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花は毒姫  作者: きちょう
第1章 霊薬の民
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1.病弱王子の頓狂な依頼

 ちょうど予定が空いてしまったこともあり、ゼノはまたかと大袈裟に溜息つく使用人たちのお小言を振り切って城の南棟を目指した。

 近頃また一段と体調を悪くして寝込んでいる兄が、彼に見舞いを求めてきたのを盾にして。

「兄貴、何の用だよ」

 精緻な浮彫の施された扉を自ら叩き、およそ王子様という言葉が想起させる像とは似ても似つかない粗野な仕草で部屋の中に入る。

 いつものように寝台の中で本を読んでいたらしい兄はゼノとは対照的な、誰もが認める「王子様」。彼はゼノの姿を認めて微笑むと、手にしていた神話の本を閉じて弟を迎える。

「具合は?」

「今日は随分と調子がいいみたいだ。だから君を呼んだんだよ」

 ナヴィガトリアの第一王子、アルファルドは生まれつき病弱な性質だ。昔は成人まで保たないだろうなどと噂されていたが、今年で彼も無事に二十歳を迎えた。だが、その奇跡も長くは続かない。

「急に呼び出してしまったけれど、ゼノの方こそ、予定は大丈夫かな?」

 兄の言葉に、弟は憮然とした顔で返す。

「暇も暇。昨日ちょうど三十人目の家庭教師が激怒して暇乞いを申し出た。今日は朝からナントカ公爵の屋敷に招かれたけど、そこの御令嬢とやらが泣いて、お開き」

「おやおや。女の子を泣かせるなんていけない子だね。なんて言ったの?」

「あっちが俺とお近づきになりたいなんて言うからさ。『お前は両親の道具として死にたいのか?』って聞いただけ」

「あーあ。女の子には優しくね」

 口ほどにはゼノの行動を咎める様子もなく、アルファルドはくすくすと笑う。

 アルファルドとゼノの二人は、容姿も性格も能力も何もかもが違う。この二人が並んでいたところで、兄弟だと思う人間は皆無だろう。

 それもそのはずで、第一王子アルファルドは現ナヴィガトリア国王シェダルの実の息子だが、ゼノはその国王の従兄弟であるクルシス公爵ファクトの息子であった。幼い頃から身体の弱かったアルファルドがいよいよ危ないとなり、一年前に国王の養子に迎えられた第二王子である。

 アルファルドは白い肌、金髪碧眼とこの国の貴族の特徴を有しているが、ゼノは違う。

 母親が隣国生まれのゼノは義理の兄とは対照的な、褐色の肌に黒髪と緑の瞳だ。精悍な容貌をしていて背も高く、下手をすると兄であり優しげな容貌のアルファルドよりも年上に見えるだろう。

「でも、それならちょうど良かった。ゼノ、君に頼みたいことがあるんだ」

「頼みたいこと?」

 これまで何人もの家庭教師に見限られてきたことや有力な貴族たちとの関係をぶち壊してきたことを、ゼノはてっきりこの義理の兄にやんわり叱られると思っていた。しかし次のアルファルドの言葉は、彼の予想の斜め上を突き抜けていくかのようだった。

「僕の初恋の人をここに連れてきてほしい」

「――は?」

 五感に優れるゼノとしてはありえないことだが、聞こえなかった振りで彼はもう一度兄に尋ねた。

「今、なんて言ったんだ?」

「授業も諸侯からのお誘いもなくて暇ならちょうどいいだろう? ゼノ、君に僕の初恋の女性を探し出して、この王宮まで連れてきてもらいたいんだ」

「……どういう意味だよ、それ」

「意味も何も言葉通りだよ。昔この王宮で暮らしていた少女――今は大人の女性になっているだろうけれど、その人が王都のどこかに住んでいるはずだから、探して欲しいんだ」

 ゼノの目が点になる。

「俺が会ったことも見たこともないような奴をか?! その前にちょっと待て。初恋? 初恋って何?!」

「別に病弱だからって恋しちゃいけないなんて決まりはないだろう。初恋とは言うけれど、僕が好きになったのは後にも先にもあの人だけだ。この体じゃあ人並の恋なんてできないだろうけれど、せめて死ぬ前にもう一度だけあの人に会いたくってね」

「そ――そんなこと、言うなよ……」

 アルファルドがさらりと自らの死を口にすると、ゼノとしては何も言えなくなってしまう。

 この王宮で唯一と言ってもいい味方である兄の死。考えたくもないが、それが差し迫っていることは事実だ。半年前に倒れて以来、アルファルドの体調は日を追うごとに悪くなっていく。もう長くはないであろうことが、誰の目にも明らかなほどに。そもそもゼノが王の養子としてこの王宮に連れて来られたのだって、それが理由だ。

 朗らかな笑顔で冗談を言う様子は明るいが、アルファルドの顔色は蒼白で、腕も足も以前より痩せ細ってしまっている。彼がもとのふっくらとした頬の輪郭をとりもどすことは、もう永遠にないのだろう。

「頼むよ、ゼノ」

「……わかったよ。とにかく、その女を探して連れてくるだけのことはしてやるよ」

 ゼノは兄の懇願に負けて頷いた。どうせ先程口にした通り暇な身の上だ。本来ならこの時期の第二王子はやることが溢れているはずなのだろうが、家庭教師三十人に見限られた王子様の教師役を勤めたいという人間は、当分見つからないだろう。

 ゼノの専らの役目である魔獣狩りも、何度か大規模な討伐を行ったので、ここ最近は必要ない。

 依頼を承諾した弟に、兄は喜びながらも困った苦笑を見せる。

「うん。きっと苦労させてしまうだろうけれど」

「王都に住んでるって兄貴が知ってるってことは、所在の当てぐらいあるんだろう? そんで王都内なら、どんなに端っこに住んでても半日もあれば王宮に着けるだろ。別に苦労なんてしないさ」

「いや、彼女を見つけること自体は簡単だろうし、ここにやってくるのも健康な人間にとっては簡単だろうってことはわかっているんだ。そうじゃなくて――姉さんを説得するのに君が苦労するんじゃないかと」

「は?」

 ゼノはふたたびきょとんとした顔で兄を振り返る。

 見つけるのに苦労しないということは、相手は実は有名人なのだろうか。歌手や女優、貴族、王宮の勤め人。いくつかの可能性が頭の中に浮かび上がるが、それとアルファルドの言葉がうまく繋がらない。

 かつて王宮に住んでいて第一王子とも縁のあるような人物で、逆に今は会えないような相手……?

 アルファルドはどこか困ったような顔で笑いながら、その初恋の女性の「異名」を告げた。

「僕の初恋は麗しき薔薇の魔女。その名は――」


 ◆◆◆◆◆


 昼下がりの王都は明るい曇りの空が広がっていた。薄く淡い花びらのような灰色の雲が、陽光を遮っている。

 ナヴィガトリアの四季の変化は非常に緩やかだ。一年を通してもほとんど気温が上下せず、人々は道端に咲く花の種類でなんとなく季節を意識する。

 特に王都に住んでいると気候や天候の変化には鈍感で、暦を数えながらようやく今は春だ夏だと気づくぐらいである。

 この国に来てまだ一年経つか経たないかといったところのゼノには、それが不思議でならなかった。彼は一年を通して暑い地域の生まれである。母親がトゥバン帝国の出身で、父親がナヴィガトリア王族、現国王の従兄弟だ。

 その縁で彼は病弱な第一王子アルファルドに代わり、いずれ国を継ぐ者としてこの国の王宮に連れて来られた。

 とはいえ、ゼノは正直言ってこの国のことをよく知らない。

 城から馬車を一台出してもらい、城下町へと足を向ける。

 王都と一口に言っても、その範囲は広い。

 現在のゼノはと言えば、三十人の家庭教師とそれ以上の数の貴族を怒らせて見放された挙句、持て余した暇をこうして兄王子の頼みどおり彼の初恋の女性を探すために街に降りているという、わけのわからない状況だ。

 アルファルドが口にした名前、ゼノの探すべき女性は確かにある意味では有名人だった。それもこの国だけではなく、他国の人間でさえ、その名や容姿はともかく存在だけは周知しているだろうという有名さ。

“霊薬のイクシール”。別名“毒花の一族”の、最後の一人。

 最後の毒姫。

 そう呼ばれる女性こそが、第一王子アルファルドの初恋相手だった。アルファルド自身が姉さんなどと言っていた通り、今年二十歳の彼よりも年上である。ゼノにとっては大分年上の二十四歳だ。

 名前はシャウラ=フルム。

 外見的特徴は赤毛に金の瞳。

 初恋相手への思い入れが強すぎて無駄に抒情的な表現の入るアルファルドの説明を要約すると、そんなところだった。彼女は十二年前まで、国王に庇護されて両親共々ナヴィガトリアの王城に住んでいたらしい。

 十二年前に病で両親が亡くなってからは、王宮から去り王都で一市民として暮らしているという。もともとナヴィガトリア王族とは何の関係もないが、“霊薬の民”は彼ら固有の特殊な能力のために王に囲われていたのだ。

「――坊ちゃん」

 兄から聞いたその初恋相手の情報を思い返していたゼノは、御者に呼ばれて馬車の小窓から顔を出した。

「なんだ?」

「何かあったようですよ。街の様子がおかしい。道の一つが人垣で塞がれちまってますし、どうします?」

「人が集まってるならちょうどいいや。話聞いてみる。広場ででも待っててくれ」

「へい」

 もともと単独行動を好み、腕に覚えのある野生児であるゼノには貴族的な共を引き連れる習慣はない。質素な馬車に御者一人だけを連れてきた彼は、身軽に馬車から降り立つと堂々と街中を歩いて行った。

「おい、少し話を聞かせてくれ」

 そうしてゼノが辿り着いたのは、とある仕立て屋の前である。

 この店の女房が病に伏して死にかけているところに、“霊薬の民”である最後の毒姫が呼ばれたのだと言う。

 何故なら“霊薬の民”と呼ばれるその一族には、特別な力があるからだ。彼らはそのために様々な土地で何度も時の権力者に狙われ続け、ついには数ヵ国が彼ら一族を含む特殊民族全てに関する協定を結び、やがてこのナヴィガトリアで王に保護された。

 王子の権力というよりは自身の身体能力に物を言わせて、ゼノは野次馬が押しかける仕立て屋に押し入った。人垣を押しのけてその最前列へと身を乗り出す。

 そして見る。

 そこに広がっていたのは不思議な光景だ。


 ――花だ。


 と、ゼノは思った。

 雲を通った淡い陽光だけが差し込む薄暗い部屋の中、窓際に置かれた寝台に一人の女が横たわっている。青ざめた死人のようなその女に寄り添うように、もう一人の女がいた。

 そのもう一人の女が、まるで花のようにゼノには見えた。

 僅かに波打つ、肩口までの紅い髪。薔薇色と言われて人々が連想する、鮮やかな深紅だ。

 寝台の女に向けられる眼差しは金。誰も知らない迷宮の奥深くに眠る黄金のような、重厚で深みのある瞳。

 淡い逆光の中静かに影に沈んだ細身の輪郭(シルエット)。上半身はすらりとしていて、下半身は裾の広がったスカート。深緑のドレスは一見地味だが、彼女自身の持つ色彩が鮮やかなため、まるでお伽噺の魔女めいた鮮烈で神秘的な印象を見る者に与える。

 彼女は、ゆっくりと身を屈め寝台に横たわる女へと口付けた。

「!」

 そして彼は奇跡を見る。

 紅い髪の女が口付けた次の瞬間、それまでまるで死人のようだった寝台の女がぱちりと瞳を開いて起き上がったのだ。周囲で泣きながら様子を見守っていた夫や押しかけた野次馬たちが歓声を上げた。

 ゼノは兄から聞かされた、“霊薬の民”に関する伝説を思い出す。

 ――その接吻(くちづけ)は神の慈悲。しかし奇跡はただの一度きり、二度目を望む強欲なる者には死の鉄槌を。生と死をその手に握り、命を与え、命を奪う毒の花――

 “霊薬の民”の体液は、ただの人間にとっては復活の妙薬であり、毒でもある。その体液を得ると瀕死の重傷でも瞬く間に癒えるが、その奇跡は一度きり。同じ人物が毒花の民の体液を摂取すると、二度目は確実に死に至る。

 その毒は竜をも殺すと言われている、この世界で最強の毒だ。

 棘を持つ薔薇どころではない、触れるだけで命を奪われるかもしれない強烈な毒の花。最後の毒姫。

 それこそが兄の愛した女。

 アルファルドの初恋相手は彼女に間違いないと確信したゼノは声をかけようとして、その前に相手に気づかれた。聖女のような優しい顔で瀕死の重体から復活した病人に言葉をかけてから、紅い髪の女はその神秘的な黄金の眼差しでゼノの姿を見つめる。

 と、思ったのも束の間。

 毒姫、シャウラ=フルムは警戒心も露わに目を据わらせてゼノを睨み付け、地獄の魔物もかくやといったドスの利いた声をあげる。

「何よ、あんた」


 ◆◆◆◆◆


 予想違わず早速苦労したゼノの話を聞いて、兄は寝台の上で爆笑した。

「あははははは! さすがシャウラ姉さん! 変わってないなぁ!」

「笑いごとじゃねぇよ兄貴! アレが本当にあんたの初恋相手なのか?!」

「うん、まさに」

 ゼノはがっくりと肩を落とした。

 昼間、シャウラにすげなく追い返されたゼノは、とりあえず目標が間違っていないか兄に確認するためにこの部屋を訪れた。その結果が、先程の爆笑である。

 別人だよな? 別人だよね! と言う気持ちで尋ねたのだが、返ってきたのは良い笑顔と朗らかな笑い声。

「彼女は最後の毒姫だ。権力者相手の応対は、必然的に慎重にならざるを得ないんだよ」

「あれは慎重とかそういう感じでもなかったけどな……」

 王子だと名乗ろうとしたのだが、本日はすでに「王宮から来ました」辺りで言葉を遮られて台詞の最後まで発しきることのできなかったゼノは思う。確かに彼女を説得するのは骨が折れそうだ。明日また城下を訪れねばならないと考えると気が重い。

 毒花の一族最後の女、シャウラ=フルム=イクシール。

 “霊薬の民”として重宝がられるイクシール族は、その反面毒の一族として恐れられても来た。一度とはいえ必ず命を救う霊薬としての価値と、毒薬使いという危険性。

 毒花の一族とも呼ばれる通り、彼らは毒の扱いに長けている。表向きは薬師を生業とするが、その一方で自らの体液から毒を造りだして扱うのがかの民だ。

 かつて、彼らの力は所有者に不老不死を約束するものと誤解されていた。霊薬の民は狩られ、徐々に数を少なくしていった。シャウラはナヴィガトリアだけでなく、この大陸中で最後の、たった一人の“霊薬の民”なのだ。

「最後の一人なのに、街で独り暮らしって危なくないのか?」

「“霊薬の民”のように特殊な一族の扱いに関しては各国で協定を結んでいるからね。強引に彼女を攫うようなことをすれば、他国から一斉に突き上げをくらうことになる。下手をすれば戦争だろう」

「そんなにか?」

「ああ。毒花の一族にはそれだけの力がある。たぶん父上の方でも、表向きの接触はなくても彼女に関して絶えず監視はしているだろうね」

「我らが国王陛下か」

 ほとんど顔を合わせることもない義理の父の顔を思い浮かべ、ゼノは表情を渋くする。

「そ。特殊民族好きの我らが父上」

 ナヴィガトリアはかつてシャウラたち毒花の一族を、国を挙げて保護した。そのことを近隣諸国から揶揄されて、今の国王は「異種族好き」の変わり者と言われている。

 この大陸には“霊薬の民”に限らず特殊な能力を有する民族が普通の人々と共存している。彼らの取り扱いに関しては、国同士の間で厳格な取り決めがあるという。

「特殊民族に関しては、能力にもよるけれどその気になればたった一人で一国の運命を左右することができるほどの力があるからね。だから君みたいに直接的に王族の血縁でもない限り、国は特殊民族に関わりにくいんだよ」

 兄王子のころころとした笑顔に口を挟む隙を与えられず、ゼノは翌日またしても最後の毒姫のもとを訪れることとなった。


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