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2016年/短編まとめ

知らない君の知ってる声

作者: 文崎 美生

――ちゃん、――ちゃん。

目を閉じれば真っ黒で、目を開ければ真っ白。

どちらにせよ、気が狂いそうだ。


――ちゃん、――ちゃん。

薬品の匂いが鼻を突いて、呼吸するのも嫌になる。

静けさが耳鳴りを引き起こすし、そもそも何で、こんなところにいるんだっけ。


――ちゃん、――ちゃん。

体が痛くて起き上がるのも億劫だ。

ギシッ、とベッドのスプリングが軋む音を聞きながら、痛む体を無理やり起こす。


――ちゃん、――ちゃん。

真っ白な天井と薬品の匂いから分かってはいたが、病室のようで、わたし一人。

ベッド横の小さな棚には花瓶と色とりどりの花。


――ちゃん、――ちゃん。

上半身を起こしてから自分の体を見下ろしてみたけれど、別に特に骨折とかはしてなさそうだ。

ただただ、怠くて怠くて、体が痛い。


――ちゃん、――ちゃん。

それにしても、本当、何でこんなところにいるんだろうか。

首を傾ければ、ポキリと骨が鳴って、何も思い出せないことに首の角度を更に大きくした。


――ちゃん、――ちゃん。

そう言えば、思い出せないのは何でこんな場所にいるのかだけじゃない。

わたしって、そもそも、誰だっけ。


――ちゃん、――ちゃん。

首を元に戻して、今度は瞬きを繰り返す。

不思議と混乱したり慌てたりすることもないけれど、あれあれ、と記憶を引っ張り出そうとはする。


――ちゃん、――ちゃん。

まぁ、結局何も思い出せないから、ある意味時間の無駄だったんだけれど。

何かないかと病室を見回して見ても、特にめぼしい物は無さそうで、カチコチ煩い時計を手に取った。


――ちゃん、――ちゃん。

静か過ぎる病室にカチコチ煩いそれは、不釣り合いにしか思えなくて、電池を抜いた。

手の平の上で転がるアルカリ単三電池が二つ、取り敢えずゴミ箱に放り投げる。


――ちゃん、――ちゃん。

時計は止まったけれど、まだ煩い気がする。

時間なんて別に良いから、今が何年の何月何日なのか気になるんだけれど、カレンダーはない。


――ちゃん、――ちゃん。

あぁ、そもそも起きたのは今さっきで本当に良いのかすら怪しい。

もっと前に起きていたかも知れないけれど、何分何一つ思い出せないから分からないのだ。


――ちゃん、――ちゃん。

此処は何処でわたしは誰なのか。

何も分からないんだけど、どうすれば良い。


――ちゃん、――ちゃん。

それにしても、煩い。

ずっと何か、聞こえてくる。


――ちゃん、――ちゃん。

あぁ、なに、きこえない。

きこえるけど、きこえない。


――ちゃん、――ちゃん。

だれ、なに。

こえ、きこえる。


――ちゃん、――ちゃん。

――ちゃん、――ちゃん。

――ちゃん、――ちゃん。




***




ベッドの上で体を丸めて、どれくらい時間が経っただろうか。

電池を外した時計では、何時なんて確認は出来なくて、深く息を吐き出す。

聞こえていたような気がする声は聞こえない。

いや、そもそも本当に聞こえていたのかすら怪しいのだ。


記憶がなくて混乱してるんじゃない、と言われればそれまでで、自分自身落ち着いているように見えても、そうじゃないこともある。

だから、幻聴とか、そういうこともある。


「――ちゃん?」


体を起こす、顔を上げる。

兎に角反射的な行動で、わたしは微かな音を聞き取り、視線を向けた。

半開きの扉は、この病室と外を繋ぐものであり、その扉の前には一人の――男。

男、と呼んでいいのか迷うのは、彼が学生である証のように、何処かの学校の制服を着ていたから。


「……誰」


絞り出した声は思ったよりも冷たくて、固くて、掠れていた。

そんな声を聞いて、彼は目を瞬く。

後ろ手で閉められていく扉と、困ったように眉を八の字にした彼を見て、困ったのはわたしの方だよ、と言いたくなった。


彼は何も言うことなく、病室に入って来る。

カツコツ、床を叩く靴音を聞きながら、見つめた先には色素の薄い瞳。

よいしょ、と言いながら簡易的なパイプ椅子を引き寄せて、ベッド脇に座り込む。

不思議と恐怖のようなものはないが、何だこいつ、くらいは思う。


「――ちゃん」


今度はわたしが目を瞬く番。

彼の声が小さいのか、それともわたしの耳に何か障害があるのか、上手く彼の声が言葉が、聞き取れなかった。

軽く首を傾ければ、もう一度、その口から同じ言葉が紡がれた――のだと思う。

やはり、聞き取れなかったけれど。


眉を寄せて首を傾けるわたしを見て、彼は訝しげな顔になり、ねぇ、と声を掛けて来る。

一応答えなくては、と思い、はい?と返せば、俺のこと覚えてる?なんてちょっと論点の変わった問。

先程、誰、と聞いたばかりな気もするが、緩く首を振りながら否定、覚えていない。


「そっか」


小さく呟かれた言葉とほんの少しだけ揺れた目を見ていると、何だか凄くわたしが悪いことをしたような気分になる。

そもそも、覚えていないという言葉を選ぶこと自体が間違いだと思うのに。

何も思い出せないのだから、そこに確かな記憶が存在していたという確証も何もないのだ。

覚えているいないの問題じゃ、ない。


なのに、何で。


唇を噛めば、それにいち早く気付いた彼がこちらに手を伸ばしてくる。

ゆっくりと唇を撫でて、駄目だよ、なんて優しい声で注意してくるのが、何故か懐かしいと思った。


「さきしろ」


「……はい?」


崎代(サキシロ) (カナメ)。俺の名前」


彼の口にした名前を繰り返せば、嬉しそうに顔を綻ばせる。

ふにゃり、と締りのない顔を見ていると「崎代くんって呼んでね」と言われてしまう。

仕方無く呼んでみれば、弾んだ声でなぁに?なんて聞かれてしまうが、呼んだだけです。


しかし、彼は誰なのだろうか。

じっと彼の顔を見つめれば、彼はゆっくりと眉を下げてわたしの手を包み込む。

わたしの両手をすっぽりと。


「ねぇ、――ちゃん。もう、どこにも、いかないで」


赤い眼鏡が下がって、前髪がその表情を見えにくくする。

ただ、伏せられた瞳と小刻みに震える睫毛を見て、ズキズキと心臓が痛んだ。

同時に、血液が逆流したみたいな熱に体が包まれて、節々が痛み出す。


包み込まれた手の上に落ちる雫を見ていると、ぼんやりと視界が赤く滲んだような気がした。

赤、紅、朱、兎に角真っ赤。

何か思い出せそうな気がしたけれど、いかないで、お願い、という声でどうしても深く自分の意識に沈み込めない。


何でそんなに切羽詰ってるの、とか、聞いちゃいけないような気がして、わたしよりも高い体温を持つ手の平を見つめた。

いかないで、って、どの意味なんだろう。

いかないで、行かないで――逝かないで。


「お願いだから、俺を、僕を、置いて……いかないで」


――ちゃん、――ちゃん。

あぁ、同じ声だ。

聞こえていたような気がした声は、ずっとずっと気がしたんじゃなくて、聞こえていたらしい。

幻聴ではなかったようだ。


――ちゃん、――ちゃん。

また聞こえ始める声と彼の声が混ざり合う。


(サク)ちゃん」


聞こえた声に顔を上げれば、わたしの腰を抱き締めて顔を埋める彼。

ねぇ、わたし、何も思い出せないの。

貴方がわたしを呼ぶ声しか、思い出せないの。


「ごめんね」


彼はきっと、何に対する謝罪か分からないだろうけれど、顔を埋めたまま小さく首だけを振る。

それでもわたしのものらしい名前を呼ぶ声が聞こえてきて、何故だか知らないけれど、思い出せないけれど、一緒に泣きたくなった。

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