4
いざホテルに戻ってみても、暇を潰す手段はあまり多くなかった。暫くぼうっと窓からの景色を眺め、思い出したかのように昼食を取り、アノが先日読んでいた本を斜め読みし、やがて再び外へ出る事にした。自分の暇潰し能力の無さに驚きを感じながらも、どれだけ突っ込み役として日々働いているのかを考えると憂鬱になった。
すたすたとホテルを出て、空を見上げる。まだ太陽は高く空に浮かんでいる。時刻は午後二時くらいだ。セキコが帰ってくるのは夕方だと言っていたから、街の中を散策していればすぐに時間は過ぎるだろう。
先程セキコと歩いた道を、今度は一人で歩き始める。街の中央は人も多いだろうし、よしなし事をつらつら考えながら歩くのであれば、この道が最適だろう。面倒なアノもセキコもいない。たっぷりと、身の回りで巡っている問題の事を考えられる。
エルトアの庭。それは果たして何処にあるのだろう。このままセキコについていけば問題なく辿り着けると思うが、一体どれほどの時間を要すというのか。セキコは最後まで連れて行ってくれるだろうか。アノの記憶は戻るだろうか。俺は、本当に――。
「……駄目だな、一人で居ると馬鹿馬鹿しい事ばかり考える」
頭を振り、ため息を吐いたその時だった。
「あ、あの、すいません」
「はい?」
突然背後から声をかけられ、危うく変な声を出してしまう所だった。顔を強張らせない様にしながら、ユギはその場で振り返った。
ユギに声をかけてきたのは、まだ年若い少年だった。聖職者のような白色のローブとズボン、灰色の靴。ブロンドの金髪が光を反射してキラキラと輝いている。バランスの良い顔立ちをしており、その瞳は吸い込まれそうな深い青色を湛えていた。
この街の子供だろうか。それにしては奇妙な格好だった。
「あの、すいません」
「なんでしょう」
何故か二度同じ言葉を発した少年に、ユギは落ち着いて対応する。今までずっと訳の分からない奴らの相手をしてきたのだ。この程度の会話の弊害はへっちゃらである。
「僕の、恋愛のお手伝いをしてくれませんか!?」
そう考えた自分が馬鹿だった。
少年の名前はラットと言うらしい。
「まあ、偽名なんですけど」
「本名を言えよ……」
湖に面した道のベンチに座り、ユギはラットと話をしていた。出会い頭に相当大きなインパクトを与えてきた彼も彼だが、結局その変な子供の話を聞いている自分も大概変な奴だった。
「ええと、僕には好きな人がいまして。その人とお近づきになれるように、手伝って貰いたいなあって」
「なんで俺に声をかけたんだよ」
「暇そうでしたので」
「帰る」
「あ、ちょっと待ってくださいよ! 嘘に決まってるでしょう! その程度のフェイクにも気付けないとかどうかしてるんじゃないですか!」
「なんで堂々と馬鹿にしてくるんだよ! ふざけてんのか!」
「ジョークですよ、ジョーク。……実は僕、聖歌隊の一員なんです」
「へえ、聖歌隊……」
嫌な予感がした。
「はい。それで、今日新しく入ってきた人に、私の師匠はなんでも出来ますから困ったことがあったら頼りにしてくださいって言われたんです」
「あいつ後で殴る」
名前を聞かずとも分かる。
あの弟子は一体どこまで自分に厄介事をふっかければ気が済むのだろうか。
ラットは一度俯いたが、やがて不安げな表情でユギを見上げた。
「手伝ってくれないんですか?」
「……俺は暇じゃない。この街にだって後二日しかいられないんだからな」
「それなら聖歌祭には参加するんでしょう? お願いです! あの人を聖歌祭につれてくるだけでいいですから!」
「いや待て、あの人って言うのは何処に住んでるんだよ」
「湖の向こう側に、小さな家があります。そこに住んでるんです」
「え」
「へ?」
ユギは硬直し、ラットは素っ頓狂な声を出した。ユギの顔がみるみる険しくなり、そして、元に戻る。
「湖の向こう側と言ったか」
「は、はい」
「本気か?」
「本気です!」
「分かった。もしかしたら、どうにか出来るかもしれない」
「本当ですか? 感謝しま――」
「ただし」
ユギは立ち上がり、ラットの前に立った。口をゆるめたまま静止した彼に、釘を指すような口調で言う。
「後悔するなよ」
「は、はい」
たじろいたラットを見、ユギはため息を吐いた。成功するとは思えないが、やってみるだけやってみよう。セキコは協力してくれるだろうか。
「そりゃ無理っぽいぜ」
「即答かよ」
太陽が沈み、午後七時を廻った頃にセキコは帰ってきた。
セキコは疲れた顔をしてベッドに座り込み、髪をくしゃくしゃと掻き回した。眼に力が無い。次いで発せられた声も、いつもと比べどこか覇気が無かった。
「あいつひねくれ者だし。あんま他人に興味持たないんだよな」
「狐は性格が捻じ曲がった奴ばっかりだな」
「てめぇみたいにな」
「何同類扱いしてんだよ」
ユギは窓の外に広がる湖に眼を向けた。夜の暗闇の中、遥か遠くに、小さな白い灯りが見える。
ふぁ、とセキコが眠たげに欠伸を漏らした。
「まあどうせ明日も暇だしなあ、ためしに行ってみるか」
「それは助かる」
「勿論てめぇもついてこいよ」
「え、なんで」
「なんで私だけ痛い思いしなきゃいけないんだよ」
「は……?」
こいつは何の話を聞いていたんだ。
そう思い話の齟齬を修正しようとした直後、部屋の扉が勢いよく開き、満面の笑顔を湛えたアノが帰ってきた。
「ただいま戻りましたよ、師匠、セキコさん」
「ん、おかえり」
「よし来たまっしろしろすけ、歌聞かせろ」
「お前はとりあえず寝ておけ」
アノは普段通り真っ白な白衣を着ていたが、その手には聖歌隊の物と思われる真っ白な衣服があった。広げると、やはりラットが着ていたローブと同じ物のようだった。
アノは微笑みを浮かべ、誇らしげな口調でユギに言った。
「凄いでしょう? リスポールオリジナルチャーチクァイアローブです」
「長ぇよ」
そんな名称を覚える前に歌詞を覚えろ。
「これを着るだけでもう聖歌隊の一員ですからね。名誉な事ですよ、これは」
「そう言うもんなのか?」
「元々聖歌隊は位が高いんだぜ」セキコがベッドに寝転がりながら、豆知識を口にする。「なんたって≪神の歌≫を歌うんだからな。その一員になるってのは、勿論凄い事なんだよ」
「成程、流石セキコ先生」
「おい授業料払えよ」
「なんでいきなりそういう話になるんだ」
唐突に強い風が吹き、ユギたちの衣服をはためかせた。窓を閉め、鍵をかけると、窓は叩きつけられる風にがたがたと揺れていた。その様子を見て、セキコは独り言のように言う。
「そういや夕飯食ってないな」
「話が凄い勢いでつながってないんだが」
長らくお待たせしました。でも短めです。申し訳ない。話自体は淡々と進んでおります。
神様に仕える者たちについて。
複雑な上下関係が有りそうに見えて、その実非常に簡単です。最も神に近いとされるのは法都アルヴェリ近辺の大聖堂に勤める聖職者たちであり、彼らの権威は首都から離れるごとに小さくなっていきます。次に力を持つ聖歌隊は各教会に一組は存在しますが、これも首都から離れるごとに弱まっていきます。最下位に当たるのは庶民信仰者たちで、彼らの権威は大凡フラットです。