《聖歌隊》の章 1
黒髪の他称勇者、ユギには世界を滅ぼす為の力がある。
赤髪の化け狐、セキコには身体を変幻自在に変える力がある。
ならば、白衣を纏う他称勇者の自称弟子には、一体どのような力があるのか。
その単純な問いに、少女アノはどう答えるだろうか。
「……さあ?」
それは答えではない。
「冬だぜ」
「違う」
「海です」
「違ぇ」
「戦いだー!」
「うるせぇ!」
ヒルレイ東部に広がる広大な草原を、喧しく騒ぐ三人の少年少女が歩いていた。なだらかな坂を上り、小高い丘の上に出ると、足元にはゆるゆると茶色の道が伸びている。その先に、大きな湖と、その湖に寄り添うように作られた美しい街が見えた。
先頭を歩いていた赤毛の少女が、髪の間に生えた獣の耳をぴん、と立て、口角を緩ませながら振り返った。
「リスポールが見えてきたぜ。相変わらず真っ白だなァ」
「真っ白ですって? どうせ私には敵わないでしょう」
「アノ、後ろ髪が汚れてるぞ」
「何処見てるんですか変態」
純白の白衣を纏い、端正な顔に薄い笑みを湛えた少女が、表情を変えぬまま最後尾の少年を罵倒する。
茶色のTシャツに黒い短パンという質素な服装の少年は、頭をかき、疲弊した表情で空を仰ぐ。
少年の名をユギ。白衣の少女はアノと言い、赤髪の人外の名をセキコと言った。彼らは今、ヒルレイとリテネを繋ぐ≪嵌りの森≫を抜け、湖の街リスポールを目指している最中であった。
ニヒルな笑みを浮かべるセキコの隣に並び、アノはリスポールの全景を一望する。途端、短い感嘆の声がアノの口から漏れた。
「師匠師匠、あの街真っ白ですよ。まるで……いやなんでもないです」
「言いかけて止めるなよ」
「言ってもいいんですか?」
「やっぱりいいや」
「まるで師匠の頭みたいです」
「やっぱりいいって言っただろうが!」
声を荒げた後、気を取り直してリスポールを眺める。確かに、セキコやアノが言うように、リスポールの建物は全て白く塗り立てられている。潔癖にも見えるその外観は一種神聖な雰囲気を漂わせていて、アノが驚きの声をあげるのも無理は無かった。
「おら、さっさといくぞ。こちとら足がにゅーさんで一杯一杯なんだ」
「明日は筋肉痛ですね。師匠は大丈夫ですか?」
「まあ、なんとか」
微笑みながら様子を窺ってきたアノにそう答えると、露骨にセキコが反応を示した。ふん、と忌々しげに鼻を鳴らす。
「全く、今時の奴らは健康的でいいよなあ。私がてめぇらくらいの頃は、ずっと家ん中で寝てたぜ」
「お前俺たちとそこまで年変わんないだろうが」
「あん? お前もうおっさんじゃなかったっけ」
「どうしてそうなるんだよ」
「師匠は小さなおっさんですよ」
「お前は黙ってろ」
ゆるやかな勾配を降り続け、やがて平坦な一本道になった。からりと晴れた青空には雲ひとつ見えなかったが、時折り吹き抜ける涼しい風のおかげか、リテネの猛暑よりかは幾分楽な道程であった。アノとセキコは鼻歌でセッションをし、いつの間にやら意気投合している。ユギは肩をすくめて、彼女たちの奇妙な友情の育みを眺めるのみである。
「おう、そういやユギ」
リスポールまで後僅かというところで、アノと握手をしていたセキコが声を発した。
ユギは首を傾げる。
「なんだ?」
「すっかり聞き忘れてたが、てめぇら、何のために旅してんだ?」
そう言ったセキコの表情は清清しいまでに悪びれも無く、まるで近世前期にその名を馳せた大泥棒のようであった。肝心な所で抜けている。尤もこの娘の場合、いつだって螺子の一本か二本、どこかへ弾け飛んでいるのだが。
ユギは眼を瞑り、果たしてどう表現するべきか悩んだ。直球で行くのが一番簡単だが、その場合セキコがどのような反応を示すかわからない。それでいいんじゃないかと思うと同時に、得体の知れない恐れがあった。
それから、数十秒後。結局ユギは心を無にすることにした。
「俺たちは、世界を滅ぼすために旅をしてる」
「へえ」
セキコの反応は、思った以上に簡素なものだった。
ユギは肩透かしを食らった気分である。もう少し馬鹿にした反応をしてくると思っていたが、要らぬ心配だったのだろうか。だが、セキコはユギたちの目的地、エルトアの庭で働いていた経歴があるのだ。なにか特別な言葉を、返してきてもいい物だが。
すると、セキコが妙に真剣味を帯びた声で尋ねてきた。
「本気で言ってるのか?」
「ああ」
「……まっしろしろすけもか?」
「私は意見を持ちませんよ」
アノは即答する。眼を丸くしたセキコに、彼女はなんの躊躇いも無く続ける。
「私は、師匠についていくだけですから」
長い沈黙があった。セキコは何かを考え込むようにして下を向いている。アノはアノで普段どおり、能天気に鼻歌を歌っていた。そんな二人を前にして、ユギはどこに眼を向けていいか分からず、地面に転がった石を蹴って気を紛らわしていた。
「……お似合いだよ、てめぇら」
やがて顔をあげたセキコは、何の前触れも無くそう言った。ひはは、とだらしなく口元が弛緩する。
「世界を滅ぼす、ね。つまりあれか、アイリアを倒そうってか?」
「アイリア?」
「ああ、知らないんだったな、この油野郎が。アイリアってのは、エルトアの庭のトップ――この世界の創造主だ」
創造主、という単語にユギは顔を上げる。横目に入ったアノは、ユギと同じくセキコの顔を見つめていた。
「ユギ、てめぇが訳分からんくらい強いってのは戦った時よく分かったが、多分、今のままじゃアイリアには勝てないぜ」
「またその話か」
「あん?」
「あ、いや、なんでもない」
ユギは慌てて言葉をはぐらかす。アノの視線がとても痛かった。
セキコは一度振り返ってユギを見たが、特に言及もせず身体を戻してしまった。
「まあ、てめぇらも馬鹿じゃないはずだし、そこらへんは分かってると思うが」
「当たり前だろ」ユギは強く頷いた。アノはあらぬ方向を眺めている。
「ひはは、なんだなんだ、らしくもない話をしちまったな。たまにはいいかな、こういうのも」
「ありがとうセキコお姉さん」
「幼女だっつってんだろ」
「だからお前はもう少し自分の発言に責任を持て」
「師匠が言うんですか?」
「お前が言うのかよ?」
湖の街、リスポール。名匠ランシードを中枢に発展が進んだその街は、ヒルレイの独自文化を存分に取り入れた、美しい街だ。
街は中央に近付くにつれ地面が低くなっている為、至る所に階段と坂が存在している。道の両端には小さな水路が流れ、一年を通して清潔感に溢れている。湖の隣に建てられた教会では、白い制服を身に纏った子供たちが、神聖なる歌の練習に励んでいた。
そんな街の一角。湖の教会から僅かに離れた場所に、白いホテルは建っている。リスポールに到着したユギたちは、まず初めにそのホテルの部屋を借りておく事にした。
「でふ。でふでふ」
「気色悪い声を出すな」
「てふてふが蝶々なら、でふでふは蛾でしょうね」
「話を広げなくていいから! そしてその理屈はおかしい!」
部屋の窓際に置かれた椅子に座り――どうやらどの街に行ってもその場所が特等席らしい――、アノは変わらぬ微笑みを湛えている。訳の分からない呻き声を上げたセキコは、二つあるベッドの片方にうつ伏せに倒れ、気持ちよさそうに肢体を投げ出していた。
ユギは、アノと向かいあうように設置された椅子に腰を下ろす。窓の外に眼を向けると、眩しく太陽の光を反射する湖面があった。白い鳥が、水面を切り裂くように飛行している。
「綺麗ですね」
同じように外を眺め、アノは言う。ユギは素直に頷いた。
「海にも行ってみたいんだけどな」
「うぇみだと?」
「発音がおかしい」
がばり、と勢いよくセキコが飛び起き、窓際の二人を睨み付ける。何故か憤怒を映すその表情には、訳の分からない迫力が伴っていた。
「お前ら、私たち狐がうぇみが大嫌いなのを知りながらそんな事をほざきやがるのか!」
「知らねぇよそんなの」
「はっはーん、おいおい生姜野郎、私の水着姿が拝めないからってそんな露骨に残念がらなくてもいいんだぜ? 大丈夫、近いうちに温泉イベントが待っているに決まってるんだ」
「お前は早く寝た方がいい」
「寝首をかこうって作戦だな!? 面白い、出来るもんならやってみな紅生姜め!」
「もう野郎でもなんでも無くなっちゃいましたね」
「突っ込むべき所はそこじゃない」
「じゃあなんですか? ああ、戦いの事でしたか」
「戻りすぎだ」
遠く、聖歌隊の歌声が聞こえた気がした。
第三章です。読み方はそのまま《せいかたい》。
諸事情あって暫くまともに小説を書く時間が取れないので、更新が不定期になると思います。ご了承ください。数週間ほどで戻ります。
ヒルレイの民は肌の白い人が多く、男女共に容姿に恵まれています。手先が器用で、戦いによる興奮よりも、芸術による美しさを良しとする傾向にあります。