Ⅰ 花嫁になった姉さま
祈りが済んだ後の粛々とした空気に、息が詰まる思いがした。
ライザ姉さまは、真っ白でお姫さまのような格好をしている。その姿が見えた瞬間に、広場で熱気がはじけた。
あたしの目には、姉さまが一歩踏み出すたびに熱気の渦に波紋が刻まれていくように映った。いつだってそうだった。姉さまは皆がはしゃいていても一人だけ落ち着いていて。
けれど、今日の姉さまはいつにも増して凛としていた。
広場に集まった人々は、身を乗り出してまで姉さまに視線を注いでいる。
年寄衆は指を組み、熱心に祈りの文句を繰り返していた。いつもと違う場所から会場を俯瞰すると、熱に浮かされる村人が愚かに見えてくる。
見るに堪えなくなって、ライザ姉さまに視線を移した。
姉さまは神官さまの言葉を粛々と聞きながら、頷いていた。
せっかくの晴れ姿なのに、ベールが邪魔をして表情がわからない。いつものようにやわらかな笑みを浮かべているのだろうか。それとも、恐怖に怯えているのだろうか。
憧れていた可憐な刺繍のベールが、忌わしい。あれをはぎ取って、姉さまの表情を見たかった。微笑みかけて、あたしを安心させて欲しかった。
ライザ姉さまが祭壇に上がる。ぎし、と踏み台がきしむ。鎖が巻きつけられていく下品な金属音が耳障りだった。
「良く見ておきなさい」
大神官さまが、あたしの耳元で囁く。隣にいる村長さまも、大神官さまのお言葉に静かに頷いた。威厳に満ちたお声だと思っていたけれど、今ばかりは意地悪で不愉快なだけだった。
逆らうこともできずに祭壇に目を向けると、神官さまがご神体を移した松明を持って歩いている所だった。
――転んでしまえばいいのに。間違えて炎を消してしまえばいいのに。
姉さまに聞かれたら叱られてしまいそうなことが、頭の中をグルグルと巡っていた。
大神官さまではなく、息子のアレフさまが神官役を務めるのは今年初めてだ。アレフさまはライザ姉さまの幼馴染だった。何度かあたしも姉さまと三人で遊んでもらったことがある。
親しい仲の姉さまが花嫁として捧げられるからか、すべてが戸惑いがちだった。ただ、アレフさまの眼差しだけは揺らぐことなく姉さまに向けられている。
不安げな神官さまとは正反対に、ライザ姉さまは落ち着いた雰囲気をまとっていた。やっぱり姉さまはすごい。あたしだったら動揺してまともに立つこともできないだろう。
ライザ姉さまは「花嫁になるのは名誉なことだから」と、花嫁になると決まった時から繰り返し言っていた。まるで、自分自身に言い聞かせているかのようだった。
姉さまの次に花嫁になるのがあたしだとわかった途端に、儀式の話を避けるようになった。花嫁になることに喜びの色を見せてきたことを後悔するように、祭りのことから目をそむけるようになってしまった。
柱に繋がれたライザ姉さまを前にして、強張った表情のアレフさまが身震いをする。村人たちに背を向けているから良いものの、そのありさまを知られれば神官の名落ちだろう。
見かねた大神官さまが、神官さまに無言の檄を飛ばした。隣にいるあたしの身がすくむほどの気迫だった。
神官さまは、ライザ姉さまの立つ祭壇の下に詰め込まれた薪に火をつける。ポッと音がして、火が爆ぜた。
あたしは息を飲んだ。凍えるほどに冷え切った指先が、唇に触れる。自分の手だという意識がなかったので、驚いて肩が跳ね上がった。
「燃料が入っている。火の回りも早くなって、苦しまずに済む」
大神官さまのお言葉は、脅しとも取れた。互いの息遣いさえもわかってしまいそうな距離に、視線は祭壇から動かせなかった。
あたしの見ている前で、炎はみるみる勢いを増した。
炎の端が祭壇に這い上がるのとほぼ同時に、ライザ姉さまが悲鳴を上げる。あたしは息をのんだ。無意識のうちに足が一歩前に出ていた。
――姉さまを助けなければ。
あたしの頭にはそれしかなかった。もう一歩踏み出そうとしたとき、腕を掴まれた。
「何をするつもりだ」
低く押し殺した声に、とっさに身をすくめた。
姉さまの方からは、嫌な臭いが漂ってくる。これが肉の焼ける臭いなのだろう。姉さまは必死で声を押し殺しているようだった。あたしたちの傍へ戻ってきた神官さまは、祭壇から目を背けている。
厳めしい面持ちで、大神官さまが隣へ立つように促した。
――悔しい。怖い。
どうすることもできないこの状況が、もどかしくて仕方ない。
美しいウエディングドレスが火に呑まれていくのを見ていられず、あたしは視線を彷徨わせる。空を仰ぎ見る間際、ベール越しにライザ姉さまと目が合った。ライザ姉さまは、あたしに救いを求めていたようだった。
「ごめんなさい……」
小さな声で何度も繰り返した。涙がこぼれないように、必死で星の数を数える。月の輪郭さえまともに捉えられなかったけれど、嗚咽をため息に溶かして吐き出した。
聞いたこともない声で、ライザ姉さまは吠え続ける。
助けたいのに、なにもできない。こんな妹でごめんなさい。
涙は頬を伝って顎を滴り落ちていたし、首の痛みはもう限界だった。唇を噛み切りそうなほど強く噛むと、わずかに涙が引いた気がした。
髪もウエディングドレスも炎で紅く染まり、一秒ごとにその形を変えて移ろっていく。そのたびに、ライザ姉さまの輪郭が別人のように変化していった。
苦痛にもがく動きに合わせて、鎖がぶつかる音が耳に入ってきた。
――やめて。ライザ姉さまをこれ以上苦しめないで。お願い……。
「お願い! もうやめて!!」
あたしはドキリとした。心の内を読まれたのだと思った。
その言葉を発したのがライザ姉さまだと気付いて、祭壇へと顔を向けた。真っ黒になったライザ姉さまは、首を落として力尽きていた。
容赦のない炎は、まだライザ姉さまの体を焼き続ける。炎が強くなると、筋肉がきしむように体が動いた。
あれは、ライザ姉さまの最後の声だった。あたしにもはっきりと聞き取れる、最後の願いだった。
あたしは胸が苦しくなって、嗚咽が溢れるのを止められなかった。残酷な神は、まだ姉さまの体をチロチロと舐めまわしている。
涙を流しながら、あたしは心を決めた。




