葉底灯火
仮令、才人であっても科挙に及第するとは限らぬ。それは最早、殊更に言う迄も無く、身に沁みて解している者が大半であろう。
蚕が繭を紡ぐが如くに作られた詩は当代一級の物と誇っても、その鼻は悉くへし折らる。幾度と無く落第しては己の文章の一字一句総てが疵だらけの様に思われ、鬢髪の一本に至る迄白く薄れて行く様な苦痛は、賎しくも賄賂で及第した者には永世分からぬであろう。
而して又、これに心を狂わせ且つ名を成す事叶わずに潰えた魂魄は、何処を彷徨うのであろうか。己を知る者の為には鬼卒を振り切る勇猛の士達も、その者が居らねば如何ともし難い。
彼は、果たして何処に往けば心休まるのだろうか。
淮陽の葉学生は文章、詞賦、何方に於ても、当時第一と称せらる才を持っていた。然し、如何ともし難い宿命に依るものか、彼は落第して許であった。葉自身、何ぞ己はこうも試験運が悪いのか、と頚を捻らずには居られぬ程である。
葉は有志の男であった。然れども律儀な性格をしていて、妻もあった。子供も一人産まれ、貧しいものの仕合わせに、それなりの日を過ごしていた。だが何時迄も及第しない生員程、疎ましいものは有るまい。食い扶持も満足に稼げない葉の家では竈の火も絶えがちだった。妻も、文句こそ謂わないが心中では己の事を好く想っていないに違いない。書を読み乍、葉は溜め息を吐くのであった。
ある日、葉が役所に呼び寄せられ出向いて往くと、関東の丁乗鶴という男が待っていた。偶々此処の県知事と為り来任せられた丁は、彼の文章を目にしたらしい。而してその緻密な技巧や上手な筆を見て取り、葉と言う男に興味を持ったのだと云う。
「君は巧い手を持って居るのに、学使にはそれもとんと判らぬらしい。そんな盲目の輩が試験官だとは真に嘆かわしい事だ。」
と言って丁は彼を誉めた。誉められ悪い気のする者は居らぬ。葉も、成る程己の文章を見て呉れ誉めて呉れる人は居るものだ、と若干自信を取り戻した。己を信じる事が出来なく為って来ていた矢先であったので、丁の言は彼の気分を舞い上がせるには十分であったのだ。
話を交わす内に二人はすっかり打ち解け、その内に酒が入る。丁は葉をいたく気に入り、役所の中で暮らさせる事にした。葉が文章を書いてはそれを見、膝を叩いて誉め、家には時折金や米を贈り彼の家族を助けて遣りもした。葉は、この惜しみ無い援助に感謝し、役所の一室で書を読み文を書き乍、同時に感じる圧迫感に喘いでいた。而り、若しこれで復落第したらと思うと夜も眠れぬ。夜を徹する日々が続いた。
その内に、郷試の期日がやってきた。丁が学政使に吹聴しておいたのも有り、葉は見事首席を占めた。今度こそはと彼は思い、丁の期待も多大であった。首席で受からぬ筈が無い。だが葉は言い知れぬ不安も又腹に抱えて居た。
而して、葉は復しても落第であった。文章の巧い者をこそ運命の神は悪むのであろうか。背に立つ者が出来、気に負って居た彼には、聊か酷な運命であった。彼は意気消沈して、とぼとぼと家へ帰って往った。
葉が、落第した所為で白痴の様に為って居ると耳にした丁は、心中を慮り慰めて遣ろうと彼を役所に呼んだ。
先立って今回の答案を態々取り寄せて読んだが、それは見事な物だったのだ。詰まり、これは単に彼の運が未だ負向きで、仕方が無い事なのだ。と丁は謂ってやる心算であった。
暫くして訪れた葉は、聞くに違わぬ酷い有り様である。知己の期待に背いた恥ずかしさの為か、それとも好い加減己を悲観してるのか、身体は痩せ細って骨許で、木偶の様に呆っとしていた。肝胆相照らす仲の丁の前だと言うのに、ぼそぼそと時候の挨拶を述べた切り顔も上げない。
「嗚呼、葉子よ、我が友よ。そんなに思い詰めては不可ない。巡り合わせが悪かったのだ、そうだろう?」
声を掛けられ、漸く葉は顔を上げた。然してその顔は幽鬼の如く陰が差し、眼光丈が爛々と輝いている。幾度と無く煩悶し、悩み狂ったのであろう。彼の耳朶の辺りには掻き疵が赤黒く残されて居た。
鋭い乍も虚ろな彼の眼を見て、随分思い詰めてるらしいと察した丁は、努めて明るく、試験も終わって仕舞った事だし、一緒に都に往かないか、と提案した。それは兼ねて依り、丁が考えていた事であった。
「葉子、都に往こう、一緒に北に往こう。以前自り君と与に旅に出たいと思って居たのだ。なあ、脳味噌を煮詰めても利は無いぞ。」
葉は緩慢に眼を動かして丁を見返した。その眸にじわりと泪が浮かぶ。彼の曰く、私は駄目な男です、と。掠れた声は小さく部屋に反響する。
「私の如き凡夫には、到底望めぬ事だったのでしょう。貴方に掛けて頂いた期待に応えられず、復しても進士に登第する事は叶いませんでした。運が向かない丈で、これ程迄上手く出来ないものでしょうか? 否、これも総じて私の様な者は前世で悪まれた業が充ちる迄は高望みしては不可ないと云う事なのです。」
葉は悲痛な声でそう述べて、視線を下げる。泪が一筋、彼の眼から溢れた。口ではそう云っても矢張り悔しいのか、歯を音の鳴る程噛み締め、泣き喚きたいのを堪えて居る様子である。丁は最早何も謂わず、友人の肩を抱いて、背を叩いて慰めた。
友の情に心打たれ乍も、葉は行き場の無い己の心を持て余して居た。彼には神を悪む事が出来ないのに、況んや誰を悪めると云うのか。然りとて彼が復下第したことは拭えぬ事実であり、彼が余りにもそれを気に病み過ぎているのも事実である。彼の心は世の中の有志の者達誰もが共に感ぜらる事であり、又誰にも分からぬ事で、彼の苦悩を真に理解し得る者は終天に居らぬが、然しそれで良いのだろう。
扨、丁に暇を告げ、その後に帰宅した葉は、門も扉も皆閉めて誰とも顔を合わせぬ事にした。合わせらる顔も無い、合わせたく無いと云うのが心中であろうが、丁の遣いが迎えに来ても一切顔を出そうとはしなかった。そうして独り切りで煩悶して居たからであろう、暫くして病に悩み、起き上がる事も儘為らぬ程に為って仕舞った。
床に臥せった儘呆と天井の梁を見上げ、葉は己はもう駄目かも知れん、と独り思う。この儘、身を立てる事も叶わず、幼子と妻を遺して、己は死んで終うのだろう。己は妻には何一つ好い想いをさせて遣れて無い、而れば後家を通せらるのも妻には苦痛であろう。己に親は最早居らぬのがせめてもと思うが、それは喜ばしい事ではあるまい。良人が不肖であれば妻もこう迄苦労せねば為らんのだ。嗚呼、全く世知辛い世の定め哉。
葉は半ば自棄に為って枕を壁に向かって投げ付けた。粗末な枕は扉の側の壁にぶつかり、鈍い音を立てて床に落ちる。そんな事をしても矢張り彼の気は晴れぬ上に、段の低く為って仕舞った床は寝心地も悪い。投げて仕舞った枕は取りに往かねば為らぬ。
「一寸あなた、何を為さって居るんです。起きて良い身体では無いんですよ、寝て居て下さいよ。」
丁度その時部屋に入って来た妻が、強いて起き上がろうとした葉を抑えた。床に落ちた枕を拾い元の所へ戻して、良人の掛け蒲団を直して遣る。その手付きは怨みに充ちたものでは流石に無いが、優しさに充ち充ちて居るとは云い難い。
「済まん、おれが病気な許に…………。」
「そう思うのなら早く治して下さいな。あなたなら何時かは絶対に登第します、此処で気落ちして死んで仕舞うと世の笑い者に為る因り他は有りません。…………そう云えば、丁先生からあなたに手紙が来ていますよ。先生もあなたの元気な姿を視たがって居らっしゃいましたよ。」
「おれに、手紙…………?」
思わず葉は勢い身体を起こした。途端に襲った気怠さを押して、妻の手から奪う様にして手紙を受け取る。其処には以下の様に在った。
『病の程は如何でしょうか。余り籠り切りで思索に耽って居ると身体に宜しく有りません、偶には書を読まぬ日も必要かと思われます。陽に当たり、風を感じるのが良いでしょう。
扨、私はこの度私情で職を免ぜられて仕舞いました。付きましては郷里に帰ろうと思います。然し、貴方と旅に出る約束をして居ると思い、貴方の病の治るのを待ってぐずぐずして居るのです。北では無く東に変わりはしましたが、一緒に参りましょう。若し貴方が朝に居らっしゃれば、私はその日の夕方にでも出掛ける所存で御座います。どうか気を落ち込ませず御病気を早く治しますよう云々。』
力を込めた所為か、それとも滲んだ涙の所為か、手紙の字が歪んだ。病で気が弱く為って居るな。と己でも思い乍、葉は目元を拭って謂った。
「薬を浴びる程飲みましたが一向に効きません。どうか私の事は棄て置いて郷へお帰り下さい。と、丁先生に伝えて呉れ。おれの病気は治る見込みが無いと明言して来るんだ。而れば先生もおれを待とう何て考えは起こさんだろう。」
己の事等それ切り忘れて呉れれば良いのだ。先生は佳い人だから、恐るらくは己を永世待ち続けらる事だが、それでは不可ない。葉は言にはせずに呻いて、身体を床に任せた。
「丁先生はあなたを待って呉れて居るのでしょう? それなら早く治して一緒に往きますと面言すれば宜しいでしょうに、そんな弱気で如何するのです?」
妻の非難する様な声には返さず、葉は深く溜め息を吐いた。妻には判らぬのだ。彼が、彼の不徳の所為で誰にも迷惑を掛けて居るのが一番我慢為らぬと云う事が。
然し、彼も又理解して居なかった事には、已に彼は世に厭き始めて居たのだろう。如何に文章に気を吐き心を狂わせたと云えども認められず、果ては病に倒れても見舞いに来るのは丁や親戚許で学の友人達は敵が減ると悦んで居ると聞く。他人の将に没っしようとするのを喜事とは、卑賤の性が知れよう。こうも芯に堪えると厭世的にも為ろう物である。
それは但だ友人や妻子を未練に現世に留まる鬼の如き影か否、後の道を照らす灯火である。世を儚む人の数多かれど、内の幾人が己の居らぬ世を気にせず逝けるのだろう。況んや彼には気に掛ける可きものが多過ぎ、厭離穢土と往くには枷が邪魔であった。而らば彼は何を頼みとすれば良いのだろうか。
他方その頃丁は、葉を心配して遣いを頻繁に遣って見舞わせて居たのだが、とある案件で上官に背き、罷免せられて居た。丁としては己の信ずるものを通した已であり、免職に為っても平生の儘であった。ただ、矢張り友人の事が気に掛かり、彼を置いて去るに忍び無く思って居た。
丁が彼に手紙を送って後、数日が経った。朝方、門人が葉様が御見えですと云う。丁が息咳切って迎えて出て往くと、成る程門口には葉が立って居た。
「あの様な返事をしたにも関わらず先生が私を待って居ると聞き、私の如き者が日取りを遅らせて居るのだと思うと居ても立っても居られなく為りました。今、こうして病も平癒し、幸いお供出来ます。約束を違う御心算が無ければ、どうか一緒に往かして下さい。」
葉は憑き物の落ちた様な晴々とした表情で笑う。少々痩けて居るが頬には紅が差し、元気そうである。外には馬を引いて来ているらしく、旅装も整って居る。もうすっかり調子も好いらしい。丁も安心して笑い返した。
「無論だとも。君が治って仕舞うのを心待ちにして居たのだ、何を拒む理由が有ろう。一寸時間を呉れよ、直ぐに準備して仕舞うから。」
丁も既に荷の大半は纏めて居たので、二人は直ぐに出発した。淮陽を出て東、丁の生まれ故郷へと着くまで、二人は久しく会わなかった埋め合わせをする様に歓談を交わした。
病気の治る迄はさぞかし退屈で気の滅入る物だったろう、何時頃回復したのか。と丁が問うと、然し葉は呆とした表情で、それが己でも何時治ったのか判らない、但先生が私を待って居ると聞いて目が覚めた様に為り急いて先生を訪ねた、と云う。今一要領を得ない応えにも、丁は頭が混乱して居たのだろうと考えてそれ切り葉の病の話題には触れなかった。
丁は郷里に着いて直ぐにその場を辞しようとした葉を引き留め、彼に己の息子の先生に為って欲しいと恃んだ。丁の息子は名を再昌と云い、歳は十六であった。葉は二つ返事で了承して、再昌と朝夕を供に過ごす事に為った。
再昌は未だ文章が巧く書けなかったが、非常に聡明で、大抵の文なら二、三度読んだ丈で覚えて仕舞う。葉が付いて教えると直ぐに筆を取れば文を作れるように為った。一年もすれば県学に入り生員と為り、郷試の際には葉が以前書いた文を読ませていた処、問題が全てその中に入って居たので再昌は二番で及第した。
これには丁も驚き慶び部屋に葉を呼んで、拝礼して云った。
「我が友よ、君は書き捨てた文で以て遂に伜に名を成させた、礼を謂う。然し君程の大才が埋もれて仕舞って居るのは一体如何云う訳だろう? 矢張り君の運の為す所許とは云え無いのだろうか?」
丁の言に、葉は静かに微笑んで頭を振った。何も彼も承知して居るらしい彼の笑みは、世を儚んで居る修行者に似て居た。
「それは神にしか判らないだろう。何を以ても我等が這地の民が万象を説く事は出来ん。而れば傲りに充ちた考は棄て、但だ儚い世に花弁を散らす耳。私は、貴方の御子息の福沢を借りて己が文章が為に気を吐き、世の蒸民に私の半生の不遇が決して私の文章が稚拙だった訳では無いと判って貰えた丈で本望なのだ。固より士たる者、一人の知己を得れば最早怨みは有るまい。必ずしも、書生の白衣を脱ぐ事已が仕合わせとは謂えんだろう? 私はこれで好いのだよ。」
「これで好いのだ等とは云っても、君だって己の名を成したいと思うだろう? そうだ、君、他郷に何時迄も居て歳試に遅れる何て事に為ると不可ない。伜も出世した事だし、郷里に帰っては如何か?」
丁は親切心からそう謂ったのだが、然し葉は哀しげに眉を寄せて、顔を臥せる。そうして帰った処で、復ぞろ落第するに決まって居る。而れば試験を受ける意味は真に在ると云えるのだろうか。と言葉に為らぬ声を聞いた気がして、丁は押し黙る。理由は分からぬが彼が何処と無く寂しそうで、丁はその二儘の句が告げれず溜め息を吐いた。疾く帰れと強いるに忍びなく、竟に丁は息子に謂い付けて都に往って彼の為に官職を買って遣る事にした。
再昌は進士に登第し中央官省に主事として赴任する事に為ったので、葉を連れて往って一緒に暮らした。翌年には葉は郷試に及第し挙人と為り、そこで漸く志を立てる事が出来たのである。
葉が挙人と為った翌年、再昌が南河の工事監督に任ぜられたので中途迄連れ立って往き、淮陽の界で別れ、葉は下僕と馬を連れて己の家へと帰った。幾年振りの我が家である。足取りは軽い。
己は今では出世した、と葉は扨も矢張り自慢気であった。鼻に掛け尊大に為る心算は毛頭あるまいが、それでも道往く人の畏敬と羨望の眼差しは心地が好い。綺麗な錦を着て冠を被り馬の頭をくっと高くして進む己は、如何だろう、中々立派じゃないか。以前に己を嘲笑った輩は、今では如何して居るのだろう。妻は己の姿を見たら驚愕するだろうか…………。
而して好い気分で酔って居た葉であったが、暫く後に異変に気付いた。道往く人の視線に、驚愕と恐怖をも認めたからである。幾人が葉の顔を見て道の横に逃げ、痛まし気な表情を見せ、愈々葉の疑念は募る。下僕と顔を合わせても何の事やらとんと判らない。若しや妻が不実を犯したのか、それとも息子が禍に見舞ったか、否真坂。葉は気が気ではなかった。
家の前に着き馬から降りて手綱を下僕に任せて、葉は家を目の前にして往生し掛けた。入って往ったら見知らぬ男が居る何て事を想像して気後れして仕舞ったのだ。然し此処で立ち止まって居ても意味は無いので、意を決して彼は門を越えた。
「おーい、只今帰ったぞー。」
知らぬ人が居たら今ので去って欲しいと思い乍声を掛けると、しんとした沈黙が帰って来る。見れば家もぼろぼろで貧乏な身の上を風に曝して居り、廃墟の如き様子に葉は色を失って中へ駆け込もうとした。が、その前に妻が出て来たので内心胸を撫で下ろす。
ぼろぼろの服を纏った妻は葉を一目見るなり、手に持って居た甕を取り落として、而も己では落とした事に気付かない様子であった。両の眼を驚愕に見開き、口を何事か開閉して居る。まるで死人でも目撃したかのようだと葉は思い、己の居ぬ間に何が有ったのだろうと唸った。
「おいおい、暫く会わぬ内に良人の顔も忘れたのか? 薄情な妻だ、そんなに驚いて一体全体如何したんだ?」
葉が妻に手を伸ばすと、妻は小さく悲鳴を上げて身を翻すと忽ち逃げ出した。顔色を無くして外に飛び出し、往きずりの人に何かを喚いて居る声がする。葉は得体の知れぬ黒いものが、背後因り迫り、肩に手を掛けてにたにた嗤って居るのを感じた。
思考を止めた儘、彼は家の奥に入って往った。何年か前迄の己の部屋には、見慣れぬ柩が安置して在り、未だ釘も打って居なかった。部屋の中には古く為った人間と腐肉の臭いが充ちて居て、吐き気を催すようだ。暗い照明が作り出す陰影が、ゆらゆらと揺れていた。
彼には、柩の中身を改める勇気は無かった。代わりに己の寝台を検分して、台が人の形に黒ずんで居るのを認めた。妄執が其処には遺されて居るようであった。
「は、はははっ……………。」
葉は懐刀を取りだして柩に何事か書き付けた。それは以下のような文句であった。
翠嵐陰影月朧朧 翠嵐陰影、月朧朧
幽夜静寧彷闇中 幽夜静寧、闇中を彷う
峻嶺星芒不要銭 峻嶺星芒、銭を要めず
白雲山月不求風 白雲山月、風を求めず
縦為偽景然真在 縦い景偽と為し、然れども真在りとも
竟散千心而夢終 竟に心を千に散らし、而して夢終る
知暁鐘声灯火熄 鐘声に暁を知り、灯火熄ゆ
鬼燐吟嘯但消空 鬼燐は吟嘯し、但だ空に消えるのみ
木屑が辺りに虚しく散らばる。彼の靴がそれを踏みにじったが、かさこそと幽かに音を立てる已である。
彼は虚ろな笑いを伴い乍踵を返すと、部屋を出て往った。床に落ちた木屑の間に残された小さな熱い水溜まりが、部屋の仄暗い灯りを反射して居た。
聊斎志異より、〝葉生〟
過去作を発掘したので思い出したようにUP