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ごうごう、と壮大な音を立て、後方の門が完全に閉ざされた。この空間は今まで歩いてきた地下室と違い、まるで別次元に飛ばされてきたような印象を受ける。壁、床、天井は薄緑色に光り、辺りには岩場が乱雑に広がっている。そこだけ見れば異国の渓谷にでも足を踏み入れたようだ。風は無いが空気はひんやりとしていて、地面の砂はさらさらに乾燥していた。
ユギは辺りをじっくりと見渡した後、ぼうっと突っ立ったままのセキコに声をかけた。
「これ、どうなってんだ」
「てめぇを馬鹿にしてる」
「なんか機嫌悪いね」
「こちとら貫徹なんだよ。文句あっか」
「だから寝ろよ」
ぶいん、と不可解な音がして、宙からシルルの声が聞こえてきたのはその時だ。
「二人とも元気? そろそろ始めても大丈夫かしら」
「さっさとやりやがれ、電源コード引っこ抜くぞ」
「これ無線通信だし。電源コードとか無いし」
「はん、上等だ! いつでもかかってきなァ!」
「お前は普通の会話が出来ないのか」
野獣のように牙を剥き出したセキコに、何を言っても意味は持たないようだった。獲物を刈り取るかのように伸ばされた腕は、既に変化が始まっている。液体のように形を崩し、スライムのように混ざり合いながら再構築されていく。≪嵌りの森≫で戦った際に見た、黒色の剣だ。
「じゃあ、始めるね」
そう、頭上からシルルの声が聞こえてきた瞬間。
高く背を伸ばした岩場の向こうから、鏡の鎧を纏った兵士が三体、異様な素早さで飛び掛ってきた。
「猿かよ」
タイミングを合わせ、飛来する鎧の脇腹辺りを蹴り飛ばす。金属のぶつかる高音が鳴り響き、衝撃を受けた鎧は為す術も無く吹っ飛ばされた。
セキコに眼を向けると、ユギの方に向かってこなかった二体の兵士が、彼女の足元に倒れていた。うつ伏せになった身体を乱暴に蹴りながら、観察するようにしげしげと眺めている。至って余裕げだ。
「これ、どういう仕組みなんだ?」
「魔兵器だな」
「まへーき」
「人造の生命を埋め込まれた意志を持たない無機物。魔物とは多くの点で異なる」
「ミラージュナイトねぇ」
「どうあれ弱けりゃ意味ねぇぜ」
ふん、と鼻で笑いながらそう言って、セキコは宙に向かって声を張り上げる。
「おい、汁! さっさと次のを出しやがれ!」
「あらぁ、やっぱり楽勝なの? 仕方ないわね」
残念そうなシルルの声が終わると同時に、岩場から再び兵士が飛び出してくる。しかし先程よりも数が多い。顔を上に向けると、岩場の上に大量の兵士たちが群がっているのが見えた。
「あの汁女め、物量作戦に出やがったか」
「どうでもいいけどその呼称はどうかと思う」
「戦闘中だぞ、私語を慎みたまえ」
「そうですね先輩」
鏡の兵士たちの動きはただ飛び掛ってくるだけの単調な物だったが、その片手には細身の剣が握られている。あまり大振りの動きをする訳にもいかなかった。蹴っても殴っても、岩場の上から次々と兵士は追加されていく。セキコの言う通り、本当に数で押す作戦に来ているようだ。
意志の無い生命から繰り出される剣戟を交わし、ユギは再び岩場の上に眼を向ける。兵士たちの数は減らないどころか、時間が経てば経つほど増えているようだ。思わず舌打ちを漏らし、楽しげに黒色の剣を振り回しているセキコに声をかける。
「おい、セキコ! この状況どうにかできないのか!」
「どうせ倒しきらなきゃ終わらねぇだろうが」
「それはそうだけど!」
突進してきた兵士の身体を蹴り上げる。足先から衝撃が伝播し、直後バネのように放出される。吹き飛ばされた兵士は後ろに犇く兵士たちを巻き込みながら、後方へと姿を消した。ユギは即座に足を回し、接近してきた兵士に同様の一撃を喰らわせる。
これではキリが無い。
倒されていく兵士たちを見ながら、そう思った時。
「中々苦労してるみたいねえ」
唐突に、シルルの声が響き渡った。
「でも、結構な数で攻めてるんだけど。二人とも、疲れてる?」
「あん? てめぇは私を誰だと思ってんだ! てめぇの名付け親だぞ!」
相変わらずのセキコの戯言に、シルルは一切動じない。
「全然大丈夫のようね。それじゃあ、本番と行きましょうかぁ」
「本番?」
どうやらこの猛攻は戯れでしかないようだった。何処かからシルルがくすりと微笑むのが聞こえ、それから数秒と開けずに、シルルの心から楽しんでいるような声がする。
「あたしの最高傑作よ。頑張って壊してね」
そう、言い放つ。その直後だ。
≪嵌りの森≫で起きたような地響きがして、轟音と共に兵士たちが出現した岩場が崩壊した。もうもうと土煙が上がり、兵士たちがその中へと消えていく。辺りを見れば、今まで規則的にユギに襲い掛かってきた兵士たちが、何かに怯えるように逃げ出していた。
「なんだなんだなんだこれは。あの汁、何考えてやがる」
ユギと同様に兵士たちから解放されたセキコが、依然として続く震動も意に介せずユギの方へ近づいてきた。しかしその表情は険しく、鋭い。見ると、彼女がいつも身につけている黒装束の裾の一部が、剣で切り裂かれてぼろぼろになってしまっていた。
セキコはため息を吐き、その場に座り込む。
「最高傑作ってなんだ?」
「さあな。しかし随分登場に手間をかけるな。やっぱり龍でも出てくるのか」
「やっぱりってなんだよ」
「私は知らん。シルルに聞け」
「言ったのお前だろうが」
ユギは顔をしかめ、土煙の中から何かが現れるのを待った。工房に置かれていた鏡、そして今まで襲い掛かってきた兵士たちの出来を見れば、シルルが鏡製作者としてどれほどの腕を持っているか、想像するのはあまりにも容易い。そんな彼女が最高傑作などとのたまうのだ。果たしてどれほどの兵が出てくるのだろうか。
「ん。なんかでけぇのいるな」
そんなセキコの声に反応し、顔を上げると。
ずん、という重い震動と共に、土煙の中から、巨大な鏡の装甲が現れた。
規格外の大きさだった。それは、今までその場所にあった岩場と同じくらい。言うならばゴーレム、か。強固な装甲を身に纏った、銀色の巨人だ。
ユギは暫く呆然として巨人を見上げていたが、やがて我に返り、慌てて隣のセキコを仰いだ。
「なんだ、あれは」
「封印された悪鬼……? あの野郎、そこまで腕をあげてやがったのか」
「悪鬼?」
「ああ。かつて勇者によって封印された暴虐な魔物だよ」
「その話、本当なのか」
「嘘に決まってんだろ」
「お前せん妄でも発症してんのか?」
ユギが向ける呆れた眼に反応もせず、セキコは勢い良く立ち上がった。そして乱暴に隣の少年の腕を掴み、立ち上がらせる。ぐんと上昇する視界に驚きの声をあげ、ユギはよろめきながらセキコを睨みつけた。睨まれた彼女は、危機感などまるで無さそうにひははと笑い、
「さてどうすっかな、これ」
そう言った。
ユギは言葉を返さずに、こちらへゆっくりと歩いてくる巨人に眼を向けた。
巨体だからこそ存在する、圧倒的な存在感。あの身体に意志は無いと分かっていても、どうしてもこちらを殺そうと言う明確な殺意を感じてしまう。
戦いが始まる前、シルルは確かにテストと言った。その言葉が真実なら、殺されるような事はありえない。精々怪我をする程度。前座である兵士たちとの戦いも、そうだった筈だ。
しかし――まるでユギの心中を読み取ったかのように、セキコは頭を横に振った。
「あいつらは本気で殺しに来るぞ。シルルは容赦なんて言葉しらねぇんだからな」
「それはお前が死に掛けていたとしても、助けないってことなのか」
「当たり前だろ。今まで何度死にそうになったと思ってやがる」
冗談にならない。ユギは軽く眩暈を感じていた。
二ヵ月越しです。しかし短い。しかも話進まず。
シルルの鏡製作によって作られた装甲たちは、意思をもっていませんが作り手に絶対の忠誠を誓っています。人形のようなものでしょうか。
鏡製作の歴史は浅く、その技術を持つ者は世界にごく僅かしか存在しません。その中でもシルルは全て独学により技術を得た、数少ない貴重な人材だったりします。