《旅空蝉》の章 1
この物語には殺伐とした応酬が多く含まれます。
ドタバタ日常系の物語をご希望の方はご注意ください。
蝉がけたたましく鳴いていた。じりじりと、頭上の太陽が地上を焦がす。辺りには、無造作に生える無数の雑草と、赤煉瓦で出来た無骨な街道しか存在しなかった。かつては草原の街リテネへの正確な道筋として、さる筋の商人たちが意気揚々と往き来していたその街道も、リテネの産業の沈静化に応じ、自然と人の通りは減っていった。地を這う大蛇のように背を伸ばすその姿は、今となっては、この地域の夏がいかに灼熱地獄であるかを旅人たちに知らしめる、一種のシンボルと化している。
そして今日もまた、何も知らぬ哀れな旅人たちが、草原の帯びる熱に悩まされていた。
「水がほしい」
「唾液で我慢してください」
リテネへと続く長い長い街道の中途。一組の若い男女が、肩を並べて歩いていた。正鵠を射るならば、男の方の肩は、絶望を前にしているかのようにがっくりと落ち込んでいた、と表現した方が良いかもしれない。
男女共に、未だ少年少女の域を出ない顔つきをしており、少年は茶色のTシャツに黒い短パンという極めて動きやすそうな服装をしていた。短く切った黒髪が太陽の光を眩しく反射している。対し少女の方はと言えば、何がどうしてこうなってしまったのか、科学の実験で用いる純白の白衣を一身に纏い、その上で楽しげに微笑んでいる。汚れ一つ無い美しい白髪は少女の腰あたりまで伸び、ポニーテールの要領で結ばれていた。どこをどう見ても気が触れてしまっているとしか考えようが無い。が、少女の行動は常に一般人そのものであり、突飛な行動に出ることはほとんど無かった。唯一問題であるその言語センスは、この世における常識の一線を遥か昔に踏み越えてしまっており、今の彼女の思考を理解することは困難を極める。
「アノ、少しいいかい」
「なんでしょうか、師匠」
少年の声に応じ、アノと呼ばれた少女が反応を示した。その少女から師匠と呼ばれた少年は、ふと顔を上げ、頭上の太陽を仰ぎ眼を瞑った。
「リテネまで、後どのくらいかかるかな?」
「辿り着けないんじゃないんですかね」
「寝言はくたばってから言えよ。……確か、城を出る前に、ここら一帯の地図は貰ってきただろ?」
「ああ、ありましたねえ」
「どうして他人事なんだよ」
少年の静かな怒りのこもった言葉を、アノは飄々として受け流す。とても師弟の会話とは思えなかったが、これが彼らの日常の応酬であった。
少年は一つため息をこぼし、それから吐き捨てるように言葉を続ける。
「仕方ないな。アノ、水をくれ」
「胃液で我慢してくださいよ」
「……俺を溶かすつもりか?」
「嫌ですね、いつも塩を舐めては縮んでるくせに」
「俺はいつからナメクジになった!」
少年は語調を荒げ、そして、息も絶え絶えに肩を落とした。その様子を、アノは涼しげに眺めている。
彼らの進む道の先に、未だリテネの姿は見えない。
この物語は、勇者である筈の少年ユギと、その弟子である筈の少女アノが、この世界を滅ぼす為に旅をする、その奇妙な旅の記録の一部始終である。
彼と彼女が旅する世界に名前はありません。読者様の想像に一任します。
後書きでは、世界設定やその他設定などなどを短く語ろうかと。基本読み飛ばしてくださっても構いませんが、頭の片隅程度に留めておくと幸せになれるかもしれません。