267ー2シロガネ冴子と失敗
「預金残高の半分で、屋敷の引き上げを請け負いましょうか?」
瑞木美孝が礼儀正しく伝えてくる言葉は、変換されて聞こえてくる。
曰く、資産の半額を寄越せと…
残念ね…
私の預金額は、既に一万ラードを割ってるわ…
「お前に払う金なんて無いわ…失せなさいよ!!」
正確には払える金なんて無い、だが…
プライドが邪魔をした。
本当に半額でやってくれるなら頼みたいところだけど…
お前も高々数千ラードごときに興味は無いわよね…
シロガネ冴子は、勘違いをしていた。
瑞木の目的は、あくまでもシロガネの権威失墜までだったので、目的は達成していた。
つまり、善意で取引を持ちかけており、金額は関係なかったのだが…
それを知る機会は永遠に失われた。
「どうして、こんなことになったのかしらね…」
自ら、屋敷が埋まっているはずの土を掘り返しながら呟き、切っ掛けを思い出す。
「騎士団が壊滅?何があったの!?」
そう……
始まりはラードを守る騎士団が敗走したことだった…
「はっ、騎士団が定例の殲滅を行いに出たところ、3種の特異種に遭遇。2種を討ち取った段階で、団長、副団長が戦闘不能になり、敗走してきたとのことです…」
うーん…
何にしてもうちの騎士団は優秀だからな…
上位の2人が死んだところで、どうせ大したことにはならんだろ…
「黒影、ご苦労…新しい情報があれば拾っておけ!ラードの生命線を担う騎士団の事だからな…」
「御意」
黒影が、気配を消した。
奴が育てた、うちの間者はみんな優秀な戦士に育っている。
いわゆる育成マニュアルにそって教えないのが特徴だが、素晴らしい能力を持っていて、騎士団にもひけをとらない。
長年、我が家に仕えてくれており、後進の育成を命じて直ぐに結果を出すハイパー執事だ…
「何だと!!予備兵力まで使っても黒いゴブリンは倒せないばかりか、使い物にならない騎士ばかりだというのか今の騎士団は!」
「はい、生き残った団長は責を負って解任され。副団長と3席及び5席は死亡。4席は辞任しており、戦力はがた落ちです…今こそ我らの力を見せ、ラード王からの信頼を勝ち取るときかと考えます!!」
待て…
「黒影の見通しは、騎士団に治安を守るだけの力は無く、このままでは、その早期回復も絶望的ということなのか?」
「はっ!間違いなくこれはラード王国始まって以来の危機となりましょう…しかし、その危機を防ぐだけの力を我等が有していると愚考致しますぞ!!」
確かに、それはそのとおりだ…
しかし!
「我等は何だ?」
「我等とは?」
わからんか…
「我等は商家!!商人だ!物を流通させ、売り払うことによって利益を得る。そして、商品を売るには時期があるのだよ!!」
「つまり、我等が戦力を見せつけ、売却するにはまだ早いと?」
その通りだ…
「どうせ、魔物が増えると言っても週で500なのだろう?しかも、ゴブリンもコボルトもオークですら危なげなく倒せると豪語していたではないか!!」
「そのとおりです。その数が2万だったとしても、我が精鋭は臆すること無く討ち取るでしょう…」
2万はさすがに多いな…
「では、計算上でちょうど半年位で超える1万4千を討ち果たせば良いだろう!」
「お待ちください!確かに我等で2万でも討ち取れるでしょう。しかし、半年の長きに渡って、交易が止まれば、ラード王国全体に暗い影を落とします!!特に我が国は、食料自給率が低いのですよ?餓死者が出ます!!」
バカなことを…
半年間の備蓄は国民の義務ではないか…
死人など出んよ!
「では、直ぐに倒して、事情のわかる国王にだけ、覚えめでたく感謝の言葉を受けとれと言うのか?」
「それこそが、至上の結果です。ラードを救ったという確たる実績ですよ?貴族にのぼれる可能性すらあるのです!!」
可能性か…
確約でないなら、乗るのは愚策だな。
「我等は貴族ではない。まして、騎士でもない。目指すものは利益だ!!従って、現段階では静観を保つ。脅威は膨らんでから断った方が、実入りもでかい。いいな。決定だ!」
「…わかりました。しかし、計算上で1万2千5百になった時には、必ず出撃させて頂きます!宜しいですね?」
おっ、と…
これは、辞職も辞さない目だな…
別に私は稼ぎたいだけだからな。
黒影とやりあう必要もない…
「もちろんだ。だが、このままなら、食料の高騰は間違いなかろう!?買い占めてインフレを誘うぞ!!」
「……それは、餓…いえ、なんでもございません。買い占める銘柄は、何に致しましょう?」
ん?
何を言いかけたのだろうな…
まぁ良い。
「穀物や砂糖は確定だろうが…各家庭で備蓄量が多いからな。やはり肉だろう!!しかも、今回の討伐での補充もあったところで、下がり基調だ」
「はっ!では、野菜を除く食料全般で、その中でも肉を多く用意すれば宜しいですね?」
あぁ…
完璧だ!!
「未曾有のインフレだ…どれ程儲かるだろうな…フフフッ」
その後、かなり早い段階で買い占めに走ったため、急激な値上がりを続ける食料品相場のお陰で、資産は100倍に達していた…
「はっはっは…笑いが止まらんとはこの事だな!インフレ様様だ!!」
「…既に報告致しましたが、街には活気がなく、餓死者が多量に発生しております。今日で5ヶ月半…もう十分ではありませんか!!魔物の掃討をご指示頂きたい!!」
餓死者など…
準備不足の落伍者ではないか…
まだ、その時ではないな…
「ラードの法にもあるだろう、事があった半年後に、炊き出しが始まる。ちょうど1万2千5百になる時期だ。それを待て…」
「……わかりました。準備だけ進めさせて頂きます!!」
ふむ。
何を怒っているのだろう…
「ゴブリンの価格が、半額以下に下がりました!!」
青旗が飛び込むなり、報告を始めた。
「何だと!?何故?黒影は何処だ?」
「ここにおりますよ…シロガネ様…」
黒影が乾いた笑みを浮かべて立っていた。
「一体何があった?」
「一昨日から瑞木美孝という若者が、冒険者として活動を始めたらしいですね。聞いた話ではレベル6とか…」
その弱っちい冒険者などどうでも良いんだが?
「何があったと聞いている!!」
「簡単です。その若者は、浮浪者を仲間にして、ゴブリンを殲滅したそうです…4千頭のゴブリン種を受け入れた市場は大混乱。もちろん下がる方向に!!」
なんだと…
まぁ、潮時だったから良いけど…
「これで、フィーバータイムは終わりだな…」
「言うことはそれだけか?」
黒影?
「何を言いだ…」「言うことはそれだけなのか?このバカが!!」
黒影が激昂してる…
珍しいこともあるものだ…
「何が言いたい?」
「瑞木美孝は既に今日も、コボルトを殲滅しているそうだ!!明日はオークだろうという噂が出ている!!既に我等が脚光を浴びる可能性は無くなった!!」
黒影が拘ってた奴な…
「ラードを救った英雄という奴か?そんな金にならん話はどうでも良いが…」
「だから、バカだと言うんだ!!英雄になれば、国政にすら口出しできたというのに…かの若者は黒いゴブリンも倒しているだろう…俺が何度も、具申したというのに!全ては聞く耳を持たなかったお前の責任だ!!」
あのな…
「口が過ぎるぞ!!」
「うるせえ!!お前の言うことなんぞ金輪際聞くか!バカが!!俺はこの町を出る。お前なんぞ、このまま地の底で這いつくばってるのがお似合いだ…ここにはお前を嘲笑いに来ただけの事。このまま全てを失って泥にまみれるが良い!!因みに、俺の教え子はほとんど、俺を慕って付いてくるそうだ…ホラよ」
投げ捨てられるように放られた紙束は、辞表の山…
律儀だな。
実力が下から順に10人が残った人材か…
まぁ…
いいか…
「退職金は?」
「お前が、食料価格の吊り上げで手に入れた腐った金なんぞに興味はない!!我らには鍛え上げた肉体があるからな!!」
…必要最低限の金は要ると思うが…
「そうか…元気でな…」
「そうそう、今回の売上金の半分は、餓死者の為の基金に匿名で寄付しておいてやったぞ!!じゃあな!!」
黒影のその言葉を最後に、屋敷の中の強者達の気配が消える。
は?
今、何て言った?
売上金!?
利益じゃなくてか?
「待て!!売上金の半分て…利益が無いどころか、マイナスじゃねぇか!!」
「……」
空しく響くだけで、返答するものは既に旅立ち、静寂がシロガネに返るだけだった…
「黒影ぇえええ!!」
シロガネは目を血走らせて、資産状況を把握しようと、屋敷を駆けずり回り、綺麗に整頓された元有能執事の机の上に置かれた報告書を発見した。
記載されていた内容は、差し引きで百万ラードの現金が手元に残る様に調整されて寄付されているということ。
「現金以外の資産には手をつけていない…でも、この屋敷と倉庫に買い占め時に買い込んだ食料品がそれなりにあるだけ…と言うことは…」
デフレになることが目に見えてる中で、この古い食料品を買うやつはいない。
いたとしても、二束三文にしかならない。
そして、現金も、百万ラードごときでは、黒影が大半を引き連れて行ったとはいえ、残った使用人達に3ヶ月分の給料を払ったら終了のお知らせだ…
「本当に資産価値をほぼ0にまでもっていきやがったな!黒影!!」
3ヶ月で、何とかしなければ倒産ということか…
別途に経費がかかるから、実際の期限までの日数はもっと少ない。
借金だけはないが…
そもそも、借り入れを他の商人にするしかないから、それ自体がありえない話だ!!
「ついさっきまでの左団扇が見事に消え去ったな…」
「お嬢様、本日は3年に1度の役員改選があります。如何致しますか?因みに、先ほど正式にラード王の演説で、炊き出しと英雄についての発表がありました」
残った人材の筆頭である青旗が声をかけてくる。
「英雄?誰だ?」
「瑞木美孝とか言う冒険者で、元騎士団長や元騎士の連中と仲良く走り回ってるのを見掛けますね…」
瑞木美孝?
3日前まで、レベル6だった青年?
全てが頭の中で繋がった…
繋がってしまった。
「全ては…そいつが仕組んだ事か…そして、振り回された私は、黒影まで失った…」
黒い思いが、心を包むのを自覚した。
「何か?欠席しますか?」
いや、真実は暴いて!!
責任は、取って貰わなきゃな!!
「青旗、支度をしておけ、私は会長就任のための演説の草稿をするからな…出発の15分前に声をかけろ!!」
「はい!!」
青旗が、準備に走る。
「見ていろよ、瑞木美孝…お前の悪事を白日のもとにさらしてやるからな!!そして、貪った利益は私のものにしてやる!!」
シロガネ冴子の瞳には、既に自分に捧げられる、ずる賢くか弱い冒険者の瑞木美孝という、いもしない幻影の姿しか写し出していなかった。
そして、その勘違いをぶちまける定例会が、今日の夕方に幕を開けてしまうのだった。
楽しんで頂ければ幸いです。