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ⅩⅠ 神様のお仕事

 ギャラリーへ戻ったわたしたちは、ひとつひとつの氷像を改めて見直した。

 羽の生えた男の人や、下半身が魚のようになった女の人、動物の形をしたものもある。そのどれもがいまにも動き出しそうな雰囲気を持っていた。


「ヴェンさん、さっきやってたのは何なんですか?」

「あれ? “調律”よ」

「調律?」


 ますますわからない。

 わたしが首をかしげると、ヴェンさんがああ、と声を漏らした。


「魔法で氷を作るでしょう。出来上がり方こそ違うけれど、本質は普通の氷と同じなの。要は、室温で放っておけば融けてしまうのよね」


 はい、とわたしはうなずく。確かに、出来上がったばかりの氷は早くも解け始めていた。


「その氷を、解けないように固定するの。物質としての性質を安定させる、と言ったらいいのかしらね。炎は炎のまま、氷は氷のままでとどめるの」

「それが、“調律”?」

「そうよ。調律をするのは調律師と呼ばれる人たちでね、私もその一人なの」


 そういえば、この前ギルバードさんたちとお酒を飲んだ日に聞いたような気がする。あの時は眠かったこともあって、半分くらいしか頭に入ってこなかったのだ。


「腕のいい調律師になるとね、この氷を何年もこのままの形で残すことができるのよ」


 私はまだまだ未熟だから、とヴェンさんが寂しそうな笑みを浮かべる。


「……でも、これ全部ヴェンさんが“調律”したんですよね」


 ギャラリーの中に立ち並ぶ、二十近くの氷像をぐるりと見渡した。

 どれも溶けだした様子がなく、今さっき作られたばかりのように見えた。


「そうね。ギルのような人に協力する調律師って、ほとんどいないから」

「え?」

「調律師ってのはね、国家資格にもなってるの。だから、いいお給料がもらえる仕事もたくさんあるのよ。それに比べて、芸術家の手伝いはね……」


 いつの間にか、受付に見知らぬ女の人が退屈そうに座っている。彼女はあくびをしながらこちらを向いたので、目が合った。

 居心地悪そうに顔をそむけた受付の人に、ヴェンさんは小声で尋ねた。


「ここって、お客さん入るの?」

「え、まぁ。観光の方だと思いますけど、一日に何組かはいらっしゃりますよ」


 訝るような視線をぶつけられながら、ヴェンさんがため息をつく。


「これだもの、知り合いのよしみじゃないと誰も調律なんてしないわよ。貴女も大変ね、こんなところで働かされて」

「なんですか、その言いぐさは。いくらお抱えの調律師だからっていい気になんないでください」


 急に不機嫌になった女の人が、眉間に深いしわを寄せる。

 わたしはどうすればいいのかと二人の顔を交互に見比べた。

 怒りをあらわにしている女の人へ、ヴェンさんが冷たい笑みを送った。数秒のにらみ合いが、とてつもなく長い時間の出来事のように思えた。


「おーい、できたぞぉ」


 ギルバードさんの声が廊下に反響して伝わる。

 それを合図にヴェンさんの放っていた緊迫感が一気に解けた。


「よかったわね、お客様のようよ」


 ふふ、と口角を引き上げて、ヴェンさんがアトリエの中へ戻る。それと同時に入口の戸が開き、まばゆい光とがやがやした話し声が飛び込んできた。




 作業場には、氷のかけらがゴロゴロと転がっていた。

 その真ん中に、緻密な彫刻が施された氷像が鎮座していた。つい先ほどまで、ただの氷柱だったとは思えない出来だ。

 床に落ちたかけらはどれ一つ溶け出すことなく、切り落とされた時の形をそのまま残している。


「ライザも氷を拾うのを手伝ってちょうだい」


 ヴェンさんにバケツを手渡され、床に落ちていた氷を一つ拾い上げた。


「冷たっ……」

「何当たり前のこと言ってんだよ」


 ギルバードさんがゲラゲラと笑う。

 氷であって氷でないような見た目のせいで、冷たさもないような気がしていたのだ。

 素直にそう伝えると、ギルバードさんの笑い声が一層大きくなった。ヒィ、と声を漏らしながら、涙目で息をつく。

 自分が耳まで赤くなっているのがわかる。顔が熱くて、氷まで溶かしてしまいそうだった。


「ギル」


 ヴェンさんの低い声に、笑い転げていたギルバードさんの顔がこわばった。


「さ、作業を続けようか」


 はは、という引きつった笑いと共に、ギルバードさんがバケツに氷を落とす音が部屋に戻ってきた。

 そこからは、各自が無言で氷塊を拾い集めた。冷えた指先が、次第に痛み始める。

 赤く凍えた手に、そっと息を吹きかけた。


 部屋の中の氷はほぼ片付き、改めて氷像を眺めることができた。

 爪先立ちするわたしの手の先に、小鳥が止まっている構図だ。


「ライザね」

「おう。オレが作れば百倍は美人になるだろ」


 胸を張るギルバードさんに、ヴェンさんは冷ややかなまなざしを向けた。


「モデルがいいのよ」

「いや、オレの腕だね」

「ギルバードさんの言う通りです」


 このポーズの意味を知っているからこそ、わたしはギルバードさんの言葉に同意した。


「これ、洗濯物を干してた時のあれですよね」

「そうそう。やっぱライザちゃんは見る目あるよ」


 満足げなギルバードさんに、ヴェンさんは少し膨れたようだった。


「いいわ。ライザ本人が認めてるなら」


 運ぶ場所は? とヴェンさんが聞く。ギルバードさんは左の列の七番目が“調律”の切れるころだと答えた。


「ライザちゃん、エル呼んできて」

「エルさん?」

「受付のおねーさんだよ。で、エルが戻るまで受付やってて」


 断る隙もなく、わたしはただうなずいた。

 ギャラリーには先ほどの団体客しかおらず、受付のエルさんは相変わらず暇そうにしていた。


「エルさん」


 わたしが声をかけると、エルさんは目を丸くした。


「ギルバードさんがお呼びです。ここはわたしが代わりますので」

「あ、そう? じゃあお願いするわ。あと、私の名前はエルミーユだから。気安くエルなんて呼ぶのやめてくれる?」


 あの調律師と相性悪いんだけどねー、とぼやきながらエルミーユさんがアトリエへと消えていく。


 気安く呼ぶなと言われても、ギルバードさんから「エル」としか教えられていないんだから仕方ないじゃないですか。


 文句を言いかけて口を閉ざした。

 先ほどの団体客が出口へ押しかけたからだ。


「……あ、ありがとうございました」

「いいえ。こちらこそ良いものを見せていただきましたわ」


 上品そうな貴婦人にそう告げられて、自然と頬が緩んだ。


「おい、お世辞なんかいいから早く行こうぜ」


 苦い顔をして囁く声も一団の中から漏れ聞こえてきたが、それさえも気にならない。

 ギルバードさんの作品が褒められたのが、自分のことのように嬉しかった。

 客がいなくなった途端、部屋の中が無音になった。氷像たちが音を吸い込んでしまったかのような静寂に包まれる。


 ――エルミーユさんは、いつもこんなところにいるんだろうか。


 だとしたらずいぶん退屈だろうと薄暗い室内を眺めながら思う。

 その時、ガシャンと何かが割れる音が響いた。

 思いのほか近くで大きな音がしたので、軽く飛び上がってしまった。


 ――何があったんだろう。


 壊れた音の後、何事もなかったかのように静寂が戻ってきた。それが逆にわたしの好奇心をそそる。

 いても立ってもいられなくなったわたしは、出入り口のドアとアトリエに続く廊下を交互に見交わした。

 この調子なら、しばらく人は来ないはず。


 少しだけ、と自分に言い聞かせて、ギャラリーに走った。

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