【最終話】かけがえのないもの
まるで空間自体が軋んでいるかのような恐ろしい音が聞こえてきます。
……いいえ、事実この空間が破壊されようとしているのでしょう。
『……密接につながっていた魂が大量に消失した結果、【根源の魔塊】がコントロールを失い、暴走し始めたのです』
エルマーリヤが呻くように呟きます。
たしかに、あれだけの数の魂に力を供給していたわけですから、その対象が一気に無くなってしまうと暴走するのも頷けるというものです。
しかし、暴走しているものが問題です。
なにせ【根源の魔塊】といえば、魔法王国を滅亡させただけでなく、地形を丸ごと変えてしまってますからね。
それほどの力が暴走すればどうなってしまうのか……考えるだけ恐ろしいです。
『まずいわ、このままでは……あなたたちが脱出できない』
……まぁそうなりますよね。
クオリアの冠を使おうにも、魔力が激減している今となっては使いづらいものがあります。
それに空間が不安定すぎて、下手に人工ゲートなど作ろうものなら、どこに飛ばされてしまうことやら。
『【根源の魔塊】の保有する魔力量は膨大です。一つの大陸を作るくらいですからね。それが暴走してしまえば……地上に影響を及ぼす可能性も十分にあります。というか、確実に影響を及ぼすでしょう』
「最悪だと、どのくらい?」
『最悪は……人類が滅亡するくらい、ですかね』
それは──最悪にも程がありますね。
『お嬢様、危険でございます!』
『早く逃げるリュ!』
『このウルフェ、その身の全てを賭けてお嬢様を守ってみせます!』
いやいや、人類滅亡させるレベルの破壊を目の前にして、あなたたちなどなんの役にも立ちませんよ。
『もちろん、そんなことにはさせません。わたしが力を尽くして暴走を抑え込んでみせます。ですが──ユリィシアとマリスは……』
まぁ、助からないのでしょうね。
「師匠たちは、ちゃんと戻れますか?」
『う、うむ……術が解ければ戻ることができるが──』
「わかりました。では師匠たちは戻ってください」
『おぬしは──どうするんじゃ?』
師匠に確認され、私は心に決めたことを口にします。
「私は残ります。残って──地上を守りますわ」
『は?』『ひ?』『ふ?』『へ?』『ほ?』
ウルフェ、ネビュラちゃん、アミティ、マリス、そして師匠まで……そんな反応しなくてもいいではありませんか。
私だって、転生したくらいですから死にたくはありませんよ。
ですが──それ以上に、地上が滅びることは受け入れられません。
今回、師匠の大魔術のおかげで気づきました。
現世には、たくさんの素体候補たちがいます。
彼らはたくさんの可能性を秘めていて、いつか素晴らしいアンデッドになるかもしれないのです。
そんな素晴らしい素体たちを、みすみす失うわけにはまいりませんから。
『お嬢様……』
レッドボーンスケルトンのウルフェがボロボロと涙を流しています。泣くスケルトンとか生まれて初めて見ましたよ。
『ユリィシア、本気リュ?』
ええ、もちろん本気ですよアミティ。
『お嬢様、一緒には──戻れないのでございますか?』
「ええ、ネビュラちゃん」
そんなに悲しまないでください。
私だって死ぬつもりで残るわけではないのですから。
むしろ生き残るため──残ろうとしているのです。
『でもあなたはもうほとんどの力を失って……』
確かにエルマーリヤの言う通り、既にギフトの恩恵もほとんど消え去ってしまい、私はまた魔力1000程度の普通よりちょっと上等な程度の魔術師になってしまいました。
しかも、操るべきアンデッドはほとんどいません。
私は死霊術師として限界を迎えたのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
今の私にだって、まだやれることはあるはずです。
「ユリィシア様、わたしにも手伝わせてもらえませんか?」
「マリス……」
いつの間にか目を覚ましたのか、マリスが声をかけてきました。
「……私はあなたにも死んで欲しくないのですけど」
「どのみち戻ろうと思っても時間が足りないのですよね? だったら、わたしもせいいっぱい出来ることをやりたいんです!」
まぁ確かにマリスの言う通り、逃げれるくらいならさっさと逃げますけどね。
それが無理だからもう少し足掻くという判断をしたわけですから。
「……わかりました。ではマリス、エルマーリヤとともに最後の大掃除をしましょう」
「はいっ!」
『お嬢様っ!!』
ウルフェがこちらに駆け寄ってこようとしますが、師匠が止めます。
どうやら師匠は理解してくれたみたいですね。こちらを見ながら頷いてくれます。
『──こやつらはわしが責任を持って連れ帰ろう。じゃから……無理はするな』
「ええ。なんとか戻ってみせますわ。だから皆は──先に帰って待っててくださいね」
『お嬢様ーーっ!!』『ユリィシア!!』『お嬢様!!』
師匠の制止を振り切って駆け寄ろうとする3人。
私もつい手を伸ばそうとします。
ですが──私たちが触れ合う前に、皆の姿は消え去ります。
師匠の術が切れてしまったのです。
この場に残されたのは──エルマーリヤとマリス、そして私の三人だけになってしまいました。
◇
周りには、うねうねとうねって今にも爆発しそうな七色の異空間──【根源の魔塊】。
なのに、心がウキウキするのはどうしてでしょうかね。
『フランケル、いいえユリィシア、どうして……』
「え? フランケル?」
「あ、その辺の事情はいろいろな問題がひと段落したらお教えしますわ」
最も、ここから生きて帰ることができたら、ですけどね。
『ユリィシア、あなたは先ほど死ぬつもりはないと言っていましたが……何か秘策はあるのですか?』
「ありませんわ」
ずるっと滑るエルマーリヤとマリス。
だって私、ただの死霊術師ですよ? 死霊術以外に策などあるはずがないではありませんか。
「あーあ。最後にエルマーリヤと勝負をするつもりだったんですけどねぇ……」
結局それどころではなくなってしまいました。せっかく露払いをしたというのに台無しですよね。
私の呟きにエルマーリヤが微笑みますが、すぐに悲しそうな表情に変わりました。
『……もう二人ともお気付きだと思いますが──暴走してしまった【根源の魔塊】のエネルギーは、大陸を変化させるほどのものです。直撃をくらえば人の魂など……当然耐えられないでしょう』
「ひぇぇ……」
「まぁそうでしょうね」
『わたくしは、あなたがたの魂がこの爆発に巻き込まれ消滅しまうことが──どうしても耐えられません。そうなるくらいならいっそ……』
それ以上言わずともわかります。《聖者の救済》ですよね。
「嫌ですわ。そんなの受け入れられません」
『……そうですよね。わかりました、では別の手段を使いましょう』
「それもダメです」
私は即却下します。
『え?』
「エルマーリヤ、あなたは自分の魂の存在をかけて私たちを守るつもりでしょう?」
くわっと、睨みつけると、エルマーリヤはバツが悪そうに視線を逸らします。どうやら図星だったみたいですね。
「そんなの絶対に許しませんわ」
『でも……もうそれくらいしか手が──』
「私はね、エルマーリヤを犠牲にするようなことをするつもりはありません」
私はエルマーリヤをじっと見つめます。
「私は──もうあなたを一人にしたくないのです。あなたと共に、この先を歩みたいんです」
『っ!?』
「だから、私たちだけを転生させるとか、エルマーリヤだけが犠牲になるとか、もうそういうのはやめにしませんか? 全員が、ちゃんと助かる道を探しましょうよ」
私の言葉に──エルマーリヤは黙ったまま俯いてしまいます。
あれれ、怒っちゃいましたかね?
「違いますよユリィシア様。エルマーリヤ様は……嬉しいんです」
「え? 嬉しい?」
マリスの発言に、私は首を捻ります。
「ええ、だってもし……言われたのがわたしだったら、すごく嬉しいんですもの」
そういうもの……なんですかね?
私にはよくわかりません。ただ思っていることを言っただけですから。
『ありがとう……フランケル。いいえ、ユリィシア』
顔を上げたエルマーリヤは、もういつもの彼女に戻っていました。だけど本当に嬉しそうです。
「そうと決まればギリギリまでやれることを考えましょう」
『ええ、わかったわ』
「でももしどうにもならなかったら……そのときは、3人一緒に転生しましょうね」
『え?』
「もう、あなたを一人ぼっちにはさせませんから」
私はエルマーリヤの手を握ります。
『ユリィシア……』
マリスの手も握ります。
「わたしも……最後までご一緒します!」
嬉しそうに握り返してくるマリス。
私たち三人は手をつなぎました。
これならきっと──どんな相手にも立ち向かえるはずです。
私は──ユリィシア・アルベルト。
かつて私は死霊術師フランケル・リヒテンバウアーとして生きてきました。
ですが、人々から嫌われ、最後には討伐されてしまいます。
そんな私が転生して、たくさんのものを得ることができました。
ウルフェやネビュラちゃん、アミティといった素晴らしい素体。
そして今、私の横にはエルマーリヤがいて、マリスがいます。
あぁ、なんて素敵なんでしょう。
もう、恐るものなんてありませんわ。
なぜなら私は今──。
かけがえのないものを、手に入れることができたのですから。
◆◇
「お嬢様!!」
「はっ!?」
「リュ!?」
【奈落】の術が解け、ウルフェたちは一斉に意識を取り戻した。
どうやら彼らの魂は【天界への扉】から弾き出され、そのまま現世に帰還したようだ。
既に先に戻っていた他の信者たちが、自分たちが見た光景が何だったのかを互いに熱く語り合っている。
あれは夢だったのか。
幻だったのか。
はたまた、実際に起こったことなのか。
ウルフェにはにわかに判断がつかなかった。
だがひとつだけ確かなこと。それは──。
「ユリィシア・アルベルトは紛れもない聖女じゃ」
教皇イノケンティウス15世が感極まった様子で人々に説法を始めている。
それはまさに、この場にいる一同共通の認識であった。
ユリィシアは彼らの中で──真実【聖女】になったのだ。
だが、その肝心のユリィシアの姿がどこにも見えない。
「お嬢様が、いない……」
「戻ってきてないリュ!」
ウルフェたちは必死になって周りを探すが、どんなに探してもユリィシアの儚げな姿を見つけ出すことは……とうとうできなかった。
「まさか……お嬢様は……」
「お嬢様はどんなときも約束は破らない人でした。少なくとも軽々しい約束は一度もしたことがありません。そのお嬢様が『なんとか戻る』とおっしゃったのです。ボクたちが信じないでどうしますか?」
「くっ……」
ネビュラの言葉に唇を噛むウルフェ。
「……ぐうぅぅ」
そのとき、誰にも気づかれることなく倒れていたウルティマが目を覚ました。
大きな秘術のリバウンドに頭を抱えたウルティマ。
だがすぐに顔を上げると、憎々しげに空を睨みつける。
「くっ……異変が地上にまで及ぶか──間に合うか!?」
ウルティマの視線の先にあったのは──。
「何だあの空はっ!?」
「いや、おかしいのは──月!?」
「昼間だってのに、月が──」
「輝いてる!?」
異変に気付いた人々が次々に声を上げる。
なんと、本来であれば自ら輝きを放つはずがない月が──七色の光を放っていたのだ。
まるで信じられない光景が、人々の頭上に広がっていた。
「こ、これは……」
「て、天変地異リュ!?」
「もしやお嬢様は、月で戦っているのか?」
ウルフェたちが戸惑いの声を上げる横で、ウルティマが歯を食いしばりながら立ち上がる。
彼女に気付いたウルフェが、ユリィシアの知人だと覚えており、つい寄ろうとする。
だが彼の手が差し伸べられる前に──。
「時間がない、こうなっては──最後の手段じゃ」
ガリッ。
ウルティマが指を齧る。
次の瞬間、真っ赤な魔法陣がいくつも浮かび上がり、そのまま──ウルティマの姿が消えたのだ。
「えっ?!」
いきなり目の前でウルティマが消え去り、ウルフェには何が起こったのか理解できないでいた。
魔術を用いたのか? それとも別の何かによって転移したのか。
ウルフェには分からない。ただ、一人の少女が目の前から消え去ったという事実だけがそこにあった。
「月が──」
「爆発するリュ!!」
だが仲間たちの言葉が、ウルフェを思考の渦から強引に引き戻す。
慌てて天を見上げると、そこには──。
禍々しく七色に輝きながらも、細かく振動する──月の姿があった。
月の異変は、もはや頂点に達していた。
まるで爆発寸前のように、亀裂が入り七色のオーラを発している。
あまりに異様な様子を前にして、人々は完全に無力であった。ただ神に祈りを捧げることしかできないでいた。
そして──。
天に閃光が走り、月が──。
「うわぁぁぁぉああぁぉ!!」「キャァァァーーっ!!」「爆発したーー!!」「この世の終わりだーー!!」
とうとう月が──七色の光を放ちながら──爆発したのだ。
一切、音は聞こえなかった。
だが閃烈な爆発光とともに、月が──真っ二つに裂ける。
「なっ……!?」
「月が……」
「割れたリュー?!」
月が割れるという超異変を目の当たりして、人々は──己の死を覚悟した。
月が割れたのであれば、次は地上が割れるのではないか。
そのような事態が起これば、人々は全滅してしまうのねはないかと。
しかし──人々が危惧したような事象は起こらなかった。
確かに月は二つに割れた。
その影響からか、天に七色に輝く壮大なオーロラが出来たものの、ただ……それだけであったのだ。
ときおり、月の破片が流星となって地上に降り注ぐ。
七色のオーロラを背景に星が墜ちてくるその光景は、とてつもなく奇跡的で神秘的なものであった。
流星は地上に落ちる前に燃え尽き、被害を及ぼすことはなかった。
オーロラとともに流星が灯火となって、世界中を明るく照らし出す。
──月の破壊。
七色のオーロラ。
降り注ぐ、流星群。
のちに人々はこの現象を『癒しの聖女の祝福』と呼んだ。
きっとユリィシアが、なにかを行なって人々を滅亡の危機から救ったに違いない。
あのオーロラは、そのときの守りの結果なのではないか、と。
人々は、待ち焦がれた。
──【癒しの聖女】の帰還を。
今か今かと待ちわびた。
自分たちを救ってくれた偉大なる聖女が、再び現れることを。
だが、人々がどんなに待っても──。
ユリィシアが戻ってくることはなかった。
【癒しの聖女】ユリィシア・アルベルトは──。
この日を境に、歴史の舞台から完全に姿を消したのである。
次回、エピローグ。
夜に投稿予定です。
もう少しだけお待ち下さいね( ´ ▽ ` )