《化物狐》の章 1
人は人を化かす。だが実の所人を騙しているのは人の姿に化けた狐であり、人間たちは常に狐の悪知恵によって騙されているという事になる。
細い眼としなやかな体躯を持つ彼らは、一概に頭がよく回り、手先が器用で、何をやらせても卒なくこなす。感情的な面もあり、馬鹿にされたりすると必ず仕返しを行う。生命力が強い為どの地域の森の中にも必ず生息しており、狐を見かけたら容赦なく殺しても良いという末恐ろしい法律を施行している国も、少なからず存在する。
中でも取り分け賢い頭脳を持つ狐は「原型種」と呼ばれ、各国のみならず、旅人たちの間でも注意すべき対象の一つであった。
地面に落ちた木の枝をぱきりと踏みしめ、ユギとアノは道を真っ直ぐに進む。辺りはリテネ周辺の草原とは打って変わり、自然が繁栄を謳歌し、その脅威の生命力を発揮する森林地帯となっていた。ユギの頭の遥か上にまで、大地の栄養を吸収した木々はその背を伸ばしている。青々とした無数の葉から今にも昆虫が降ってきそうで、ユギは内心戦々恐々としながら歩いていたのだが、事実彼らが太陽の光を避け、快適に歩けるのは、さながらドームのように空を覆う葉っぱたちのおかげだった。
国家ヒルレイの最東端、ラノマ地方と呼ばれるその地に鬱蒼と生い茂るのが、≪嵌りの森≫と呼ばれる広大な森である。その怪しげな名前通り多くの狐が生息しており、道行く人間たちを騙しては森の奥深くへと誘って行く危険な場所だった。そのまま帰らぬ人となった旅人も数多く、森の中央には立派な集落があるにもかかわらず、次第と≪嵌りの森≫は人々から敬遠される土地になっていった。
「そもそもこんな危険な森の中に集落があること自体おかしいよな」
「師匠の頭の中くらい危険ですよね」
「お前の頭の中は陰険だけどな」
いつものように殺伐とした応酬を交わしながら、二人は森の中を進んでいく。森に入って早数十分、もうそろそろ集落が見えてきてもおかしくない頃だ。
と、今まで普段どおり薄い微笑みを浮かべていたアノの相好が、唐突に気難しいものに変化した。どうかしたのかと思いユギが眼を向けると、アノは思いつめた表情でううんと唸り、
「狐って、もう少し可愛いものだと思ってたんですけどねえ」
と、話で聞いた狐に対しての感想を口にした。
「クリオネの食事シーンも中々えぐいもんだろ。それにアノ、知ってるか」
「なんですか」
「俺たちは食事するたび他の生物の命を食い散らかしてるんだぜ」
「人間は弱いくせに自分より強い生物を摂取しますからね。まさに弱食強肉といったところでしょうか。焼肉定食じゃありませんよ」
「お前は話題を三段跳びで蹴り飛ばすのが本当に上手だなあ」
嫌味っぽくゆっくりと言葉を発するユギを華麗に無視し、アノは歩調を少し速めた。
「それよりもさ」慌てたようにアノに追いついてきたユギが、先程より若干真剣味を帯びた声で言葉を発する。
「なんですか」
「本物の狐に会った時、如何にして対処するか考えておかないとだな」
「師匠が犠牲になればいいでしょう」
「てめえには遠慮というものが無いのか」
「空気が読めないんです。全身白衣で包まれてますから」
「……いやすまんよく分からなかった」
「口からヘドロ吐いてる場合じゃないですよ。ほら、あれ」
ぶつぶつと突っ込みを返しながら、ユギはアノが指差す方向へ眼を向ける。二人の歩く道の少し先に、集落の入り口と思しき、小さな看板と大きな門があった。
ユギは反射的に眉を顰める。
「怪しいなあ」
「いかがわしいですね」
「お前の頭の中くらい奇怪だよな」
「師匠の頭の中は気持ち悪いですがね」
口々に訝しみながらも、そのまま二人は歩き続け、やがて門の目の前にまでやってきた。門の脇に建てられた看板には「用の者三度門を叩くべし」と古めかしいタイプの記述がなされており、ユギは暫く逡巡した後、結局アノに後押しされる形で、堅牢な木で作られた門を三回叩いた。
「怪しいんだか怪しくないんだかよく分からなくなってきました」
「その状況が一番怪しい」
忠告するようにそう呟いた直後、目の前の門がぎいぎいと壊れそうな音を立てながら、巨人が大口を開けるようにゆっくりと開いていく。その間から出てきた白い髭を見事に生え揃えたご老輩を見て、ユギはアノと同様に、怪しいんだか怪しくないんだかよく分からなくなってきたのであった。
第二章。読み方は「ばけものぎつね」。
ヒルレイは世界有数の、王城を領土に持つ国家です。リテネなどの大抵の国は住民たちが自由にやっていますが、ヒルレイのように領土の大きな国はそうも行きません。しかし現在のヒルレイ王は恐ろしい怠け者で、政治のほとんどを家臣に任せているのが現状のようです。