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ⅩⅡ 調律師と運搬嬢

 ギャラリーには、砕けた氷像の前に立つヴェンさんがいた。ヴェンさんは落ち着き払ったまま、氷のかけらをかき集めている。

 その指先は赤く凍えていた。


「大丈夫ですか? 怪我とかしてません?」


 わたしが声をかけると、ヴェンさんは不思議そうに首をかしげた。そして、ああ、と小さくもらす。


「私は平気だから、ギルのところからバケツを持ってきてちょうだい」


 ヴェンさんの指示を受け、急いでアトリエに向かった。関係者専用の扉をくぐると、舌打ちが聞こえた。

 唐突なことで、わたしの足はその場で固まってしまった。


「アンタ、派手にやりすぎじゃないの」


 険しい顔をしたエルミーユさんが、腰に手を当てて仁王立ちしていた。彼女の背後にある氷像は、緩やかな坂になった廊下でかろうじて停止している。


「あっ……、すみません」

「ライザちゃん、ごめんね。こいつ短気だからさ」


 ギルバードさんが苦笑した。そして、エルミーユさんに向き直った。


「エル、相手を見てからものを言えって昔から言ってんだろ。関係ないライザちゃんに攻撃するな」


 悪びれる様子もないエルミーユさんは、口先をとがらせたままわたしに告げた。


「あの女に言っておいて。崩すのはいいけど静かにやれ、って。こっちは神経すり減らしてやってるのよ。あんな派手な音立てられたら手元が狂うじゃない」


 エルミーユさんの怒りを一身に浴びせられて、不満が口をつきそうになる。

 今はそれよりもバケツを、と自分に言い聞かせて、何とかこらえた。

 軽く会釈をして立ち去り、バケツを提げてヴェンさんのところまで走った。


「ありがとう、ライザ。……あの子ったら、まるで闘犬ね。誰彼かまわず牙を剥いちゃって。はしたないったらありゃしないわ」


 奥の廊下を横目で見やりながら、ぼそりと毒づいた。それにはわたしも同感で、二人で顔を見合わせてため息をついた。

 壊れた氷像の破片は、溶けて水たまりを作り上げていた。


 ――……水?


「ヴェンさん、どうしてこれ、溶けてるんですか?」


 さっき言っていたじゃないか。調律したら氷は氷のままだって。

 手のひらから体温を奪い、代わりに雫を滴らせる氷を眺めた。隣の像と同じ、青く透き通る氷だ。

 見た目は変わらないし、冷たさも同じだ。なのに、一方は触れれば溶けて水に変わっていく。


「言わなかったかしら? 私の“調律”にも期限があるのよ。期限が切れれば、溶けるし崩れるようになるわ」


 なんてことないように、ヴェンさんは笑う。


「それじゃ、危ないですよね。いつ崩れるかわからないし」

「そうね。放っておけばいつ崩れるかもわからなくて危険だわ。だから私は定期的に“調律”を解くのよ」


 濡れた絨毯は、踏むとじわりと水が染み出した。冷たい水のせいで、足先まで凍えてしまう。

 脳がマヒして、水をかき集めているのか、氷を拾い集めているのかも段々とわからなくなってくる。

 一通り周りが片付いた時には、服も靴もしっとりと湿っていた。


「まだやってたの? 仕事が遅いのね。それで調律師が務まるわけ?」


 悪態をつきながら、エルミーユさんが姿を見せた。額に汗を浮かべながら、完成したばかりの氷像に手をかざしている。

 誰も触れていないのに、氷像が前へ進んでいた。亀の歩みのようなゆったりとしたスピードで、確実にこちらへと向かってくるのだ。


「貴女だって変わらないじゃないの」


 ヴェンさんが言い返すと、エルミーユさんの眉間のしわがピクリと動いた。


「アンタにはできないくせに、文句言うんじゃないわよ」

「それを言ったら貴女だってそうでしょう? 調律をやっているのは私よ」

「は? アンタ以外だって優秀な調律師はいるじゃないの。調子に乗るのもいい加減にしたら」


 目を吊り上げて怒鳴り続けるエルミーユさんに、ヴェンさんはわたしにしか聞こえないくらいの声で「闘犬」と呟いた。

 わたしが思わず吹き出すと、途端に鋭い視線が突き刺さった。


「エル、そんなことしてる場合じゃないだろ。ヴェンリアもだ」


 呆れたように肩をすくめたギルバードさんに遮られて、二人がおのおのの作業に戻る。

 わたしとヴェンさんはバケツにたまった水を裏口にある排水溝へ流しに行き、その間にエルミーユさんが氷像の設置を済ませたようだった。

 ギャラリーをぐるりと見渡し、初めてギルバードさんがいつもの笑みを取り戻した。


「エル、ありがとう。ヴェンリアとライザちゃんも」


 ギルバードさんに頭をなでられたエルミーユさんは、当然でしょう、と答えた。その頬は薄紅に染まり、口元が完全に緩んでしまっている。

 ギルバードさんに褒められたことで、エルミーユさんの気もおさまったようだった。

 先ほどまでの険悪な雰囲気は消え、ヴェンさんを軽く一瞥すると受付へと足を向けた。


「用が済んだならさっさと帰っていいのよ」


 背中越しに言い残し、受付嬢の上品で愛想のよいエルミーユさんに戻る。


「あいつ、ああいうやつなんだ」


 ギルバードさんに耳打ちされて、「知ってます」と答える代わりにうなずいた。


「ご自分の仕事に誇りを持っていらっしゃるんでしょうね」

「……ん、だろうな」


 どうも歯切れの悪いギルバードさんの言い方に、わたしは首をかしげた。皮肉交じりに言ったのが悪かったのだろうか。


「ギル、ライザ、帰る支度は大丈夫?」


 ヴェンさんが目くばせした。ここではできない話があるらしい。

 わたしは特に荷物もなかったので、あとはギルバードさんを待つのみだ。ギルバードさんは上着とスケッチブックを抱え、もう一度ギャラリーを確認してからエルミーユさんのいる受付へと向かった。


「んじゃ、オレたちは帰るからな」

「残ってもいいんだよ、ギルだけなら」


 意地悪な笑みを浮かべたエルミーユさんを、ギルバードさんが軽く小突いた。

 恨めしそうな視線が背中に突き刺さるのを感じながら、わたしたちは建物を出た。

 途端、日の光に射抜かれて立ちすくむ。

 ギャラリーの中も十分に明るかったはずなのに、外の光には遠く及んでいなかった。


「だいじょぶかー?」


 ケラケラと笑う声と、影が一緒に落ちてきた。太陽を背に、目を細めたギルバートさんが立っている。


「あいつ無駄にプライド高いからなぁ」


 困り果てた様子で愚痴をこぼした。


「運ぶくらい、他の人にもできるでしょう?」

「できるだろうけどよぉ、他の奴に任せたらきっとうちまで押しかけてくんぞ」

「本当に迷惑な人ね」


 軽蔑するような視線を閉ざされた扉に向け、ヴェンさんが大げさにため息をついた。

 石畳の上に転がる小石をつま先で弄んでいたギルバートさんが、手をポンとたたく。


「帰りはさ、市場でも寄っていこうぜ」

「あら、ギルにしては気の利いたことを言うのね。……そういえば、ライザは行ったことがなかったかしら」


 わたしの名前を出しておきながら、有無を言わせず予定が決められていく。

 これも二人なりの気遣いなのだろう。

 はぐれないように歩調を速め、二人の背を追った。

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