エピローグ ~癒しの聖女伝説~
ユリィシア・アルベルトが異空間に旅立ち、行方不明になった『癒しの聖女の祝福』から、およそ3年の月日が流れた──。
──ザッザッザッ。
ここは、リヒテンバウム王国の王都。
靴の音を立てながら、道の真ん中を歩くのは、一人の戦士風の男。
背中には真っ赤な色をした大剣を背負い、鍛え上げられた肉体はまるで野生の獣のよう。
戦士の放つあまりの剣気に、町人たちは慌てて道を譲っていく。
「あっ!?」
いきなり目の前に現れた大柄の戦士に驚いた少女が、思わず手に持っていた野菜を落としてしまう。
だが戦士風の男は素早く野菜を拾うと、微笑みながら少女に手渡す。
「あ、ありがとうございます! 聖母神の祝福を!」
「どういたしまして、イエス・フランドゥム」
挨拶を返されて少女は嬉しそうに微笑むと、そのまま駆け足で去っていった。
少女が立ち去った後、いつまでもその後ろ姿を眺める戦士に近寄る人がいた。
「お嬢様の姿を思い出したのでございますか?」
「……別に、たまたまだよ」
「たまたまにしてはずいぶんとお優しいのでございますね、【聖剣】ウルフェは」
少し低いトーンの女性の声に顔を上げるウルフェ。
目の前に立つのは、黒いメイド服を着たずば抜けた美女──。
「久しぶりだなネビュラ。帝国はどうだ?」
「アナスタシア様は良くしてくださいますよ。たぶん、ボクにあの方を重ねている部分もあるのでございましょうが……よくあの方の話をせがまれますからね」
「そうか……アナスタシア様はあの方の親友であったからな」
ウルフェは黒髪の女性の姿を思い出す。
アナスタシアも今ではもう立派な帝国の女帝だ。
「しかし帝国から王都までだと、ずいぶんと遠かったのではないか?」
「ゲートが無くなってからは、長距離移動がかなり不便になってございますね。いくらボクの超速移動でも丸1日かかりましたよ」
実はユリィシアが行方不明になってから、世界には数多くの異変が発生していた。
まず第一に──月の崩壊。
半分に割れてしまった月が、今も天をゆっくりと回遊している。
ネビュラは月崩壊の原因を【万魔殿】に異変が生じたせいだと考えていた。だが真相は、今となっては誰にも分からない。
次に──悪魔が出没しなくなった。
これは【癒しの聖女】ユリィシアが悪魔神をすべて退治したからだと言われている。
そしてなにより最大の異変は、ゲートやダンジョンの多くが消滅したことだ。
ダンジョンについてはまだ比較的残っているものの、ゲートはほぼ全滅に近い状態である。
理由は分からない。だがネビュラはこれすらもユリィシアたちが何かをした結果ではないかと考えている。
「そうか……あの方が戻ってきたら、今のこの世界を見てどう思うだろうか」
思い返せばあの方はとても不思議な人だった。
ゲートやダンジョンをいとも容易く発見し、躊躇なく飛び込んでいた。
あの一件以来、世界は変わった。
だから、この新しい世界をあの方に見てほしい。
ウルフェはそう強く願っていたが……その願いは現時点でも叶っていない。
二人は会話を交わしながら、一件の喫茶店へと入った。
ウルフェとネビュラが入店すると、一番奥の席で大量のスイーツを食べる一人の少女の姿が目に入る。アミティである。
「あいかわらず食いしん坊でございますね」
「むぐぐ……ふたりとも、久しぶりリュ!」
実はウルフェたち3人は、こうして定期的に集まっていた。
目的は、それぞれが収集した情報を共有するためである。
彼らが話すのは、もちろん──。
「なにかお嬢様に関する情報はつかめましたか?」
そう、行方不明になったままのユリィシアに関する情報である。
「お嬢様はきっとどこかで生きているはずだ……」
ここにいる3人は、誰一人としてユリィシアの生存を疑っていなかった。
いや3人だけではない、アナスタシアやアレク、カインやフローラ、エーデルら、ユリィシアに深く関係したものたちは皆、ユリィシアが生きていると信じていた。
だからウルフェは、冒険者となった。
もしかしたらダンジョンのどこかで、ユリィシアに会えるのではないかと思ってのことだ。
もしくは宝箱の中からユリィシアにゆかりの魔法道具が出てくるのではないかと思っていたのだが──。
「ダンジョン系ではなにもないな」
現在はユリィシアの弟であるアレクとパーティを組んで、様々なダンジョンを攻略している。
時々エーデル達【光の翼】と共同作戦を行うこともある。
だが残念ながら、今日までユリィシアに繋がるものは何も見つかっていない。
「アナスタシア様のところにも新しい情報はありませんね」
ネビュラはアナスタシアからの申し出を受け入れて、ガーランディア帝国に行くことにした。
今ではメイドとして、アナスタシアの帝宮に仕えている。完全に女性として生きていくつもりのようで、帝宮では男女無関係に大人気のようであったが、ネビュラはそれらに一切興味を示さなかった。
アナスタシアに仕える影の諜報員として、帝国のネットワークを駆使してユリィシアに関する情報を集めていたものの、こちらも未だめぼしい成果は得られていない。
「龍族の中にも情報はなかったリュ」
アミティは他の真龍たちと合流し、今では姫様扱いされている。だが人間界のことが忘れられず、ときおりこうして下界に降りてきては、スイーツを貪っていた。
そして彼ら生物の王である真龍の情報網をもってしても、やはりユリィシアは発見されていない。
ユリィシア・アルベルトは生きているのか。それとも……死んでしまったのか。
確かな情報が全くないまま、今日もまたウルフェたちは情報を収集する。
「仕方ないな……では俺は、今度は連邦のダンジョンに潜ってみるよ」
「ボクもアナスタシア様の情報網を使って別の視点で捜索してみるでございます」
「あたちは風の噂で聞いた、銀髪で聖女の資格があるという女の子のところに行ってみるリュ!」
こうして3人は、また一月後の再会を約束し、解散となったのであった。
喫茶店を出たあと──。
ウルフェはまた一人、王都を歩く。
気が付くと、聖母教会の前にたどり着いていた。
聖母教会には新たな像が建立されていた。
一人の少女を中心として二体の少女が祈りを捧げる姿勢で片膝をついている。
左側で祈るのは──【偶像の使徒】ウルティマ。
右側で祈るのは──【夢幻の使徒】マリス。
いずれも、『癒しの聖女の祝福』の日から、聖母教会によって聖人に序列されたものたちだ。
そして中央に立っているのは、ウルフェにとってこの世のどんなものよりも美しい存在。
天使の羽を生やした女性の像の前にある石碑には、こう書かれていた。
〝世界を救いし【癒しの聖女】ユリィシア・アルベルト″
ウルフェはユリィシアが祀られるのは当然のことだと思っていた。
それだけの偉業を、あの方は成し遂げたのだから。
「お嬢様……あなたは本当に、どこにいってしまったのでしょうか」
『癒しの聖女の祝福』があったあの日、聖母教会の司教たちに一斉に神託が下った。
その内容は、「聖母神の交代」──なんと【いにしえの大聖女】エルマーリヤ・ライトジューダスが新たな聖母神として降臨したという、驚くべき内容であった。
神託があった際、教皇イノケンティウス15世は新たなる聖母神エル・マーリヤに問いかけた。
「【癒しの聖女】ユリィシア・アルベルトはどこに行ったのか」と。
すると聖母神エル・マーリヤはこう答えたのだという。
──彼女は、元気ですよ。
だからウルフェはユリィシアを探し続ける。
今も、そしてこれからも……。
「聖母神の祝福を」
「「「聖母神の祝福を」」」
ウルフェの耳に、聖母教会の信徒たちによる祈りの声が聞こえる。恐らくは〝新たなる聖母神エル・マーリヤ″に祈りを捧げているのであろう。
ああ……。
ここにも──お嬢様は生きている。
ウルフェは満足げに頷くと、再び歩き始める。
「お嬢様──俺はあなたに救われました。今度は俺が──あなたを救う番です」
そしてまたウルフェは旅に出る。
どこかに必ずいるであろう、ユリィシアを探して──。
一応、本編となる聖女伝説はこれで完結です。
では、はたしてユリィさんたちはどうなったのか?
気になる方は次の『トゥルーエンド』をお読みください。