Ⅸ 紅い石の十字架
ジェシカさんの作った昼食は、わたしが今まで食べてきたどんな料理とも違った。見た目こそ異国情緒あふれるものだったけれど、味はどれもわたしの舌に合う。
ギルバードさんもわたしと同じようで、すべての料理を一口たちとも残さないほどの勢いで完食した。
昼食を終えると、会話もそこそこに各々の時間になってしまった。
ギルバードさんは部屋にこもり、ジェシカさんは荷解きを続ける。
わたしはといえば、特にすることもない。皿を洗ってから、暇を持て余していたのでジェシカさんの手伝いをしつつ話を聞いた。
ジェシカさんは徒歩で旅をしているらしい。立ち寄った街々で名産のものを買い、次の町でそれらを売ることで生計を立てている。そして、その売れ残りを土産としてここへ持ち帰るのだと話してくれた。
わたしが別の世界から来ていることも薄々わかっているらしく、多少話がかみ合わなくても見逃してくれた。
「ライザさん、あなたはしばらく外に出ない方がいいかもしれない。アタシたちはいいとして、他の人が見たら怪しいからね」
「……ですよね。ヴェンさんからも、そう言われてます」
「落ち込むことじゃないよ。あなたもヴェンも悪いことはしてないんだから。ただ、少しばかり問題があってね」
ジェシカさんは気まずそうに顎に手を当てた。
そこへ、ヴェンさんが帰ってくる。
「あれ、ジェシ姐。帰ってたんですね」
「おー、ヴェン久しぶり」
子供相手にするように、ヴェンさんの頭を撫でる。
「メンツも揃ったことだしよぉ」
ひょこりと顔をのぞかせたギルバードさんが、お酒をあおる仕草をした。
「駄目よ。ライザも貴方も、まだ子供でしょう」
「ケチなこと言うなよ。せっかくジェシーが土産持ってきたんだぞ」
「えーっ? 酒の肴になるようなものあったなかな」
ジェシカさんが思案を巡らせる間に、気の早いギルバードさんはいくつかの中ビンを運んできた。
「あのなぁ、芸術家ってのはインスピレーションが大事なんだよ。わかるだろ? イ・ン・ス・ピ・レ・イ・ショ・ン」
バン、と机を叩きながら熱弁を振るう。その様子を横目に、ヴェンさんはギルバードさんの前から酒ビンを取り上げた。
「そんなことで浮かんでくるようなインスピレーションなら必要ないでしょう。もっと真面目にやりなさい」
「まあ、ライザさんの歓迎会ってことでさ。今日だけは大目に見てやんなよ」
ジェシカさんの助け舟に、ギルバードさんは大きく万歳をした。
さすがのヴェンさんもジェシカさんの提案には逆らえないようで、渋々とビンを元の場所に戻した。
「今日だけよ? それと、飲みすぎないように。ギルが飲んでいいのはこれだけね」
ギルバードさんの前に置かれたのは、栓が空いて中身が半分ほどになったビンだった。
チッっと舌打ちが聞こえ、中身の少ないビンを所為なさそうに振る。
ぴちゃん、と雫が跳ねる音がした。
「ライザちゃんには?」
ギルバードさんは気を遣ってくれたのか、抗議の視線をヴェンさんに送った。
「あ、わたしはジュースで」
「そんな遠慮すんなよ」
「ギル、無理強いはよくないわ。それに、何かあったらどうするのよ。貴方、責任取れるの?」
ヴェンさんの猛攻に、ギルバードさんは言葉に詰まった。鋭い視線だけは、相変わらずヴェンさんに向けられている。
貴方は飲みなれているからいいんでしょうけど、とヴェンさんがため息をついた。
「最終決定は本人に任せるしかないんだから。本当に二人とも仲がいいね」
睨み合う二人を見かねたジェシカさんが、間に割り込んで仲裁した。
「で、ライザはどうしたいの」
ヴェンさんに尋ねられ、わたしは一瞬答えに詰まった。
――飲んでみたい。けど、ヴェンさんはあれほど心配して反対してくれている。
わたしが葛藤しているうちに、ギルバードさんはさっさとわたしのグラスにお酒を注いでしまった。
「いいから飲んでみろって」
グラスを差し出されて、わたしは思わず受け取ってしまった。
「じゃ、じゃあ……少しだけ」
お酒を微量だけ舌先に乗せ、わたしは咳き込んだ。
鼻に抜けるようなアルコールに、頭がクラクラした。
「ギル! いきなり強いお酒を飲ませるなんて何を考えてるの」
「あ? 言うほど強くないだろ」
わたしに注いだ残りを、ビンに直接口をつけて一気にあおる。
ギルバードさんの様子を見ている限りでは、そこまできつくはなさそうだった。それでも、実際に口をつけてみて自分には合わないとわかった。
「わたし、やっぱりジュースにします」
硬直した筋肉を無理やり引き上げて、笑顔を作る。振り返ると、わたしのグラスに残ったお酒をジェシカさんが飲んでいた。
「うん。強くはないけど癖があるね。これは飲みづらいはずだ」
そんな独り言に、ギルバードさんが「そんなことねぇぞ」と食って掛かる。
ヴェンさんとジェシカさんは顔を見合わせて苦笑した。
「ヴェン、酔っ払いにおつまみでも出してあげたら?」
「うーん、ジェシ姐のぶんならまあ……」
「いいよ。じゃあアタシのぶん。持ってきて」
いつもしっかりしているヴェンさんが、ジェシカさんの前では甘えている。
その光景がとても不思議に思えた。
食糧庫からジェシカさんの持ち帰ったチーズを何種類か選び、皿に並べる。ヴェンさんとジェシカさんは、ふたりで葡萄酒を開けて飲み始めた。
長い脚を組んで葡萄酒を酌み交わすのは、ジェシカさんには合わない気がした。
この人は家の中でひっそりと飲むよりも、酒場にいるほうが似合うだろう。旅人としてのイメージが強いせいなのだろうけれど、不思議な感覚がした。
ギルバードさんはヴェンさんに与えられたぶんのお酒をきれいに飲み干して、早々に眠ってしまった。
その後、わたしたちは女三人で眠気と闘いながら語り明かした。
ヴェンさんの仕事のことや、この町での暮らしのこと、わたしが前にいた村のことも話した気がする。
窓の外が明るくなってようやく、わたしたちは片づけを始めた。
「んじゃ、アタシはひと眠りしたら出発するから。南のほうの島国で珍しいお祭りをやるらしいんだ」
行くしかない、と気合をにじませるジェシカさんにヴェンさんが寂しそうな眼をした。
ギルバードさんは年の半分以上と話していたけれど、実際は一年のほとんどなのかもしれない。そう思わせるほどに慣れた口調だった。
「もう一日くらいこっちにいてくださいよ」
ヴェンさんが懇願しても、ジェシカさんは頑として首を縦に振らなかった。
「明後日の船に乗らなきゃ間に合わないんだよ。船着き場まで二日で行けるかも怪しいのに……」
「じゃあ、早く帰ってきてください。せめて、コルの実が落ちる前に」
「わかったよ。それまでには帰るから、心配しないで」
お酒を飲んでいるからなのか、涙目になったヴェンさんはジェシカさんに縋り付いた。ジェシカさんはそれを軽くいなし、中身の少なくなったリュックの中身をあさる。
「これ。本当はヴェンの誕生日に、と思ったんだけど。帰ってこれるかわかんないから先に渡しとく」
ひょいと投げて渡されたのは、小さな紙の包みに入ったネックレスだった。
花嫁の儀式の時にかけられたものを彷彿とさせる、十字の形を模したものだった。十字のちょうど重なる位置に、紅く輝く石がはめ込まれている。
「お守り、とも違うけど。ヴェンの目と同じ色の石でさ、綺麗だからつい買っちゃった」
ヴェンさんはネックレスを受け取り、すぐ身に着けた。瞳と同じ色をした石が、朝日を受けて煌めく。
「さすがアタシ。ぴったしお似合いだ」
満足そうに微笑んで、ジェシカさんは寝室に向かってしまった。
「ライザ、私たちも寝ましょうか」
名残惜しそうに席を立ったヴェンさんに続き、わたしも寝室へ引き上げる。
布団へもぐりこんでから、ギルバードさんをそのままにしてしまったことに気が付いた。
「いいのよ。ギルは氷の魔法使いなんだから、このくらいで風邪なんてひくわけないわ」
ヴェンさんのいうことも一理ある。睡魔に耐え切れなかったわたしはその言葉に甘えることにした。