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花は毒姫  作者: きちょう
第2章 類は友を呼びすぎる
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4.温室に眠る処刑人


 自分が幸福になれないのだから、他の誰も彼もが不幸になればいいと思っていました。


 ◆◆◆◆◆


 その後もゼノは二日ほどかけて何人かの貴族に面会し、シャウラの情報を求めたが全ては空振りに終わった。

 シャウラの父親、フルム薬師の施療院で治療を受けていた患者たちは、入院ではなく通院する者が多かった。そのため、患者同士の接触が王宮付き医師の予想よりも大分少なく、それぞれが他の患者に関して知っていることは少なかったのだ。

 その上、フルム医師は善良な人柄で、自分の患者ではなくとも城内で怪我や病気をする者がいれば誰彼かまわず治してまわったという。

 もらった情報を全て繋ぎ合わせてみても、フルム薬師が関わった全患者数に足りない。このような事情を知らず名乗り出ることを考えすらしてもしない者がほとんどなのだろう。

 当たり前と言えば当たり前の話で、それら全てを国内全域とは言わずとも王宮に近づく貴族全体に問い合わせるだけでも、ゼノには権力もなければ時間もなかった。もともとフルム薬師の施療院の患者数を調べること自体が目的ではないのだ。その中に兄がいたことをシャウラに思い出してもらうのが主目的である。

 ただ、施療院の患者であった貴族の青年たちから少しだけ面白い話は聞けた。

「それがアルファルド王子殿下であるかどうかはわかりませんが、シャウラ様を好きだと言いそうな子が一人だけいましたよ」

「本当か?!」

「ええ。いつも彼女の傍で本当の弟のように彼女になついていた少年が一人。同じような年齢だったのでそのことだけは覚えているんです」

 シャウラがアルファルドを特定できないと言ったのだから、確かに施療院にはアルファルドと同じ年頃で似たような容姿の少年が多かったらしい。ナヴィガトリア貴族には金髪碧眼が多く、ゼノが会って話を聞いた者も四人中三人までが金髪で碧眼だった。後の一人は金髪だが緑色の目だ。

 だが、シャウラには弟などいない。いたら最後の毒姫と呼ばれないだろう。彼女はフルム薬師夫妻の一人娘で、他に兄弟はいない。

 彼女に懐いていたというその少年が兄かどうかを確認できれば話が終わると勢い込んだゼノだったが、続く青年たちの言葉でその期待には影が差した。

「ですが……その少年は、その。あまり性格がよろしくなかったので、とても殿下だとは」

「クソガキだったの?」

「ク……あ、いや、その……ええ、まぁ。私も何度か理由もなく叩かれたり、意地悪をされたことがあるのです。それだけでなく、他にもいろいろ。噴水に突き落とされたり大事なものを捨てられた子なんかもいたはずです。ああ、毒蛙事件なんてものもありました」

「それは……」

 確かに、いくら本人が自分で昔クソガキだったと言ってはいても、今のアルファルドの温厚な姿と話に聞く意地悪な少年の肖像はあまりにも一致しない。

「でも、施療院に通っていた子どもなんてだいたいみんなそんなものでしたからね。いつ死ぬともわからぬ重い病自体の苦しみ、自分が家から受け継ぐはずのものを弟妹や他の親類に奪われるのではないかという焦燥と疑心。他者から向けられる純粋な厚意や親切を受け入れる余裕がなく、いつも誰かを恨み、憎み、捻くれていた。本当に、可愛くない子どもばかりでしたよ」

「あんたもそうだったのか?」

 ゼノに思い出話を聞かせてくれた青年は温厚な人柄で知られていて、とてもそうは思えない。

「ええ。今思えば酷く醜い性格の子どもでした。でもそんな私たちと真正面から向き合い、本気で叱り、心配し、病を癒すために尽力してくださったのがフルム先生とシャウラ様だったのです」

 施療院の患者たちは、フルム薬師とその家族であるシャウラに好意的だった。その事実と、意地悪な少年の話だけを収穫にゼノの貴族たちへの聞き込みは終わった。

 そして彼はまたシャウラの家こと薬屋兼花屋の“毒薬屋”と向かう。

 馬車の中でぼんやりと街並みを眺めながら、ゼノは先日のレグルスとのやりとりを思い返していた。

 シャウラのことを愛していると言った彼。王子としてのゼノにとっては、玉座を巡る最大の敵である男。

 何故今の国王陛下、義理の父親が弟の息子にあたるレグルスではなくわざわざ国外に出た従兄弟の子であるゼノを王室に迎え入れたのかわからなかったのだが、その理由がこれだったのではないかとようやく思い当たった。

 シャウラの父親であるフルム薬師と国王陛下は友人であったらしい。国王と庇護される特殊民族という関係だけではなく、友人関係にあったのだと。シャウラもアルファルドに会ったことはないと言いながら、国王のことは知っているようだった。

 レグルスは昔から王城に出入りしている。王弟の息子であり、病弱なアルファルドに代わり次期国王になるのだと思われていたのだから当然だ。

 国王陛下は、レグルスがシャウラを愛していることを知っていたのではないか?

 だが、その想いの先に未来はない。シャウラを王妃としてレグルスが迎えるならば、どちらにしろ現在のナヴィガトリア王家の直系は途絶えることとなる。あとはゼノよりも更に遠い傍系の血縁しか存在しておらず、ならば次は身体的に強い王を欲してゼノを迎え入れた。王がレグルスであれば側室を迎えるという手もあるにはあるが、レグルス自身の性格からそれを望むとは思えない。

 レグルスではなくゼノを養子に迎えた国王の行動を、ゼノはそう推察する。一応義理の父というべき人ではあるが、多忙な陛下とはほとんど話をしたことのないゼノには彼の考えの本当のところはわからない。

 どちらにしろ、後継者問題はナヴィガトリア王家には常につきまとうのだ。ゼノ自身も“鋼竜の民”の血を引く者なのだから。それは傍系の傍系のような遠縁の貴族を王位につけることとどちらが良いのかわからない。

 わからない。国王の考えも、レグルスの想いの深さも、アルファルドの矜持も、シャウラの意地も。

 ゼノは何も知らない。この国に来て、まだたった一年だ。それ以前のことは知らない。そうでなくとも、人間社会のことは難しい。

「ああ、この前の王子様。今日はシャウラちゃんそっちじゃないよ」

「え? どこにいるか聞いてもいいか?」

「この時間は温室に花の世話をしに行っているんだ。家の中で待つこともできるだろうけど……」

「いや、行く。場所を教えてくれ」

「言うだろうと思ったよ。待ってな。今地図を描いてやるよ」

 先日の魔獣相手の騒ぎのせいでやけにこの地域の住民たちに親しみを感じられているゼノである。第二王子だと堂々と名乗りつつ、シャウラにごく当たり前のように叱られている姿が庶民たちの笑いと共感を誘ったらしい。

 とはいえ本人はそんな自覚はなく、この付近は親切な住人が多いなぁなどと惚けたことを考えつつ地図を受け取る。

 シャウラの温室は、すぐに見つかった。これも国王の心尽くしの一つなのだろう。庶民の一介の薬師が街中に持つようなものではない、小規模だが立派な温室だ。独自に水まで引いているらしい。

 周囲の景観を壊さないよう見事に調和した建物の内部を、半透明の硝子が透かしている。とは言ってもその中は無数の薔薇が咲き乱れていて、誰か人がいても様子を窺えるような状態ではなかった。


 ◆◆◆◆◆


「ちーっす」

「何当然のような顔で入ってきてるのよ……」

 人の気配に気づいていたシャウラが、薔薇に水を遣りながら頭痛を抑えるようにこめかみに手を当てる。

「この前も言おう言おうと思っていたけれど、あなた本当に『王子様』なの?」

「最初からそう言ってるだろ。第二王子だって」

「そうじゃなくて、この国に来てまだ一年とはいえ、一年はこの国にいるってことでしょ? 城で家庭教師とかつけて勉強していないの? 王子様らしい振る舞い、紳士の物腰、貴族の社交術なんかを習ったりしていないのって」

 ゼノが野生児であることは、彼の経歴を聞けば誰でも想像がつく。“鋼竜の民”である母が死に、何も知らない父親が一人で健気にも子育てをしているならばその苦労もひとしおだろう。

 だからといって、毎回護衛もなしに一人で城下に降りる王子様というのもそうはいまい。

 その言葉に、ゼノがぎくりとする。

「う、そ、それは……クビになりました」

「クビ? あなたが家庭教師をクビにしたの?」

「いや、俺が生徒をクビになった」

「……」

 温室の中に沈黙が訪れる。

「……そう言えば、あなたってお忍びなんて概念がなさそうなのに、どうして毎回あんなに質素な馬車でここに来ているのかって思ったのだけれど」

「王家の紋章入りの馬車を一台ぶっ壊したら、誰も馬車を貸してくれなくなった」

 何がどうしてそうなった。

 非常識だ。あまりにも非常識すぎる。否、非常識というよりも、規格外というべきだろうか。

「べ、別に俺のことはいいだろ! それより兄貴のことだよ!」

「それは……あっ! 駄目よ! その薔薇に触っちゃ!」

 話題が自分の振る舞いに関することになって取り乱しかけたゼノが、シャウラの声に我に帰る。さりげなく薔薇と彼の間に体を滑りこませ、彼女はゼノを問題の薔薇から遠ざけた。

「この薔薇には毒があるのよ。正確には、毒を吸って成長する薔薇なの。だからこの国では、私ぐらいしか育てていないわ。毎日の水に毒を混ぜるのはお金もかかるし、手入れは繊細な薬草並に大変だから」

「へー、そうなのか。なんか城で同じような花を見たことあるぞ」

「お城にも出荷しているからね。この薔薇自体が毒薬として精製できるのと、見た目が美しいから鑑賞用にも栽培しているの」

「ちょっと待て後者はともかく前者。毒薬って……」

「“霊薬の民“は伊達に毒花の民と呼ばれてはいないわ。私たちは自分の体内に持つ毒だけではなく、薬草や毒草も育てて精製、調合し薬を生み出す。中には私たちだけがかかる病もあって、その特効薬となる毒もあったりするのよ」

「そう……なのか。じゃあこの花もあんたにとっては」

「そう、薬よ。もちろん毒としても使うけれど。だから株を絶やすわけにはいかないの。その事情を話したら国王陛下……あなたの義理のお父様が温室を作ってくれた。そうやって色々と便宜を図ってもらった対価として、私はこの薔薇から毒を抜いた花を城に卸したり、鼠避けの薬なんかを納品しているのよ」

「そういう関係か」

 その時、二人は人の気配を感じて振り返った。シャウラよりもゼノの方が一瞬早く、彼女が気づいた時にはもうすでに侵入者に向かって誰何の声をあげている。

「誰だ?!」

 シャウラの温室は特に鍵などかけていない。だからゼノも入ってくることができた。だがこの毒薔薇が咲き乱れる温室に入りたがるような物好きは街にはいない。入り口にはその旨がきっちり警告してあるし、高価な花だと知り侵入した花盗人が何人もその毒で誤って死んだことは有名なので、ますます一般人は近寄らない危険地帯となっている。

 その少年は、服装だけならまるで街の普通の子どもに見えた。身長はさほど変わらないが、顔立ちはゼノよりも幼い。十代半ばに見える。

 しかし容貌そのものと違ってその表情に年齢相応の稚い様子はなく、紫の瞳は冷たく研ぎ澄まされている。

 誰、と叫んだゼノの声に少年はこう答えた。“処刑人ディミオス”と。

「!」

 シャウラは息を呑んだ。

「避けて!」

 身体能力で優れるゼノよりも彼女が早く動けたのは、その名にまつわる知識がひとえにゼノよりも深いために他ならない。

 “処刑人ディミオス”という名乗りを聞いた瞬間から彼女はゼノに飛び掛かり地面に引き倒した。彼らの頭上を特殊な形状の暗器が飛んでいく。

 多少薔薇の毒を受けたところで、人間なら即死する量でも“鋼竜の民”のゼノならば死ぬようなことはないだろう。それよりも、今はこの侵入者の少年の攻撃が問題だ。

「なんなんだよ! あいつは!」

 何かを投げつけられたと自覚した瞬間それまでと立場を逆転してシャウラを庇うように飛び退ったゼノは、顔を少年から逸らさないままに尋ねる。

「“処刑人ディミオス”というのは、大陸最強の暗殺組織よ!」

「ってことはまた俺への刺客か! 今度は誰からだ?」

「殺し屋が依頼人の事情をそうほいほいと話すわけないでしょ! というか心当たりがそんなにあるの?!」

 厄介なことに巻き込まれたと、シャウラは叫ぶ。ゼノは気にした様子もなく、温室の入り口に向かって駆け出した。

「なぁ、さすがにこの温室壊したらまずいか?」

「当たり前でしょ!」

 武器を持つ少年に素手で攻撃を仕掛けながら問いかけるゼノに、シャウラは叫ぶ。次の瞬間彼女は驚愕のあまり目を瞠った。

「なっ……!」

「――?!」

 暗殺者も声ならぬ叫びをあげる。ゼノは素手で、彼の持つ武器を砕いたのだ。

 “鋼竜の民”。鋼の鱗を持つ竜の名を与えられた、戦闘に特化した民族。瞬時に硬化したゼノの皮膚と攻撃の威力が、鋭い切っ先を持つ暗器の刃の強度に勝ったらしい。

 刃物をその切っ先から素手で砕くという荒業を見せたゼノの拳には傷一つない。

 非常識だ。あまりにも非常識すぎる。

 そもそも圧力というのはかかる面積の広さと反比例するから剣の先が人の皮膚に刺さる力は――などと一瞬シャウラが思考を飛ばしている間にも、温室の入り口を吹き飛ばしたゼノと暗殺者の戦闘は続く。

「ちょっと!」

 一応声をかけてはみるものの、どちらも反応しない。当然だ。この場では一瞬の隙が命取りになる。

 温室を飛び出してからも二人は激しい戦いを繰り広げる。驚愕を乗り越えた暗殺者少年の方も本気の目をしていた。

 常人の動きではない。

 だが、ゼノの動きはそれよりも更に鋭く力強い。

 やがてその動きは、訓練された暗殺者を捕らえ、超える。最初の暗器を失っても他の武器で応戦していた暗殺者の腹部に、ゼノは思い切り拳を叩き込んだ。

「っ! 馬鹿っ!!」

 少年暗殺者の体が、投げ捨てられた人形のように地を転がる。折れた肋骨が肺を突き破ったのだろう。その唇から盛大に血を吐いた。

 “鋼竜の民”の拳の一撃はただの人間のそれとは比べものにならない。魔獣の肉体すら貫いた腕だ。打ち所が悪いなどの問題ではなく、このままではゼノは本気で少年を殺してしまう……!

 相手が王子だろうと容赦なく罵倒しながら、シャウラは暗殺者にトドメを刺そうと踏み出したゼノの前に両手を広げて滑り込む。

「どわっ!」

 常人ならばそこで止まることはできずにシャウラの胸を貫いただろうが、ゼノは間一髪それを避けた。反動を殺しきれず自らが無様にスッ転びながらも、間違ってシャウラを殺してしまうようなことはなかった。

「な……何やってんだよ! 死ぬ気か?!」

 泥まみれになってひっくり返りながらも、ゼノは血まみれの暗殺者の傍らに膝をついたシャウラに怒鳴る。

 彼女は負けじと怒鳴り返した。立ち上がったゼノの横っ面を、乾いた音を立てて思い切り引っぱたく。

「それはこちらの台詞よ! あなたは何をやっているの?! この子を殺すつもり?!」

 一瞬呆然としたゼノが、すぐに我に帰り怒りに紅く染まった目元で更に怒鳴る。

「そうだ! 当たり前だろ! でなきゃ俺が殺られるんだ!! 殺される前に殺す! 当然のことだろ?!」

「あなたを殺したいのは彼じゃないわ。雇われただけの暗殺者を、それもあんな子どもを殺してどうなると言うの?!」

「じゃあ俺に黙って殺されろって言うのか?!」

「鋼竜なら、自分の力くらい制御しないでどうするの! あれだけの実力差があればあなたの力なら生け捕りにするくらい簡単なはずよ!」

「そんなことできるなら最初からやってる!! 大体暗殺者なんて、どれだけ問い質しても依頼主について口を割ることなく最終的に自害するんだ! だったらここで殺したって一緒だろ!」

「違うわ」

 きっぱりと言い切り、シャウラはこうしてはいられないとばかりに暗殺者の少年の目前に跪いた。血を吐いて死に向かう小動物のようなその顔に手を添え、顎を持ち上げる。

「あ、オイッ!!」

 少年自身の血塗られた唇に、シャウラは自らのそれを重ねた。

 毒姫の一度限りの聖女としての力が、その身につけられた傷を癒していく。新しい命を吹き込むかのように、瞬く間に傷が消えた。

 ぴくり、と地に落ちた指先が動いた。眩暈を起こした様子ながらも少年は無理矢理上体を起こす。

「!」

 自らの傷が癒え、苦痛が消えたことに驚いた顔で彼は自分自身を見下ろし、ついで傍らのシャウラへと視線を向ける。

 何故、と声なく問いかける視線にシャウラはゆっくりと首を横に振った。

「――救える相手を救うことに、理由なんてないわ」

「嘘だ」

 少年ではなく、その背後のゼノが言った。驚く暗殺者の腕を掴んで妙な動きをしないように止め、シャウラはその視線にまっすぐ立ち向かう。

「じゃあ何故、あんたは王宮に来ない。なんで兄貴に会ってやらない。――その力で、兄貴を救おうとしない! 助けられる相手を見捨てて、そんな奴は助けるのか?!」

「ゼノ」

 何かに裏切られたような悲痛な眼差しで見下ろしてくるゼノに、シャウラはこの国で唯一の、同胞ではなくとも同じ分類の生き物として語りかける。

「……私たちは異能を持つ特殊な民族よ。ただの人間ではない。自制するべき力を持ち、それを使うべき時と、感情に流されて使ってはいけない時がある」

「俺はただの人間だ!」

 その叫びは、まるで悲鳴のようだった。

「ただの人間だ。人と違うものになりたかったわけじゃない。俺以外の生き物になろうとしたわけでもない。なんで、そんな当たり前のことを責められなきゃならないんだよ!!」

 シャウラは自分がゼノを傷つけたことを感じた。

「ゼノ、あなた……」

 すでに最後の毒姫としての宿命を受け入れたつもりの彼女とは違い、彼はまだ自分の宿命と、鋼竜としての血と呪いに立ち向かっている最中なのだ。

 母喰いの“鋼竜の民“。生まれる前から母親を殺し、男として生まれたら妻を殺す。それは決まりきったことで誰も変えられない。

 彼が王として立ちその血がナヴィガトリアに残れば、生まれて来る子どもは皆その性質を引き継ぐことになる。永遠にとは言わないが、少なくともゼノから三十代程度は、配偶者か自分自身を殺すことでしか次代を紡ぐことができない血を王家に遺してしまう。

 そのような王を望まない勢力は多いだろう。暗殺者を差し向けられることに慣れていたゼノ。この国は彼にとって荊の檻のようなものだ。どこを向いても敵だらけ。そして彼はこの国でただ一人の異能の王。

 養子に出されて実父からも引き離された以上、王城内で唯一の味方と言えるのは優しい義理の兄であるアルファルドだけ。その兄ももうすぐ永遠に失われようとしている。

「あなたは……孤独なのね」

 そんな少年を――傷つけた。

「今更だ。これまでずっとそうだった。これから先も変わらない」

「ゼノ」

 彼はくるりと踵を返し、シャウラにもその傍らの暗殺者にも背を向ける。

「……確かに、あんたの言うことにも一理ある。暗殺者なんて所詮雇い主の道具だ。道具に文句言ったって仕方ない。直接雇い主に文句言うさ」

「ってあなた、それが誰だか知らないんじゃ……」

「見当はつく。というか、どうせレグルスだろ。主犯じゃなくてもどうせ犯人の目的は俺を殺してあいつを王にすることだろ? だったらあいつに文句を言う」

 その時、シャウラは傍らの少年暗殺者が僅かに顔色を変えたのを知った。動いた空気に咄嗟に視線を向けると、まだ血色の悪い唇が「ちがう」と音もなく囁くのが見えた。

 だが、ゼノの背はかけられるどんな言葉をも拒んでいる。

「……温室の扉、壊して悪かったな。弁償はまた今度にしてくれ。兄貴の依頼が残ってる。また、必ず来るから……」

「ええ。……待っているわ」

 待っている。

 道は交わらずとも、いがみ合うばかりかもしれずとも。

 待っている。シャウラは彼の訪問自体を拒むことはない。

 ゼノが背を向けたまま軽く手を振り、道の向こうに姿を消す。

「……後片付け、しなきゃね」

 シャウラは傍らの少年に声をかけ、彼女自身もまた動き出すために立ち上がる。

「名前は?」

 と、シャウラは尋ねた。少年は首を横に振る。言えないというのか、それとも名前がないのか。暗殺者は名乗らない。敵に情報を漏らさないためには、情報そのものを知らないことが一番確実だ。

 ゼノの言った通り、彼らは雇い主にとってはただの道具。

 それでも紫色の瞳には、明らかに人としての意志と感情があった。それは普通に生きている人間と比べては酷く希薄で弱いのかもしれない。

 それでも。

「ならばあなたのことは、これからエルナトと呼ぶことにしましょう。私の弟の名前よ」

 淡い色の瞳に戸惑いが漣のように走る。

「……僕は」

「組織の下に戻る? そんなわけにはいかないわ。そうしたら、今度こそあなたを殺さなければならなくなる。私は救える者を救いたいとは言ったけれど、それが心から殺戮を望む人間であってはならないもの。――あのね、よく聞いて。私は――」

 シャウラは自分“が霊薬の民”と呼ばれる者であること、その異能について少年に話した。ゼノによって殺されかけ、シャウラの力で死の淵から呼び戻された少年の命を、今度は彼女が握っていることも。

 毒花の奇跡はただ一度限り。次にシャウラの体液を受ければ、彼は死ぬ。その命を奪うことは、シャウラにとっては道端の花を摘むよりも容易い。

「さぁ、どうする?」


 ◆◆◆◆◆


 王城では会議が行われていたらしい。その場にゼノは乱入する。目的は先程の暗殺者を送ってきただろうと彼が推測する一人の男だ。

「レグルス!」

 突如として返り血塗れの凄惨な姿で会議室の入り口に仁王立ちで現れた第二王子に、諸侯はいつもの奇行と知りながらも度肝を抜かれた。野生児たるゼノの行動は、中央の繊細な貴族の神経を疲弊させるのに十分である。

「ゼノか。いきなり何の用だ。会議中にわざわざ口を挟むんだ。重要な話なんだろうな」

「重要も何も、あんたが送ってきた暗殺者の話だよ」

「暗殺者?」

 ゼノの言葉に、レグルスが怪訝な顔をする。

「お前は今日シャウラのところに行っていたんじゃ……まさか! 彼女を危険な目に遭わせたんじゃないだろうな!」

 彼はつかつかとゼノの方へ詰め寄ると、その胸ぐらを掴んだ。自分の方が糾弾するはずだった相手からの言葉に、ゼノは真剣に驚いた。

「危険も何も……じゃああいつを送ってきたのはあんたじゃないのか」

「お前如きを殺すのに、暗殺者など必要あるものか! それよりもシャウラのことだ! 彼女を危険な目に遭わせるつもりならば、暗殺者など雇わず私が直々にお前を殺してやる!」

 レグルスの冷静沈着な伯爵の仮面は、ことシャウラに関することとなると剥がれ落ちる。ゼノの奇行はいつものことだが、レグルスの取り乱しように諸侯は驚いた。

 なんとか誤解は解けたが、二人が和解するはずもない。そのままレグルスは退席を宣言し、国王に許されて議場を後にした。闖入者のゼノも軽い詫びの言葉と共に姿を消す。

 だが問題の中心たる二人が会議室を去っても、ざわめきはなかなか収まらなかった。


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