Ⅱ 火の女神の城
高いところから落ちた時のような衝撃で、わたしの意識は覚醒した。
――……明るい?
さっきまで夜の祭り会場にいたはず。祭り会場は村役場の前の広場で、役場以外に屋根のある建物はない。なのに、ここは明るい建物の中だ。しかも、わたしは見たことのないほど白い壁が長く続く部屋にいる。
火に炙られた痛みや苦しみもいつの間にか消えていた。
――そうか。これは夢なんだ。
きっと、わたしは生と死の狭間にいるに違いない。だからこんな場所にいるのだ。
妙に納得して、安堵の息を吐いた。
「ようこそ、我が城へ」
隣で声が聞こえ、わたしは飛び上った。
声の発生源へ目を向けると、そこには見たことのない女性が立っていた。
白く波打つ腰まで届くほど長い髪に、燃えるような赤い瞳。そして、瞳の色に負けないほどの真紅のドレスを着ている。年は、わたしより五つくらい上だろうか。
薄化粧でも、大人びた雰囲気の漂う顔立ちの人だった。
彼女は凛とした瞳をわたしに向けていた。目が合った瞬間に、切れ長の目が細められた。僅かに悲しげな色が浮かんだのは、気のせいだろうか。
城というだけあって、広い部屋の床にはふかふかの絨毯が敷かれていた。絨毯の色はドレスよりも深い緋色で、白い壁とよく合っている。
絨毯の感触まで伝わってくるなんて、どれほど良くできた夢なのだろう。
「貴女の話は先任の者から聞いています」
わたしが辺りを見回していると、真紅のドレスの彼女が手を差し伸べてくれた。
わたしは手を取って立ち上がる。
「先任の者とは……?」
疑問をそのままぶつけると、女性は少し考えるようなそぶりを見せた。
「この城に仕えていた、前の花嫁です。貴女はここで一年間、小間使いとして働くのです」
丁寧でありながら毅然とした彼女の言葉に、わたしはただただ頷くしかなかった。
雑用番を仰せつかるに至った経緯はよく分からない。
夢なのだから、脈絡のないことが起こっても仕方ないだろう。
「失礼ですが、ここはなんという村ですか? あなたの名前は?」
わたしは好奇心から女性に問いかけた。
「私ですか? 私はヴェンリア。貴女たちが神と呼ぶものです。そして、ここは貴女がいたのとは別の世界ですよ」
「神……、様? 別の世界?」
にわかには信じがたいことだった。いくら何でも、神様が夢に出てくるとは。
「受け入れがたいことと思います。ですが、受け入れていただく他ないのです」
わたしの思考を読み取ったのか、ヴェンリアさんは静かに言葉を紡いだ。
そして、わたしの目の前で握っていた手を開いた。ヴェンリアさんの手がしなやかに動くのを見つめていると、そこに小さな炎が現れた。
「これで証明になるでしょうか?」
ヴェンリアさんは問いかけながら炎を握りこむ。その瞬間、肉の焼ける臭いと激痛の記憶が蘇ってきた。
全身に震えが走り、まともに立っていられなくなる。
「……っ」
「あ……、ごめんなさい」
うずくまると、上から声が降ってきた。ヴェンリアさんは本当に心配そうで、優しく私の背中をさすってくれる。
――どこも痛くないんだから、大丈夫。
自分に言い聞かせ、過呼吸気味だった呼吸を整えた。
夢にしてはあまりにも感覚がはっきりしている。息苦しさも本物だった。
夢の中だと痛みを感じないというけれど……、とわたしは手の甲をつねってみた。確かに痛みがある。
――ということは、これは現実?
そういえば、儀式のことはさんざん聞かされた。けれど、神様がどこでどうやって暮らしているのかを聞いたことはなかった。
わたしは本当に神様の元へ来てしまったのではないだろうか。
にわかには信じがたいが、わたしは実際に神様の力を目の当たりにしてしまった。
“炎を操る、高貴なお方”。
わたしの目の前にいる女性は、そのイメージにぴたりと嵌る。
自分がとんでもないことをしていたのだと、そこでようやく気が付いた。
「すみません。これまでの無礼お許しください」
わたしが平謝りしていると、ヴェンリアさんは優しく笑った。
「私は神ではありません。貴女たちが勝手に私たちを神だと思い込んでいるだけなのですよ」
優しく諭したその声に、わたしは雷で撃たれたような衝撃を感じた。
「……神、ではないのですか」
「ええ。私も貴女たちと同じ人間です。住んでいる場所こそ違っていますがね」
それは、わたしに対する気遣いから生まれた方便かもしれない。きっとそうに違いない。
なんと優しい方なのだろう。
「さ、そろそろ顔をあげて」
柔らかく歌うような声で言われて、私の体は自然と従っていた。
目の前に、白いものが舞う。
天使の羽だ。神様が羽を降らせていらっしゃる。
わたしは落ちてきたものを目で追った。
――そして、悲鳴を上げた。