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紅色汚染

三大噺「一つ目」「先割れスプーン」「化粧水」



 朝仕事場に行くと、渋い顔をした同僚が書類を片手にため息を吐いていた。

「どうしたんです? 何の案件ですか?」

 そう聞くと投げ出すように書類を渡される。問題の箇所が赤く線引かれたインシデントレポートと、誰かのプロフィール。

「2-D地区の道路が沈んだ」

「このままだと紅色の化粧水搬出に支障が出る」

「首都までの道を迂回しようにも、小鬼の襲撃を受けることは必至だ」

 ざわざわと懸案の事項に関して口にしつつ、彼らは何度もため息を吐く。小鬼が紅色の化粧水を狙って行動することは多々あった。今までも、何度も。

 自分の机の上に置いてある装備品を一式、身に着ける。無線機をセットし、錠剤をベルトに挟んだ頃、同僚の一人がのそのそと近づいて来た。のっぺりとした顔に困惑と焦りの表情を浮かべて、ぎちぎちと歯を鳴らす。目線は落ち着きなく同僚達の顔を順繰りにしていた。

「行くのか? 増援はまだつかないぞ。行くのか」

 ぐっと言い返そうとした言葉を飲み込む。増援だと? お笑い種だ。現場の維持職員になんて期待したことない。彼らが一体どんな仕事を為したと言うのだ。

「仕方ないだろ、どうせ誰かが行かないとダメなんだ」

 彼は呆れたように、諦めたように歯をぐっと噛んで顎を引くと、カチンと鳴らした。

「だがせめてスプーンを持っていけ。普段の装備じゃ太刀打ちできんぞ」

 手渡されたのは前線の兵士が良く用いているスプーンだった。銀色の素体に、見慣れぬ文様が描かれ、フチは鋭く尖っている。確かに普段使いの標準フォークよりは強そうだが、なんだか不思議な武器だ。

「……分かった、ありがたく使わせてもらう。だが増援は待たないからな」

 同僚達が何か言いたげに自分を見送る中、スプーンを背中のホルスターにセットした。ずっしりと重いそれは普段のものより無骨な印象を思わせ、現場の信頼を感じさせた。

 今日はこれが相棒だ。水没した道路を復旧させなければならない。化粧水が奴らに奪われないように、辺りを汚染しないように、迅速にしなければならない。

 自社のパトロール用車で書類にあった場所に向かう。道中、向かう方向から数人が速足で逃げてくるのが見えた。状況は思ったより悪いらしい。

 現場は悲惨だった。重要な道路の殆どは水で埋まっており、立ち往生した運搬車が今にも引き倒されようとしていた。周囲の小鬼共が手に持ったフォークで辺りを警戒しつつ、タンクを揺らして、件の運搬車を横倒しにしようとしているのだ。

 私は猛然と奴らに近づいていった。ベルトに挟んだ錠剤を何個か引き抜いて小鬼共に投げつける。飛んできた錠剤を目にした小鬼の数人は色を失い一目散に逃げだした。が、大半は残り、フォークを掲げて見せた。やはり堂々と襲撃してくるだけあり、この程度では動揺などしないらしい。私は背中のスプーンに手を伸ばした。

 そこからは乱闘だ。奴らの中にも、中々腕の良いのが混ざっていた。だが渡されたスプーンは使い心地が良く何度か窮地を救ってくれた。あいつには帰ったら感謝しないといけないな、とぼんやりと思った。

 突き立てられるフォークをかいくぐり、小鬼を蹴り飛ばし、道路の安全を確保する。迅速にだ。早くしなければならない。

「っく、撤退するか……?」

 小鬼の一人がうめいて、ちらりと運搬車の方を見る。せめて少しの化粧水を手にしようという意思だと判断した私は、スプーンを払って、深く息を吸う。

 そいつの頭部を狙ってスプーンを振り上げた時、近くで轟音がした。すぐに、一度転倒を阻止した運搬車の側面に穴が空いていることに気が付いた。穴だ。タンクに、大きな、穴が空いている。

「しまっ……」

 穴から紅色の液体がどっと零れ出す。いつか見たような、いつも見ているような、鮮やかな紅色が、まだ道路を半ば覆っている水に溶け込んでいく。事態は最悪だった。

 タンクの上には一匹の小鬼がいた。見慣れぬ武器を手にしたその鬼は、二つ目をぐっと寄せて私を見下ろすとクソ野郎と叫んだ。あぁ、と私は少しだけ安堵する。結局今日も、奴の仕業だった訳だ。ムカつくので私も叫び返す。

「貴様、なんてことをしてくれた!」

 返事はなかった。ただ、そいつは二本足で跳躍すると、その奇妙な武器を猛然と振り下ろしてきた。咄嗟に受けようとしてから、足元が不味いことに遅れて気が付いた。車から近かったこともあり、紅色がほんの手前まで来ていた。

 ふと思い出すことがあった。昔の話だ。私と、彼女がまだ仲良くしていて、小鬼共もまだ少し大人しく暮らしていたころの話だ。紅色の流出事件はその後何年も何年も、今に至っても爪跡を残し続けている。その時のことを、思い出した。

 軋みをあげて、掲げたスプーンはかろうじて相手の攻撃を受け止めてくれた。つい足元へ行く意識をなんとか前に向けつつ、相手を睨む。絡みつくように紅色が、ブーツに、足に。

「久しいわね。でも、どうせ忘れてるんでしょう? 一つ目野郎」

 タンクの上に着地した小鬼が呟く。トーンの高い、聞き覚えのある声だ。何度も聞いてる、分かってる。

 ずしりと重みを増し、鈍くなる足を懸命に動かしつつ奴を観察する。その小鬼は、彼女は顔の下半分を覆うマスクをしていて、奇妙な武器を掲げていた。形は私の持っているようなスプーンに似ているが、その武器はよりまがまがしく、剣呑な雰囲気で、鋭く尖ったフチが更に変形していた。

「あぁそうだ、私はすっかり忘れたんだ。お前と違って」

 もうこの問答も何度目になるのだろうか。息を整えつつ、惰性で口を動かす。

「なぁ、お前はいつまでしがみついてるんだ、二つ目」

「いつまでもよ、一つ目。私達はね、あんたらと違って恨みを忘れないし、仲間を見殺しにもしないの」

 確かにそうだ。そこが私達と、小鬼共の、明確な違いなのだろう。紅色の化粧水工場、その材料と用途。首都のみで使われ、それ以上にどこに運ばれているのか。それを知っている筈の私と彼女が、互いに武器を向けていることの理由なのだろう。

 背後がにわかに騒がしくなりだして、きっと環境保安員や維持職員とかが到着したのだろう。遅すぎるという文句は飲み込む。連中が準備に時間をかけて、漸く活動しようという頃合いなのは、今は大きな問題じゃない。

 一番大きな問題はそう、私と同じく、彼女も連中が嫌いなのだ。

 良い獲物が来たと言って彼女は笑った。いつか見たような、いつも見ているような、鮮やかな笑顔が、私を揺さぶってくる。足元の水はすっかり紅い。汚染がこれ以上広まると、復旧に長い時間がかかるだろう。ブーツどころかズボンまですっかり紅色だ。だがそんなことより、そんなことよりもだ。

 小鬼が先のとがったスプーンのようなものを掲げる。背後の人員が口々に喚きながらフォークを装備している。私もスプーンを構える。

 なんと言われようと、私は私の仕事をするだけなのだ。



紅色の化粧水 #とは

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