Ⅱ あたしにできること
残酷なことに、姉さまは一晩の間野ざらしにされた。鎖や炭が熱を持っていて、すぐに片付けることは不可能だというのがその理由だった。
そんなことで放置されるなんて、許せない。
周囲の反対を押し切って、あたしは姉さまのすぐ横で夜を明かすことを決めた。
焦げ臭い。けれど、その中に微かにライザ姉さまの好きな花の香りが混ざっているような気がした。
「ライザ姉さま……。聞こえますか?」
誰もいなくなった広場は冷たい。気温うんぬんの問題ではなく、抜け殻になってしまったような空虚さに包まれているのだ。
儀式の前は熱心に祈りをあげていた者たちも、姉さまを焼く炎が消えた途端に興味を失ったように離れて行った。今頃は暖かな布団にくるまれて眠りについていることだろう。
あたりまえだと思っていた光景だが、立場が変わると景色さえも違って見えた。
――冷たい。同じ村の仲間だと思っていたのに。あたしたちは村の平和のための道具なんだろうか。
そんなことはないと言って欲しくて、あたしは姉さまのいる祭壇に手をついた。灰になった祭壇は、砂のように脆く崩れ落ちる。
驚いて半歩下がったけれど、あたしの手は灰で真っ白になっていた。灰は細かな粒子になって、手のしわの中に吸い込まれるように張り付いた。
姉さまの匂いが染みついた灰がいとおしくて、舌で舐めとった。焦げ臭い香りがむっと鼻腔に流れ込む。花の匂いは、どこにもなかった。
「まだこんな所にいたの」
背後から向けられた声の主は、振り向かなくてもわかる。あたしの母さんだ。心配しているような声を出してはいるけれど、それよりも呆れが強いのはひしひしと伝わってくる。
「帰らないよ」
「そこに居たって花嫁さまは蘇らないんだから、さっさと家に入りなさい」
母さんだってライザ姉さまのことをよく知っているはずなのに、どうしてここまで薄情になれるのだろう。来年の儀式の後も、こんなふうに何も考えずに帰ってしまうんだろうな。
――と、そこで気が付いてしまった。
姉さまの家族の姿を見ていない。
花嫁の身内は、儀式を見てはいけないのだ。花嫁の家族や親類はお祀りが近くなると、適当な理由をつけて村を追い出される。姉さまの家族も例外ではなく、羊を飼っている農場の方へ追いやられた。
お祀りが終わってから迎えの者が来るまではそこを動いてはいけない決まりになっているらしい。あたし自身が村の外に行くわけではないから、気にしてすらいなかった。
花嫁は儀式の直前の新月の日から、神官さまの家でお世話になる。そこで生活をしつつ、身を清めたり花嫁としての躾を受けたりするのだ。その一環として、お祀りで身につける衣装の製作もある。
普通に生活していればあっという間の時間だが、いざ姉さまがいないとなると長く感じられるものだった。一年後には、あたしが隔離される番がくる。
まばゆい朝日が網膜を焼く。気が付けば日が昇っていた。
どれだけ眠っていたのだろうと視線を巡らせると、神官さまの姿が目に入った。傍には大神官さまも付き添っている。
「起きたか」
目が合うなり、大神官さまが口を開いた。
「『お祀り』は終わった。家に帰りなさい」
有無を言わせぬ強さで告げると、神官さまに指示を出した。
黒こげになったライザ姉さまが引き摺り下ろされる。昨日は不安げだった神官さまが、すっかり落ち着いた様子で姉さまに触れた。ぽろぽろと崩れる姉さまを、無機質な物のように乱暴に扱っていた。
いくらなんでも、酷すぎる。
幼馴染が死んだというのに、神官さまの顔には満ち足りた色が浮かんでいた。
どうしてライザ姉さまを花嫁に選んだのだろう。姉さまだって、あたしだって、花嫁に相応しいと言える家柄ではないのに。
あたしが焼かれる時、ここには誰が立つのだろう。できれば知らない子がいい。痛む心が、僅かでも少ないに越したことはないから。
耳に残ったライザ姉さまの断末魔は、一年間あたしを苛み続けた。
何をしようと薄れることのない記憶を抱えたまま、「その日」はやって来た。
儀式は淡々と進み、あたしは炎に焼かれた。去年ライザ姉さまを包みこんだ、あの炎に。
大神官さまの隣には、メイベルがいた。同じ集落の、フリューの妹だ。
フリューともメイベルとも年が少し離れているので、ほとんど接点はなかった。それでも、フリューの嘆きようは目も当てられないほどだった。
「メイベルはまだ九歳だぞ。花嫁には若すぎるじゃないか」
彼はあたしに掴みかかって言った。四つ年下のフリューはあたしよりも背が低いし力も弱い。
絶対に敵うはずがないのに、何も言い返せなかった。
「あたしには何の決定権もない」
そう言ったって信じてはもらえないと思ったから。
いくらなんでも理不尽すぎる。
あたしの怒りは、ご神体の炎よりも激しく燃えていた。身を焼かれる苦痛にも負けない烈火が吠える。
――神だからなんだ。毎年供物として人の命を望むなど、真っ当な神のなさることではない。邪神の花嫁になど、なるものか。
あたしは苦痛に絶叫しながら、神への復讐を誓った。
熱風があたしを煽る。その拍子に、しっかりと括り付けてあるはずのベールが飛んだ。
村の人たちが恐れのような声を上げる。広場の空気が凍り付いたのがわかった。
苦痛で身をよじっているあたしには、村人の顔は見えない。
――安心して、メイベル。アナタの番には決してさせない。神よ、あたしはアンタを認めない。
あたしは、恐怖に凍り付いた人々を睨み付けた。誰かと目が合ったかもしれないし、合っていないかもしれない。この際、禁忌なんてものは関係なかった。
「この恨みは忘れない!」
あたしは声高らかに宣言した。




