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処刑25.5 桜花流

 桜花流、それは現代の世の中にひっそりと存在する、剣技の流派である、抜刀による斬撃は巨岩ですら切り裂く


 そんな桜花流の道場を歩く男が一人、和服を着こなし腰に刀を下げた刀、一見侍の様だ、肩まで伸びた髪は手入れなど碌に行なっていない、男は顎を摩りながら伸びた顎髭を撫でる、この男の癖の仕草だ


 男の名は桜花源蔵


「そろそろだな」


 源蔵が呟くと門を叩き一人の若者が入ってくる、若者は腰に二本の刀を下げている、慌てた様に呼吸を乱している


「兄上、間に合った……」


「間に合ってないぞ甚助」


「何で俺だけ集合早いんだよ、まだ兄上しかいないじゃないか……いだっ!?」


 剥れて胡座をかいた甚助の頭に源蔵の拳骨が降った


「儂等は道場の隣に住んでいるのだ、それくらい当たり前だろう」


「でもよぉ、父上がそもそも来ないと始まらないだろ?」


「始まらぬのなら、己で腕を磨かぬか」


 父上とは、桜花流師範の桜花自斎おうかじさい、2人の父親である、この2人は兄弟であるが血は繋がっていない、源蔵も甚助も拾い子である


「よぉ、朝から仲良く兄弟喧嘩か?」


 挑発的な笑みを浮かべた男と、無言で佇む大男が道場に入ってくる


「塚原、岩吼も一緒か、これは喧嘩ではない、そもそも甚助が喧嘩で儂に敵うわけあるまい」


 源蔵がニカっと笑う、この4人は桜花流の剣士の中でも最も優れた4人とされている、桜花流の他の者からは四天王と呼ばれ敬われているが、それは剣豪としての実力を持ち合わせた結果だ


「まだ師匠は来ないのかよ」


「あぁ、昨日は遅くまで酒を飲んでいた様だからな」


「また二日酔いで動けないとか言うなよ?」


 塚原の言葉に対し面倒そうに源蔵は溜息をついて道場を出て行き、道場の隣にある和風な作りの家に上がる


「父上ー! まだかかるかー!」


 玄関で声を上げても反応がない、顎を撫で草履を脱ぎ廊下を渡る


「父上!」


 引き戸を開けると、白髪と白髭が特徴的な老人がいびきを響かせながら眠っている、この老人こそが桜花自斎である


 枕元に置いてある刀を一見し、源蔵は声を上げる


「もう時間だ!起きて飯食って道場に行ってくれ!」


 返ってくるのはいびきだけで、源蔵の言葉は届かない


「貴方は桜花流の師範だろう!」


 自斎はいびきだけでは無く、見事な鼻提灯を作り上げた、源蔵の額に青筋が浮かび上がる


「父上ぇぇぇ! 起きんかぁぁぁぁ!」


 布団を無理やり離すと自斎の鼻提灯が割れ目を開いた


「おぉ源蔵じゃないか、おはよう」


「おはようじゃない! はよ飯食って道場に来んかぁ!」


「ほぉほぉ、今日は納豆が食いたい」


「塩と白米がある、さっさと食え」


「酷いのぉ、老人虐めじゃ」


 自斎はふらふらと起き上がり、涙目で源蔵を見つめる


「喜べ、水は飲み放題だ」


 源蔵は一瞥して道場に戻って行った、この様な事はここでは日常茶飯事だ


 桜花自斎、桜花流師範、その実力は確かなものだが行動に癖がある、この道では有名な人物だが、誰がこんな茶目っ気爺さんだと想像ができようか


 源蔵が道場に戻ると多くの門下生が来ていた、自斎が来るまでの間源蔵が指南を行う


 暫くして塩むすびを齧りながら自斎が道場に来た


 門下生皆笑顔で自斎を迎える、これが日常であり、幸せだった、しかしいつかは終わるものだ、幸せという物は永遠ではない


 自斎が病に倒れた、それからは源蔵が道場を支えていた、数ヶ月経つと自斎はすっかり痩せ細り体も1人で起こす事が出来なくなっていた、看病するのは源蔵と甚助の2人、入院したく無いという自斎の願いがあったからだ


 ある晩、夜中に自斎は苦しそうに咳をしている事に気付いた源蔵は急いで看病に向かった


「すまぬな源蔵、起こしてしまったか」


「とんでもない、今薬を飲ませてやろう」


 薬を飲むと自斎は少し落ち着いた様だ


「甚助は寝とるか」


「あぁ、最近は真面目に修行している、今日も疲れているのだろう」


「そうか、なぁ話を聞いてくれんか」


「なんだ」


 源蔵は胡座をかいて耳を傾ける


「今この時師範の座をお前に渡そう」


 源蔵は目を見開き膝の上で拳を握る、感情を抑えているのだ、自斎はもう長くは無いと判断した証拠だ


「儂に務まるのだろうか……」


 源蔵には自信が無かった、次の世代の師範となり桜花流を続けられるのか、何よりあの刀を継ぐ事に


「何を言うか、お前以外に考えられんよ」


「そうか……」


 源蔵の拳の上に自斎が左手を乗せる


「お前は真面目すぎる、もっと楽しんでいい」


「儂にそんな余裕は無い」


「ほぅ? 何を焦っているのだ、それに……この刀を扱うのにはそういう気持ちが大切なのだよ」


「天地狂刃……」


 自斎は優しく微笑む、不思議だ、この人の事は長く見て来たがこの様な表情は初めて見た気がする


「そう怯えなくていい、強き心があれば刀に負ける事は無い、お前なら天地狂刃を従わせる事ができるはずだ、すまんのぉ、手渡ししたいがもうそんな力は残っていないのだよ……継いでくれ、決して誰にも渡さずにこの刀を守り抜いてくれ」


 源蔵は正座し、背筋を伸ばしゆっくり頷き枕元にある刀を両手で頭上に持ち上げ頭を下げる


「その想い、受け止めた」


「どこまでも真面目な男よのぉ、良かったこれで安泰じゃ」


「……」


「お前の意思で刀を抜くのだ、その鞘が唯一の歯止めなのだからな」


「うむ」


 その三日後自斎は静かにこの世を去った、葬儀には桜花流全員が参加した


 それからは源蔵の腰に天地狂刃を腰に下げる様になったが決して抜く事は無かった、怖かったのだ


 天地狂刃、代々桜花流が守り抜いて来た刀、遥か昔に邪念が霊魂となり、その悪霊が付喪神になった姿と言われている、かつて多くの血を浴びすぎたこの刀は持ち主の感情を狂わせ、天も地も関係なく狂人に変えてしまう妖刀と呼ばれている、この刀が舞う姿は武神そのもの


 唯一桜花流の師範だけが握る事を許されるのは、決して他人に渡してはならない、守りぬける存在だからだ


 そして引き継いだ物はこの刀以外を振るう事を禁止されている、鞘もいつまで持つか解らない、いつまでも抜く事が無く鞘の効果が無くなるという最悪な事態を避けるため、天地狂刃も普通の刀と同じ様に扱えなければならない


 それがこの刀の犠牲者を最小限に抑える方法、即ち源蔵だけが犠牲者なのだ


 しかしそれも噂話、先代がこの刀を抜いても何事も無くヘラヘラと笑っていた


 源蔵が師範になり数ヶ月がたった夜中の誰もいない道場で、ゆっくり刀に手を乗せるが抜けない、所詮は噂、しかしこれを抜いて狂人と化してしまったら


 そう考えると手が震える、全身が拒否反応を起こす


 悔しくて情けなくて、出来る事は柱に拳を突き立てるだけ


「何が師範だ! 何が四天王だ! 儂は唯の臆病物じゃあ!」


「そうだな」


 道場の扉が開き甚助が入ってくる、不機嫌そうに両手を後頭部に組みながらゆっくり歩く


「甚助……失望したか」


「何故兄上だったんだ、真面目な性格だからか、それとも父上の弱味でも握ってたのか?」


「なんだと?」


「正直失望したよ、師範の座と天地狂刃を引き継いだ上に刀まで抜けなくなっちゃって、兄上は何がしたいのさ」


 桜花流の関係が壊れ始めていたのは明白だった、刀も抜けないなら指南も碌にできやしない、門下生も呆れて出て行くものが多い、更に新しく門のを叩く者は先代が亡くなってから1人もいないのだ


 桜花流の人数が激減している、甚助が腹を立てるのも納得だが、頭を過る選択


 この場で師範の座を甚助に譲れば自分は救われるのではないかと、しかしそれもできなかった、血は繋がらなくても甚助は大切な弟だ、彼を自分の為に犠牲にできない


「儂は……」


「師範の座を俺に譲ってくれ」


「な……! お前は何を言っているか解っているのか!」


「解っている、半端者の兄上がその座にいるよりは数倍ましだ」


 甚助の目は本気だ、本気で桜花流を変えようとしている、このままでは甚助が呪いを受ける事になる


「できぬ……」


「俺を認めないか、兄上はいつもそうだ! 俺を下に見る!」


「違う! お前に同じ想いはさせたくないのだ!」


「明日だ、明日の朝に決着を着けよう、その名の通り真剣勝負だ、兄上を斬り伏せてでも天地狂刃は俺が継ぐ」


 甚助は乱暴に扉を閉めて道場を出て行った、源蔵も家に戻り甚助の部屋の扉を叩いても反応がない、外出した様だ


 源蔵は眠りに就くことが出来ないまま日は登り朝になってしまった、源蔵が道場に入ると残った門下生が周りに正座し、奥に甚助が待ち構えていた


「辞めぬか、儂等は血が繋がって無くとも兄弟、そうであろう」


 源蔵の言葉に甚助は首を振る


「兄弟だろうと何だろうと、俺は兄上を超えなければならない、桜花流の為にも」


 門下生が騒ついている中、1人の男が二回手を叩き注目を集める


「皆の衆落ち着いてくれ、今回の師範の座を賭けた決闘だが、審判としてこの塚原徳念つかはらとくねんが引き受ける」


「塚原まで、本気か」


 源蔵に対し塚原が深く頷く


「もう決まった事だ、だが最後に……」


「何だ」


 源蔵の肩に塚原が手を乗せる


「俺は最期までお前の友でありたい……勝ってくれ、そしてこれからの桜花流を頼むぜ」


「塚原……」


「それでは始めよう、両者前へ!」


 塚原が右手を上げると甚助は一歩前に踏み出した


「兄上、覚悟を決めろ」


「……こんなの間違っている」


「何を腑抜けている!」


 甚助の居合が源蔵の肩を切り裂く、鮮血が吹き出し道場の壁に赤い模様を描いた


「……ぬぅ!」


 源蔵は身を捻り追撃を回避、流れる様な連撃を天地狂刃の鞘で受け止めた


「さぁ観念しやがれ!」


「できぬ!」


 今甚助に負け膝をついたら、甚助の立場はどうなる、師範になり、天地狂刃を抜くか、それとも同じ様に途方にくれるか


 流石は師範代の源蔵、距離を取った後甚助の連撃を避け続けている、頭の中は考え事で沢山なのに身体が流水の如くしなやかに回避行動を取る


「抜けぇ! 兄上!」


 甚助は切り捨てるつもりだ、源蔵の結論はもう出ている、今この場で刀を抜き甚助に負けを認めさせるしか無い、それが最善の行動


「ち、畜生ぉ!……!?」


 天地狂刃を抜いた時、空間が鼓動するのを感じた、空気が一体になり時が止まる、黒い電流が全身に走り目が血走る


 呼吸が荒れ正常な判断ができなくなる、呪いは実在した、源蔵には早かったのだ、半端な意思で抜いた天地狂刃は源蔵の精神を支配する


 正反対に道場の空気は和やかだ、塚原が両手を広げ肩をすくめる、全ては源蔵に刀を抜かせるために道場ぐるみで仕向けた事だった、演技だったのだ


「勝負ありだ、やはり師範の座はお前が……!?」


 しかしこれが悲劇を加速させたのだ


 一瞬の間に甚助が仰向けに倒れた、胴を一瞬で斬り裂かれ多量の出血が止まらない


「兄……上……?」


「馬鹿野郎が!!」


 塚原が源蔵に斬りかかるが弾かれ塚原の刀が宙を舞い床に刺さる、源蔵は笑っていた、しかしそれは悪魔的笑み


「たわいもない、それでも四天王か?」


「源蔵!」


「塚原、お前は儂の友なのだろう? 何故儂が苦しんでいる時に助けなかった?」


「馬鹿が! そんな物自分で考えやがれ! お前等全員で源蔵を止めろ! 頼むぜ岩吼!」


 岩吼の拳が源蔵の目の前で止まる、巨大な拳を源蔵は片手で止めた


 源蔵は拳を伝い岩吼の目の前まで駆け抜け胸板を斬りつけながら首筋を蹴り飛ばし反動で空中で身を捻り口端を釣り上げた


「桜花……裂傷!」


 源蔵に向かって行った門下生の大半が吹き飛び斬り裂かれ、道場内は地獄と化した


 源蔵の高笑いが道場に木霊する


「これが怒りか! これが力か! 愉快だ! 実に愉快!」


「っけんなよ兄上!」


 飛んだ斬撃を源蔵は一太刀で消滅させる、その剣技は刹那


「甚助、お前はいつまでも弱いな」


「んだとぉ!……!?」


 駆けた甚助の顔面を源蔵が掴む、握力だけで甚助の身体を持ち上げる、切り傷から鮮血が滴り床に落ちていく


「軽いのぉ、そして脆い」


 既に全身に傷を負っている甚助はもう限界が近い


「兄上……」


 源蔵はまた笑みを浮かべ後頭部から甚助を叩きつける、木張りの床が砕け甚助の頭部が埋まる


 狂人と化した源蔵を止める術は残されていない、源蔵は道場の扉を突き破り屋根へ渡る


 意識のある塚原と岩吼が急いで追いかけるが源蔵の姿は見当たらない


「逃したか!」


 舌打ちする塚原に無言で頷く岩吼


「許さぬ、全てを壊す」


 声のする方を見上げると源蔵は一番高い屋根の上に登っていた、あの高さをものの数秒で登り切るとは最早化け物の領域だ


「源蔵はどうしちまったってんだよ!」


「全員逃げろ!」


 声を張り上げたのは甚助、全身から出血しながらもフラフラと道場を出てきた、もう体に力は入らないが目力だけは失わない甚助はしっかりと源蔵を睨み上げる


「甚助!? お前こそ逃げろ!」


「バカ言え! 兄上はあれをやる気だ」


「おいおい本気か?」


 桜花流始祖はこう残した、桜花のつるぎは月をも砕く猛き刃だと、その言葉より伝承される桜花流の秘技、桜花月砕刃おうかげっさいじん


 しかし源蔵はその術を習っていない、先代の意思だ

 今の桜花に破壊の剣など要らない、必要なのは守る剣だと、先代ですら振るった事のない剣技、語る事しかしなかった秘技を源蔵は放とうとしている


「仕方ねぇな、甚助の魂胆は解った」


 塚原が一歩前に出る、甚助は呆気に取られるが肩に大きな手が乗る、岩吼は甚助を見下げながら頷く


「お前等、逃げろよ」


「バーカ、お前1人にどうこうできねぇよ」


 塚原が舌を出し源蔵を見上げる、空気が渦巻き源蔵へ集まる、それを見て甚助は笑えてきた


「お前等、はっ! 本当に武士もののふだな」


「所詮はでかい裂傷だ、三人で合わせれば回避できるかもしれない」


 岩吼は背中から巨大な刀を抜いた、続いて2人も抜く


「いいか岩吼、甚助に合わせろ」


 ゆっくり頷く岩吼に甚助はニヤリと笑う、そして破壊の一撃が振り下ろされた


「儂はぁぁ! これでぇぇ! 桜花流秘技、桜花月砕刃!」


 それは巨大な斬撃、見るものを圧倒する斬撃は世界を上下に切り裂いたと錯覚させる程だ


「させっかよぉ!」


「最後まで足掻くか!」


 三人のタイミングの合わさった刹那と月砕刃が重なる時大気が震え、辺りの空間は白に埋まる


 凄まじい衝激の後立ち込める白煙が風に流された


「おいおい皆無事か?」


 砂埃を吐き出す為に唾を吐き捨てながら塚原が立ち上がる


「何だよ……これ」


 甚助は膝をついて絶望に襲われていた、焦点も合わずに息を震わせながら漏らしている、3人の前に広がる風景は地獄だ、道場も家も巻き込み押しつぶした様に全壊している


 木材と瓦礫の山を残して源蔵の姿は消えていた


 3人は地道に瓦礫を退かし集まれるスペースを作ると夜になってしまった、中心に火を焚き明かりを灯した


「彼奴、何処行ったんだろうな」


 塚原が煙管を取り出し煙を吐き出すと夜空に舞い上がり消えて行く


「終わりだ……桜花流は何もかも失った」


 甚助は正気に戻ったが項垂れ頭を上げない、岩吼は腕組みしながら鎮座している


「彼奴は、何処にいったのだろうか、あのまま放っておいたら……」


 地面を踏み抜く強烈な音がして2人は驚いた様に甚助を見つめる


「放っておける訳ねぇだろ! 兄上は……桜花源蔵は……! 俺達から全てを奪っていった!!」


「天地狂刃に桜花流そのもの……か」


「それにこのままでは桜花流の名に泥を塗られ続ける、狂人と化した兄上を止める方法はたった一つ」


「おいおい、本気か?」


「ぶっ殺してでも奪い返す!」


 甚助の目は憎悪の思念を込めていた、立ち上がり刀を掲げる、それを見た塚原はニヤリと笑った


「面白い、乗ったぜ」

(それしか方法は無いか)


 塚原も刀を抜き添える様に掲げる、岩吼も頷き刀を掲げた


「俺達桜花四天王の力を持って悪魔から桜花流の宝と尊厳を取り戻す!」


「応!」


「邪魔する奴は悪魔だろうと妖だろうと容赦無く切り捨てる!」


 3人の決起が立てられ桜花源蔵の暗殺計画が始まった

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