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Ⅲ 白い悪夢

 白い粉が舞い上がった。いや、粉ではない。灰だ。

 わたしの服から髪から全身から、柔らかな灰が飛んだのだ。


 一度抑え込んだ恐怖感が再び盛り返してくる。肉が灼ける痛みと臭いの生々しい感覚が、わたしを襲った。

 何か考えるよりも先に、体が反応する。


「イヤッ」


 治まったはずの呼吸は再び荒ぶり、何が何だからわからなくなった。

 膝は脆くも崩れ落ち、歯の根が合わない。両手の爪は頭皮に突き刺さる。その痛みだけがわたしの意識をこの場にとどめていた。


「落ち着いて下さい」


 ヴェンリアさんの、慌てた声が遠く聞こえた。


 ――夢だ。これは悪い夢なんだ。


 わたしは何度も自分に言い聞かせた。それでも震えは治まらない。

 腕に、ぬくもりを感じだ。目の前が暗くなる。背中に添えられた手が、呼吸を鎮めようと穏やかなリズムを刻む。


 正面から抱きしめられていると気付いたのは、呼吸が整った後だった。

 お日様に当てて干した布団のような、温かで優しい匂いがした。ヴェンリアさんの腕の中は心地よくて、気を抜けばそのまま眠りに落ちてしまいそうなほどだった。


「大丈夫ですか?」


 わたしが落ち着いたのを見計らって、ゆっくりと体を離す。名残惜しくもあったけれど、わたしも彼女に従った。

 安らかな心地から、徐々に現実へと意識が戻ってきた。


 恐る恐る髪を握り締めていた手を解く。指の間には、何十本という量の抜け落ちた毛髪が絡みついていた。

 同時に、自分が灰塗れだったことを思い出した。


「申し訳ありません、ヴェンリアさん」


 わたしは頭を下げた。よく見ればヴェンリアさんも灰塗れになっているし、わたしの足元には灰の山が出来ていた。

 迂闊に動くと、また灰が舞ってしまうので動くこともままならない。


「毎年のことです。怒ったりはしませんよ」


 ヴェンリアさんは優しく言って、背中の灰を払ってくれた。


「そんなことをしたら、お城の中が汚れてしまいます」


 慌ててヴェンリアさんを止めようとしたけれど、彼女はそれよりも早く灰を落とし終えてしまったようだ。

 わたしの足元の山は、一回り大きくなったような気がした。


「部屋は掃除すればいいのよ。ま、掃除は貴女にしてもらうことになるけれど、文句はないわよね?」

「もちろんです」


 わたしがうなずくと、頭に積もっていた灰がはらはらと降ってきた。その時にはもう、灰に対する恐怖心は消えていた。

 わたしは、これも神様のお力なのだと感じた。


「あと、私、堅苦しいのは苦手なんです。さん付で呼ぶのはやめてくださいな」


 ヴェンリアさんの申し出に、わたしは身を固くした。

 あまりにも、無礼なことではないか。

 わたしは不安に思いながらもヴェンリアさんに問いかけた。


「……いいのですか?」

「もちろんですよ。共に暮らすのですから、もっと打ち解けてください。

 そうね、私のことはヴェンとでも」

「はい、ヴェンリアさ……ヴェン」


 ふふ、と小さな笑い声が聞こえた。


「いきなり呼び捨てというのも難しいのかしら? いずれ慣れてくれればいいわ」

「すみません……」

「こら」


 こつん、とヴェンリアさんの拳が額に当たる。軽く触れた程度で痛みはなかったものの、反射的に目を瞑ってしまった。


「貴女には謝り癖があるのね。別に説教をしてるわけじゃないんだから謝らなくていいのよ」


 お母さんを思い出させるような言葉に、わたしの顔も自然とほころんだ。


「まだ顔色が悪いわね。外の空気を吸いに行きましょう」


 わたしの顔を心配そうに見つめていたヴェンリアさんが、わたしの手をひいて歩き始めた。

 彼女はわたしのことを気遣いながら、ゆっくりした歩調で進む。わたしは、自分の歩いた後に灰の筋が残るのが気がかりだった。

 そして、両開きの大きな扉の前に立ったヴェンリアさんは、全体重をかけて扉を押した。

 扉は見た目を裏切らず、重厚な音を立てて開いていく。


 眩い光に、思わず目を細めた。若い草の香りが、わたしの肺を満たす。さっきまでの気分ががらりと入れ替わった。

 何度か瞬きをして、日の光に目を慣らす。

 青く澄んだ空には、真綿のようなふかふかした純白の雲が浮かんでいた。

 地平線の果てまで、広大な草原が広がっている。所々に種々の植物が群生していて、巨大な植物園を思わせる光景だった。

 草原の片隅に見える林からは、小鳥のさえずりが聞こえてきた。


「すごい……、綺麗ですね」

「そう? お褒めに預かり光栄ですわ」


 ふふ、とはにかんだヴェンリアさんは、陽光を受けて輝いて見えた。

 壮大な景色に言葉を失っていると、見慣れた生き物の影があるのに気付いた。


「あれは……羊?」

「そうですよ。貴女よりも随分前にこっちへ来た人が、飼い方を教えてくれたの」

「その人は今どこに?」


 わたしが問いかけると、ヴェンリアさんの表情が曇った。

 胸の辺りで指を組み、祈るように数秒目を閉じる。それから左下の方へ視線を落とした。

 ヴェンリアさんの目元には、わたしにも見て取れるほどに迷いの色が浮かんでいた。


「その話は、とても難しいことなので……時が来たら話しましょう」


「時が来たら」というのは、どういうことだろう。

 わたしがいぶかっているのを察したのか、ヴェンリアさんは苦笑いを浮かべていた。


「そういえば、貴女の名前を聞いていませんでしたね。私としたことが、うっかりしていました」


 ぎこちない表情で、強引に話題を変えられた。ヴェンリアさんなりの苦肉の策なのだろうけれど、そこまでして話すのを渋ると逆効果というものだ。

 それでも、困り顔の神様にそれ以上の追及をするのは酷なことに思えた。酷である以上に、罪深い行為だ。

 ほんの僅かであってもそのようなことを考えてしまった自分に、深い嫌悪感が湧く。


「わたしはライザです。うちの父は、羊飼いだったんです。ちょっと羊を見てきてもいいですか?」

「あ……。ええ、もちろんよ」


 羊という言葉にヴェンリアさんが反応することはわかっていたし、できれば避けたかった。混乱から醒めたばかりのわたしには、それだけの機転が足りなかったのだ。

 一人で考え事をするのに、何か口実になるものがほしかった。だから、つい目に留まった羊と自分の家系を関連させてしまった。

 意地悪をするつもりはなかったのだが、結果として彼女を沈黙させてしまった。


 罪悪感を背負いながら、わたしは羊の群れている方へ足を向けた。

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