22.忘れ去られた王子
「……あれ、もしかして僕のこと知らないの?」
私があまりにもクエスチョンな表情をしていたからでしょうか。仮面の男の子の方が誤解に気づいてくれました。
「僕は──シーモアっていうんだ」
「そうですか」
わざわざ名乗っていただいて恐縮なのですが、別に彼の名前に興味はありません。
それよりも何とか彼、シーモアとの契約に持ち込みたいのです。
「本当に僕のこと知らないんだね……だったら君──ユリィシアは僕の病気のことも知らないの?」
「病気ですって?」
おおっと!? ここで重要なキーワードの登場です。なんとシーモアは病気持ちだったのです。
病気、相手はSSランクの素体。この二つが揃ったならば、もはや私に引く理由はありません。
それに、アンナメアリに関しては、たしかに愉しむことは出来ましたが、魔力的な意味では旨味はさほどありませんでした。
「僕はね、ちょっとした病気を持っていて、ずっと人前に出れない体だったんだ」
「そうなんですか」
「だからこうしてコソコソと後宮の中を一人で探索したりしてたんだけど……」
あなたの事情などどうでも良いです。さっさと病気の症状を教えてください。
本来ならばサクッと問答無用に《鑑定眼》で解析したいのですが、何故だか病気についての情報が出てこないのです。これはこれで興味深いことですが……。
「その病というのは、命に関わるようなものなのでしょうか?」
「厳密に言うとね、病名がある病気じゃないんだ。世界中で僕だけがかかってる病」
世界中でシーモアだけ!
これまた素晴らしいパワーワードですね。これを治療すれば、どれだけ魔力が上昇するのでしょうか。下手すると天然極上ものかもしれません。
ダブルSだけでも垂涎モノですのに、激レアな病気も加わるのであれば、多少の問題には目を瞑りましょう。焦る気持ちをぐっと堪えて彼との会話を進めることにします。
「どのような病気なのですか? 良かったら患部を見せてもらえますか? 私が治療してみますので……」
「患部を、見たい?」
シーモアの目の色が変わります。なぜでしょう?
「本当に見てみたい? きっとすごく驚くよ。そしてユリィシアは僕のそばから逃げ出すんだ……」
逃げ出すほどの病気!
これはますます興味津々です。さぁ、さっさと病気の説明をするのです!
「僕の顔を見ても驚かないでね?」
──顔?
顔が関係あるのでしょうか?
カチャリ、と音がして、シーモアが仮面のロックを外します。
取り外された仮面の下から現れたのは──。
まるで酸で溶かされたかのように、崩れかかった顔でした。
◆◆
「息子さんの病気……ですか?」
コダータ妃の申し出に、フローラは僅かに首をひねる。
実はフローラは準妃の子供についての情報をほとんど持ち合わせていなかったのだ。
「知らない……でしょうね。なにせシーモアのことは王国内──いいえ、ここ後宮の中でさえもタブー視される存在でしたから」
コダータ準妃は手元から何かを取り出すと、侍女のエリザを経由してフローラに渡される。
それは──2枚の写真だった。
写真は高価な魔法道具であったので、さすがは裕福な公爵家出身の準妃だと感心しながらフローラは手元に視線を落とす。
1枚目の写真には、顔に大きな仮面を被った少年の姿が写っていた。
「アタクシの息子よ。名前はシーモア。正式には、ジュリアス・シーモア・フォン・ユーフラシア・リヒテンバウムというわ」
──ジュリアス王子! その呼び名にフローラは聞き覚えがあった。
たしかここリヒテンバウム王国の第2王子として生を受けた、正真正銘の王位継承権を持つ王子様だ。ユリィシアと同年代の生まれであることから、妄想上の娘のお相手──白馬の王子様候補の一人としてピックアップしていたので、フローラは覚えていたのだ。だが、ずっと名前を聞くことがなかったのですっかり存在を忘れいてた。
しかし、なぜその第2王子が──仮面を被っているのだろうか。
フローラの疑問は2枚目の写真に目を通した瞬間、一気に霧散する。
「こ、これは……」
写真に写っていたのは、まるで悪夢のように爛れ落ちた少年の顔だった。
言い方は悪いが、まるでゾンビのようだとフローラは思った。……コダータ準妃の手前、決して口にはしないが。
「し、失礼ですが……これは病なのですか? ケガではなくて?」
「この病は、シーモアが3歳のときに発症しましたわ。突然、あの子の美しく整った顔が崩れていったの……」
コダータ準妃の顔がぐっと歪む。その表情はまぎれもなく母親の顔だとフローラは思った。
「どんな医者でも聖職者でもさじを投げたわ。この子の顔は、あらゆる治癒魔法を受け付けないの。そして医者たちはこの病に『崩壊症』と名付けたわ。でもアタクシは知っていますの。心無いものは──あろうことか『ゾンビ症』と呼んだのよ!」
ヒシヒシと伝わるのは、コダータ準妃の怒りの感情。だがその想いは、同じ子を持つフローラも同じだった。愛しい我が子をゾンビなどと呼ばれて、誰が我慢できるだろうか。
「なかには陛下のお子であることを疑うものまで出る始末! 何を疑うか! あの子は間違いなく陛下の子よ! 母親である私が確信してるんですもの、絶対に間違い無いわ!」
「ええ……」
コダータ準妃の言葉に、フローラも素直に頷く。母親が自分の子供の父親を間違えるなどありえない。疑惑自体が侮辱と映って当然であろう。
だがコダータ準妃はその立場上、敵も多いのだろうとフローラは推測する。ゆえに彼女や息子のことを悪く言うものたちが絶えなかったのだろう、とも。
その結果──彼女は少し歪んでしまうことになる。
「ですからアタクシは、影でこそこそと忌々しい呼び名を広めるものたちを処断したわ。誰にも──愛しいあの子を悪く言うことは許さない。あの子はね、アタクシの天使ですのよ!」
「……」
「外から変なものを持ち込まれても困るから、妙なものたちの後宮への出入りを厳しくしたわ。すべては──あの子を守るためにやったことよ」
コダータ準妃の悪行として知られる行動は、すべて愛する息子のための行動であった。
同じ子供を持つフローラとして、どうしてその行為が咎められようか。
悪いのは──彼女の愛しい息子を襲う病なのだ。
「そうすると今度は、人々があの子を避けるようになったわ。あるものは病気がうつるかもしれないと。またあるものは、不用意に接してアタクシに処断されるのが恐ろしいと。別のものは、ただあの子の顔を恐れたわ。それもあって……あの子に仮面をかぶせて、ミドルネームのシーモアって呼ぶようにしたのよ。シーモアって名付けたのは、このアタクシなのよ」
「……」
「侍女たちも口が固いものたちで固めたわ。だからシーモアに関する情報はあまり外に出なくなった。でも……そのせいで、もはや王子としての認識まで消えてしまったのかしらね。仮面を被らせて、人に見られないようにして……シーモアには本当に不憫な思いをさせてしまったわ」
はらりと、コダータ準妃の瞳から涙がこぼれ落ちる。
その涙を見たとき、フローラは覚悟を決めた。
ただ純粋に、この親子を助けたいと思ったのだ。フローラもまた、聖母神の使徒なのだ。
「……わかりました。わたしにできる範囲のところではありますが、ご子息の治療に尽力させていただきます」
だが……ユリィシアは巻き込むわけにはいかない。もし自分は使命に失敗したら、きっと自分はコダータ準妃に恨まれるだろう。そんな事態から、愛娘を切り離したかった。
フローラもまた、娘を愛する母親であったのだ。
「明日から、こちらに通わせていただきます」
「まぁ、ありがとうアルベルト剣爵夫人! ほんとうに感謝いたしますわ!」
フローラの言葉を聞いて、コダータ妃は深々と頭を下げたのだった。




