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 声にならない怒号のような歓声が、耳を劈く勢いで辺りに響き渡っている。アノはコロシアムの隅にしゃがみこみ、激突したユギとセキコの戦いを眺めていた。

 リテネの宿屋で言っていた通り――ユギの動きは、常人のなせる物とはあまりにもかけ離れていた。鳥のように舞い、虎のように攻撃を加える。攻撃の一つ一つが、敵対するセキコの身体を着実に傷つけている。その上、セキコの鋭い剣戟を全て躱し切っているのだ。彼女の焦りにも似た緊迫の気迫が、遠く離れたアノにも感じ取ることが出来た。

 ここから、ユギの表情を見ることは出来ない。彼は今、何を考え、何のために戦っているのだろう。

「あの少年……何者なんだ?」

 不意に声をかけられる。声がした方向へ眼を向けると、先程狐の村の中で話をした老人が、驚愕の表情を浮かべて隣に立っていた。アノは短く言葉を返す。

「私の師匠です」

「師匠? ああ、そうか、お前は村でそう呼んでいたな……」

 老人の言葉にはどこか覇気が無い。彼の関心は元々、ユギとセキコの戦いに向けられているのだろう。何故話しかけたのかとアノは疑問に思ったが、別に老人はアノに話しかけたつもりはなかったのである。

 と、突然観客の歓声に動揺が混じった。中央の二人に眼をやると、セキコが右肩を手で押さえ、地面に座り込んでいた。彼女は口から炎が出そうな勢いで、ユギに向かって何事かを叫んでいる。元気そうだ。周囲の観客がざわついているせいで、彼女が何を言っているのか分からない。

 おそらくは特撮のヒーローが言うような、視聴者を大いに盛り上げる言葉なのだろう。近いうちに変身をしてくれるに違いない。そうなったら格好いいなと、アノは楽しげに頷き、二人の戦いを無表情で眺め続ける。



「――てめぇ、今の反則だろ! ルールブックに載ってねぇぞそんな攻撃!」

「ルールブックってなんだよ」

「金枝篇!」

「読んでる訳ねぇだろ!」

 コロシアムの中央は火口の中にいるような熱気に包まれていた。セキコは血の滲んだ右肩を押さえ、忌々しげにユギを睨んでいる。今にも飛びかからんとする表情だったが、彼女の負った怪我がそれを許さなかった。ペッ、と唾を吐き、セキコは肩を押さえたままゆらりと立ち上がる。

「ったくよー。てめぇなんなんだよ、外来生物かよ。そこまでルールを無視して勝とうたァ、流石アウェイじゃやることが違うな」

「何がルールだ何が。勝手に反則扱いすんな」

「世迷い言をほざいてんじゃねぇこの醤油野郎が!」

 訳の分からない事を口走ったかと思うと、セキコは剣を突き出し、勢いよくユギに突進した。黒い剣の先端が首を掠める。顔を歪めたユギは、ばねの様な跳躍で後ろに飛び、セキコと距離をとった。

 首の傷が痛む。不意を突かれた攻撃に、僅かに反応が遅れてしまった。しかし、不意打ちとは、果たしてルール違反はどっちなんだと問いただしたい。

「はっはー、斬られてやんの。ばーかばーか」

「餓鬼かお前は」

「御年16だ。ふん、ピッチピチの幼女ってな」

「若いなおい。だが幼女ではない」

「私が幼女っつったら全世界の生物全てが幼女なんだよ!」

「もうお前が世界滅ぼしてこいよ……」

 一人で盛り上がるセキコを睨み、ユギは嘆息する。

「とーもかくだ。私は疲れた。そろそろ決着をつけるぞ、味噌漬け野郎」

「お前、よく喋る奴だな」

「てめぇこそ、ひらひらしてて気持ち悪いったらありゃしないぞ」

「ひらひら?」

「そこは蝶かよって突っ込めよ」

「……。無理言うなよ」

「おいおい、おーいおいおい、突っ込み役が沈黙するの禁止! 下手したらてめぇが消える!」

 分かった分かった、と手を出し、セキコの言語攻撃を止めさせた。セキコはむっとした表情で、右腕の剣を構えなおす。ユギは肩を回し、呼吸を整えた。

「――行くぜ、オイ!」

「そのネタはやめろ」

 ユギの突っ込みと同時に――セキコが一歩、前へ踏み出した。



「あーあ。結局変身は無しですか」

「あのセキコを圧倒するとは……本当に何者なんだ?」

「だから私の師匠だって言っているでしょうが」

 コロシアムには、先程と同じ動揺が続けて広がっていた。

 誰もが、今目の前に広がる光景が信じられないようだった。それは確かに、彼らにとって考えられない結末であったが――アノにとっては、半ば予想済みの光景だった。

 コロシアムの地面の上に、セキコが仰向けで倒れていた。その傍らに、ユギが気だるげに立っている。彼はほぼ無傷であるのに対し、倒れたセキコの身体には、ユギの拳がつけた無数の傷が残っていた。

「……そろそろいいですかね」

 既に決着は付いているようだった。もう近付いても構わないだろう。

 アノが立ち上がると、隣にいた老人が眼を向けてきた。半開きになった口が、言葉を告げようと上下に動く。しかし、口はぱくぱくと言葉にならない動きをするだけで、まだ驚きから回復していない事をアノに伝えるだけだった。

「言いたい事は分かります。でもまあ、仕方ないですよ」

 アノはため息を吐き、老人にひらひらと手を振った。軽快に、中央に居るユギの元へ歩いていく。

「師匠、終わりましたか」

 声をかけると、ユギはこちらに眼を向け、気だるげな表情のまま頷いた。地面に倒れたセキコが、相変わらず意味不明の言葉を発している。

「ちっくしょ、おかしいだろおかしいだろ。今の完璧に人外の動きだったぞ。私が言うんだから間違いない」

「元気そうですね」

「あん? ああ、弟子の方か。当たり前だろー、こんなんやられたうちに入らないんだって。この食塩野郎が私を一回殴る間に、私はこいつを五十回は殴れるんだぜ」

「師匠、存外雑魚いんですね」

「お前らはもう少し現実を見た方がいい」

 セキコはぐあー、と悔しげな呻き声をあげ、やがて沈黙した。どうやら眠ってしまったらしい。付けられた傷を見た限り死んでもおかしくない範疇だったが、この狐に限って死んだとは考えられなかった。

「……師匠、楽勝でしたね」

 黙れば意外と端正なセキコの寝顔を眺めながら、アノはユギに声をかける。ユギは「どうだか」、と呟き、ふるふると首を振った。

「こいつも十分強かったよ。俺は俺で力みすぎてたし」

「そうなんですか? 遠くから見てましたけど、首に一回貰った時以外、余裕そうでしたよ」

 アノの言葉に、ユギは返事をしなかった。地面を見つめ、何故か肩をすくめる動作をした。

「あんまり心配してないんだな」

「はい?」

「いや。こいつと戦う時、心配してくれてるかなあって思ってたんだけど」

「ああ、まあ……」

 アノは言葉を濁す。苦笑いを浮かべ、こちらを見るユギに眼を向けた。

「そりゃ、少しは心配しましたよ。師匠が戦ってる所なんて一度も見たことありませんしね。でも、なんか、直感で」

「それは有難い」

「まあ負けてもどうにかなるんじゃないかなーって」

「さいですか……」

 ふう、とユギは息を吐いた。何か考え事をしているようだった。アノは、彼にかける言葉を見つけることは出来ない。沈黙の中、アノは辺りを見回した。

 観客は大分落ち着きを取り戻していた。先程のような動揺と興奮の色は見られない。誰もが会場の席につき、これからの動きを傍観している。しかし、その何を考えているか分からない冷静さが、アノには不気味に感じられた。

「アノ。俺は――」

 ユギが口を開いた瞬間だった。

 ばきり、と一際大きな音を立て、コロシアムの柵の一部が崩れ去った。幾重にも重なった観客の衝撃に、柵が耐えられなくなったのだ。ユギとアノは眼を見開き、壊れた柵に顔を向けた。

 観客が躊躇いを見せたのは一瞬だった。柵が崩れ、コロシアムの中央への道が開けた数秒後――、彼らは、一同にコロシアムの中へと入り込んできた。

「ちょ、わ。どこのフーリガンですかあいつら」

 アノが眼を細め、怒涛の勢いで走る観客たちを眺めている。彼らの目的は、勿論、セキコをいともたやすく打ち破った、ユギだろう。

 ユギは舌打ちを漏らし、能天気にその場に立ったままのアノを抱きかかえ、コロシアムの出口へと疾走した。

 柵が壊れたのが一部分だったのに救われた。コロシアムの中には夥しい数の狐がいたが、その少しずつしかユギたちを追う事は出来ない。コロシアムの両側にある、出入り口の扉を蹴破り、ユギは走り続ける。コロシアムの外は長い連絡口になっており、此処が巨大な建物の内部なのだと思い知った。

「師匠、何処へ!?」

「森の外に決まってるだろ!」

「そんな事言ったって――!」

 抱きかかえられた状態のアノの言葉が、息が詰まったように途切れる。彼女の眼は、ユギの後方、依然として追いかけてくる狐たちに向けられていた。彼らの走る震動で、通路の床も大きく揺れている。

「め、滅茶苦茶ピンチです。サレンダーした方がいいですよこれ」

「そんな事はさせんだぁ!」

 聞き覚えのある声がすぐ後ろから聞こえてきた。アノが眼を向けると、先程眠ったはずのセキコが、それも無傷の状態でそこにいた。赤色の髪を大きく揺らし、愉しげに顔を緩ませている。

 流石のアノも、言葉に詰まった。

「おい、弟子! それからユギ! うちの連中は血の気が濃くてねえ、こういう状況になるとすぐ騒ぎ出すんだよ。申し訳ないが、まあ折角のお祭りなんだ。勘弁してくれよ」

「……それはともかく、セキコさん」

「あん? なんだまっしろしろすけ」

「さっきの傷はどうしたんです?」

「いや私賢者の石持ってるから」

「……そうですか」

 アノは眼を閉じ、ため息を吐いた。

「セキコ! この森からはどうすれば脱出できるんだ!」

 通路の角を曲がり、再び長い廊下に出る。未だ建物の出口らしき場所には辿り着けずにいた。ユギは顔を歪め、後方のセキコに向かって叫ぶ。答えはすぐに返ってきた。

「どうするも何も、森の外に向かってりゃ出れるだろ。それを森が許すかどうかは分からんけどなー」

「どういう意味だ?」

「言ったはずだぜ、既に祭りは始まってんだ。私たちが居るこの場所は、狐が化けた森の中なんだよ」

「ふうむ。それなら内部から攻撃すれば、勢いで吐き出したりしてくれませんかね? 一寸法師みたいに」

「おいおいまっしろしろすけ、これは御伽噺じゃないんだぜ」

「でも化け物の話ではありますよね」

「誰が馬鹿者だってェ?」

「そんな事言ってません」

「余裕あるなあお前ら」

 再び、角を曲がる。しかし、目の前に広がった通路は、今までの景色とは違っていた。道の先が開けている。ユギは堅い床を強く踏みしめ、アノを抱える手に力を込めた。

「ん。出口のようだな。連中はまだ大分ついてきてるぜ。体力はまだ残ってるか、まっしろしろすけ」

「俺の心配をしろよ」

「師匠何バテてるんですか情けないですね」

「だからお前もだよ! 話をあわせんじゃねえ!」

 通路を抜けるとホールらしき場所に出た。右の方に、建物の出入り口と思しき扉がある。ユギはそれを確認すると、足を止めることなく、半開きになったその扉へと向かっていく。そして、迫りくる狐たちの怒号を背に――彼らは建物を脱出した。

劇中セキコが口にしていた賢者の石。勿論彼女はそれを保有していませんが、一応伝説上の存在として、その宝石は実在すると謂われています。古今東西全ての病をたちまち完治させ、夢を願う者には全てをもたらす禁忌の秘宝。見た目はそこらへんに転がっている小石と大して変わらないようです。


ちなみにセキコの傷が無くなっていたのは、狐自体怪我の再生がべらぼうに早い為です。ユギとアノが会話しているうちに、セキコの傷はどんどん回復していたと言う訳です。つくづく無理をする生物ですね。

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