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Ⅰ 送り火に焼かれて

グロシーンがあります。苦手な方はご注意ください。

 祭りの熱に浮かされた人々の狂気じみた声は、低いうねりとなってわたしを包んでいた。

 見慣れたはずの役場の前の広場も、今だけはいつもと違った様相を呈していた。


 祭りを見守るように灯された篝火が、役場の建物を仄赤く染めていた。篝火の左には神官や村長の座る特別席があり、右手にはこの後行われる儀式のための祭壇がある。

 また、祭壇とは別にステージが設けられ、旅芸人が歌語りや芝居などをして観客たちを盛り上げていた。


 華やかな祭りに光景を、わたしは離れた木立の間から見つめる。今年は、わたしは客席に入ることができないのだ。

 虚しさにも似た感情を抱きながら、祭りの喧騒を遠く聞いていた。


 旅芸人の一行が深く礼をして、ステージを降りた。青年会の人たちがステージをわきに寄せ、代わりに祭壇と篝火が会場の中央に運ばれる。


 会場の雰囲気が、一瞬にして変わった。


 村の人たちが、炎に向かって何かを必死で唱えている。炎は村人たちの言葉に答えるように、ごうごうと音を響かせながら勢いを増した。

 あの炎はただの炎ではない。神の化身としての、神聖な意味合いを持つ火炎だ。

 紅蓮に燃え盛る竜の如き炎を、わたしは口を固く結んだまま見守った。


 神官が神妙な面持ちでわたしの元へ歩み寄る。火炎の神への祈りを捧げ、わたしの首に黒くすすけたネックレスをかけた。その動作の間、神官は一度たりともわたしの顔を見なかった。

 このネックレスは首輪だ。歴代の生贄になった娘たちの首に掛けられた、死の首輪なのだ。

 ネックレスは初め銀色で、十字架の形をしていたと聞いた。それが信じられないくらい黒く、所々に溶けて流れた跡が残っている。


「ありがとう」


 どうしてか、わたしは神官に礼を言っていた。神官の瞳の奥が、動揺に揺れる。


「ごめん。ライザのこと、守れなくて」


 神官は、その時一瞬だけ幼馴染の顔になった。わたしのよく知る、幼馴染のアレフの顔に。


「いいの。これで村に幸福と平穏が訪れるなら、それで……」


 わたしが返すと、アレフは目を背けて逃げるように村人たちの待つ祭壇へ戻っていった。

 祭壇とは名ばかりで、木箱の正面に彫刻で飾りを施したような簡素なつくりの台でしかない。

 その台の前で、アレフが村人たちにこの神事のいわれを説く。


「これは、偉大な神官であった私の祖父が、まだ神官の位について間もない頃に体験したダラム村で最大の奇跡の物語です。


 夏も終わりの頃、一人の村の娘が神様の声を聴きました。誰もいない草原くさはらでのことでしたから、娘ははじめ、錯覚だと思いました。

 そこで、神様は娘の前に巨大な炎を現し、人ならぬ者の力をお示しになりました。その炎は空までも赤く染め上げるほどに、高く高く燃え上がったそうです。

 驚いた娘は、村長の家に駆け込みました。


 娘の話を聞いた村長は、すぐに神官である私の祖父や村の重役たちを招集しました。そして祖父たちは、娘の後について問題の炎を見に行ったのです。

 火の気のない草原の真ん中に、くすぶりながら煙を上げている炎が、確かにありました。辺りは黒く焼け焦げて、燃えるものは何も残ってはいませんでした。それでも、炎は燃え続けたのです。


 その時の炎を移したのが、ご神体にもなっている篝火かがりびです」


 毎年聞かされて、もううんざりしているはずの村人たちは、真面目な顔をしてアレフの話に聞き入る。アレフが篝火を示せば、村人の視線もそちらへ動いた。

 一連の流れは全て、生贄となる娘への最後のはなむけだった。


「花嫁よ、こちらへ」


 アレフがわたしに向けて呼びかける。

 わたしは顔を伏せ、しずしずと足を踏み出した。


 ――花嫁は村人と目を合わせてはいけない。


 わたしが生贄に選ばれた時から、何度となく言いつけられてきたことだ。

「花嫁はこれから神のものとなるために、最も神聖な状態になる。花嫁を汚さないためにも、穢れのある村人とは目を合わせてはいけないのだ」

 アレフの父は、強い口調で繰り返した。その語気の強さは、傍で聞くともなしに聞いていたアレフが驚いて飛び上がるほどだった。


 アレフの父にも、神官としての責務があるのだろう。

 けれど、花嫁は神事の際に顎までかかるベールをかけられる。加えて、風で外れることの無いよう、固定用の紐まで付いているという周到具合だ。

 白く薄い布であるから、歩くのにも息をするのにも支障はない。固定用の紐も、ベールが密着するほど強くは締めない。


 それなのに、わたしの心臓は圧迫感に押し潰されそうになっていた。


 重い足取りのまま、祭壇へ上がる踏み台に立つ。アレフが最後のお祈りをして、わたしは祭壇へ上ることを許された。

 村人からどよめきにも似た歓声が上がる。

 わたしの一世一代の晴れ姿を見るために、村の人たち総出で集まってくれたのだろう。


 祭りで花嫁の役をやり遂げることは、とても名誉なこと。だからこそ、わたしは幼い頃からずっと花嫁になりたかった。


 旅芸人の中には、この祭りを劣悪なものとして本国の政府に届けを出そうとした者もいたらしい。それ以来、旅芸人は演目を終えると早々に村を出なければいけない掟ができた。

 けれど、この祭りは何も間違ったことはしていないのだ。神様と繋がるために必要な手順を踏み、お伺いを立てる。細部こそ違えど、本国で行われている占術と何ら変わりはない。


 わたしは圧迫感をはねのけて、祭壇の片隅に不自然に立った一本の柱の前で足を止めた。

 柱に背を預け、両腕を後ろへ回した。柱を抱え込んで指を組むと、わたしの手首が鎖で結ばれた。ネックレスと同じ、黒くすすけた鎖だった。続いて足首が柱に固定され、胴体も括り付けられる。


 わたしの体が完全に柱に張り付けられたことを確認すると、祭壇の正面にある板が外された。続いて、裏側の板も外される。

 箱の中にある物は、わたしの位置から出は見えない。それでも、中に何が入っているかは、観衆の一員として何度も見たからよく知っていた。


 乾いた枝と、藁の束だ。


 村人たちは箱の中身を確認すると、祭壇から一斉に離れていった。

 アレフがご神体である炎へ恭しくひざまずき、松明へ火をもらう。


 最後の時が、刻一刻と近づいていた。


 祭壇の横手にある特別席に目をやると、アレフの父と村長、そして、来年の花嫁であるシーナがいた。シーナはわたしが妹のように可愛がってきた娘だ。

 可哀想に、シーナは怯えた目をして祭壇を見つめていた。その隣で、アレフの父が何かを言い聞かせている。


 ――泣かないで、シーナ。これはとても名誉なことなの。望んでも花嫁になれない娘だっているのよ。


 呼びかけることさえ許されないもどかしさに、唇を噛んだ。


 火のついた松明を掲げたアレフが、重々しい足取りで祭壇の前に立つ。

 無理矢理に感情を押しこめているのが、痛いほどよく分かった。


 わたしは僅かに顎を引いてアレフの動きを促す。松明の光がまぶしすぎて、アレフがどんな表情をしていたのか窺い知ることはできなかった。

 村人たちの期待感は、限界まで膨れ上がっている。まだかまだかと囁き合う声が、私の耳にまで届いてきた。


 アレフがなおも戸惑っていると、彼の父の諌める視線が飛んできた。父の視線に押されるように、アレフが祭壇の薪の中へ松明を差し込んだ。


 ボッと音がして、火の粉が舞い上がる。


 燃えやすくするために、藁に少量の燃料を含ませていたらしい。

 驚いた面持ちで振り返ったアレフに、父は早く安全な場所へ移動するようにと合図を送った。

 シーナが口元を手で覆って、震えながらわたしを見ている。


 冷静に周囲の状況を見ていられたのもそこまでで、祭壇に燃え移った炎がわたしの足の裏を焼いた。


「ぐっ」


 声を出すまい、アレフやシーナを怖がらせまいと必死でこらえるが、抑えきれない悲鳴が零れて響いた。

 暴れる体を制御することが出来ない。焼けた肉の臭いが鼻を突く。

 神聖で尊い役割だというのに、わたしの心は炎を拒否し、悲鳴を上げていた。


 ――炎はどこまで来た? あとどれくらい我慢すればわたしは楽になれる?


 視線を落として後悔した。

 炎はやっとくるぶしに到達したくらいで、もうじきドレスに燃え移るだろう。例年の花嫁たちが息絶えるのは、ドレスが完全に炎にのまれてからだ。


 先は、まだ長い。


 わたしが絶叫するたびに、村人から歓声が沸く。遠くてよく見ないが、村人たちは笑っているような気がした。

 一昨年まであちら側にいた身ではあるが、村人が悪魔のように見えた。


 村人の歓喜のわけは、わたしも知っている。花嫁は炎に焼かれる間に神と交信し、その言葉を代弁すると信じられているからだ。

 焼かれてみて初めて分かった。神なんて降りてこない。


 ――……いや、これはわたしの信仰心が足りないせいかもしれない。このままでは大事なご宣託が届けられない。


 思い直して、心を強く保とうと努めた。けれど、恐怖心に勝つことは難しい。


 ――熱い、苦しい。


 わたしが暴れるたびに鎖が手首に食い込み、体を傷つける。


 アレフと彼の父は、わたしの咆哮をどんな信託として表すのだろう。これで大丈夫なのだろうか。

 例年の花嫁のことなど、思い出す余裕もなかった。


 足元を炙っていた炎が、ドレスに移った。純白の布より先に、金の糸で施された刺繍が燃え上がる。刺繍されているのは、わたしの名前や家柄、これまでの経歴などを綴った文章だ。

 神が文字を読んでいるかのように、流れるように文字が赤く浮かび上がる。


 文字が黒く焼け落ちると、ドレスが少しずつ侵食され始めた。

 わたしの恐怖心はピークに達していた。


 ――なぜ? なぜわたしがこんな目に遭わなければいけないの?


 助けを求めて会場中に視線を走らせるが、そこにいるのは悪魔だけだ。頼みの綱のアレフとシーナは、わたしの姿から目を背けていた。


「お願い! もうやめて!!」


 自分でも驚くほど、はっきりと声が出た。

 次の瞬間、張り詰めていた糸が切れるように、わたしの意識が途切れた。

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