……孫はやっぱり可愛いわねぇ。カインもそう思わない?」
「は、はぁ……はははっ」
あのカインが、スミレを前にしては借りてきた猫のように大人しい。相手は聖母教会を取り仕切るトップの一人なのだから、仕方ないといえば仕方ない。
「それよりお母さん、ユリィシアの髪を見てどう思う?」
「どう思うも何も……これは凄いね。全てが『聖母の御髪』を持ってるなんて、アタシも初めて見たわ」
「私やお母さんでさえ一房だけなのに……やっぱりこの子は聖母神様に祝福されてるのかしらね」
聖母の御髪とやらが何かは知らないものの、正直興味はない。今はただ少しでも早くこの強敵が帰ってくれることを祈るのみである。
「そうかもしれないね。でもたとえ祝福がなかったとしても、この子のためならアタシはどんな手でも尽くすよ」
「ふふっ、【 冷徹聖判 】と呼ばれるお母さんでもユリィシアには優しいのね?」
「そりゃそうよ。だって可愛い孫娘のためですもの」
は?
今なんと言っただろうか。
優しげに私の頭を撫でながらスミレがふいに口にした言葉に、私は虚を突かれた。
──娘、と言った?
私が──娘!?
な、なんということだろうか。
もっと早くに気づくべきだった。
なのに、今の今まで完全に見過ごしていた。
私は慌てて、小さな手を自らの股間にあてがってみる。
──ない。
大事なものがない。
男の子だったら当然あるべきものが、私の股間についていない!
抗いようのない決定的な証拠を突き付けられ、さすがの私も受け入れざるを得なかった。
己の肉体が──”女の子”であるという事実を。
思えば、これまでも思い当たるふしは何度もあった。そもそも『ユリィシア』と命名された時点ですぐに気づくべきだった。だが、転生に成功したことに舞い上がっていた私は、まったく気づかなかった。
そう、いまの私は生物上の女になってしまったのである。
私は前世では【 黄泉の王 】と呼ばれ、あまり報われない前世を過ごし、不幸な最期を遂げた。聖女の聖丘に触れるという願いは叶ったものの、他にも満たせなかった思いや未練がたくさんある。その中には、男でないと果たすことができないものもあった。
「どうちまちょう……」
スミレがやっと帰ったあと、一人になって声に出してみたものの、すぐにいまさらどうしようもないことに気づく。
「まぁ、ちかたがないでちゅね」
悩んだところで打てる手などない。私は女性になってしまったという事実を素直に受け入れることにした。
切り替えが早いことこそが、優秀な魔法使いの要件と言われている。そういう意味では、私はかなり優秀なのかもしれない。
◆
あっという間に一歳になっていた。
その頃には、自分が女であることなど気にならなくなっていた。なにせ、それよりももっと気になることがあったから。
それは──新しい自分が持つ才能についてである。
なにせ両親はいずれも英雄と呼ばれた存在。そして中身は二つ名を持つほどの死霊術師の転生体。これほどの恵まれた背景を持って生まれた私は、間違いなくかなりの才能に恵まれているのではないかと推測していた。
そこである日、母親のフローラが家事でいなくなったスキに、私は自分の魔力がどれくらいあるのかを調べてみることにした。
方法は簡単、自分の魔力を込めた球──魔光球を作ることで、その大きさを踏まえておおよその魔力値を測定するのだ。これは、「魔光球測定法」と呼ばれている一般的な魔力測定方法だ。ただこの方法は、ちゃんと適切に魔力をコントロールできないとそもそも測定すらままならないので、通常は学校等で一定以上のトレーニングを積んだ15歳以上の大人でないと鑑定は不可能とされている。
しかし私は魔力のコントロールが得意なほうだ。転生したこの体の才能を知る意味でも、まずは試してみよう。果たしてこの体でもうまくコントロールできるのか──。
心配は杞憂に終わった。今の私の幼い体でも、前世のイメージに近い形で魔力を動かすことに成功したのだ。とはいえまだ1歳児、とてもではないがまともにコントロールするところまでには至らない。油断せずに、慎重に魔力をねん出していく。
しかしこれは……予想以上だ。まるで大河のように流れる、魔力の奔流。これはもしや……。
期待に胸を躍らせながら、私は魔力球に10%ほどの魔力を込めてみようと、己の中を流れる魔力の奔流の中にゆっくりと手を差し入れる。
次の瞬間──私の両手の中で、小さな太陽が爆誕した。
「こ、こりぇは……」
はっ、と気づいてすぐに魔力を霧散させる。掌の中の太陽のような輝きはすぐに消滅する。
「ユリィシアちゃん!!」
血相を変えて部屋に飛び込んできたのは、母親のフローラだ。どうやら今の魔力球を感知したのだろう。私はなるべく自然な表情でフローラに顔を向ける。
「ふぇ?」
「……あら? 今この部屋でものすごい量の魔力を感じたんだけど」
「ふぁあぁ?」
「うーん……気のせいだったかしら?」
とぼけた演技が功を奏したのか、フローラは首をかしげながらも私を抱きかかえると、元の家事へと戻っていった。どうやら気のせいだと思うようにしたのだろう。
……それにしても、今のは危なかった。もう少しタイミングが遅かったら、魔力球を見られていたかもしれない。その場合、最悪の場合はフローラに私の中身が疑われてしまう可能性もあった。
次からはもっと気を付けないと。そう思いながらも私はニヤリと笑ってしまうのを抑えることができなかった。
結果は、私の予想以上だった。10%を注ぎ込む前に危険を察知して魔力球を解除したものの、おそらくは3~4%の時点で、フローラが驚いて部屋に飛び込んでくるほどの魔力量を注ぎ込むことができた。思っていた以上の魔力だ。
前世の私の魔力は、一般人に比べると多いほうではあったが、突出している存在ではなかった。
分かりやすく数値化してみると……たとえば通常の人間の魔力を10とした場合、以前の私の魔力値は300を超えるかどうかであった。それでも十分多いのだが、世間で英雄と呼ばれるような存在──例えば母親であるフローラの魔力値は軽く1000を超えている。常人の100倍以上である。持って生まれた魔力の量は、どうあがいても覆せない才能の差でもあった。
そこで、かつての私は禁断の手法──『邪法』と呼ばれる手段をいくつか使用することで、この差を埋めようとした。悪魔薬の多用、曼荼羅陣の臓腑刻印、禁魔道具の埋込、などなど……。
精神にも肉体にも悪影響を及ぼすこれらの邪法を用いることで、私の魔力はなんとか1000くらいまで拡張させることに成功した。しかしその副作用はすさまじく、健康を大きく害する要因になった上に、邪法を使う極悪人として指名手配され、結果としてカインたちに討伐される原因の一つとなってしまったのだから、あまり良い手段であるとは言えないだろう。
ところが、先ほどの3~4%程度の魔力球に込められていた魔力量はおおよそ50。ちょっとした大魔法を行使できるほどの魔力量が、あの小さな太陽のような魔力球の中に込められていたのである。フローラが血相を変えて飛び込んできたのも分かるというものだ。
この結果から、おそらく私の魔力量は1000をゆうに超えていると思われる。
現時点で、前世の私やフローラをも上回る、恐るべき魔力量を私のこの幼い体は有しているのだ。
しかもこの体は未だ乳児の段階にある。今後さらに成長していくことを考慮すると、成人した時にはいったいどれほどの魔力保有量になるであろうか。
前世では叶わなかったドラゴンスケルトンの創造すらも可能になるかもしれない。私の夢である「レアアンデッドの収集」が、もしかすると現実のものになるかもしれない。これは素晴らしい誤算であった。
「しゅごい……」
歴史上、どんなに高名な死霊術師でも、私の師匠でも叶わず、誰一人なしえることのできなかった、激レアアンデッドの収集。
これまで一度しか出現したことがない、もしくは理論上でしか存在が確認されていないアンデッドを、この私が収集する。それは、かつての私の人生の目的であり、目指していた頂点。
それが、もしかすると今世で実現可能になるかもしれない。
輝かしい将来を思い、私は一人、よだれを垂らす。
しかし──まだ早い。私は口元から垂れた涎を服で拭いながら、自制を促す。
本格的な魔力トレーニングを行うには、7歳以上にならないと無理だ。体が幼なすぎて魔力回路も十分に発達しておらず、自由に魔力をコントロールできないため、細かい魔力の制御が行えず、魔法や魔術の発動に支障を来すからだ。だから、それまではしばらくの辛抱である。
なに、焦る必要はない。
今の私には時間がたっぷりとある。
なにせ私は、まだ生まれたばかりなのだから。