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Ⅶ 町へ

 まだ早朝だというのに、眩暈がするほどの人混みができていた。この空間は、野菜や果物を売り込む者やそれをいかに安価に手に入れるかを競い合う者の、怒号にも似た声で満ちている。


 わたしのいた村では、まず見かけることのない光景だった。祭りの時ですら、ここまでの賑わいはない。

 改めて、自分は全く違う世界へ来てしまったのだという実感がわいた。


「……これ、普通の光景ですか?」


 はぐれないように手を繋いだ相手に、目いっぱいに声を張り上げて尋ねた。それでもなお、周囲の喧騒にかき消されてしまいそうだった。


「朝市はね。……っと」


 ヴェンさんが足を止めた。わたしは止まりきれずヴェンさんの背中にぶつかり、同様に肩が触れた人たちが迷惑そうな視線を送りながらわたしたちを追い越していく。

 川の中央に飛び出した岩のように、人々の流れがわたしたちを避けるようにして動いていた。

 ただし、わたしたちは岩のようにしっかりと地面に張り付いているわけではい。人波に揉まれるたびに、前進したり後退したりを繰り返した。

 そして、やっとの思いで道路の端へ辿り着く。辿り着いて初めて、端に行けば流れも緩やかになるだろう、というのは甘い考えだったことを思い知った。


「ここ、私の、家なの」


 もみくちゃにされ、息を切らしたヴェンさんは、途切れ途切れに言葉を繋いだ。人々の圧力に逆らいながら、石造りの横長な建物の扉に手をかける。

 やっとの思いでドアの隙間へ体を押し込んで、わたしたちはほっと一息ついた。


「ごめんなさいね。もう少し時間をずらせばよかったわ」


 ヴェンさんは、乱れた髪を手櫛で整えながら肩で息をする。眩暈に耐え切れなくなったわたしは、その場にへたり込んだ。


「人酔いしたみたいです」


 膝を立てて座り、腿に顔をうずめる。視界が暗闇で埋まり、心なしか気分が楽になった。

 心配したヴェンさんが、水を入れたコップを持ってきてくれた。

 冷たい水がのどを滑り落ちて、心地いい。


「楽になったかしら?」

「はい。ありがとうございます」

「それじゃあ……」


 と、ヴェンさんがわたしの足をつついた。

 足元に視線をやって、あわてて足を延ばした。短いワンピースを着ているにも関わらず膝を立てていたせいで、ヴェンさんに下着が丸見えになっていたのだ。


「気を付けなさいね。ここ、私たちだけがいるわけじゃないから」

「おう、戻ってたのか」


 扉が開き、まぶしい光が目を焼く。

 そこにいたのは、見知らぬ男の人だった。




 ――どうしてこうなったんだろう。


 わたしは戸惑いながらパンをかじった。バターが香る、おいしいパンだった。

 普段なら味わって食べることもできるのだろうが、今はそうもいかない。

 大きな口を開けてパンに食らいつき、湯気の立つ熱いコーヒーでそれを乱暴に流し込む。そんな男の人の気迫に圧倒されたわたしには、ゆっくりと味わう心の余裕が残されていなかった。


 正面の黒髪の男の人は、左の前髪を編み込んでいた。右目の方は長く伸びた前髪に隠れていて窺うことが出来ない。視界を遮っているであろうその前髪の一部には、金色に染められた部分があった。

 否が応でも視界に侵入してくるその人に気を取られつつ、わたしは目を合わせないようにパンを口へ運んだ。


「んでよう、ヴェンリア」


 男の人が口を開くと、パン屑がポロポロと零れ落ちた。


「ギル、食べながら話すのをやめなさいって言ってるでしょう」


 ヴェンさんは呆れたように肩をすくめた。ギル、というらしい男の人の前に目玉焼きを差し出す。

 わたしとヴェンさんの席にも目玉焼きが並び、ヴェンさんがようやく席に着いた。


「ライザ、遠慮しなくていいのよ」


 ヴェンさんが気を遣ってくれるが、わたしにはそれに応えることができない。


「へー。ライザちゃんっていうんだ。よろしくねー。オレはギルバート。こいつにはギルって呼ばれてるけどな」

「ギルバートさん」


 響きを確かめるように繰り返す。ギルバートさんは、満足そうにうなずいた。


「ライザちゃんはさ、幾つなの?」

「え、わたしですか?」

「そうそう。あ、オレから言った方がいい? 十八だよー」


 矢継ぎ早の発言に、わたしが言葉を挟む間もない。

 ギルバートさんは愛想のいい人懐っこい笑顔をわたしに向け続けていた。


「ええと……、わたしは数えで十六になります」

「十六!? しかも数えでしょ。若いのにしっかりしてるねー。オレとは大違いだ」


 ギルバートさんがケラケラと愉快そうに笑う。それを見て、ヴェンさんは困ったように眉を寄せた。


「ギル、もっと年上としての自覚を持ったら?」

「自覚ぅ? 持ってて飯が食えんなら大歓迎だけどよ。そうじゃなきゃ、んなもん持ってるだけ面倒さ」

「ギルっ! それだから怒られるのよ」


 もう、とため息を漏らしながら、ヴェンさんが頭を抱えて項垂れた。


 ――まるで姉弟のようだ。


 わたしとシーナの関係とはまた違うけれど、仲の良い姉弟であることに相違はない。


「いいですね、仲の良い姉弟がいるって」


 わたしが微笑むと、二人の表情が変わった。


「私がギルと姉弟ですって?」

「オレがこいつと姉弟なわけねぇだろ!」


 二人が同時に詰め寄ってきた。あまりにもタイミングが揃い過ぎていて、わたしの思考が緊急停止する。

 睨みを利かせるヴェンさんとギルバートさん。二人に挟まれたわたしは、たぶん目を丸くしていることだろう。三人で顔を見合わせ、一拍の沈黙が生まれた。


 最初に沈黙を破ったのは、ギルバートさんだった。

 ギルバートさんが吹き出し、つられてわたしとヴェンさんも笑う。


「さ、私はそろそろ仕事に行くわね」


 ヴェンさんが席を立ったのを合図に、ギルバードさんも残りのパンを一口に押し込んだ。


「あの、わたしはどうしたら……」

「んーと、家の中のことをやってもらおうかしら。皿を洗って、洗濯をしてくれるだけでいいわ。ご飯は作れる?」

「はい、大丈夫です」


 それなら、と食料が置かれている小部屋に案内された。

 部屋の中には氷柱がいくつも立ち並び、ひんやりとした空気がわたしたちを包んだ。息を吐くたびに、白い靄が生まれては消える。


「ここにあるものは好きに使っていいからね。ギル、氷足しておいて」

「おう」


 皿を流しへ置いたギルバードさんが、ひょこりと顔をのぞかせた。

 ギルバードさんは氷が溶けてできた水たまりに向けて手をかざす。みるみるうちに水が凍り、一つの柱になった。

 その作業を三度繰り返した。透き通る氷の柱によって、室内の温度はさらに下がったように思う。


「すごい」


 わたしが感嘆を漏らすと、ギルバードさんは鼻の頭を人差し指でこすって言った。


「大したことねぇよ」

「そうね、大したことないわ」

「んだと!?」


 ヴェンさんの相槌に、弾かれたように顔の向きを変えた。


「ライザ、人それぞれに得意な魔法があるって話をしたでしょう?」

「ええ」

「ギルにとっては、氷の魔法がそれにあたるの。だから、これくらいのことはやって当然なのよ」


 わたしがヴェンさんの説明をうなずきながら聞いている間、ギルバードさんは不満そうに頬を膨らませていた。

 身長だけならギルバードさんの方が高いのに、なぜかヴェンさんの方が大きく見えてしまう。


「黙って聞いてりゃ、大した魔法も使えねぇ癖に……っぁ」


 ギルバードさんが間抜けな声を上げてのけぞった。ヴェンさんの手のひらには小さな炎が踊り、ギルバードさんの鼻先が黒くすすけている。


 ――この人ヴェンさんを怒らせてはいけない。


 わたしは身をもって思い知らされた。

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